【13】悪い大人が大好きな悪い大人
ゾンバルトという男は、年齢はヒュッターより十歳ほど下だろうか。二十代後半で、金髪にそこそこ甘い顔立ちの美男子だ。
ただ、その笑顔がもう致命的に胡散臭い。詐欺師の勘が、こいつはろくでもねぇぞと言っている。
ヒュッターは舌打ちしたくなるのを堪え、真面目な教師の顔を取り繕った。
「少し残業を……実は生徒に勧めたい魔術がありましてね」
そう言って自分の机から、歌詠魔術の資料を手に取る。
ティアに勧めようと思っていた古典魔術だ。これについて資料を集めていたのは嘘ではない。
「自分は幻術一筋だったので、古典派の魔術には明るくなくて……どなたか良い指導員がいないかと」
「サティ・オットー」
ゾンバルトが口にした名前に、ヒュッターはギョッとした。
それは、オットーの亡き妻の名前ではないか。
(なんで、こいつが、その名前を……)
「〈楔の塔〉で数少ない、歌詠魔術の素養があった人物ですよ。十三年前に亡くなってしまったらしいんですけどね」
「そうなんですか……それは残念です」
「オットーの姓、気になりませんか?」
ゾンバルトの言葉に、ヒュッターは苦虫を噛み潰した。
間違いない。ゾンバルトはヒュッターがあれこれ嗅ぎ回っていることに勘付いている。その上で、探りを入れているのだ。
「オットーさんの奥様が亡くなられていることは、先日、カペル室長から聞きました。ただ、歌詠魔術の使い手であることは知りませんでしたよ」
「サティ・オットーはミリアム首座塔主補佐の親友だったんですよ。あとは、メビウス首座塔主が、サティに想いを寄せていて、ルッツ・オットーとは三角関係だった、なんて噂もありますね」
ゾンバルトはペラペラと軽やかな口調で、下世話な噂話を口にする。
ヒュッターは敢えて、「はぁ、そうなんですか」と気のない返事を返した。
(……こちらが食いつくような餌を撒いているつもりか)
その程度の噂など、わざわざゾンバルトに聞かずとも、カペル老人辺りに聞き込みをすれば済む話だ。わざわざ乗ってやる義理はない。
「ところで、ゾンバルト先生はこんな時間に何をしてるんですか?」
ヒュッターはとぼけた態度で、先ほど聞かれた疑問を、そっくりそのままお返しする。
ゾンバルトは案の定笑っていた。いつもと変わらない、爽やかすぎて不自然な笑顔で。
「ヒュッター先生。僕は、悪い大人が大好きなんです」
なんじゃそりゃ。の言葉を呑み込み、ヒュッターは眉根を寄せる。
ゾンバルトはニコニコしながら、近くの椅子に腰掛けた。
「物語の主人公より悪役が好きでした。特にずるくて悪い大人がいい。魅力的な悪役っていうのは、どうしてああも痺れるんでしょうね」
どこか無邪気な少年じみた口調だった。
そこに爽やかとは真逆の、粘っこい執着を感じる。なんだかやけに薄ら寒い。
「そんな僕にとって、ザームエル・レーヴェニヒ先生はまさに理想の悪い大人でした! 稀代の大天才にして、高慢で冷酷な支配者! 金も権力も貴重な知識や蔵書も、全ては彼の思うまま!」
ゾンバルトは目をキラキラさせて、笑っていた。
いつもの作り笑いとは違う、憧れに目を輝かせる少年の笑みで。
「『僕が大人になったら、貴方の片腕にしてほしい』と僕が言ったら、レーヴェニヒ先生は楽しそうに笑って『好きにしろ。俺はいつも好きにしている』って言うんです。その時の、こちらを小馬鹿にしたような悪い顔……最高だったなぁ」
ヒュッターは、ちょっと引いた。
(ゾンバルト……思っていた以上に、やばい男だった……)
「レーヴェニヒ先生が〈楔の塔〉に行くことになった時、学生だった僕は、卒業したら絶対に〈楔の塔〉に行こうと決めていました。レーヴェニヒ先生ならきっと、〈楔の塔〉も掌握して首座塔主になるはず。だったら僕は、首座塔主補佐になろう! ……そう思っていたのに」
最後の一言から、感情が抜け落ちる。
貼り付けた笑顔が消えて、糸が切れた人形のようにカクリと俯く。
そうだ。ザームエル・レーヴェニヒは〈楔の塔〉を追放され……それから然程間をおかず、病死したのだ。
「僕は、レーヴェニヒ先生が何故追放されたのかを知りたいんですよ、ヒュッター先生……貴方もでしょう?」
「……何の話ですかね」
ゾンバルトの話にのってはいけない。ここは知らぬ存ぜぬを通すべきだ。
まだ、自分はボロを出していないのだから。
そう自分に言い聞かせるヒュッターの前で、俯いていたゾンバルトが顔を上げた。
ヒュッターが嫌悪してやまない、貼り付けた笑顔が、そこにある。
「だって、本物の〈夢幻の魔術師〉は今頃、隣国でしょう?」
「──!?」
「実は僕、ちょっとだけ見たことがあるんですよ。本物の〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターを」
最悪だ。よりにもよって、この男に!
(やばいやばいやばいやばい……!)
焦るヒュッターに、ゾンバルトは朗らかな声で言う。
「先帝と〈楔の塔〉の、断絶の理由を調べに来たんでしょう?」
もはや偽物であることがバレている以上、取り繕っても仕方がない。
ヒュッターは押し殺した声で、質問に質問を返す。
「……俺が、〈楔の塔〉の貴重な知識を盗みに来たとは思わなかったのか?」
「う〜ん、ヒュッター先生って、そういう感じじゃないんですよね。というより、魔術に関しては素人なんじゃないですかぁ?」
大正解である。
「だから、調査目的なら、そこかなぁって……ねっ、ねっ、合ってます?」
楽しそうに訊くんじゃねぇよ! と怒鳴りたいのを堪え、ヒュッターは低い声で返した。
「……おおよそは合っている。雇用主は黙秘する」
「黒獅子皇でしょ?」
「…………」
「魔術師組合は、先帝との断絶理由なんて気にしませんって。あの人達、黒獅子皇と〈楔の塔〉の両方に波風立てたくないんだから」
ゾンバルトは悪い大人が好きだと言うが、ザームエル・レーヴェニヒを崇拝せずとも、こいつ自身が充分に悪い大人である。
ろくでなしで、最悪の大人だ。
「ヒュッター先生が、無詠唱幻術でダマーさんをやり込めた時、『この人だ!』って思ったんです」
見ていやがった──否、おそらく聞いていたのだ。隣の部屋で。
(盗み聞きなんて良い趣味だなぁ! ……俺も生徒達のやりとり、ちょいちょい盗み聞きしてるけど!)
ヒクヒクと頬を引きつらせるヒュッターに、ゾンバルトはいっそ無邪気な態度で提案した。
「ねっ、ヒュッター先生。僕達で協力しましょうよ。僕はレーヴェニヒ先生が追放された理由が知りたい。貴方は先帝と〈楔の塔〉の断絶理由が知りたい──おそらく、貴方は気づいているはずだ。この二つの件が繋がっていると」
「……お前は、ユリウスを泳がせてるな? 協力はしないのか」
ユリウスはゾンバルト教室の生徒だ。
ユリウスが今こうして、夜中に外を徘徊しているのも、ゾンバルトの入れ知恵と思っていいだろう。
「そうですね、僕とユリウス君の目的は一致しますが……彼はまだ子どもでしょう? 僕が好きなのは、悪い大人ですから!」
ゾンバルトは子どもを巻き込まない、良識ある大人である──というわけでは、断じてない。
このクソ野郎はユリウスに協力せず、情報をチラつかせ、泳がせているのだ。
(まぁ、その点は俺も似たようなものだが……)
「それに僕……」
「あん?」
「ユリウス君には、思うところがあるんですよ」
ゾンバルトの笑顔の質が変わった。
口だけ笑みの形を保ったまま、目がドロリ、ドロリと澱みだす。
「ユリウス君を養子にしてから、レーヴェニヒ先生は、ぬるくなってしまった」
「…………」
「あんなに魅力的だったのに。格好良かったのに。孤高の人だったのに。普通の人に近づいてしまった。ユリウス君が、息子ができてから……それが僕は悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて仕方がないんです」
もうやだ、こいつやだ、ほんとやだ──心の底からそう思ったヒュッターは、ゲンナリした態度を隠さず、ため息をついた。
「もういい、分かった。必要なら情報交換に応じてやる」
「本当ですか? 嬉しいなぁ……ヒュッター先生が、〈楔の塔〉を掌握したくなったら、いつでも言ってくださいね。喜んでお手伝いします」
「……お前、俺の話聞いてた?」
誰がいつ〈楔の塔〉を掌握したいと言ったのか。
ヒュッターはさっさと必要な情報を集めて、〈楔の塔〉を出ていきたいというのに。
憮然とするヒュッターに、ゾンバルトは貼り付けた笑顔とは違う、心の底から嬉しそうな笑顔で言った。
「言ったでしょう、ヒュッター先生? 僕は悪い大人が大好きなんです」
三流詐欺師を大悪党みたいに言うのはやめてほしい。とヒュッターは切実に思った。