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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【15】縦


 外の空気を吸ってくる、と言って第一の塔〈白煙〉を出たレンは、そのままフラフラと庭園の方に向かった。

 いつもなら、このままガゼボのベンチに行くところだ。あの辺りに集まると、大体ティアやセビルに会えるから。

 ただ、今はなんだか違う気がした。

 ガゼボに行ったら、あの二人に慰めてほしいという態度があからさますぎて、嫌だったのだ。格好つけたとも言う。


「あー…………うぅー……」


 気がついたら声が漏れた。まずい。泣く。

 レンは咄嗟に近くの茂みの裏側で、膝を抱えてしゃがみ込んだ。

 ボロリと涙が溢れて、服の袖を濡らす。


「うー……うぅ……うっ」


 母の死因は流行りの風邪だったという。

 ただ、母はもう長いこと肺を患っていて、あまり長くは生きられないだろう、と言われていた──そのことを、レンはついさっきケヴィンに聞いて初めて知った。

 母はもう、とっくにボロボロだったのだ。

 だから、レンを〈楔の塔〉に送り出した。〈楔の塔〉の入門試験は三年に一回。今を逃したら次は三年後になってしまう。それまで自分が生きていられるか分からなかったから。


(オレ、まだ、何もできてないのに)


 美少年天才魔術師として有名になって、いっぱいお金を稼いで、そうして母を迎えに行くつもりだった。

 そして母にこう言うのだ。

 母さんそっくりの美形だったから、〈楔の塔〉でも人気者でめちゃくちゃ可愛がられて、みんなに愛されてる美少年なんだぜ!

 母さんそっくりだから不幸だなんて思ったこと、一度もないぜ!


(そう、言うつもりだったのに……)


 こんなことなら、家を飛び出すべきではなかった──そんな考えが頭をよぎった。

 だけど、それを母が望んでいなかったことも分かっている。

 母は、レンに自由に生きてほしかったのだ。


(母さんは、何一つ自由にならなかったのに……)


 入門試験を受けるよう勧めた母の優しさを、やると決めた自分の決断を否定したくない。

 だけど、母の死に目に立ち会えなかったという現実がレンの心を打ちのめす。


(じゃあ、どうするのが正解だったんだよ)


「ピヨッ」


 グチャグチャになった思考に、聞き覚えのある鳴き声が割り込んできた。

 レンはしゃがみこんだまま、少しだけ顔を持ち上げる。

 ティアとセビルだ。二人とも、今から戦場に向かうのかというぐらい凛々しい顔をしている。

 レンは何か言おうとした。だけど、声の代わりにエグッと嗚咽が漏れるだけで、ろくに言葉にならない。


(一人にしてくれ、ほっといてくれ、今ちょっと美少年じゃないから、すげーみっともなくて、そういうとこ見られたくないから)


「レン、縦と横、どっちがいい?」


 レンは鼻声で「あ?」と聞き返した。

 ティアは真剣な顔で繰り返す。


「縦と横、どっちがいい?」


「……じゃあ、縦」


 何がしたいかよく分からなかったので適当に答えたら、ティアはペフンと喉を鳴らして頷いた。


「ピヨップ! フォーメーション・縦!」


 セビルがすかさずレンの背後に周り、腕を伸ばしてレンの体を持ち上げる。

 そうして彼女は地面に座り、その膝の上にレンを座らせた。

 更に、レンの膝の上に今度はティアがペタンと座る。

 前からティア、レン、セビルの順で縦に並ぶように座った形だ。

 ティアとセビルに挟まれたレンが困惑していると、ティアが前を向いたまま言った。


「レンを一人にしないぞ、のフォーメーション!」


「……あんだよ、それぇ」


「わたくし考案だ。横なら横一列に並ぶ」


 そう言ってセビルが両腕を伸ばし、後ろからレンを抱きしめる。

 レンの前に座ったティアは、前を向いたまま白髪頭を左右に振った。


「あのね、本当は羽があったら、後ろからモフっとしていいよ、って言えたんだけど、今は羽ないから……頭をモフッとしていいよ!」


 しねーよ、という悪態は出てこなかった。

 ティアとセビルはそれ以上は何も言わない。ただレンにぴったりとくっついている。暖かい。

 その温もりに甘えて、レンは少しだけ弱音を零した。


「……オレが小さい頃さ、屋敷の離れに知らない男が来たんだ。昔、母さんが無理やり別れさせられた、元恋人」


 レンの母は村一番の美人で、当時は付き合っている恋人がいた。

 だが、金に目に眩んだ親の画策で、無理やり裕福な男の妾にされた。

 元恋人の男が、どうしてすぐに迎えに来なかったのかは分からない。ただ、レンの母を忘れられず、離れに忍び込んできた。


「そいつは、無理やり妾にされた母さんを攫いに来たんだ。でも、屋敷にはオレがいて……」


 母を迎えに来た元恋人は、レンに気づくと、こう言った。


『その子は、置いていこう。きっと父親が大事に育てるさ』


 その男の、貼りつけたような笑顔を今でも覚えている。

 君のためだから。きっと大丈夫──そんな適当な言葉で、あの男はレンを切り捨てようとした。

 結局、母は元恋人を追い返し、その男も二度とレン達の前に姿を現すことはなかった。

 だけど、レンはいつも思うのだ。

 あの時、自分が生まれていなければ、母は元恋人の手を取ったのではないか、と。


「オレがいなかったら……母さん、もっと自由に生きれたのかなぁ……」


 後ろから抱きしめるセビルの手に力がこもる。


「お前の葛藤に対する、明瞭で明快な答えをわたくしは提示できない。わたくしもまた、同じ葛藤を抱えたことがあるからだ」


 自分がいなければ、母は自由になれたのか?

 ──答えはきっと、「その通り」だ。


「それは大人達が自分で選んだことだ。子どもにはどうしようもない理不尽で残酷な話だ。子どもにそんな考えを抱かせること自体腹立たしい! まったくどうしろと言うのだ!」


 セビルはどんな顔をしているのだろう。

 レンはあえて振り向かなかった。そのための、フォーメーション・縦だと思ったからだ。


「……セビルは、どうやって自分を納得させたんだよ」


「納得などいかぬ。わたくしはずっと、周囲の環境がもたらす理不尽に怒り続けている。そうして今のわたくしがいる」


 罪悪感を綺麗に消してくれる魔法の言葉は、きっとない。

 お前は悪くない、と優しい誰かが言ってくれても、頭の中の自分がそれを否定する。

 だから、全部抱えて生きていくしかないのだ。自分の中でどう折り合いをつけるか、考えながら。

 ティアが頭を後ろに傾け、白髪頭を押しつけた。


「ハルピュイアはね、親子の繋がりが薄いの。わたしも、自分を産んだお母さんのこと、あんまり覚えてないし…………だからね、レンのお母さんはすごいなぁって思ったよ」


「…………」


「レンのお母さんは、いっぱい長い時間、レンを守ってきたんだね」


 いっぱい長い時間。そうだ、一三年なんてハルピュイアにしてみれば、一生の半分だ。


「オレさぁ……もっといっぱい、親孝行したかったんだぜ。母さんのおかげで最強ハッピー美少年だって、もっと、ちゃんと伝えたくて……」


 レンは俯き、ティアの白髪頭にグリグリと額を押し当てた。


「なのに、全然できてない……オレ、まだ、何もできてない……」


 レンはそのままみっともなく泣いた。

 とても美少年とはいえない有様だけど、ティアもセビルもレンの顔を見ていないから良いのだ。

 涙はいつまで経っても涸れなくて、次から次へと溢れ出してくる。レンの前に座るティアの服がビショビショだ。

 母が死んで悲しい、何もできなかった自分の無力さが悔しい、自分の置かれた理不尽な境遇が腹立たしい──色んな負の感情を煮詰めては、嗚咽に変えて吐き出した。






 レンの嗚咽を聞きながら、ティアは考える。

 やっぱり魔物と人は違うのだ、と。

 無論、人間は沢山いて人間の数だけ事情があって、その人ごとに葛藤は違うと分かっているけれど、やはり人と魔物は根本的に別の生き物なのだ。

 ハルピュイアはその種族の性質上、親子間の愛情が他の種に比べて薄い。姉妹の方がずっと仲が良いのだ。

 ハルピュイアと人では、親という存在に対する認識、死への向き合い方、乗り越え方、何もかもが違う。


(……わたしは、セビルみたいにレンに寄り添えない。その気持ち、わたしも分かるよって、言えない)


 そのことが、ティアにはとても悲しかった。

 だから、願う。


「レンは、これからいっぱい幸せになるのがいいと思う。幸せになってほしい」


「……母さん、天国で見てるかな」


 また悲しくなって、ティアはペフンと喉を鳴らした。

 ティアには天国というものがよく分からない。概念として知ってはいるけれど、ピンとこない。ハルピュイアは、死んだ後のことなんて考えないのだ。

 だから、きっと見てるよ、なんて適当なことは言えない。

 その代わり、自信をもって断言できる言葉を口にした。


「レンは何にでもなれるよ。最強愛されハッピー美少年でも、違う何かでも」


 人は何かになりたがる。

 それを不思議に思っていたティアだが、今は静かな確信をもって言える。


「レンは、望む何かになれる生き物だよ。だから、いっぱい幸せな生き物になって」


 それが、ハルピュイアのティアが、人間のレンに望むことなのだ。



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