【5】弾丸飛行
ヒュッターからダーウォックの状況を聞いた後、ティア、レン、セビルの三人はすっかりお馴染みとなった庭園のガゼボに移動した。
昨晩、ユリウスと遭遇した庭園には、秋の花がまだ綺麗に咲いている。
ふと、気がついた。
この庭園に咲いている花は、ティアが見たことのある花ばかりだ。野の花ではない手入れされた美しい花は、あの子の──フィーネの部屋に飾られていた。
もし、この庭園の下にフィーネがいるのなら、それはとても自然なことではないか。
(庭園の調査、途中になっちゃったな……)
あまり何度もセビルやレンを付き合わせるのも悪いし、今夜からは自分一人で調査をしてみようか。
ただ、もし宿舎を抜け出していることが他の者にバレたら、今後動きづらくなるだろう、ということをティアは理解していた。
人間は意味もなく夜に出歩くと、咎められるのだ。
どうするのが一番良いのか、ティアがピロピロ喉を鳴らしながら考えていると、セビルが硬い声で言った。
「ティア、レン、先ほどのダーウォックの件だが……わたくしは、あの場で話さなかったことが一つある」
ダーウォック王城に現れた魔物。
その魔物は元々ダーウォックに潜んでいたのだろうか? それとも、〈水晶領域〉から北に渡ったのだろうか? ──後者だとしたら、どうやって北の山脈を越えたのだろう。
(ハルピュイアなら、海の方から迂回すればできるかな……? でも、ダーウォックに着いたあたりで、魔力濃度が薄すぎて死んじゃう気がするけど……)
「第六王子イクセルの話によると、ダーウォック城に現れたのは三体の魔物だったらしい。一つ、華やかな服を着た金髪の若い男。この男はその高い戦闘能力で兵を襲い、血を啜ったという」
人に近い姿をしている血を吸う魔物、噂で聞いたことがある。おそらく、〈水晶領域〉にいる上位種だ。
「二つ、フードを被った男。こちらは詳細は不明だ。ただ、他の魔物達からは〈宰相〉と呼ばれていたらしい。主に交渉役で、魔物の王がダーウォックの改宗に協力する旨を伝えたのも、こやつだ」
セビルは一つ、二つ、と説明をするごとに指を立てていく。
そうして三本目の指を立て、セビルは言った。
「三つ……オレンジ色の羽のハルピュイア」
一瞬、世界から音が消えたような気がした。
ハルピュイアの羽は個体によって異なる。ティアはいろんな色が混ざった極彩色だったけれど、大抵のハルピュイアは一色から三色程度だ。
そして、ティアの姉は炎のように鮮やかな、緋色を散らしたオレンジ色の羽なのだ。
勿論、姉以外にもオレンジ色の羽のハルピュイアはいる。それでも、ティアの頭を占めているのは、炎の花のように美しい姉の羽だった。
目を開けたまま硬直するティアに、セビルが告げる。
「改宗に関する交渉の後、そのハルピュイアは、ダーウォックの国王にこう訊ねたという。この辺りで、極彩色の羽を持つ大きな鳥を見た者はいないか、と」
ペフゥ……と喉から呼気が漏れる。
探してくれていたのだ。あれから、ハルピュイアにとって結構な時間が過ぎたのに。
姉は諦めずに、自分を探してくれていたのだ。
「わたくしが見たお前の羽は白翼だったが……確かお前は、色を失ったと言っていたな?」
「そう、わたしの羽、元々は色んな色で……」
口にした言葉が途切れる。胸の奥から色んな感情が込み上げてきて、上手に喋れない。
ティアは顔をクシャクシャにして、たくさんの感情の理由でもある、姉の名を呟く。
「ララおねえちゃん……」
ティアは無意識に拳を握りしめる──そうして、足よりも手に力を込めていた自分に驚いた。
ハルピュイアは手をあまり使わないのに。飾りみたいなものなのに。力を込めるなら足の鉤爪だ。
そう思い出し、靴の中で足の指をギュッギュッと丸める。
(おねえちゃんがダーウォックに? なんのため? もしかして、わたしのこと探すため?)
ティアが行方不明になった後、姉は首折り渓谷周辺を探し回ったのかもしれない。或いは、危険を承知で〈楔の塔〉近辺も……だけど、見つかるはずがない。ティアは閉じ込められていたのだから。
フィーネのもとから逃げ出し、カイに拾われた後も、ずっと魔女の家で人間の勉強をしていた。あの家は周りから見つかりにくい仕組みになっているらしいから、やはり姉が見つけるのは不可能だろう。
そうして、首折り渓谷の西と南を調べた姉が、微かな希望を胸に北のダーウォックに渡ったとしたら?
(どうしよう……わたしは、ここにいるのに)
俯いていたら、誰かがティアの手をギュッと握った。セビルだ。
「ティア、ダーウォックに現れたハルピュイアがお前の姉だとして……お前は、会いに行きたいか? まだ、完璧な飛行ができぬ身であったとしても」
「…………会いたい」
握られた手が、ジワジワと温かい。
きっと人は羽と羽を寄せ合うことができないから、こうして手を繋ぐのだ。
「わたし、おねえちゃんに、会いたい……」
今はまだ、以前みたいに上手には飛べないけれど、きっと上手に飛べるようになって首折り渓谷に戻るから。
だから、それまで待っていてほしいと、伝えたい。
「よろしい!」
セビルが声を上げる。その快活な声は、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばす、草原の風のようだった。
「やりたいことが明確なのは良いことだぞ、ティア。ならば、お前はダーウォックに行って、姉に会ってこい」
セビルの発言に、レンが口を挟む。
「それって、〈楔の塔〉を抜け出して……ってことか?」
「それも考えたが、できれば公式に、〈楔の塔〉の任務という形で、ダーウォックに向かえぬものだろうか?」
「……さてはまた、頭脳派美少年に丸投げしようとしてるな? 畜生、ちょっと待ってろ。今、考える。追加情報、何かない?」
ティアはペフンと喉を鳴らしてベンチから立ち上がると、まずはレンの前に立つ。
「なんだよ、ティア。美少年に感謝の抱擁か」
「ペフゥゥゥゥ……」
ティアは腰を落とし、レンの腹に頭をグリグリ押しつけた。
レンが「おふぅ!?」と声をあげる。
「ちょっ、苦しい……ってか、くすぐったい? なぁ、これって、どういう感情表現だ?」
ティアはレンの腹に頭をグリグリ押しつけながら言う。
「すごくいっぱい大好きの気持ち」
ひとしきりレンにグリグリしたところで、今度はセビルを見る。
セビルは両腕を広げて「来い」と言った。ティアはセビルの腹にも頭をグリグリする。
「二人とも、すごくいっぱいありがとう……ペフフゥ……いっぱい大好き」
グリグリしているティアの頭をセビルが撫でる。その手がティアは大好きだ。
「一つ、思い出したぞ。見習い達にはまだ通達されていないが、既に〈楔の塔〉上層部は動き始めている。調査室をはじめ、飛行魔術を使える者は、既に各地に飛んでいるらしい」
〈楔の塔〉は閉鎖的な環境にあると思われがちだが、実は帝国東部の各地に小さな拠点があり、魔物達の動きを観測しているらしい。
そういった拠点に行き、魔物達の動向を確かめたり、或いは首座塔主メビウスをはじめとした、討伐任務中の者を呼び戻したり、魔術師組合と連絡を取ったり。とにかく、連絡係に人手がいるのだ。
飛行魔術の得意な者──討伐室のフレデリク・ランゲや、管理室のウィンストン・バレットも、既に連絡係として飛び回っているらしい。
レンが「うーん」と考え込むように唸る。
「確かにティアは連絡係や観測役向きだもんな。ダーウォックの観測役にしてもらえたら、自然に近づける……ただ、飛行用魔導具は使用時間が限られてるし、そもそも見習いにそんな重要な役目をやらせるかは、微妙なところだな……」
存分にセビルの腹をグリグリしたティアは、姿勢を戻して空を見上げる。
空が飛べるというのは、それだけで強みだ。そこを上手くアピールしたら、ダーウォック調査の任務を任せてもらえないだろうか。
「………………ピヨ? ピョワワ……!?」
空を見上げていたティアは、とんでもない光景を目にし、口を菱形にして目を丸くする。
そんなティアに、レンが怪訝そうに訊ねた。
「なんだよ、ティア。変な顔して」
「今、あっちからあっちに、ピューンって……」
ティアは指を右から左にスッと動かし、驚愕の光景を口にする。
「オリヴァーさんが、横に飛んでた!」
そう、常に野うさぎさんの如く真上にしか飛べない男オリヴァー・ランゲが、平行飛行をしていたのである。しかも、かなりの高速で。




