【6】シュバーッってして、フンフンして、シュゴー!
ティア達はオリヴァーが飛んでいった方向に走った──が、おそらくオリヴァーは〈楔の塔〉の城壁の外に飛んでいったのだろう。
やがて城壁近くに来たところで、畑仕事をしていたローズとゲラルトがティア達に気づいた。
「やぁ、ティア! それに、レンとセビルも!」
「ピヨ! ローズさん! 今ね、こっちにオリヴァーさんが飛んでいったの!」
「あぁ、見たぜ。なっ、ゲラルト!」
「……はい」
しゃがんで雑草を抜いていたゲラルトが立ち上がって、手の土を払いながら頷く。
ティアと一緒について来たレンが目の上に手をかざし、城壁を見上げた。
「この壁を飛び越えたのかー……すげぇな、オリヴァーさん。でも、どうやったんだ?」
「わたくしが記憶している限り、魔法戦の時はまだ、真上にしか飛べなかったはずだ。だから、ティアの飛行用魔導具で推進力を補っていたのであろう?」
レンとセビルの疑問の声に、ローズがモジャモジャの赤毛をかきながら言う。
「こう、シュバーッって飛んで、フンフンして、シュゴー! って感じだったぜ!」
レンが半眼でティアを見た。
「……ティア、今のローズさん語、分かるか?」
「ピヨップ! シュバーッってして、フンフンして、シュゴー! そっかぁ、そうすればいいんだ!」
「分かんのかよ!?」
その時、ゴォォォンと大きな音がして、城壁が揺れた。壁の向こう側からは「ぐぉぉ」と低い声がする。オリヴァーの声だ。どうやら、壁に衝突したらしい。
ローズが城壁の向こう側に声をかける。
「おーい、オリヴァー! ティア達がオリヴァーの新飛行を見たいって!」
「承知した。しばし待て」
オリヴァーは詠唱をすると、「ふん!」と声を上げて、城壁より高く飛んだ。これがローズの言う「シュバーッ」だ。
更にオリヴァーは上空で水をかくように手と足を動かす。これが「フンフンして」である。
そこまでは今まで通りだが、ここからが違う。
オリヴァーは空中で手と足を動かし、体を真横に傾けながら詠唱をしていたのだ。
上に飛ぶための飛行魔術。それを維持したまま、二つ目の飛行魔術をオリヴァーは発動する──体を真横に向けて。
上空のオリヴァーが、ティア達の方に向かって勢いよく飛んできた。この二つ目の飛行魔術が「シュゴー!」だ。
レンとセビルが声をあげた。
「すげぇ! オリヴァーさんが、マジで横に飛んでる!!」
「なるほど、飛行魔術を二つ同時維持するのか。細かい方向転換は難しいが、長距離移動には便利だな。相当時間を短縮できる」
「ピヨッ! オリヴァーさん、すごい! すごい! …………あ」
ティアの視線の先で、真っ直ぐに飛んでいったオリヴァーが第二の塔〈金の針〉の外壁に直撃し、そのままベショリと地面に落ちた。
* * *
「飛行魔術は練習中の死亡事故が多いんだよ。次からは、監督役のいるところでやりな」
医務室の本室にて、大柄な老婆こと室長のトロイは手際良くオリヴァーの手当をしながら、小言を言う。
医務室には、ティアとレンが付き添った。
今はまだ個別授業の時間なので、ローズとゲラルトは畑仕事を続けており、セビルは折角近くを通ったのだからと、守護室で稽古をつけてもらっている。
ティアは丸椅子に腰掛け、足をプラプラ揺らしながら訊ねた。
「オリヴァーさん、いつ、あの飛び方思いついたの?」
「ティアの飛行用魔導具で、飛行の補助をしてもらった時からだ」
「じゃあ、随分前じゃん」
同じく丸椅子に座っていたレンが目を丸くする。
ティアとオリヴァーの合体飛行は、魔法戦をすることが決まってから比較的早く、覚えた飛行方法だ。
だが、オリヴァーはあの魔法戦で、飛行魔術を二つ使用するあの飛行方法を使わなかった。
「この飛び方は小回りが利かぬので、魔法戦向きではない。故にあの時は、ティアとの合体飛行の精度を上げることに注力したのだ」
確かに、先ほどセビルも言っていたが、飛行魔術を二つ使うこの飛び方は、長距離を高速で移動するには便利だ。
ただ、致命的に小回りが効かないし、飛行魔術に二手使ってしまうので、攻撃のための手数が足りなくなってしまう。
どちらかというと、伝令向きの能力だ。
オリヴァーは包帯を巻かれた手をグッグッと開閉しながら、噛み締めるような口調で言う。
「詳しい事情は分からぬが、今、〈楔の塔〉は飛行魔術の使い手が総動員で動いている。今朝、兄者が飛んでいくのを見たのだ。追いかけたら蹴り落とされた」
「あれだけ敵意向けられて、追いかけられるオリヴァーさんの神経がすげぇよ」
「ピロロロロ……フレデリクさん、まだ怒ってるんだねぇ」
呟きながら、ティアはムズムズする胸を抑える。
実は、先ほどオリヴァーの二段飛行を目にした時から、ずっとティアの胸はムズムズしていたのだ。
その様子を見たオリヴァーが、少し身を屈めてティアを見る。
「ティア、どうした。脈に異常か?」
「ううん、あのね……」
ティアはギュゥッと眉根を寄せた。
自分の中にある気持ちが、どんな形をしているか、客観的に見つめることがこんなに難しいなんて知らなかった。
ただ、歌って飛んでいた頃は、そんなこと考えたりしなかったのに。
「オリヴァーさんが新しい飛び方を覚えたの、嬉しいなって思うの。本当に本当に、おめでとうって思ってるの」
「そうか、ありがとう」
「それなのに、胸がギュッてされたみたいに苦しくて……ペヴヴ……オリヴァーさんに対し、ムムムって気持ちになって……」
それはオリヴァーがキッカケだけれど、決してオリヴァーが悪いわけではない。
ティアが、勝手に自分とオリヴァーを比べただけだ。
「……わたし、新しくできること増えてないから、悔しいんだと、思う」
「俺も、悔しかった」
ボソリと返された言葉に、ティアは「ピヨッ」と目を丸くする。
オリヴァーが何を悔しく思ったのか、分からなかったからだ。
「魔法戦の話だ。ティアは一人でも飛行用魔導具と跳躍用魔導具を使いこなし、兄者に肉薄していただろう。俺は、早々に脱落したのにだ」
丸くなった琥珀色の目を、オリヴァーの赤みがかった目が真っ直ぐ見つめる。
嘘のない眼差しで、心のままの声で。
「兄者は、ティアをライバルと呼んだ。俺は兄者のライバルになりたいわけではないが、羨ましいと思った」
「……そっかぁ」
「あぁ」
全部を飲み込めたわけではないけれど、行き場がなくてドタバタ走り回っていた悔しさが、ストンと椅子に座ったような気持ちだった。
それはきっと、ティアがオリヴァーの「悔しさ」に共感したからだ。
* * *
第二の塔〈金の針〉を出たティアとレンは、そのまま第三の塔〈水泡〉に向かった。
ティアの飛行用魔導具も、レンの筆記魔術も、管理室の魔導具頼りだからだ。
歩きながらレンが言う。
「ティアとオリヴァーさんの話聞いてて思ったよ。オレも、他にできること探さねーとなって」
「ピヨ。それって、筆記魔術以外に?」
「うーん、どうだろ。筆記魔術を発展させるのも良いし、別の戦い方を考えても良いし」
やりたいことが「空を飛ぶ」に限定されているティアと違い、レンはやりたいことが沢山あるらしい。
多分それは、魔術に限った話ではないのだろう。レンは魔術以外のことでも、知識を得ることに貪欲だ。
ティアはレンほど貪欲にはなれないけれど、飛行用魔導具以外の「何か」が欲しい。
もっと、「何か」ができるようになりたい。
その「何か」を、人はどうやって見つけるのだろう。
足元を見ながら、ペタペタ歩いていたティアの耳が、何かの音を捉えた。
ポロン、ポロポロ……。
それは、間違いなく音楽だ。意図して奏でられている音だ。
「ピヨッ、聴こえる」
「え、何が……?」
ティアは音の聞こえる方へ、ペッタンペッタン走り出す。
その後を、レンが慌てて追いかけた。