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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【4】王と魔物


 かつて、ラス・ベルシュ正教は絶大な影響力を持っていたという。

 今もそれなりに影響力があるのは事実だが、百年前と今とでは、比べものにならないらしい。

 当時はラス・ベルシュ正教側が、自分達に都合の良い皇帝候補にクレヴィング姓を与えていた。

 だが現代では、皇帝側が帝位を継がせても良いと思った皇子、或いは自身が目をかけている皇子皇女にクレヴィング姓を与えるため、ラス・ベルシュ正教に寄付をしている……というのが実情だという。


「我が兄レオンハルトは、本来はクレヴィング姓を持っていなかったのだ」


 セビルは黒板に描かれた地図を睨むように見つめながら呟く。

 セビルの異母兄レオンハルト。現皇帝で、黒獅子皇と呼ばれている──ティアが知っているのは、それぐらいだ。


「兄は父から嫌われ、南方戦線送りにされていた。誰も、あの男が皇帝になるなんて思っていなかった」


「……ピヨ? じゃあ、セビルのお兄さんはどうやって皇帝になったの? クレヴィング姓を持ってなかったのに」


 ティアの疑問の声に、ヒュッターが苦笑いを浮かべて肩をすくめた。


「先帝が崩御した時、ラス・ベルシュ正教に根回しして、しれっとクレヴィング姓を名乗ったんだと」


 レンが「ひぇ……」と呻き声を漏らす。


「そんなこと、許されちゃっていいのかよ……?」


「許されちゃったんだなー、これが。許されちまう程度に、ラス・ベルシュ正教は衰退しているってわけだ。これで、ラス・ベルシュ正教とクレヴィングの関係は大体分かったな?」


 ティアはフンフン頷く。

 皇帝一族の中で、ラス・ベルシュ正教に認められた者だけが、クレヴィング姓を名乗れる。クレヴィング姓がないと皇帝になれない──とりあえず、これだけは覚えた。

 ヒュッターは話を続ける。


「ここで、ダーウォック王国と魔物の件に話を戻すぞ。ダーウォック王国の国教はルステリア教。簡単に言うと、ラス・ベルシュ正教の派生みたいなもんだ……派生って言うと、向こうさんは怒るんだけどな。まぁかなり似ている宗教だと思っとけ」


 ヒュッターが言うには、他国の精霊神教や竜信仰などと比べて、ラス・ベルシュ正教とルステリア教は大部分が似ているという。

 神の在り方、天使というものの存在、祈りの作法、神の教えなど。だが、明確に違う部分もある。

 その一つをヒュッターが低い声で語る。


「ルステリア教は、重婚・離婚が固く禁止されている。つまり正室以外の子は王の子として認められず、絶対に王位継承権が貰えないってことだ」


 だが、国王は王妃やその子と折り合いが悪く、王子達が自分を殺しに来るのではないかと猜疑心に駆られていた。

 速やかに愛妾と再婚して、その間に生まれた子どもに王位継承権を与えたい。

 ……そのためには、どうしたら良いか?


「そこで、ダーウォック国王は考えたわけだ。そうだ、離婚・重婚OKのラス・ベルシュ正教に国教を改宗しよう!」


「……有りかよ、そんなの」


 レンがしかめっ面で唸る。

 彼は自分が愛妾の子で苦労してきたから、色々と思うところがあるのだろう。


「つーかさ、そんなこと実際にできるわけ?」


「まぁ、簡単ではないわな。ダーウォック王国はラス・ベルシュ正教の信者を弾圧した過去がある。かと言って、他の宗教じゃ教えがあまりに違いすぎる。ダーウォック王国が国教を変えるなら、ラス・ベルシュ正教が一番無難なんだよ」


 宗教が変わるというのは、簡単なことではないらしい。

 ティアには宗教というものがあまりピンとこないが、改宗とは、ハルピュイアが人間の暮らしをするぐらい、何もかもが大きく変わるのだろう。多分。


「とは言え、離婚したいから改宗します! なんていきなり言い出しても周囲は反発するだろ? そこで王は、クレヴィング姓を持つ皇妹殿下を王子の嫁に迎えることにした。クレヴィング姓はラス・ベルシュ正教に認められた人間の証だからな」


 クレヴィング姓を持つ、帝国の姫──ティアとレンは同時にセビルを見る。

 セビルはフンと鼻を鳴らし、面白くなさそうに笑った。


「馬鹿馬鹿しい話であろう? 笑って良いぞ」


「笑わないよ」


「笑えるかよ」


 ティアとレンは即答した。


「ペヴヴ……セビルのこと、そういう風に扱われるのイヤだから、笑えないよ」


「普通に胸糞悪い話じゃんか。おいぼれジジイの自己満足で、他の誰も幸せにならないだろ」


 セビルはパチンと瞬きをし、腕をめいっぱい伸ばした。

 そうして、左右に座るティアとレンを抱き寄せ、頬擦りをする。


()い奴らめ!」


 ムギュムギュと頬で頬を潰され、ティアはペフフンと喉を鳴らす。

 レンは「美少年の柔肌が赤くなるー!」と騒いでいるが、セビルを押し返したりはしない。

 セビルが心行くまで頬擦りするのを、ヒュッターは苦笑しつつ待っていてくれた。

 セビルが再び着席したところで、ヒュッターは「続けるぞー」と話を再開する。


「セビルが結婚話を蹴って失踪したことで、ダーウォック国王の目論見は外れてしまった。それどころか、ラス・ベルシュ正教に認められた姫が逃げたことで、国王は逆恨みをした。帝国もラス・ベルシュ正教も許せんー! ってな」


 ラス・ベルシュ正教にしてみれば、傍迷惑なとばっちりである。


「離婚したいから改宗したい。でも、ラス・ベルシュ正教はムカつく。他の宗教は色々違いすぎて難しい。そこで国王は考えた」


 あまり素敵な考えではないのだろう、ということは、ハルピュイアのティアでも分かった。

 大当たりだった。


「そうだ、新しい宗教作っちゃおう。諸々の作法はルステリア教がベースで、離婚重婚はOK、神はダーウォック国王の、ダーウォック正教だ」


 ティアはピロピロと喉を鳴らし、思ったことを素直に口にした。


「決まりを破るのはダメなのに、決まりを変えるのは良いの?」


 その言葉に、ヒュッターが少し驚いたような顔をする。

 そして噛み締めるような口調で言った。


「……成長したな、ティア」


「ピヨ、褒められた!」


「お前の言うとおり、そんなことをしたら、当然に国内外から反発を食らう。ダーウォック王国は真っ二つになり、国力が落ちて、他国に干渉されかねない。自分が神になるには、ダーウォック正教を確立するには、周囲を黙らせるだけの圧倒的な力がいる」


 圧倒的な力。

 その言葉に、ティアのうなじがゾクゾクした。嫌な予感がする。

 今、ダーウォック王国では何が起こっている? 第六王子はなんと言っていた?

 ティアの予感を裏づけるように、ヒュッターは告げる。


「だから、ダーウォック国王は魔物の王と手を組んだんだ。新しく作るダーウォック正教では、魔物を悪しきものとしない。魔物を受け入れる──そう約束してな」



       * * *



 玉座に座すのは、縦にも横にも大きい老王だった。

 ダーウォック国王ヴァルデマル。

 若かりし頃は引き締まった体躯の大男だった。剣を手に、自ら軍を率いて戦い、民の声に耳を傾け、様々な改革を行なった。

 勇敢で聡明な王。それが、ヴァルデマルの評価だった──今となっては過去の話だ。

 王妃との不仲が原因で王子や部下の心が離れ、政治は混迷。

 ヴァルデマルは日に日に、猜疑心に苛まれていくようになった。

 今も、ヴァルデマルは顔いっぱいに猜疑心を塗りたくって、目の前に立つ三人を見据える。


 ──果たしてそれを、三人と表現して良いのだろうか。


 華やかな衣装を身に纏った、見目の良い金髪の男。

 フードを目深に被った男。

 鳥の羽と足を持つ異形の女。


「やっぱり、お城って良いよねぇ。人間ちゃんの建築物って、俺だーいすき。住むならこういうとこがいいよねぇ」


 そう言って金髪の男が、柱の彫刻にスリスリと頬擦りをする。それを咎める者は誰もいない。誰も、この男を止められないと分かっているのだ。

 初めてこの三人が玉座に現れた時、当然に兵は彼らを捕らえようとした。

 だが、押しかけてきた兵をたった一人で倒したのが、他でもないこの金髪の優男だった。

 それはあまりにも目を疑うような光景だった。

 兵士が振るった剣を飴細工のように曲げ、軽やかな手の一振りで、兵を壁に叩きつける。

 軽く地面を蹴っただけで、その体が天井近くまで浮き上がる。魔術も使わずに、だ。

 彼らは、旧時代に滅びた魔物と呼ばれる存在であるらしい。

 魔物は現代ではほぼ絶滅しており、人が暮らせぬ魔力濃度の濃い土地に、僅かな生き残りがいるかもしれぬ、という程度。

 だが、フードの男が言うには、帝国の最東端の山奥に水晶領域と呼ばれる魔物の棲家があるのだという。

 この魔物達は水晶領域の北──帝国とダーウォックの国境にある険しい山を迂回し、海を越えてここまでやってきたのだ。

 鳥女が足に二人をぶら下げてこの玉座に飛び込み、金髪の優男が兵を叩き伏せ、そしてフードの男は一つの提案をした。


『貴方様の願い、わたくしどもが叶えて差し上げましょう』


 これから新しく作るダーウォック正教において、魔物の扱いを確立するのなら、この魔物達はこれから先もダーウォック王国に力を貸してくれるのだという。

 魔物の力がいかに絶大かは、既に金髪の魔物が示してくれた。

 この力が自分のものになるのなら、何も怖いものはないだろう。


(……本当にか?)


 ヴァルデマルは暴君だが、決して無能ではなかった。かつては聡明な王と言われていたのだ。

 だから、この取引の危険性も本当は分かっている。

 魔物の王は、まだこの場に姿を見せていない。

 魔物の王は少し遅れて向かっており、この三人が先に事情を話す使者の役割を担っているのだという。


「お前達の王は、いつ到着するのだ」


 神経質なヴァルデマルの言葉に、フードの男がゆったりと答える。


「もうまもなく、とだけ」


「魔物のまもなくとは、随分と悠長なのだな」


「これは失礼。寿命の長い種族でして。ですが、ご安心を。一年と待たせるつもりはありません」


 フードの男は鳥女に声をかける。


「カロンララ、我らが王に伝えておくれ。ヴァルデマル陛下は、我らの神になってくださる、と」


 カロンララと呼ばれた鳥女は、忌々しげにフードの男を睨んだ。

 キリリと鋭い琥珀色の目が、不気味に底光りする。


「……わたしに命令するな、宰相」


 そう吐き捨てて、鳥女は窓枠に飛び乗り羽を広げる。

 鮮やかなオレンジの中に緋色が散るその羽は、まるで炎の花がパッと開いたかのように鮮やかだ。

 鳥女は美しい羽をはためかせ、窓から飛び立つ。

 南の空──帝国の方角に向かって。


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