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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
六章 楔の塔の秘密
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【12】即興ポエムは詐欺師の嗜み


 三流詐欺師〈煙狐〉は、特別身体能力が高いわけではないし、侵入や諜報の訓練を受けてきた身ではない。普通のおっさんである。

 なので、メビウス首座塔主の留守中に調べごとをすると言っても、ロープで壁を登って窓から侵入したり……などという冒険小説じみたことはしない。

 壁登りは、したことがないとは言わないが、よほど切羽詰まらない限り、やりたくない。

 肥満でもないのに、ただ生きているだけで自分の体が重いお年頃。それがおっさんである。

 そういうわけで今夜のヒュッターは、残業のために指導室に残るフリをして、第一の塔〈白煙〉に残り、ミリアム首座塔主補佐の執務室を見張る。

 見張る場所は近くのトイレだ。

 もし、何か言及された時は、腹を下してトイレにこもっていたとでも言えばいい。


(問題は、ミリアム首座塔主補佐が部屋から出てきた時、その後を尾行するか、部屋を調べるか……なんだよな。第三の選択肢で隣にあるメビウス首座塔主の部屋を調べるってのも有りっちゃ有りだが……問題は鍵だよな)


 簡単な仕組みの鍵なら、針金を使って開けられるが、開けるには時間がかかるし、魔導具の罠や封印結界等を施されていたらお手上げだ。

 メビウス、ミリアムの執務室の鍵は、合鍵を持っているのが、第一の塔〈白煙〉のエーベル塔主である。

 そちらから借りるのも盗むのも無理だろう。


(やっぱ尾行が無難かねぇ……んぁ?)


 階段を上り、〈白煙〉の最上階を目指していたヒュッターは、途中で足を止める。

 窓の外で何かが動いたような気がしたのだ。

 暗くて見えづらいが、黒髪とローブの模様に見覚えがある。


(……あれは、ユリウスか)


 ユリウスが父ザームエル・レーヴェニヒが〈楔の塔〉から追放された理由を調べていることは知っている。

 ザームエルの追放は、先帝との断絶に関係が深そうだから、ヒュッターはあえてユリウスを泳がせていた。


(メビウス首座塔主の留守中に調査を……ってのは分かるが、なんで外なんだ?)


〈楔の塔〉の敷地内にある目ぼしい建物と言えば、第一の塔〈白煙〉、第二の塔〈金の針〉、第三の塔〈水泡〉、あとは宿舎や物置ぐらいか。

 ザームエル追放の理由を調べるなら、メビウス首座塔主、ミリアム首座塔主補佐、エーベル塔主の三人を調べるのが妥当である。つまりは第一の塔〈白煙〉だ。

 だが、ユリウスが〈白煙〉に近づく気配はない。

 ヒュッターは窓に近づき、ユリウスの行方を目で追った。だが、ユリウスの姿は夜闇に紛れてすぐに見えなくなる。


(なんだなんだぁ? ユリウスは何がしたいんだぁ?)


「そこで何をしているのですか」


 冷たい声は、最上階から響いた。

 ヒュッターはゆっくりと声の方を振り向く。

 階段の上に立ち、ランタン片手にこちらを見下ろしているのは、スラリとした長身を修道服に包んだ金髪の女。


 ──ミリアム首座塔主補佐だ。


 今ヒュッターは、最上階に続く階段の途中で、窓から身を乗り出している状態である。

 そして最上階に出入りするのは、基本的に室長クラス。下っ端は呼び出されでもしない限り、行くことはない。


(やっべぇぇぇぇぇぇ……!!)


 その場しのぎに全力の詐欺師は考えた。

 この手のタイプに冗談は通じないだろう。ヘラヘラ笑いも印象が悪くなる。


(『ちょっと夜風を浴びたくて』……いや、流石に最上階に続く階段の窓から身を乗り出してるのは駄目だろ。おかしいだろ)


 捻り出すなら、なるべくシリアスで突っ込みづらい事情がいい。

 ヒュッターはその顔に、物憂げで、少しシニカルな笑みを浮かべた。


「……身投げなんて、考えていませんよ。ミリアム首座塔主補佐」


 氷のように冷たい目が、ヒュッターを見据える。こちらの真意を読み取ろうとするように。

 ヒュッターは窓枠にもたれ、窓の外に目を向けた。もうユリウスの姿は見えない。


「貴女は、向こうの方角に何があるかご存知ですか?」


「魔術師組合の本部ですね」


(あ、そうなんだー)


 ミリアムが無言だったら「私の故郷です」とか「思い出の場所です」とかなんとか、それっぽいことを言うつもりだったのだ。

 ヒュッターは、影のある男の演技を続ける。


「こんな静かな夜は……かつての自分の居場所を見つめ直したくなるんですよ」


 なんで俺、ポエム口走ってんだろ、と思わないでもないが、深く考えたら負けだ。

 こちらを見下ろすミリアムは、聖母像に似ていた。

 美しい石像は、ランタンの灯りのゆらめき具合で、冷たくも、慈悲深くも見えるのだ。


「〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター。貴方はかつての居場所に未練はありますか?」


「今の私には、教え子達のいる〈楔の塔〉が居場所です。ただ……」


 言葉を切り、ヒュッターは苦く笑う。


「ふとした瞬間に後ろを振り向いて、自分が歩んできた道を確かめたくなる。貴女には、そんな夜がありませんか?」


 それっぽい台詞でお茶を濁しつつ、ヒュッターは探りを入れた。


 ──かつていた場所の未練。


 ──自分が歩んできた道。


 ミリアムは、元々はラス・ベルシュ正教の聖女ヘレナ候補だ。

 今、〈楔の塔〉にいる聖女ヘレナ──ややこしいので「悲しいですのヘレナ」としておく。

「悲しいですのヘレナ」の一つ前の代。その時、選定の儀式で聖女ヘレナに選ばれなかったのがミリアムと、オットーの妻サティだ。

 ミリアムとサティは聖女ヘレナにはなれず、その後、奉仕のために〈楔の塔〉にやってきた。

 そこで、メビウスやオットーと一緒に魔術を学んだのだ。

 そんな過去を持つミリアムは、過去を想うヒュッターの言葉に、何を考えたのだろう。

 ミリアムの表情は変わらない。冷たく、けれど慈悲深い聖母の顔だ。


「過去から学ぶことは重要です。ですが、そこで歩みを止め、停滞することを神は喜びません。まして──」


 夜の廊下に、冷たい声が硬質に響く。


「過去に縋るなど、以ての外です」


 硬質な声は微かに掠れていた。

 ヒュッターはポケットに手を突っ込み、階段を上る。

 ミリアムが警戒するように一歩下がった。

 ヒュッターは階段を上りきったところで、ポケットから探りあてた小瓶を取り出す。


「良かったらどうぞ。蜂蜜の飴です」


「…………」


「喉、痛めてるんじゃないですか?」


 会話をしていて気づいたのだ。彼女は喉を痛めている。気づかれないように声を作っているが、音を伸ばす時に掠れるのだ。


「最近は冷えてきたんで。どうぞ温かくしてご自愛ください」


 そう言って、ヒュッターは蜂蜜の飴を差し出した。

 なおこの飴は、怪しい物ではない。風邪が流行り始めた時期になったら携帯し、風邪気味の人にお裾分けして仲良くなるための小道具である。

 ミリアムの白い指先が飴を受け取ったのを確認し、ヒュッターはすぐさま階段を、二、三段降りた。

 自分は貴女と同じ目線に立つ人間ではありません。というアピールだ。

 ミリアムは受け取った小瓶を、無表情に見下ろしている。


「……声の掠れは風邪ではありません。若い頃、喉を痛めたのです。それ故、まともに讃美歌が歌えず、わたくしは聖女選定で真っ先に資格なしとされました」


 ミリアムは自分が聖女ヘレナ候補だったことも、選定で選ばれなかったことも、隠していないのだろう。

 これは、過去を受け入れた人間の声だ。


「この〈楔の塔〉に来て、ミリアムとして過ごした日々に後悔はありません。わたくしは、何一つ後悔などしていない」


 その言葉は、自分に言い聞かせるための強がりではない。とヒュッターは感じた。

 彼女は本当に何一つ、後悔などしていないのだ。

 己の信念に、あるいは信仰に則り、自分が歩みべきと決めた道を歩んでいる。


 ──たとえその道が、血と汚泥で塗れていても。悲鳴と慟哭が響いても。


「指導室に戻りなさい、カスパー・ヒュッター」


「はい、夜分に失礼しました」


 ヒュッターはなるべく恭しい態度で頭を下げ、階段を降りる。

 その背中に、ミリアムは告げた。


「貴方の心遣いに感謝を」


 彼女の手の中で、小瓶の飴がコロンと小さな音を立てる。


「貴方の優しさと誠意が、〈楔の塔〉を担う若者達を導くものであることを願います」


 その美しい声を聴きながら、ヒュッターは思った。

 自分が詐欺師とバレたら、彼女は彼女の信じる神の怒りを代弁し、ヒュッターを八つ裂きにするだろう。

 恐ろしい。恐ろしすぎる。


(なにはともあれ、この場は切りぬけた!)


 それっぽいポエムで雰囲気を作り、どうとでも受け取れる曖昧な言葉でお茶を濁す。三流詐欺師〈煙狐〉の真骨頂である。


(あー、嫌な汗かいたー。しっかし、どうすっかなこれ。今夜はもう最上階は調べらんねぇぞ……)


 ひとまず指導室に戻り、情報を整理して策を練り直そう。

 そう考えて指導室の扉を開けたヒュッターの耳に、朗らかな声が届く。


「あれぇ、何してるんですか、ヒュッター先生?」


 ヒュッターにニコニコと笑いかけているのは、いつも笑顔の金髪の美男子──爽やかクソ野郎こと、指導室の魔術師ゾンバルトだった。


(次から次へと──!!)


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