【2】狐と黒獅子
黒獅子皇が言うには、〈楔の塔〉とは現代まで生き延びた魔物達を見張り、時に討伐する組織であるらしい。
あらゆる魔術を受け入れる〈楔の塔〉の存在は、〈煙狐〉も知っていた。
だが、〈楔の塔〉の東に魔物達の棲む〈水晶領域〉なるものがあり、そこから時々魔物が出てくるなんて初耳だ。
そもそも、現代でも魔物がいる、というのがにわかに信じがたい。
(そういや昔やったな……魔物狩り詐欺)
田舎村で良くないことが続いたとか、怪しい影を見たとか、そういう噂があるところに赴き、こう言うのだ。
『それは、現代に生き残った魔物の仕業に違いありません。私は代々魔物狩りをしてきた家の人間なのです。退治して差し上げましょう』
あとは、動物の骨や牙を削ったり、毛皮や羽を染めて、それっぽく加工した物を持っていき、「魔物を退治してきました。これが魔物の一部です」と謝礼を受け取るのだ。
〈煙狐〉はチラッと黒獅子皇を見た。
彼は、こちらの反応を楽しんでいるようにも見える。
(三流詐欺師を揶揄ってんのか……?)
〈煙狐〉は、えぇいとグラスのワインを飲み干し、丁寧な口調で黒獅子皇に訊ねた。
「〈水晶領域〉というところに魔物が棲んでいて、〈楔の塔〉がそれを見張っているのは、分かりました。ただ、私は〈楔の塔〉に潜入して、何をすればいいんですかね……?」
「うむ。本来、〈楔の塔〉の活動は、歴代の皇帝が支援してきたものなのだ。民の平和を思えば、当然のことであろう?」
そりゃそうだ、と〈煙狐〉は胸の内で呟く。
もし本当に魔物がいるのなら、〈水晶領域〉から出てきたら大騒ぎだ。
ただでさえ帝国は領土争いの火種を抱えているのに、魔物まで出てきたら目も当てられない。魔物の封印に金をかけるのは、至極当然のことに思えた。
「ところが、先帝がやらかしよってな。〈楔の塔〉の逆鱗に触れたようなのだ。以降、皇帝と〈楔の塔〉の連絡は途絶え、関係は断絶している」
「それは、えー……具体的に何をやらかしたか伺っても?」
「余にも分からぬ。先帝は、全てを語らぬまま逝去したからな」
「あ〜……」
それは大いにありそうな話であった。
数年前に崩御した先帝は戦争嫌いで、芸術価値の高い物の保全・修復に金を使うため、軍費を大幅に削ったのだ。
結果、帝国は弱体化し、南方の異民族からの侵略を許してしまった。北方の国々とも、一触即発の状況が続いている。
五十年以上前の戦争で西のリディル王国に勝利して得た金も、今では殆ど残っていない。それどころか、今ではリディル王国に様々な水準で遅れを取っている始末だ。
政治に無関心な先帝の下で、腐敗した貴族達はやりたい放題だったという。
ともなれば、〈楔の塔〉との間で起こった問題も、握り潰されてしまった可能性が高い。
(……しかも、先帝の死には黒い噂があるときた)
黒獅子皇レオンハルトは先帝を暗殺して皇位を簒奪した。という噂は、黒獅子皇が皇位についた時からずっと言われ続けている。
正直、まぁ、ありえなくはないだろうな、というのが〈煙狐〉の本音だった。
それぐらい、黒獅子皇は苛烈な人物なのだ。
(おまけに、行動が読めない……)
こんな三流詐欺師を引き込んで、重要任務を与える理由が分からない。
「先帝の頃から、〈楔の塔〉との関係は断絶している。この現状を余は憂いている。そこでその方は〈楔の塔〉に潜入し、先帝が何をやらかしたかを調べてくるのだ」
「いや〜、陛下の方からこう……『仲良くやろうではないか』と寛大なお言葉をかけてやれば、〈楔の塔〉の連中も頭を下げますよ、きっと」
「既に和平のための使者は何度か送っているが、全て門前払いだ」
「うおっとぉ……」
それはなかなかに、一触即発の状況ではないだろうか。
〈楔の塔〉が自治領であるとは言え、皇帝に兵を差し向けられても文句を言えない状況だ。
「〈楔の塔〉との関係改善は、帝国の治安維持に関わる重要な問題だ。そこで、余は帝国魔術師組合を利用することにした。〈楔の塔〉と魔術師組合は、細々とではあるが交流があるのだ」
〈楔の塔〉は帝国中のあらゆる魔術が集う場所ではあるが、古い魔術の保存、管理をする面が強いのだ。
最新の魔術研究をするのなら、人手と金があるに越したことはない──つまり、帝国全土に支店を持つ魔術師組合の方が秀でている。
故に、古い知識の〈楔の塔〉と、現代魔術の最先端である魔術師組合は、時折交流会や研修会を開き、互いの知識を研鑽しているらしい。
「魔術師組合の人間が、現代魔術を指導するため、〈楔の塔〉に出向することもしばしばある。それを利用するのだ。近い内に〈楔の塔〉は三年に一度の入門試験を行う」
新人が増えれば、当然に教育者が必要になる。
万年人手不足の〈楔の塔〉にとって、即戦力となる魔術師組合の人間は非常にありがたい存在だ。
〈煙狐〉は話の飲み込みが早い有能な男の顔で、「なるほど」と相槌をうつ。
「つまり、私に魔術師組合の魔術師になりすまし、〈楔の塔〉に潜入せよと」
──いや、無理だろ。と〈煙狐〉は心の中で続ける。
〈煙狐〉は詐欺師であって、魔術師ではないのだ。当然だが、魔術なんて使えない。
(それなのに、魔術を教える教師に成りすませなんて……あー、でも昔、似たようなことはしたな)
数年前の出来事を振り返っていると、黒獅子皇がニヤリと笑い、懐から獣の牙らしき物を取り出した。
不自然に側面がギザギザした漆黒の牙だ。なにやら見覚えがある気がする。
(あれは、まさか……)
「その方は、代々魔物狩りをする一族の人間で、既に何体もの魔物を滅ぼしてきたそうだな?」
「うげ」
思い出した。あの牙は「倒した魔物の一部です」と言って村人に渡した物ではないか。
実際は動物の骨だ。ギザギザになるよう削って黒く塗り、それっぽく加工した。
魔物狩り詐欺のことを持ち出され、引きつる〈煙狐〉に、黒獅子皇は追い討ちをかける。
「そうそう、かつて魔法大学の教授に成りすまし、裕福な生徒から授業料を巻き上げる詐欺を働いたこともあるそうだな?」
「うおっふ……」
「実に堂に入った演技だったそうではないか。言葉巧みに他の教授達をも騙し、時に手品をまじえて魔術が使えると錯覚させた……ふむ。この酒の席での余興に良いな。一つ見せてみよ」
「いやー、ははは、ああいうのは仕込みがないとですね……」
〈煙狐〉は服の下で脂汗をダラダラ流した。
魔法大学の詐欺事件は、大学側が信用を保つため──という名目で醜聞を隠し、世間では公になっていない。
だが、黒獅子皇はその事件を知っていた。魔物狩り詐欺のことも含めて、〈煙狐〉の過去の所業を徹底的に調べ上げているのだ。
(なるほどな、〈楔の塔〉の内情を調べるなら、下働きより、中枢に近づける魔術師として潜入する方が良い。そうなると魔術師が必要になるが、大抵の魔術師は魔術師組合に属している……)
仮に、魔術師組合に所属している魔術師を引き抜き潜入させたとして、潜入がバレたら、〈楔の塔〉は魔術師組合の後ろにいる黒獅子皇の存在に気づくだろう。
そうすれば、〈楔の塔〉と黒獅子皇の関係はますます悪化する。
(だが、潜入したのが犯罪者の俺なら……いざとなったら、簡単に切り捨てられるってことか)
もし〈煙狐〉がヘマをしたら、「詐欺師の〈煙狐〉は〈楔の塔〉の魔術が金になると考え、魔術師組合の人間を騙って潜り込んだ」という筋書きにすればいいのだ。
〈煙狐〉は魔法大学で詐欺をした過去があるから、何も不自然ではない。
「その方は、余の忠臣なのであろう? ならば全力をもって目的を果たし、余に貢献せよ」
* * *
こうして、黒獅子皇に無理難題を言われた三流詐欺師は、〈楔の塔〉を訪れた。
今の彼は〈煙狐〉ではない。黒獅子皇が用意した肩書きは、魔術師組合所属の上級魔術師。
──〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター。
なお、このカスパー・ヒュッター氏、架空の人物ではなく実在する。
黒獅子皇の妹姫が隣のリディル王国に嫁いだ際に護衛として同行した魔術師で、そのまま妹姫付きの護衛として隣国に残ることになったらしい。
ただ、その事実はあまり知られていないので、〈煙狐〉が騙るには最適というわけだ。
潜入するにあたって、容姿も本物のカスパー・ヒュッター氏に寄せてある。
ボサボサだった黒髪はきちんと撫でつけたし、顎髭も剃った。ローブを着込み、眼鏡もかけている。どこから見ても、堅物な雰囲気の三十路男だ。
(よし、行くか……)
〈楔の塔〉の前で馬車を下りた、〈煙狐〉もとい、カスパー・ヒュッター(偽)は思った。
わー、周りに何もねぇ〜。田っ舎〜。帰りた〜い……と。