【15】ゴリ押し皇帝一族パワー
『かくれんぼですね! 楽しいですね! わたし、見つけるの得意ですよ!』
楽しそうな声をあげるアグニオールの指輪を、ユリウスが片手で覆った。それと同時に、ティアの前の火の玉が音もなく消える。
セビルがすかさず、曲刀の柄に手をかけた。
「ユリウス、そんなところで何をしている?」
「クク……それはこちらの台詞だ」
ユリウスは静かな足取りで、ティア達が隠れている木陰に近づく。
庭園で話し込むのは危険だと分かっているのだろう。
「俺は『一人で散歩をしていた』でも納得してもらえるだろう。だが、そちらは同じ教室の三人が揃っている。示し合わせて宿舎を抜け出してきたのだろう?」
確かにその通りだ。ティアが返す言葉に悩んでいると、レンが一歩前に進み出た。
「おいおい、オレ達が何をしてたかなんて、見れば分かるだろ?」
「ククッ、さて、分からんな。教えてもらえるか?」
レンはニヤリと笑い、ティアとセビルの腕を掴んだ。
「相引きだよ、相引き。いやぁ、美少年はモテモテで困っちまうな」
「美少年は、あいびきむざい!」
不敵に笑うレンを後押しするように、ティアは教わったばかりの言葉を口にする。これで後押しになっているはずだ。多分。
ユリウスは薄ら笑いのまま黙っていた。こちらの思惑をはかるかのように。
そんな中、セビルが口を開く。
「否、相引きではない」
「あっ、折角オレがフォローしたのに!」
「レン、わたくしはユリウスを味方に引き込むことを提案する。何やらわたくし達の知らぬ情報を持っていそうだ」
ティアとレンは顔を見合わせた。
多分きっと、頭の良いレンでも、この状況が判断できずにいるのだ。それでも、ティアは頑張って考えた。
考えることをレンやセビルに任せっぱなしにしては駄目だ、というヒュッターの言葉を思い出したからだ。
(ユリウスは〈楔の塔〉の秘密を知りたがってる。首座塔主達の味方じゃない……協力できる? でも……)
ユリウスと協力するなら、こちらの事情をある程度明かす必要があるだろう。
(わたし達の、事情……)
ティア達がメビウス首座塔主の弱みを探しているのは、ティアがハルピュイアで、かつてメビウスに捕えられていて、フィーネという少女と出会ったからだ。
(ユリウスに協力するなら、わたしの正体、話さなきゃいけなくなる……よね?)
セビルはユリウスに、ティアがハルピュイアだと教えるつもりなのだろうか。
その時、ティアの胸に不安が込み上げてきた。モヤモヤした煙みたいな不安だ。
ティアは反射的にセビルの服の裾を掴む。
(わたしの正体、ユリウスに言うの?)
その時、セビルがティアに手を伸ばした。その手がポンとティアの頭を軽く叩く。
大丈夫だ、任せろ、という声が聞こえた気がした。
「ユリウス、わたくしは訳あって、この〈楔の塔〉の秘密を探っているのだ。情報交換は可能か?」
「クク……まずは、そちらの事情を話すのが先だ。何故、皇妹殿下が〈楔の塔〉の秘密を探っている?」
レンが小声で「どうすんだ」と呟く。セビルはティアにしたように、レンの頭も軽く叩いた。
そうしてセビルは、何も後ろめたいことなどない、と言わんばかりの態度で堂々と言い放つ。
「わたくしは、兄上に反旗を翻すべく、この〈楔の塔〉を掌握したいと考えている。故に、メビウス首座塔主の弱みを握って、その地位を乗っ取りたいのだ!」
「おま、それっ、クーデター宣言……っ!」
レンが押し殺した声で悲鳴をあげる。美少年が台無しの引きつり顔だ。
おそらくレンは演技ではなく、本気でセビルの宣言にギョッとしているのだろう。だが、その演技ではない態度がユリウスに信憑性を与えたらしい。
これならティアの正体には触れず、セビル達が〈楔の塔〉を調べ回っていたと納得させることができる。
「ふふ、派閥の仲間を増やしたがっていたな、ユリウスよ。お前こそ、わたくしの部下になる気はないか?」
セビルはしなやかな仕草でティアとレンを左右に抱き寄せ、二人を可愛がるように撫でる。
それは寵愛を見せびらかす、強者の振る舞いだ。
セビルはティアの前髪あたりにチュッと唇で軽く触れ、とびきり美しく微笑んだ。
「わたくしが〈楔の塔〉を掌握した暁には、ユリウス、お前にも相応の地位を与えて愛でてやろう」
セビルに抱き寄せられながら、レンが小声で「ひぇぇ……」と呟く。
「このぶっとびお姫様、スケールが違うぜ……美少年の相引きネタが一瞬で霞んだじゃねーか」
「あいびきねた」
あいびきねたはよく分からないが、セビルの強者としての振る舞いと余裕、そして威圧感はすごい、とティアは素直に感心した。
何よりこれなら、ティアの正体には触れずに、ユリウスを納得させられる。
セビルは余裕たっぷりの態度で続けた。
「最近、メビウス首座塔主とミリアム首座塔主補佐が、夜な夜などこかに赴いているという情報を得てな。もし不正を働いているのなら、これは弱みを握るチャンスやもしれぬと、こうして調べているわけだ」
ユリウスはククッと笑っていた。耳の良いティアには分かる。
あれは強がりではなく、セビルの発言をちょっと楽しんでいる笑い声だ。
「クク……皇妹殿下の下につくつもりはないが、協力する価値はあるらしい」
ユリウスは赤く瞬く指輪を軽く撫で、首を傾けて第一の塔〈白煙〉がある方角を見た。
「俺は、かつて第一の塔〈白煙〉塔主を務めた、父ザームエル・レーヴェニヒが追放された理由を調べるために、〈楔の塔〉に来た」
ピヨッ、という声をティアは飲み込む。
レンが恐る恐るという態度で訊ねた。
「それってさ、あのニコニコしてるおばちゃん……エーベル塔主の、前塔主ってことか?」
「あぁ、そうだ。父はエーベル塔主、メビウス首座塔主、ミリアム首座塔主補佐の共謀で追放された……と俺は考えている」
第二の塔〈金の針〉塔主ローヴァイン、第三の塔〈水泡〉アルトの二名は、ザームエル追放後に塔主になった人物であるらしい。
故にユリウスは、当時首座塔主だったメビウス、その補佐のミリアム、そして父と入れ替わりで〈白煙〉塔主になったエーベルを疑っているのだという。
「俺の手がかりはただ一つ。父が死の間際に残した『〈楔の塔〉の四つめ』という言葉だ」
ティアは頑張って考えてみた。
四つめ、ということは、既に一つめから三つめまでの何かがあるのだ。
(〈楔の塔〉で、三つあるもの……)
ティアは人間達が作った枠組みや制度の理解が苦手だ。いつも、最低限のことしか覚えていない。だからこそシンプルに「三つだけあるもの」を思い浮かべることができた。
〈楔の塔〉に三つあるもの──それは、第一から第三の塔だ。
それならば、四つめとは……。
「……第四の塔?」
ティアがポツリと呟くと、ユリウスがかすかに目を見張る。レンとセビルも驚いたような顔をしていた。
「あ、いいじゃんそれ。すげーそれっぽい」
「なるほど、確かに一理あるな」
「クク……やはりお前達は、もっと早くに味方に引き入れておくべきだった」
ユリウスは皮肉気に笑い、ポケットから何かを取り出した。
それは三つの水晶の原石だ。暗い所でもよく見えるティアは、それぞれの水晶の中に、白いモヤ、金色の線、そして水が内包されていることに気がついた。
「〈白煙〉、〈金の針〉、〈水泡〉──これらは、内包物のある水晶のことを指す」
「ピヨッ、あ、塔の名前とおんなじ!」
「あぁ、これはルキエが気づいたんだが……どうやら、〈楔の塔〉の名前は水晶が由来らしい。そして、これが四つめ……」
ユリウスは三つの水晶を左手に移し、右手をポケットに突っ込んで四つめの水晶を取り出した。
透明な水晶の中に、苔に似た緑色、茶色、ピンクなどのモヤモヤした塊が内包されている。
「この手の水晶は、庭園を内包しているように見えることから、庭園水晶と呼ぶらしい」
庭園。つまり、ティア達が今いるここである。
「俺は、この庭園に何かがあると考えている。ただ、それが何かまでは分からないから、情報が欲しい」
ユリウスの持っている情報は、「〈楔の塔〉の四つめ」。そしてそこから推測した、〈庭園〉というキーワード。
(わたし達が持ってる情報は……)
セビルがティアをチラッと見た。
そうしてティアにだけ聞こえる声で「構わんな?」と訊いたので、ティアはコクンと頷く。
セビルはユリウスと向き直り、言った。
「地下だ。わたくしは、この〈楔の塔〉の地下に何かがあると考えている」
「その情報源は?」
「皇帝一族に代々伝わる秘密だ。吹聴したら首が飛ぶものと思え」
しれっと大嘘である。
ティアの正体も、情報源も、全て皇帝一族パワーでゴリ押して隠してしまった。皇妹殿下はやっぱり、強くてすごい生き物だ。
レンがセビルの腕から抜け出し、目の前に広がる庭園をグルリと見回した。
「つまりさ、ユリウスの情報と合わせると、この庭園に地下への入り口があるかも? ……ってところか。まぁ、そう簡単な話じゃないとは思うけど、庭園調べるのは賛成」
庭園のどこかに、地下に繋がる何かがあるかもしれない──だんだんと、自分達が〈楔の塔〉の中枢に近づいているのを感じる。
(……あれ?)
耳の良いティアは、人の声を聞き取った。庭園側ではない。
門の方角から、少し焦ったような声が聞こえる。
(門番の人と……あと、誰か? 馬の鳴き声……外から誰かが来た? こんな時間に?)
セビルが全員を見回し、「それでは早速、庭園の調査を……」と場を仕切っている。
ティアは硬い声でそれを止めた。
「セビル、待って」
目を閉じ、耳を澄ませて集中。聞こえる。人間の声。
聞き覚えのある声は、顔馴染みの門番達だ。
そして、動揺している門番達に、若い男の声が名乗りあげる。
『このような時間の訪問、心よりお詫びする。火急の事態につきご容赦願いたい。私は北方連合の一角、ダーウォックのイクセル・オロフ・ダールベック。どうか、〈楔の塔〉の塔主殿にお目通り願いたい』
それは、人前で名乗ることに慣れた人間の声だ。堂々と響く張りのある声は、少しセビルに似ている。
ティアは閉じていた目を開いた。
「ペゥゥ……外から、人が来たみたい。馬に乗って……」
「はぁ? こんな時間に?」
レンが眉根を寄せて、門の方角を見る。
セビルが険しい顔でティアに訊ねた。
「もしや、魔物が出たとの知らせか?」
「ヴヴ……途切れ途切れだから、よく分かんない……『ミリアム首座塔主補佐に取次を』とか、『今は休まれよ』とか……『城に魔物が』とか」
最後の一言に、セビル達の顔が強張った。
城に魔物──人の領域に魔物が現れたということだ。
ティアの言葉に、ユリウスが眉をひそめた。
「待て。〈楔の塔〉の西側には魔物を通さない結界がある。そして俺が記憶している限り、壁の東に城と呼べるものはないはずだ」
ユリウスの言う通りだ。魔物は帝国最東部にある水晶領域から長時間は離れられない。仮に離れたとしても〈楔の塔〉の西側にある見えない壁に阻まれ、それ以上は進めないのだ。
そして、魔物の活動圏に城と呼べるような建築物はない。それはよく空を飛び回っていたティアも知っている。
セビルが険しい顔でティアに訊ねた。
「ティア。訪問者はどこから来たと言っていた? 名前は分かるか?」
「えーっと、北方連合ダーウォック? の、イクセル、オロ、なんとかさん。若い男の人の声だったよ」
セビルがヒュッと息を呑む。豪胆な彼女にしては珍しい、明確な動揺だ。
やがて彼女は、低い声で呟く。
「──イクセル・オロフ・ダールベック」
「あ、それ、その音! セビル、知ってる人?」
「いかにも、わたくしはその男の名を知っている。ダーウォック王国第六王子、イクセル・オロフ・ダールベック──わたくしが嫁ぐ予定だった男の名だ」




