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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
六章 楔の塔の秘密
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【おまけ】オーレンドルフ


 古典魔術の名家オーレンドルフ家は、一族で最も優秀な魔術師を〈楔の塔〉に送り込む。

 今の帝国では近代魔術が主流で、地域によっては異端扱いだ。故に、古典魔術師がその実力を発揮できるのは〈楔の塔〉ぐらいしかない。

〈楔の塔〉の討伐室に所属し、魔物をたくさん倒して、一族の名を確固たるものにする。

 それが、現代におけるオーレンドルフ一族の在り方だ。



 ロスヴィータ・オーレンドルフは父親の顔を知らない。これは、オーレンドルフ家ではよくあることだった。

 古典魔術師は時に異端視されることもあるので、オーレンドルフの女は己の素性を明かさず、外で恋人を作る。そして子を身籠ったら男のもとを離れて、オーレンドルフ家に帰るのだ。

 これは古い魔術の名家では、割とよく聞く話で、ロスヴィータはそんなオーレンドルフの在り方に疑問を持ったことがなかった。

 自分も大きくなったら、オーレンドルフの教えに従い、外で子を作り、男を捨てて、オーレンドルフに帰るのだと漠然と考えていた。

 そんなロスヴィータの母レオナは、オーレンドルフで一番優秀な魔女だ。

 魔女、という言葉の持つ意味は国によって異なるが、帝国では大抵、古典魔術を扱う女性のことを指す。近代魔術の使い手は、あまり魔女と呼ばないのだ。

 隣国では、旧時代の魔女の一族が今も幅を利かせていて、女性魔術師を魔女と呼ぶ習慣が定着しているらしいが、ロスヴィータに言わせればとんでもない話である。

 魔女とは、特別な称号だ。

 自分もいずれ、一人前の魔女になって、母のように〈楔の塔〉で戦うのだと、心に決めていた。




 ロスヴィータが七歳の日、事件が起こった。

〈楔の塔〉に出向いていた母が負傷して、家に帰ってきたのだ。

 母は〈原初の獣〉と呼ばれる魔物と戦い、深手を負ったらしい。

 それだけでなく、母の美しい顔には大きな×印の傷痕ができていた。意図的につけたと一目で分かる傷痕だ。


「ママ、どうして……」


 いつも自信に満ちた笑みを返してくれる母が、今は暗い顔でうなだれている。その目元には、泣き腫らした跡があった。

 ロスヴィータはそんな母を抱きしめようと、足を踏み出した。だが、幼い少女の腕を親族の人間が掴んで引き止める。


「駄目だ。レオナに触れてはいけない」


「なんでよ! アタシはママの娘なのに……!」


「以前、教えただろう。魔物に印をつけられた者は、魔物を引き寄せる。隔離しなくてはならないんだ」


 魔物の中には、自分が気に入った獲物に印をつける者がいる。ロスヴィータの母が顔につけられた傷もそれだ。

 強者を好む〈原初の獣〉は気に入った獲物に傷をつけ、再戦を望むという。

 だが魔物の習性なんて、人間側にしてみたら傍迷惑以外のなにものでもないのだ。

〈楔の塔〉は〈印付き〉の人間でも、戦力になるのなら追い出したりはしない。

 だが、古い慣習のある家──例えば古典魔術の名家とか、魔物狩りの一族では、〈印付き〉は魔物を呼び寄せる、忌むべき存在として扱われる。

 魔物に敗北した証を晒して、〈楔の塔〉に居続けるなど不名誉でしかない。だから、オーレンドルフでは〈印付き〉を家に連れ戻し、離れに隔離するのだ。

 魔物狩りの一族はもっと苛烈で、〈印付き〉は即、一族の手で殺されてしまうという。

 魔物狩りの一族は壁を越えられず、壁の向こう側に追い出すことができないからだ。


(そりゃ、本で読んで知ってたけど……でも、こんなのって……!)


 ロスヴィータは己の家にも、古典魔術にも誇りを持っていた。

 だが、古典魔術の名家は、様々な理不尽が付きまとう。

 外で恋人を作る風習も、〈印付き〉を隔離する掟も──外部の人間から見たら理不尽なことだと頭のどこかで分かっていて、それでも「自分はオーレンドルフの人間だから。古典魔術の家ではこれが当たり前だから」と考えることをやめていた。

 親族の者達が、母を囲ってどこかに連れて行く。

 その時、初めてロスヴィータは生々しいほどの理不尽を理解した。


「やだぁっ! ママを連れてかないで! ママっ! ママぁ──!!」


       * * *


 ロスヴィータの母が、離れに隔離されて、一週間が過ぎた。

 離れは、世話の人間がたまに向かうだけの劣悪な環境だ。ここに閉じ込められた者は、そう長くは生きないと言われている。実際、早く死んでほしいと親族達は思っているのだろう。

 ロスヴィータは周囲の大人達の目をかいくぐり、母親に会いに行こうとした。だが、オーレンドルフの大人達はそれを許さず、ロスヴィータに大量の課題を与えた。


「お前には才能があるのだから。レオナのようになってはいけないよ」


 大人達は皆、口を揃えて言う。


(なんでよ。オーレンドルフで一番すごいのはママなのに。ママはオーレンドルフのため、帝国のため、魔物とたくさん戦ってきたのに。なんで、こんな目に遭わなきゃいけないのよ)


 それでもロスヴィータは、「こんな家大嫌いだ、家出をしよう」などとは思わなかった。

 物心ついた頃からずっと、古典魔術は素晴らしいものだと教わってきたのだ。

 お前には才能がある、立派な古典魔術師になれると言われてきたのだ。

 ママみたいな魔術師になる、とずっと夢に見ていたのだ。


 ……どうして今更、生き方を変えることができるだろう。


 オーレンドルフの教えと誇りを捨てられず、されど家の理不尽に目を瞑れず、心が引きちぎれそうな思いで過ごしていたある日、オーレンドルフ家に客が訪れた。

 背の高い銀髪の男と、白髪を三つ編みにした大柄な老婆だ。

 男の方は年齢は三十代──ロスヴィータの母と同じぐらいだろうか。魔術師のローブを着て、腰に剣を下げている。


「〈楔の塔〉首座塔主メビウスだ」


「同じく、〈楔の塔〉医務室室長トロイだよ」


 メビウスはつい最近〈楔の塔〉の首座塔主に就任した人物、トロイは負傷したレオナを治療した医師であるらしい。

 オーレンドルフの当主が何用かと訊ねると、メビウスは硬い口調で言った。


「レオナ・オーレンドルフの見舞いに。彼女は優秀な魔術師だ。その名誉を奪われているのだとしたら、蔑ろにはできない」


「今のレオナは〈印付き〉です。〈印付き〉は隔離するのが、我らオーレンドルフの定め……どうぞお引き取りくださいませ」


 おそらくメビウスは、レオナが置かれた状況を知っていたのだろう。

 だから、離れに隔離され放置されているレオナを救うために、こうして訪ねてきたのだ。

 当主は硬い口調で言った。


「レオナは負傷した際に、魔力器官を一部損傷しております。魔術師としての活動継続は難しいでしょう」


 レオナは顔に傷をつけられただけではなく、体や足も負傷している。

 今後、〈楔の塔〉で活動を続けるのは難しいだろう、というオーレンドルフ側の言い分に、大柄な老婆──トロイが鋭く切り込んだ。


「ならば、負傷したレオナは適切な治療を受けてるんだろうね? オーレンドルフ家では、〈印付き〉は劣悪な環境に置かれていると聞いたよ」


「それが、オーレンドルフの決まりで……」


 当主が言葉を呑み込んだ。メビウスとトロイの眼光の鋭さに気圧されたのだ。

 二人とも、決して怒鳴ったりはしなかった。

 ただ、研ぎ澄まされた鋭い刃のような怒りを感じる。

 彼らは怒っているのだ。ロスヴィータの母が置かれた状況に。

 メビウスが口を開いた。


「〈印付き〉が忌避されるのは魔物を呼ぶからだ。だが、この地域に魔物は来ない。我々〈楔の塔〉は水晶領域周辺の魔物の巣を、既に幾つも掃討している。レオナを隔離する必要はないはずだ」


「……ですが、万が一ということもございましょう?」


「過去十年分の魔物の出没地域をまとめた資料を持ってきた。どうかそれを見て、再考願いたい」


 メビウスが大量の資料を取り出し、机に広げる。

 オーレンドルフ側の言い分を予想して、用意してきたらしい。

 当主はその資料の細かさに幾らか怯みつつ、慎重な口調で訊ねた。


「……わざわざ首座塔主がお越しになって、そのような説明を始めるとは。何がお望みですかな?」


 首座塔主ということは、〈楔の塔〉の最高責任者。一番偉い人だ。

 そんな人間が、魔術師としての活動再開は難しいレオナのために、そこまでする理由は何か。

 メビウスはキッパリと言った。


「彼女の名誉と尊厳が守られること。それが望みだ」


 その言葉を聞いた時、ロスヴィータは強い電撃を受けたかのように体を震わせた。

 名誉と尊厳。オーレンドルフだからと、理不尽に蔑ろにされてきたもの。

 それを、この人は守ろうとしてくれているのだ。

 トロイとメビウスが交互に言う。


「レオナ・オーレンドルフにゃ、うちの仲間が大勢救われてんだよ。御託はいいから、さっさと診せな」


(そうよ……)


「彼女は〈楔の塔〉に尽くしてくれた偉大な魔術師だ。そのように扱われて良い人間ではない」


(そうよ……ママはすごいのよ……本当に、本当にすごいんだから……!)


 気がつけば、視界がぼやけていた。涙で前が見えない。

 ロスヴィータは服の袖で目元を拭い、母の名誉のために戦ってくれる人達の姿を目に焼き付けた。




 その後、オーレンドルフ家は会議を行い、レオナ・オーレンドルフを離れから本邸に呼び戻した。

〈印付き〉故に、一族から遠巻きにこそされていたが、ロスヴィータは大好きな母と再び一緒に暮らすことができたのだ。

 ロスヴィータは絶対に忘れない。自分の母の名誉を取り戻してくれた人達のことを。

 オーレンドルフに対する誇りと愛着、反発と嫌悪──相反する感情を、まだ全ては飲み込みきれていない。

 それでも、前に進むと決めたのだ。


(待ってなさいよ、〈原初の獣〉……あんたは必ず、アタシが討ち取ってやる。大天才レオナ・オーレンドルフの娘、ロスヴィータ・オーレンドルフが!)


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