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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【14】ハルピュイアとは違うから


 レンには腹違いの兄が三人いる。父の正妻の息子達だ。

 上の二人はレンを目の敵にしていて、正妻と一緒になってレンを苛めたが、三番目の兄ケヴィンだけは親の目を盗んで、何かとレンの世話を焼いてくれた。

 レンとレンの母が暮らしている離れに、お古の服や本を持ってきてくれたり、筆記用具を融通してくれたり。

 レンが今着ている服も、ケヴィンのお古を母が仕立て直した物だ。

 ケヴィンは時に、余り物の菓子を持ってきてくれることもあった。


「僕はあるだけ食べてしまうから、ちょっとレンが食べておくれよ」


 まったく、仕方ねーな、ケヴィン兄ちゃんは! ──そんな可愛げのないことを言っても、ケヴィンはレンをぶったりはしない。気弱そうにニコニコ笑っている。



 父の正妻は、レンが知恵をつけることを酷く嫌がった。レンが賢くなって、自分達に報復しにくることが恐ろしかったのだろう。

 だからレンは家庭教師をつけてもらえなかったけれど、ケヴィンが読み書きや計算を教えてくれた。

〈楔の塔〉のことを教えてくれたのもケヴィンだ。


 ──帝国最東部の自治領に、帝国中のあらゆる魔術を集めた〈楔の塔〉があるんだって。ここでは、三年に一回、見習い魔術師達を募集するんだ。


 じゃあ、オレでも魔術師になれる? と訊いたら、ケヴィンは目を丸くした後、「どうだろうね」と曖昧に笑った。

 ケヴィンはいつも、断定的なことをあまり言わない。

 それはケヴィン自身の気の弱さも理由だろうけれど、レンに期待を抱かせてガッカリさせないように、という気遣いも感じた。

 やはり魔術師になるのは簡単なことではないのだ。

 だけど、入門試験に合格すれば、授業料を払わなくて良いというのは魅力的だった。魔法学校は一般学校よりも学費が高いのだ。だが、〈楔の塔〉なら学費はタダだ。

 レンが〈楔の塔〉に関する本をじっと見ていると、繕い物をしていた母が言った。


「あら、良いじゃない」


 それは、母にしては珍しく明るい声だった。

 母はレンによく似た美しい顔を、半分ぐらい包帯で巻いて隠している。かつて、正妻の企みで煮えたぎった油をかけられたせいだ。

 それだけでなく、左の足と手の指を数本痛めている。正妻が事故に見せかけ、母を狙った時の怪我だ。

 そんな境遇にあったせいで、母はいつもどこか暗い影があった。笑っていても、自嘲混じりの、全てを諦めたような笑い方をしている。

 そんな母の明るく肯定的な声に、レンはドキドキした。初めて背中を押してもらった気がしたのだ。


「あのさ、母さん、〈楔の塔〉って、魔術師以外にも下働きを募集してるんだって。だったら、この家を抜け出して、母さんも……」


「私はいいの。この足じゃ、遠出は無理だから」


 諦めたような笑顔──それをすぐにかき消して、母はサイズを直した上着をレンに渡す。


「〈楔の塔〉に行ってみなさいな。魔術師でも、下働きでも、ここにいるよりずっといいわ」


「母さんも、一緒に……」


 そう口にしたけれど、本当は分かっていた。

 母は本当に体のあちこちを悪くしていて、遠出が難しいことを。

 やっぱり諦めるべきだ。母を一人、この家に残しておけない。

 だが、レンが諦めを口にするより早く、母は言った。


「私は、ケヴィン君がいるから大丈夫よ。いってらっしゃい、レン」





 こうしてレンは、母がこっそり貯めていた金と、ケヴィンが工面してくれた荷物を持って、家を出た。

 今なら分かる。

 あれは、母の精一杯の強がりだったのだと。



 * * *



 第三の塔〈水泡〉近くの木の枝に腰掛けたティアは、空を見上げて歌を歌う。


「『ララルゥア・ララルゥア・メーテア……』」


 途中まで歌い、口を閉ざす。「晴れた日で気持ちいいから、みんなおいでよ!」の歌は、なんだか今は違うと思ったのだ。


(そういえばこの歌、前にレンの前でも歌ったっけ)


 個別授業初日のヒュッター教室。自分が何をしたいか語る場で、レンは言った。


『魔術で金儲けして、大富豪になって、バスタブで金貨風呂やって、毎日豪華な飯食って、ハーレムを作って、最高ハッピー愛され美少年になる!』


 セビルに浅薄と言われたその目標の裏側には、レンが育った境遇に対する反発があった。

 レンの母親は裕福な商人の妾で、正妻達から冷遇されていたらしい。

 正妻の企みで、レンの母親は顔に熱い油を被り、その美しい顔は爛れてしまった。

 以降、レンの父親の心は離れていき、レンとその母は、離れで暮らしていたという。

 殊に、母親譲りの美しい顔をもつレンは、正妻から目をつけられ、酷く苛められた。


『……母さんがさ、オレを見て泣くんだよ。そっくりに産んでごめんねって。私に似てるから、お前も酷い嫌がらせをされるんだ、ごめんね、ごめんね。って』


 だからレンは美少年を強調する。

 母が自分そっくりの美貌に産んでくれたから、自分は良いことがいっぱいあったのだ。何も悪いことなんてなかったのだ──そう、母に伝えたくて。


(……それなのに)


 レンの異母兄ケヴィンがもたらした、レンの母の訃報。

 それを聞いたレンの表情が忘れられない。

 レンは泣き崩れたりはしなかった。

 ただ、顔の筋肉の使い方を忘れたみたいな、力を失くした無表情で茫然と立ち尽くしていて、見かねたヒュッターが、レンとケヴィンを塔内に誘導した。

 ティアとセビルは、いつも通り個別授業を受けてこいとヒュッターから言われている。

 だから、セビルは第二の塔〈金の針〉で魔法剣の訓練をしているし、ティアもついさっきまで、第三の塔〈水泡〉でアルト塔主から歌詠魔術の指導を受けていた。

 ダーウォック奪還作戦まであと五日しかない以上、覚えられることは少しでも詰め込まなくてはいけない。


(……でも、レンをダーウォックに連れていっていいのかな)


 ダーウォック奪還作戦に参加するのは、ティアが姉に会うためだ。

 セビルは「塔の上層部とイクセル殿下に貸しを作れる」と言っていたが、レンがダーウォックに行く理由は本当に何もない。

 レンはただ、「仕方ねーなぁ」と付き合ってくれているだけなのだ。


「…………ペゥ」


「ティア、ここにいたか」


 木の下からセビルの声が聞こえた。

 どうやら自分はセビルの足音も聞こえないぐらい、意識の内側に潜っていたらしい。

 ティアは身軽に木から飛び降り、着地する。


「セビル、あのね……」


 言いかけて、ティアは口を閉ざした。

 いつもなら、頭に浮かんだことをそのまま口にするのに、今は何を言えば良いのか分からなかったのだ。

 ピロロ……という声すら出さず、ただ黙り込むティアを、セビルは静かに見つめていた。


「難しいな、ティア」


「……うん」


 ハルピュイアは悲しい時は、悲しいの歌を歌う。

 悲しい、悲しい、と歌っている内に、だんだんと悲しいが薄くなってくるから。

 でも、レンはハルピュイアじゃないのだ。

 きっとティアと同じやり方では、レンの心は晴れないだろう。


「人間は、悲しくて悲しくて心がグチャグチャの時、どうするの?」


「…………」


 セビルは第一の塔〈白煙〉の方をチラッと見る。


「実は訓練が終わった後、ヒュッター先生に声をかけられてな」


「ピヨッ?」



 * * *



 訓練を終えたセビルは第一の塔〈白煙〉を目指していた。

 レンと異母兄のケヴィンがどこに行ったかは知らないが、おそらくヒュッター教室だろうと思ったのだ。

 ところが、第一の塔〈白煙〉に着く手前のところで、ヒュッターに声をかけられた。

 ヒュッターは特に動揺しているでも、何かを堪えるでもなく、いつもの自然体な態度だ。


「お前って、落ち込んでる時って一人になりたい派? なりたくない派?」


 第一声がそれだった。

 ヒュッターの言葉に、セビルは少し考える。

 セビルとて、何かを悲しむことはある。それが親しい人の死なら尚のこと。

 ただ、セビルの置かれた環境はいつだって、セビルに立ち止まることを許さなかった。


 母が死んだ時、泣いている時間も惜しんで犯人探しに奔走した。そうして母の死が半ば自死であったと知り、悲しむよりも絶望した。


 戦場で部下が死んだ時、嘆く暇も惜しんで次の一手を模索した。嘆いている暇があったら戦わなくては、もっと沢山の仲間を失ってしまうから。


 戦場で友人の死を聞いた時、セビルはそれを悲しむことすら許されなかった。友人は敵対部族の娘だったからだ。


「わたくしは、落ち込む時間が短いのだ。だから、一人でいることの方が多いやもしれぬ」


「あー、お前もまぁ、色々大変だもんな」


 セビルの立場を理解しているヒュッターは、うんうんと相槌を打った後でボソリと付け足す。


「レンは多分、人恋しいタイプだろ。行ってやれ」


「今は教室に?」


「ちょっと外の空気吸ってくる、だとさ」


 そう言ってヒュッターは城壁の方を指差す。そっちに行ったぞ、ということらしい。


「ヒュッター先生は行かないのか?」


「俺は、部外者であるレンのお兄さんを見てないといけないんだよ。本当は、今教室で一人待たせてるのも、ちとまずいんだ」


 なるほど、部外者に見張りがつくのは道理。

 この場合、レンの指導員であるヒュッターが、ケヴィン・バイヤーの見張りなのだろう。


「分かった。ティアに声をかけて、行ってくる」


 ヒュッターは「任せた」と短く言い、第一の塔〈白煙〉に戻っていった。



 * * *



「……というわけだ」


 セビルの説明に、ティアはピョフーと息を吐く。

 ヒュッター先生はよく見てるなぁ、という感心の吐息だ。

 人間は落ち込んでる時、一人になりたかったり、一人になりたくなかったりするらしい。

 自分はどうだろう? よく分からない。

 ただ、ヒュッターの言うとおり、レンは一人にしない方が良い気がした。


「レンのところに行こう、セビル」


「うむ。移動しながら、フォーメーションを決めるぞ」


「ふぉーめーしょん」


「万事において大事なものと心得よ」


「ピヨップ!」


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