【9】過去を辿る
三流詐欺師〈煙狐〉渾身のモノマネは、気まずい空気になっていたおっさん達に程よく効いたらしい。
最初とは打って変わって和やかな空気の中、ヒュッターは安酒をメビウスとオットーのグラスに注ぐ。持参した良い酒は、とっくに飲み尽くしてしまったのだ。
「やー、そこそこ練習したんですよ、これ。口の形がポイントっすかね」
「ヒュッター殿は、観察眼があるのだな」
感心した様子のメビウスに、ヒュッターはあえて得意気な笑みを返した。
「生物を幻術で再現するには、観察力が必要なんすよ。自分、幻術馬鹿ですから」
……などと、それっぽいことを決め顔で言って、グラスの酒を一口。
いかにもグイグイ飲んでいるように見えるかもしれないが、実はヒュッターはグラス一杯分も飲んでいない。
自分が注目されている時は酒に口をつけているが、そうでない時にさりげなくグラスを取り替えているからだ。
グラスの取り替えが難しい時は、野外なら、グラスの中身をさりげなく大地に捧げればいい(捨てると思うとなんか勿体無いので、ヒュッターはこう考えることにしている)。
自分は飲まずに他者を酔い潰す、詐欺師テクニックである。
「ささっ、どうぞもう一杯」
「おい、ヒュッター! こっちにもだ!」
「いやぁ〜、もう今日の魔法戦の大勝利はカペル室長のおかげです! よっ、発明王!」
それからヒュッターは、モノマネや雑談を交えつつ、三人に酒を注いで回った。
真っ先に酔い潰れたのはオットーだ。
彼は元々気まずそうにしていて、口数の少なさを誤魔化すように酒を飲んでいたから、いつもより早く回ってしまったのだろう。
次にカペルが「便所」と言って席を立ち、フラフラとした足取りで管理室の中に入っていく。
メビウスだけは、それほど酔っていない。酒に強いというより、自制して飲んでいるのだろう。手強い。
「ヒュッター殿」
メビウスが改まった態度でヒュッターの名を呼ぶ。
「今日はありがとう。久しぶりに楽しい酒だった」
「こちらこそ、楽しい時間をどうも。メビウス首座塔主は、よくこちらに来られるんです?」
「いや……」
メビウスは机に突っ伏しているオットーをチラリと見た。
色々と思うところのある表情だ。
「サティ……ルッツの妻が亡くなってから、こういう機会もなくなってな」
「普段から、オットーさんと飲んでるわけじゃないんすか?」
「あぁ。まさか、ルッツが来ているとは思わなかった……合わせる顔もないし、日を改めるべきかとも思ったのだが……」
(合わせる顔もないし? ……昔、何かあったのか?)
メビウスは言葉を切り、瞑目する。酒に酔っているわけではないだろう。
昔日と向き合い、自分の心の在り方を定めている──そう感じた。
「色々と気を遣わせてすまなかった、ヒュッター殿。今夜は貴方に会いに来たんだ。貴方はよく、ここに来ると聞いたから」
「……へ? 俺っすか」
「今日の見習い達の魔法戦だが……」
(あ〜〜〜〜、「おたくの生徒さん、ずっとピロピロピロピロ鳴いてたけど、緊張感足りないんじゃない?」的な、そういうお叱り……!)
「策を練り、各々ができることを模索し、協力して強者に立ち向かう姿勢。素晴らしかった。貴方の指導のおかげだ。心から礼を言わせてほしい」
そう言って、メビウスは深々と頭を下げる。流石にヒュッターもギョッとした。
酔ってんのか、と思ったが、メビウスはまだそこまで飲んでいないはずだ。
とりあえず、ここは茶化さない方が良いだろう。
ヒュッターはおちゃらけた態度を引っ込め、真面目な指導員の顔を取り繕う。
「自分は生徒達の話を聞いて、助言をしただけに過ぎません。あの魔法戦は全て、見習い達が自発的に考え、動いた結果です」
事実である。ヒュッターは指導らしい指導をしていない。だって詐欺師だし。
だが、それをメビウスは謙遜と受け取ったらしい。
「魔術師組合から派遣されてくる者は、〈楔の塔〉での指導に消極的な者も多い。貴方のように真剣に見習い達と向き合ってくれる人間が来てくれて、本当に良かった」
普段の威厳ある態度より、少し朴訥とした雰囲気だ。おそらく、こちらがメビウスの素なのだろう。
(威厳はあるが、飾らない人柄。誠実、真面目──そんな人間が、なんで先帝と衝突したんだ? ……いや、そんな人間だからこそ、か)
先帝は女癖が悪く、政治や軍事に熱心とは言い難い人物だ。「熱心なのは女と芸術収集だけ」などとよく揶揄されている。
だからこそ、いかにも真面目そうなメビウスとは相性が悪かったのだろう。
(……さて、どこから探ってみるかねぇ)
三流詐欺師〈煙狐〉の目的は、〈楔の塔〉と先帝の断絶の理由を探ること。
そろそろ真剣にやらないと、黒獅子皇に首を切られてしまう。
とは言え、「先帝と何かあったんすか?」などと馬鹿正直に訊くのはなしだ。ヒュッターが黒獅子皇の手先とバレかねない。
メビウスは鋭い面差しに、僅かな憂いを滲ませて言う。
「〈楔の塔〉は今、未曾有の危機に瀕している。本来魔物が現れない地域に魔物が出没したことは、貴方も知っているだろう」
「えぇ、調査室に同行した際、うちの生徒が遭遇しました」
ティア達が遭遇した、氷の魔物と雪猪とやらのことだろう。
魔物は〈水晶領域〉から、一定距離以上は離れられない。にもかかわらず起こった異例の事態は、現在も調査中だという。
メビウスは僅かに顔を上げ、西の空を見た。
〈楔の塔〉の西側には、見えない壁があるという。結界の一種で、魔物はその壁を越えることが絶対にできない。
「壁があるから、魔物がここより西に行くことはないが……」
メビウスは言葉を切り、視線を手元に落とした。
木箱の上に置いたランタンが彼の顔に陰を生み、その表情に凄みを与える。
「一刻も早く、根絶やしにしなくては」
その呟きに、切実さと仄暗い怒りを感じ、ヒュッターはゴクリと唾を飲んだ。
メビウスは首座塔主になってからも自ら魔物討伐に赴き、誰よりも成果を上げているという。
絶対に魔物を滅ぼすという決意と執念。それが人の形を取ったような男だと、そう感じた。
「明日から、またしばらく討伐に出る。どうか、留守にしている間、見習い達を見守ってほしい」
「ご武運を」
ヒュッターが誠実な顔で返すと、メビウスは小さく微笑んだ。
眉尻が微かに下がって、口の端が持ち上がるだけの、それでも今まで見た中で一番穏やかな表情で。
「今日は、本当に楽しかった。久しぶりに友人と笑い合えた。ありが……」
「首座塔主。それ以上はいけません」
ヒュッターは片手を持ち上げ、続く言葉を封じると、鼻白んだ様子のメビウスに真面目くさった態度で言った。
「あまり深く感謝されすぎると、次が誘いづらくなる。こういう時は『あー楽しかった。また飲もうぜ』ぐらい気軽な方が良い」
メビウスはプッ、と小さく吹き出した。
「……ふ、ふふ、なるほど、だから俺は飲みに誘われないのか」
どうやら首座塔主様は、飲みに誘ってもらえないらしい。可哀想に。
「では、また飲もう。ヒュッター殿」
メビウスは飾らない口調で言って、その場を立ち去る。
向かった先は庭園だ。酔い覚ましに歩いて帰るのだろうか。
(首座塔主が明日から留守……〈楔の塔〉の内部を調べるのに都合が良いな。早速、明日の夜にでも動くことにするか)
「うぃー、酔いが覚めちまったぜ。酒、酒、酒〜っと」
管理室に繋がる扉が開いて、カペル老人が戻ってきた。
カペルはメビウスがいないことに言及せず、また自分の席に戻って酒を飲み直す。
ここで酒を飲む時は、いつもそんな感じだ。適当に集まって乾杯もせずに飲み始めて、好きなタイミングで帰る。
ヒュッターは突っ伏し寝ているオットーを見た。狸寝入りではなく、本当に熟睡している。
オットーのそばのグラスや皿を回収してやりつつ、ヒュッターはカペルに訊ねた。
「今、ちょっと話してたんですけど、オットーさんの奥さん……サティさんって〈楔の塔〉の魔術師だったんすか?」
「んぁ? あぁ、そうだな。メビウスやオットーと同期で同じ教室で、三人とも討伐室入りした」
討伐室入りした故人。ともなると真っ先に浮かぶ死因は、魔物による殺害だ。
それなら、メビウスが魔物を憎む理由も納得がいく。
「……サティさんは、魔物に?」
「うんにゃ。妊娠してたんだが難産でな。結局、出産の際に母子共々死んじまったのよ。その時、オットーは討伐任務で外に出てて、死に目に立ち会えなかった……ちょうど、魔物の大規模襲撃があった頃だからなぁ」
魔物の大規模襲撃は〈楔の塔〉の過去の記録にも残っている。今から、十三年ほど前の出来事だ。
(先帝との断絶は七年ぐらい前だから……そっちの件とは無関係か?)
ヒュッターは頭の中で、〈楔の塔〉にまつわる出来事を整理する。
十三年前:魔物による大規模襲撃。オットーの妻サティ死去。
十年前:メビウス首座塔主、ミリアム首座塔主補佐、就任。
七年前:第一の塔〈白煙〉塔主ザームエル・レーヴェニヒの失脚←【先帝との断絶もこの時】、第一の塔〈白煙〉塔主にエーベル就任。
二年前:第二の塔〈金の針〉塔主にローヴァイン就任。第三の塔〈水泡〉塔主にアルト就任
一応軽く情報収集ぐらいはしておくか、と決めて、ヒュッターはカペルに訊ねる。
「サティさん、どんな人だったんすか」
「歌が好きな明るい娘だな。よくその辺に腰掛けて、歌を歌ってた」
その辺、と言ってカペルは散らばる木箱を指さす。
「管理室の周りはトンカチやってウルセェからな。大きい声で歌っても誰も気にしなくていい、などと言っておった」
「楽しい人だったんすね」
「まぁ、月並みな表現だが、太陽のような娘ってやつだ。あの娘が笑うと、辛気臭いメビウスやミリアムも空気が柔らかくなる」
「……ん? ミリアムって首座塔主補佐っすよね? あの修道服美人の」
美しいが冷たい空気を纏わせる、修道服の美女。とりつく島もなさそうだ、というのがヒュッターの第一印象だ。
「ミリアムは死んだサティと親友だ。所属教室こそ違うが同期で、いつも一緒にいた……いや、サティとミリアムは〈楔の塔〉に来る前から親友だったな」
カペルは昔を思い出そうとするように、己のこめかみを指でグリグリ押す。
ヒュッターが追加の酒を注いでやると、それをグイと飲みほし、カペルは言った。
「あー、そうだ、思い出した。二人ともラス・ベルシュ正教から来たんだよ。元聖女ヘレナ候補だったとかでな」