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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
六章 楔の塔の秘密
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【幕間】四つめの

 ユリウスの養父、ザームエル・レーヴェニヒが〈楔の塔〉を追放された時、ユリウスは憤然とした。

 あのザームエルが追放されるなんて! いや確かにザームエルはいかにも追放されそうな悪い魔術師だけど、組織を相手に負けるような男ではないはずだ。

 どんな不利な状況でも、個人の資質と才能と財力で、勝敗を容易くひっくり返す。それがザームエル・レーヴェニヒという男なのだ。


 帰宅したザームエルは、どこか老け込んだように見えた。それでいて、どこか憑き物が落ちたような顔をしている。

 ユリウスはザームエルに詰め寄り、訊ねた。


「ザームエル、これからどうするんだ? 〈楔の塔〉に報復でもするのか?」


「くくっ……〈楔の塔〉はもういい。あれは、俺の手に余る」


 その言葉に、ユリウスと、ついでに獅子の姿でゴロゴロしていたアグニオールは衝撃を受けた。


「ザームエルの手に余るものなんて、あるのか……」


「ザームエル君、手に余るものがあったら、数回に分けて掴めば良いんですよー!」


 驚くユリウスと、見当違いなことを言うアグニオールに、ザームエルはクツクツと笑い、椅子の背にもたれる。


「俺はもう、長くない」


 言われた言葉の意味が、すぐには分からなかった。

 ゆっくりと言葉が頭に染み込み、その意味を理解すると同時にユリウスは声をあげる。


「医者だ。医者にかかればいい。あんたなら、この国一番の医者にかかることだってできるだろう」


 ザームエルは途方もない金持ちだ。貧民だったユリウスには想像できないぐらい、沢山の金を持っている。

 だが、ザームエルはゆっくりと首を横に振った。


「医者でも治せぬ病はある」


 ユリウスはもう小さい子どもではない。ザームエルに引き取られて、たくさん勉強をしたから知っている。

 医者も魔術も万能ではないことを。


「嫌だ……」


 まるで、駄々をこねる子どもみたいな言葉が出た。

 ザームエルに引き取られてから、ユリウスはずっと優秀で、駄々をこねたことなんて一度もなかったのに。


「嫌だ。なんで…………ザームエルは、何でも持ってるのに……」


 きっと世の人々は、悪い魔術師が報いを受けたと言うのだろう。

 ザームエルも、そう思われてかまわないという態度を貫いている。それが、ユリウスには悔しい。

 獅子の姿のアグニオールが、椅子に座るザームエルの足下に体をすり寄せた。その毛並みをザームエルが筋の浮いた手で撫でる。

 あの手は、いつからあんなに細くなってしまったのだろう。

 ザームエルは死すら恐れぬ高慢さで、太々しく笑った。


「くくっ……せいぜいこの屋敷でお前を虐めながら、優雅な余生を過ごすとしよう」


 それからしばらく、ザームエルはユリウスに魔術を教えながら静かに過ごした。

 ザームエルに直接魔術を教えてもらえるのは嬉しい。だけど、それ以上に寂しさと悔しさとやるせなさがある。

 泣きたい気持ちを堪えて、ユリウスはザームエルの知識と技術を詰め込んだ。一つだって取りこぼすものか、と自分に言い聞かせて。



 それからしばらく経った頃、ザームエルはベッドから起き上がれなくなった。

 内臓が少しずつ腐っていくような、そういう類の病気であるらしい。

 どれだけ部屋を清めても、換気をしても、ザームエルから悪臭がする。死のにおいだ。


「クク……お前には、俺の杖をくれてやろう……杖だけじゃない。俺の財産も全てくれてやる。金なんてものは、本来、溜め込んでも意味のないものだ。俺の代わりに、お前がばら撒くがいい……ク、ハ、ハ」


 そう言って、ザームエルは息の塊を吐き出すみたいに笑う。

 笑う度に、ザームエルの顔は歪んだ。


「ザームエル、無理に笑わなくていい。笑うだけでも、体が痛いんだろう」


「……笑え、ユリウス。笑いは余裕だ。余裕は強者の特権だ」


 なんて不遜で高慢で、ザームエルらしい言葉だろう。

 ユリウスは俯き、無理矢理口の両端を持ち上げた。泣くものか、と思った。


「ク、クク……」


 喉を震わせ、笑う。ザームエルのように。

 そうしてぎこちない笑顔で、ユリウスは養父を見下ろした。


「ククッ……これでいいか、父さん(、、、)


 薄く開かれていたザームエルの目が、丸くなる。

 皺の浮いた顔が、クシャリと笑った。


「クハハ……この俺を驚かせるとは、腕を上げたな、ユリウス」


「あぁ、俺は偉大な魔術師ザームエル・レーヴェニヒの息子だからな。早く元気になって、また問題を出してくれ、父さん。どんな難問でも解いてみせる」


「問題……問題、か」


 ザームエルは目を閉じる。

 喉の隙間から、細く空気を通すようなコヒューコヒューという音が聞こえた。その合間に、ザームエルは静かに告げる。


「〈楔の塔〉の、四つめの……」


〈楔の塔〉、ザームエルが掌握しようとして失敗し、追放された、魔術師達の塔。

 その四つめの、とは何か。ユリウスにはてんで想像がつかない。

 考え込むユリウスを、ザームエルがベッドの上から見上げる。難問に手こずるユリウスを見る時の目で、楽しそうに。


「気が向いたら、挑んでみるがいい」




 その晩、ザームエル・レーヴェニヒは静かに息を引き取った。

 ユリウスは時間をかけて炎霊アグニオールとの契約に挑み、契約に成功したところで、炎霊アグニオールを伴って、〈楔の塔〉の入門試験に挑んだ。



 * * *



 討伐室との魔法戦の翌日の午後、個別授業の時間になったところで、ユリウスはフィンと共に第三の塔〈水泡〉の管理室を訪れていた。

 ユリウスはゾンバルト教室の所属だが、ゾンバルトは「ユリウス君は優秀なので、僕に教えられることは何もないですね!」などと言っている。

 そうして、ユリウスが自由に塔内を動き回り、ザームエル追放の調査をすることを期待しているのだろう。

 ユリウスとしても、それは渡りに船だった。

 午後の個別授業の時間なら、見習いが所属塔以外をうろついていても、誰も咎めない。

 今日、管理室を選んだのは、管理室の調査がまだ充分ではないからだ。

 魔法戦準備期間中の管理室は特に忙しく、うっかり足を踏み入れたら、ルキエに大量の手伝いを命じられることになるので、あまり近づけなかったのである。

 魔法戦が一段落した今、管理室は比較的落ち着いていた。

 今は魔力炉と呼ばれる、魔力を充填させる炉で、使用した魔導具に魔力を補充しているらしい。

 魔力炉は魔力濃度の多い物質、或いは土地などから魔力を引いて作る物で、実は世界的にも数はそう多くない。

 ザームエルが生きていたら、魔力炉に目をつけただろうな、とは思う。

 魔力炉は魔導具の生産速度を飛躍させる代物だ。ザームエルが目をつけないはずがない。

 ユリウスが魔力炉を眺めていると、一緒に管理室に来たフィンがルキエに声をかけた。


「ルキエ、オイラに手伝えることあるかな?」


 今まで人に話しかける時、恐る恐るという空気を出していたフィンだが、最近はすっかり慣れたらしい。

 ルキエも以前より、つっけんどんな空気が和らいでいる。

 ルキエは「助かるわ」と短く答えた後、フィンの背後にいるユリウスを見た。


「今日はユリウスも一緒なのね」


「クク、たまにはそういう日もある」


「まぁ、いいけど。それじゃあ、この水晶の仕分けをお願い」


 そう言ってルキエは机の上に一抱えほどの箱を置いた。中には拳ほどの大きさの水晶の原石が入っている。

 更にルキエは小物を入れている棚から、細い布らしき物を取り出し、フィンに声をかけた。


「これ、あんたの」


 フィンはキョトンと布を見る。青と水色が混ざった模様の綺麗な布は、おそらくターバンだろう。ルキエも真っ直ぐな金髪にターバンをしている。

 ルキエはフィンの前髪を押さえるようにターバンを巻き、固定した。


「細かい作業するなら、髪はまとめた方がいいわよ。あんた、管理室とか整備室の手伝い、よくするでしょ」


「これ……オイラ……の?」


「いらなきゃ、雑巾にでもしてちょうだい」


 フィンは恐る恐るターバンに触れ、頬をムニムニと弛めた。


「あ、ありがとう……へへ……青いの、綺麗だぁ」


 フィンは嬉しそうに椅子に座り、水晶の仕分けを始める。

 ユリウスは机の上の木箱に詰め込まれた水晶の原石を一つ手に取り、フィンに訊ねた。


「これは、どう分けるんだ?」


「えっとね、大きさと色の仕分けは済んでるから、あとは内包物があるかどうかで分けるんだって」


 そこまで言って、フィンは短い足をブラブラ揺らし、はにかみ笑う。


「……へへ、オイラがユリウスに何か教えるの、初めてだ。いつもと逆だね」


「ククッ、そうだな」


「えっと、内包物は白いモヤモヤとか、金色っぽい線のやつとかあって、同じ種類の物に分けるんだって。判断が難しかったら、ルキエに訊くんだよ」


 そう言ってフィンは、手元の水晶を確認して小さい箱に分けていく。

 管理室の調査をするなら、少しは作業を手伝った方が良いだろう。ユリウスも椅子に座って水晶の仕分けを始めた。

 ザームエル追放の原因、「四番目の真実」の謎──それと関係あるのが、この第三の塔〈水泡〉でないかとユリウスは考えている。

 何故なら、〈水泡〉は〈楔の塔〉の重要な蔵書や魔導具を保管している場所だからだ。塔の配置も城壁内の一番奥にあたるし、重要度が高く思える。


(あとは塔の修繕を担う整備室か……フィンはそちらの手伝いもしているようだから、早めにそちらも調査を……)


 思案しつつ水晶を仕分けていたユリウスは、珍しい水晶を見つけて、窓の外の日差しに透かした。

 水晶の中に空洞があり、透明な水が揺れている。


「あら、珍しいわね。水入り水晶」


 ルキエが作業の手を止めて、水晶を見る。

 ユリウスは水晶を持つ手を下ろし、ルキエに訊ねた。


「これは、別にしておいた方がいいか?」


「えぇ、これで〈楔の塔〉が揃ったわね」


 ルキエの言葉の意味が理解できず、ユリウスは眉根を寄せた。フィンも同様だ。

 怪訝な顔をしている二人の前に、ルキエは内包物のある三つの水晶を置く。

 白いモヤを閉じ込めた物、金色の線状の内包物がある物、そしてユリウスが見つけた水入りの物。


「この白いモヤを閉じ込めた水晶は、地域によっては霧とか死者の魂なんて言ったりもするわ。まぁ、白い煙を閉じ込めたみたいに見えるから〈白煙〉でもあるわね」


 続いてルキエは、金色の細い線を複数内包した水晶を手に取る。


「これは、分かりやすいわね。金色の針状の内包物があるから、〈金の針〉」


「じゃあ、ユリウスが見つけたこれは〈水泡〉だねぇ」


 フィンが水入り水晶を摘んで、チャプチャプと揺らす。

 ルキエは手にした水晶を仕分け箱に戻しながら頷いた。


「〈白煙〉、〈金の針〉、〈水泡〉──全部水晶由来の名前だと思うわ」


 ルキエの解説を聞いた瞬間、ユリウスの頭に幾つかの考えがよぎった。


 ──〈楔の塔〉を構成する三つの塔。ザームエルが遺した謎。四つめの何か。


 ユリウスは余裕の笑みも忘れ、早口でルキエに訊ねる。


「水晶には、他にどんな種類がある?」


「そうね、例えば……」





 いつになく真剣な顔で、ルキエに質問をするユリウス。

 その姿を、フィンは丸い目でじっと見つめていた。


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