【9】見習い達の晩餐(前編)
ティアが〈楔の塔〉に来たばかりの頃、見習い魔術師達は食事の時間に同じテーブルに集まることは殆どなく、せいぜい宿舎で同室の者が、なんとなく固まって座っているぐらいのものだった。
だが、討伐室との魔法戦を準備していた頃から、なんとなく時間を合わせて食堂に行き、同じ見習いがいるテーブルに座る。
その方が、魔法戦の準備がどの程度進んでいるかなどの情報共有がしやすいからだ。
その習慣は魔法戦が終わった後も続いていて、見習い達は同じテーブルに集まって食事をしていた。
(でも、ゲラルトがいない……?)
着席したティアは、ピョフっと鳴きながら食堂を見回す。
食事の時間、誰かがいないことは珍しくないのだが、それがゲラルトだと少し珍しい。
前髪が長くて身体能力の高いゲラルト・アンカー少年、実は隠れ食いしんぼうである。
ハルピュイアのティアは、空を飛ぶ種族なので基本的に少食だ。三日ぐらいは食べなくても普通に活動できる。
人間の体は、ハルピュイアの時よりお腹が減るが、それでもやっぱり、普通の人間と比べてティアは圧倒的に少食だ。よくエラやゾフィーに「ティアさん、ご飯足りてますか?」「減量してるのぉ〜? ティアは太った方がいいよぅ」と言われる。
そして、その真逆をいくのがゲラルト・アンカーであった。
(ゲラルト、ガツガツ食べないけど、ずーっと食べ続けてるもんね)
〈楔の塔〉の食事は、基本的に大皿に盛られた物を各々が皿に取って食べるスタイルだ。
ゲラルトは、自分一人で大皿の料理を食べ尽くすのは申し訳ないと思っているらしい。
だから彼は、食事の時間が終わるギリギリまで粘り、最後に大皿に残っている物があったら、それを回収して食べるのだ。食いしんぼうだが真面目である。
そんな彼がこの場にいないのが、ティアには少し珍しかった。
どうしたんだろー、と思いながらパンをポソポソ食べていると、セビルがティアに声をかける。
「ティア、歌詠魔術は習得できそうか?」
「ピヨップ! あのね、すごくすごく楽しかった! ピアノと歌うのって、気持ち良い!」
楽器に合わせて歌う、というのはハルピュイアにとって、なかなかに新鮮で刺激的な体験である。あれはちょっと病みつきになりそうだ。
ハルピュイアはその気になれば、唇や口腔、舌の動きを駆使して、楽器の音に限りなく近い音を再現できる。笛や打楽器は再現しやすい。
ただ、再現が難しい楽器もある。ピアノや、音の高い弦楽器がそれだ。
ハルピュイアの喉では再現できない楽器との共演! 大変に贅沢な時間である──と歌の気持ち良さばかり語るティアに代わって、ロスヴィータが補足する。
「ティアの習得速度は尋常じゃないって、あの厳しいアルト塔主が褒めてたわ。最後には、アタシの魔術を増幅させるとこまでいってたし」
「うん、ロスヴィータの声はね、重ねやすい!」
歌詠魔術は合唱に近い性質があるためか、対象が同性で歳の近い人間の方がやりやすい、とティアは感じた。
特にハルピュイアのティアは同族──若い娘の声と歌うことが多い。
だからティアの歌声は、ロスヴィータと相性が良いのだ。
ティアはパンを皿に戻し、指を折りながら呟く。
「えっとね、詠唱をする古典魔術で、詠唱が上手で、歳の近い女の子……ほど、やりやすいかも」
「わたくしの魔法剣のような、近代魔術は駄目なのか?」
セビルの疑問に、ティアはペフペフ唸りながら答えた。
「近代魔術は……できなくはないけど、効果が薄いかも。ピロロロ……なんて言えば良いかな……」
ティアは自分の中にある数少ない知識をかき集めて、説明を考える。
「古典魔術の詠唱は、歌や詩に似てるの。でも近代魔術の詠唱は、ルールとか数式とかを読み上げてるみたいな……なんか、歌っぽくないの……」
ティアの説明に、ロスヴィータがさりげなく補足をする。
「近代魔術は発音とか強弱は、そこまで重要じゃないでしょ。古典魔術の詠唱は、発音がすごく大事なのよ。だから、歌詠魔術と相性が良いの」
その時、テーブルに新しい大皿がのせられた。盛りつけられているのは、ホカホカの肉団子だ。
肉好きのセビルが、素早く自分の皿に盛りつける。誰よりも俊敏な動きだった。それこそ、皿を持ってきた料理人が「……あの、どうぞ」と言うより早くだ。
「ピョフッ?」
料理人の声に、ティアは目を丸くした。
皿を持ってきた料理人は、見習い一の食いしんぼう。エプロンをつけた、ゲラルト・アンカーだったのだ。
野菜の盛り合わせをモリモリ食べていたローズが、ゲラルトに気づいて片手を振った。
「やぁ、ゲラルト。調理場の手伝い、始めたのかい?」
「はい。まだ、手伝い程度ですが……」
ローズとゲラルトのやりとりに、肉団子に手を伸ばしていたレンが目を丸くする。
「え、なに、ゲラルト、調理場の手伝いすんの?」
「自分が何を好きなのか考えたら、やっぱり、食べることが好きだって思ったので……」
ゲラルトは剣を所持していて、見習いの中でも飛び抜けて身体能力が高い。それこそ単純な身体能力ならセビルに勝るのだ。
だが、戦うことが好きではないらしい。事実、ティアはゲラルトが剣を使っているところを見たことがない。
(ローズさんの畑を、手伝ってるのは見たけど……)
食物を育てることも、料理を覚えることも、全ては「食」に繋がる。
ゲラルトがやりたいことの軸は、そこにあるのだろう。実に食いしんぼうの彼らしい。
ゲラルトは空の皿を片付けると、ローズに声をかけた。
「ローズさん、調理場を手伝ってて、思いついたんですけど……」
「うん、なんだい?」
「魔力付与した植物は食用に向かないけど……野菜のアク抜きするみたいに、収穫後に魔力を後から抜くことって、できませんか?」
ポロリとローズの手からフォークが落ちた。
テーブルの上を転がるフォークを、隣の席のオリヴァーがササッと元の位置に戻す。
ローズはオリヴァーに礼も言わず、モジャモジャ髭の下で口をパカンと開けて、全身を戦慄かせていた。
「……その発想はなかった……そもそもオレの故郷と帝国とじゃ法律が違うから魔力付与の時点で条件が違うわけだけど……わあああ、なんで思いつかなかったんだろ、オレ……! そっかぁ、法律の問題さえクリアすれば、後から魔力抜くってのも有りだよなぁ、そうだよなぁ……!」
ローズは植物に魔力付与して、荒れた土地でも育つ強い植物を作る研究をしていた。
ただ、植物に魔力付与すると、食べた人間が魔力中毒になる可能性がある。
もし、ゲラルトの言うように、後から魔力を抜くことができたら、選択肢が大いに広がるだろう。
「ありがとな、ゲラルト! オレ、魔力を帯びた植物から上手に魔力を抜いて、美味しく食べる研究もしてみるよ!」
「……はい。僕も手伝わせてください」
「助かるぜー! 農業と調理方法で食糧問題にアプローチ……うん。ちょっとワクワクしてきたな!」
ローズは上機嫌で、大皿の肉団子を取り皿によそう。
ゲラルトが、恥ずかしそうに言った。
「その肉団子……僕が手伝ったのですが、いかがでしょうか?」
「美味いぜ!」
ローズは肉団子をモリモリと頬張り、ゲラルトを褒める。
ティアの横で、肉団子を五個平げたセビルが口を挟んだ。
「肉の捏ね方が足りんな。具が均等に混ざっていない。中まで火は通っているようだが、部分的に焦げている物もあるな? 満点はやれんぞ」
「はい、勉強になります」
「うむ、わたくしの舌を満足させることができたら、どこにでも勤められるぞ。味見役なら任せるがいい」
そこにすかさず、レンが叫ぶ。
「いや、お姫様が味見しちゃダメだろ!? 毒見してもらう側だろ!?」
賑やかな食事の席だ。
ティアはパンをポソポソ齧りながら考えた。
討伐室との魔法戦が終わった後も、皆、新しいことに挑戦している。
(この気持ちはなんだろう……うーん……そうだ。負けないぞ! だ)




