【10】見習い達の晩餐(後編)
(この気持ちはなんだろう……うーん……そうだ。負けないぞ! だ)
帝国の北の国ダーウォックに魔物が現れた。その魔物の中に、姉らしきハルピュイアがいるという。
ティアはダーウォックに行って、姉に会いたい。会って、自分は元気だと伝えたい。
そのためには、ダーウォックに行けるだけの理由がいる。
(歌詠魔術も使えるようになりたいけど、空を飛ぶ方も……もっと、できるようにならないと)
飛行魔術の使い手は貴重だ。
仮に飛べる時間が短くとも、崖や段差を越えることができるだけで、移動時間は大幅に短縮できる。
ダーウォックに魔物が現れた非常事態の今、飛行魔術が得意なことをアピールすれば、ダーウォックに派遣してもらえるかもしれない。
問題は、ティア自身には飛行魔術が使えず、現状、飛行用魔導具の性能に依存しているという点だ。
その飛行も、ティア一人ではできない。オリヴァーにおんぶしてもらい、起動してから風に乗るまでの上昇を手伝ってもらう必要がある。
改めて、飛行魔術の勉強をするべきだろうか。ただ、あれは本当に簡単なことではないのだ。歌詠魔術より遥かに、ずっと難しい。一年、二年で習得できるようなものではないだろう。
ティアがパンをちぎりながら、ペヴヴヴ……と唸っていると、静かにスープを飲んでいたルキエが、ふと思い出したような顔で言った。
「そうだ、ティア。飛行用魔導具だけど」
「ペフッ!? いっぱい飛べるようになった?」
「……の前に、飛行用と跳躍用を切り替えできるようになるかもしれない。だから、一応伝えとこうと思って」
ティアはキョトンと目を丸くした。
飛行用と跳躍用を切り替え。の意味がすぐに分からなかったのだ。
察したルキエが、言葉を付け足す。
「この間の魔法戦では、飛行用と跳躍用と、二つ持って行かなきゃいけなかったでしょ」
「うん」
飛行用魔導具は羽が大きく、跳躍用魔導具は羽が短い。それぞれ出力や風の方向なども違う、よく似た別物だ。
先日の魔法戦では、ルキエはこの二つを持ち込み、状況に合わせて使い分けていた。
「この二つの魔導具をくっつけて、一つの魔導具にするの。そうしたら、いちいち取り替えなくていいし……」
ルキエはチラリとオリヴァーを見る。
オリヴァーは黙々とバランスの良い食事をしていた。
「飛行用魔導具を起動する時、今まではオリヴァーさんの飛行魔術で補ってたでしょ」
「うん。上に飛ぶの手伝ってもらってた」
「最初に跳躍用で上に飛ぶ。充分な高さまでいったら、飛行用に切り替え……ってすれば、オリヴァーさんに頼らなくても、あんた一人で飛べるでしょ」
ペッペポー! とティアの頭で音が響いた。感動の音だ。
「わたし、一人で、飛べる……?」
「まだ、動力源の問題があるけどね。どうしても、魔導具って燃費の良い物じゃないから」
「ピヨップ! ルキエ、ルキエ、ありがとう! わぁぁぁ」
テーブルから身を乗り出して礼を言うティアを、エラが控えめに諌める。
「ティアさん、食事中は大声出しちゃダメですよ」
「はぁい。ペフフフフ……そっかぁ、飛べるんだぁ……」
上機嫌に笑っていたティアは、ふと、エラが手に包帯を巻いていることに気がついた。フォークが使いづらそうだ。
人間の振りを始めた頃は、あの布の意味が分からなかったけれど、今は知っている。
「ピヨッ、エラ、怪我したの?」
「いえ、ちょっと検査をしてもらったんです」
「検査……?」
「魔力管の異常を調べる検査です。もし、手術が成功したら、魔力放出ができるようになるかもしれなくて……」
見習い達が少し驚いた様子でエラを見る。
手術。知っている。ティアがハルピュイアから人間に形を変えてもらったのも、ある意味では手術だ。
気の小さいフィンが、オロオロとユリウスに訊ねる。
「ユリウス、手術って……怖いの?」
「くく、そうだな。おそらく、皮膚を切って、縫合することになるだろう」
「ひぃぃぃ……」
フィンがカタカタ震えてエラを見る。
エラはそんなフィンを安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。その際は、トロイ室長が執刀してくださるそうなので。ただ、今はちょっと塔内がバタついているみたいで……手術はもう少し先になりそうです」
「ねっ、ねっ、バタついてるのってさ、ダーウォックの王子様の件だよね? お城に魔物が現れた……って噂、本当かな?」
ゾフィーが声音を落として囁く。
ダーウォックの王子が〈楔の塔〉を訪れたことは、今朝伝えられたが、魔物が現れた件はまだ見習い達には伝えられていない。明日の朝伝える予定だと、ヒュッターは言っていた。
ただ、午後の個別授業の時間に他の部屋を出入りしている者達は、ある程度事情を耳にしていたのだろう。
そんな中、オリヴァーが無表情のままカッと目を見開き、呟く。
「そうだったのか……!」
どうやら何も知らないまま、兄のフレデリクを追いかけようとしたらしい。
「こうはしていられぬ。俺も兄者のもとに馳せ参じねば……!」
「でもさぁ、オレら見習いが、行かせてもらえると思う?」
レンが口を挟んで、ティアとセビルに目配せをした。
これはおそらく、頭脳派美少年タイムだ。
ロスヴィータが怪訝そうにレンを見た。
「アタシは魔物を倒すために、〈楔の塔〉に来たんだから、当然行きたいわ。でも、あんたは違うでしょ?」
「実は……」
レンはスッと視線を斜め下に落とし、一瞬だけ意味深にティアを見た。
そして影のある表情で、静かに呟く。
「ティアの家族が、ダーウォックの方にいるらしくてさ……」
ピョフッ、と声を上げそうになるのをティアは咄嗟に堪えた。
これはおそらく、ティアがダーウォックに行きたいと言い出しやすくするための演技だ。
それにしても上手いのは、レンの言い回しである。
ハルピュイアが暮らす首折り渓谷があるのは、〈楔の塔〉の北。ダーウォックの方、という言い方はまるっきり嘘ではない。
レンの演技に、見習い達は驚きつつも同情的な空気になった。
そんな中、今度はセビルが声を上げる。
「そうだったのか。ならば、ダーウォックの異変、さぞ不安なことだろう」
「うん……わたし、お姉ちゃんに会いたい」
嘘は言っていない。姉に会いたいのは事実である。
レンとセビルの誘導のおかげで、ティアがダーウォックに行きたがるのも当然、という空気ができた。
あとは、どうやってそれを〈楔の塔〉の上層部に認めさせるかだ。
「くくっ……俺が聞いた話だと、ダーウォックの国王が乱心したらしい。どうやらラス・ベルシュ正教への改宗に失敗したのが原因らしいな」
ユリウスの言葉に、エラが大変気まずそうな顔でセビルを見る。
「あ、あの……ダーウォック国王が、ラス・ベルシュ正教への改宗に失敗した理由って……」
「うむ、鋭いなエラ」
セビルは腕組みをして一つ頷き、不敵に笑って宣言した。
「わたくしが、イクセル殿下との結婚話を蹴ったからだ!」
わぁ……という空気が、一同の間に立ち込める。
レンが頬杖をついて「悪びれないんだよなぁ」と呟いた。これは演技ではなく、本音だろう。
なんとも言い難い微妙な空気の中、呪術師のゾフィーが場違いに明るい声で言った。
「あ、じゃあさ、こういうのはどうかな? 名付けて、運命の出会い大作戦!」




