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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
六章 楔の塔の秘密
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【おまけ】三塔主会議


 ミレイ・アルトは帝国南部にある古典魔術の名家アルト家の長女である。

 若かりし頃は魔術と芸術を学び、その両方で才能を開花させ、一五歳の頃には天才少女としてもてはやされた。

 その後、彼女は〈楔の塔〉に入門。魔術と芸術の融合を追究し続けてきた。

 魔術に、音楽に、絵画に、彫刻。だが、年月を重ねるごとに、己の才能の枯渇を思い知る。


 ──まず最初に、彫刻刀を握ることを諦めた。


 ──しばらくして、絵筆を置いた。


 それでも音楽だけは手放さずに続けてきたが、ある日、〈楔の塔〉に本物の天才が現れた。

 ラス・ベルシュ正教から遣わされた、修道女サティ。

 かつては聖女ヘレナ候補だったという彼女は素晴らしい歌声の持ち主で、ミレイが長年研究していた音楽と魔術の融合を完璧に──ミレイが想定していた以上の精度で使いこなした。


 魔術と芸術の融合は、ミレイの生涯の目標だ。

 その継承者が現れることは、技術を使いこなす人間が現れることは、喜ばしいことのはずなのに……ミレイの胸に生まれたのは、圧倒的な虚無感。

 打ちひしがれるミレイに、同期の男は言った。


「職人なんて、自画自賛して自惚れてナンボだ。だから俺は作り続けられる」


 ゲハハハハ、と品なく笑い、そして彼はボソリと呟く。


「お前は随分、謙虚になっちまったな」


 あぁ、全くその通りだ。

 ミレイは分を弁え、組織に尽くし、周りの目を気にしている内に、自惚れてなどいられなくなったのだ。

 やがて、ミレイが楽器に触れることはなくなり、彫刻、絵画、楽器は手慰みの趣味となった。



 * * *



 見習いと討伐室の魔法戦が行われた日の午後、第一の塔〈白煙〉会議室で、三塔主会議が行われた。

 出席者の三塔主は、全員六〇から七〇歳と、〈楔の塔〉でも年輩の者ばかりだ。


 第一の塔〈白煙〉塔主、温和で上品な黒髪のエーベル。

 第二の塔〈金の針〉塔主、大柄で隻腕のローヴァイン。

 第三の塔〈水泡〉塔主、白髪を短く切ったアルト。


 三人の話題は勿論、午前中に行われた魔法戦についてだ。

 ローヴァインはさっきからずっと、不服そうに眉間の皺を深くしている。

 ただでさえ年寄りで皺が深いのに、それ以上深くしたらカードの一枚や二枚挟めそうだ──なんてことを考えながら、アルトはあえて軽い口調で言った。


「酷い顔だな、ローヴァイン。お前の愛犬の真似か?」


 ローヴァインは〈楔の塔〉の敷地内で犬を飼っている。

 彼自身は相当な実力者なので、何度も討伐室に勧誘されているが、愛犬と長く離れたくないから、という理由で討伐室入りを拒み続けた筋金入りの愛犬家である。

 その愛犬家は、飼い犬よりも獰猛にグルルと喉を鳴らした。


「……ったく、俺の生徒ともあろう者が、だらしない戦いしやがって!」


 ローヴァインがかつて指導室に所属していた頃、担当していた見習いがフレデリク達だ。

 そのため、ローヴァインはフレデリク、リカルド、ヘレナの三人に対して殊更厳しい。

 アルトは軽い口調で言った。


「あんたの元生徒達が後輩に甘いのは、あんたが厳しくしごきすぎた反動じゃないか?」


「最前線に出る魔物狩りの一族と、ラス・ベルシュの聖女だぞ。甘やかしてどうする」


 厳つい顔をしかめるローヴァインを、エーベルが「まぁまぁ」と穏やかに口を挟む。


「ローヴァイン塔主の目から見て、見習いの子達はいかがでしたか?」


「粒揃いだな。ユリウス・レーヴェニヒとロスヴィータ・オーレンドルフは言わずもがなだが、あとは……ゲラルト・アンカーとティア・フォーゲルが良い動きをしていた」


 ゲラルトとティアは魔術師としては未熟だが、とにかく身体能力が優れている。

 ゲラルトは画板を盾にして、仲間達をフォローするために上手く立ち回っていたし、ティアは飛行用魔導具と跳躍用魔導具の使い分けが見事だった。


「魔術師は詠唱中はどうしても隙ができるから、それをフォローできる身体能力の高い奴がいると、生存率がグッと上がる。調査室でもいいから、あの二人は欲しいところだな。エーベル、今挙げた四人は、〈金の針〉を勧めとけ」


 見習い魔術師達は第一の塔〈白煙〉指導室の所属である。

 つまり、見習い達の進路を管理しているのが〈白煙〉塔主のエーベルなのだ。

 エーベルは頬に手を当てて、おっとりと言った。


「えぇ、最終的に決めるのは、本人達ですが……事前の面接で、伝えておきましょう」


「ローヴァイン、あのお姫様はどうだ? 身体能力はピカ一だったじゃないか」


 アルトのからかい混じりの言葉に、ローヴァインの皺がますます深くなる。カードが十枚ぐらい挟めそうだ。


「馬鹿言うんじゃねぇよ。皇妹殿下を最前線に出したら、皇帝が何言ってくるか分かったもんじゃねぇ」


「……というより、ここまで何も言ってこないことの方が、私は不思議だがね。エーベル、総務室と財務室は黒獅子皇の動きを把握しているのか?」


 そう言って、アルトは探るようにエーベルを見る。

〈楔の塔〉は閉鎖的な施設だが、外部との交流を完全に断っているわけではない。

 物資の購入、魔導具の販売、魔術師組合との連携など、対外的な交渉、及び情報収集は主に、総務室と財務室が担当している。

 そしてこの二つの部屋もまた、第一の塔〈白煙〉の所属──エーベルの管轄なのだ。

 エーベルはやはり、おっとりとした態度を崩さず言った。


「今のところ、黒獅子皇に目立った動きはありませんが……」


 優しげな目が僅かに細められる。

 どんなに優しげな老婦人であっても、彼女はこの〈楔の塔〉の人事や対外案件の管理者なのだ。


「もしかしたら、水面下で動いているかもしれませんわねぇ」


 もしかしたら、などとエーベルは言うが、ほぼ確信しているのだろう。

 それでもエーベルはこういう時、ぼかした言い方をする。アルトもローヴァインも同じ塔主であるのに、だ。

 この三人の中だと、最年少がエーベルだが、彼女は〈楔の塔〉における現状の最古参だ。

 塔主になった時期も、アルトやローヴァインより早い。


「エーベル」


 アルトは低い声で、エーベルの名を呼んだ。


「我々の間で、共有できていないものはないか?」


 エーベルの穏やかな笑顔は変わらない。


「全て正しく共有されていると、認識しております。アルト塔主」


「……あまり一人で背負いこむな。そのための三塔主だ」


「お心遣い、感謝いたします」


 エーベルは最初から最後まで変わらぬ穏やかさだ。

 最初から──そう、アルトがこの〈楔の塔〉に来た時から、ずっと。



 * * *



 会議が終わった後、アルトが第三の塔〈水泡〉に戻ると、管理室の前で職人達が木箱をテーブルに酒を飲んでいた。

 殆どの者は、アルトに気づくと素早く酒の瓶を隠すか、「これは水ですよ」と言わんばかりの態度をとるのだが、一人だけ取り繕うことを知らない男がいる。

 管理室室長カペルである。


「っかー、昼から飲む酒は美味い!」


「お前は観戦中も飲んでいたな」


 アルトは呆れながらカペルに近づく。

 どうやらカペル達は、今日の魔法戦で飛行用魔導具が大活躍をしてご機嫌であるらしい。


「今年の新人は良い物を作るな。画板やら筒やら、筆記魔術を活かすために作ったのだろうが、魔導具の補強手段と考えると、なかなかに悪くない」


「まぁ、俺の指導があってのものだがな! ゲハハハハ!」


 カペルは昔からこうだ。尊大でわがままで自信家で自惚れ屋で。

 アルトは時々、それが羨ましくなる。

 アルトは木箱の一つに足を組んで座った。


「若い者が追いかけてくると、背筋が伸びるな……嘘だ。本当は、少し怖い」


 アルトは魔術師の家に生まれながら、芸術の魅力に取り憑かれた人間だった。

 若い頃はそれなりに上手くやれていたつもりだったが、結局のところ自分は器用貧乏でしかなかったのだ。

 音楽、絵画、彫刻、魔術──どれ一つとして、極めたなんて、とても言えない。

 アルトは酒の入ったグラスを、一つかっぱらって傾ける。

 ツンと鼻につく匂いの安酒だ。ただ、やさぐれた気分の時は、こういう酒がいい。


「ベンジャミン・モールディングを知っているか? 隣国の若き天才音楽家だ。彼が作った曲を聴いた時、衝撃を受けたよ。私には、あんな音楽作れない」


 カペルはくだらんと言わんばかりの表情だった。


「それじゃあ、お前も作れば良いだろうが。新しい音楽を」


「無理を言う。塔主がいかに多忙か知っているか? 締め切りを守らない管理室長殿?」


「ワシはいつだって、作りたいもん作ってるだけだ。お前らの決めた締め切りなんざ、守ってる暇はない!」


 その言い草は、若い頃から何一つとして変わっていないのだ。

 あの頃の瑞々しさが失われても、情熱の火が消えないのなら、それは才能と呼んで良いものだ。

 だから、最大限の敬意を込めて、アルトは言った。


「お前は変わらんなぁ、カペル。今も昔も自惚れ屋だ」


「お前もあんまり変わってねぇぞ」


 カペルはグラスの酒をグイッと飲み干すと、美味そうに息を吐く。

 そうして、ふと思い出したような口調で言った。


「お前、最近はハープもピアノも弾いてないだろ。弾いてたら、あのチビが寄ってきてるはずだからな」


「……?」


「今度、窓を開けて弾いてみろ。とびきり良いモンが聴けるぞ」


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