【8】気まずいおっさん達
良いワインの瓶を片手にぶら下げながら、ヒュッターは素早く目の前の状況を把握する。
夜、野外、管理室前に適当な木箱を並べただけの簡易な飲み会。
小さい木箱の上で胡座をかいているのは、管理室室長カペル老人。このご老人はいつも通りの砕けた態度だ。首座塔主を前に気を使う様子もない。
そして、テーブルがわりの大きな木箱を挟み、カペル老人の向かいに横に並んで座っているのが、メビウスとオットーだ。
オットーが座っているのは簡素な木の丸椅子。メビウスは木箱。二人の距離は微妙に空いている。
(オットーさんの性格上、上司に椅子を譲るのが自然。それなのに、メビウス首座塔主が木箱に座ってんのは……おそらく、メビウス首座塔主が後から来たからだ)
いつもの雰囲気で飲んでいたカペルとオットー。そこにやってきたメビウス。
オットーは椅子を譲ろうとするも、「ここでいい」と言って木箱に座るメビウス──というところまで、ヒュッターは想像した。
気になるのは三人の空気感。
カペル老人はいつも通りだ。このジジイは偉い人の前でも子どもの前でも、態度を変えない。
メビウスは初めて見た時と変わらぬ無表情。座っているのは木箱なのに、やたらと姿勢が良いものだから、場違いに堅苦しい雰囲気を感じる。
オットーは少し気まずそうだったが、ヒュッターに気づくと、少しホッとしたような顔をした。
年齢順なら、カペルが断トツの最年長。メビウスとオットーが、ヒュッターより少し上で、ほぼ同年代だ。
ただし、役職順に並べるなら、メビウス(首座塔主、一番偉い)、カペル(室長、ただし最年長)、オットー(守護室の下っ端、ベテラン)、ヒュッター(指導室の下っ端、新人)である。
ここはやはり、一番偉い人に挨拶をするのが無難だろう。
ヒュッターはその顔に、ヘラリと毒のない笑みを浮かべた。
「や、どーも、お邪魔します。珍しい組み合わせっすね〜」
最後の一言はカペルに振って、反応を見る。
ガブガブと麦酒を飲んでいたカペルは、プハァと酒臭い息を吐いた。
「おう、来たか。ヒュッター。手土産はあるんだろうな?」
「えぇ、ちょいと良いワインを……おっと」
ヒュッターは何かに気づいたような素振りをし、チラッとメビウスを見る。
メビウスは反応が読めない人物だ──ここは一つ試してみるか。
ヒュッターはメビウスに近づき、内緒話をするかのように口元に手を当てて言う。
「極秘で手に入れたブツなんで。どうか、お偉いさんには秘密で頼みます」
メビウスは微かに目を開き、小さく……本当に小さく息を吐くみたいにフッと笑った。
「そうか。では、ここだけの秘密にしておこう」
「なぁに、飲みきっちまえば、ただの空瓶です。カペル室長、グラス適当に借りますよー」
ヒュッターがカペルに声をかけると、カペルは「おぅ、持ってこい、持ってこい」と雑に手を振った。
すぐ近くに管理室に繋がる扉があり、そこから中に入って、皿やグラスなどを適当に借りるのが、この無礼講の常だ。
こういう時、ヒュッターは少し余分にグラスを持っていく。その方が、自分が飲んだ酒量を誤魔化しやすいからだ。
わざわざグラスを変えなくても……と渋る横着なカペルに「まぁまぁまぁ」と愛想笑いを返して、グラスを握らせる。
「良い酒なんすから、良いグラスで味わってくださいよ」
「馬鹿野郎、うちのグラスなんざ、どれも安物だ!」
「えぇっ、そうなんすか。俺ぁてっきり、管理室の職人が作った良いグラスなんだとばかり……」
「馬鹿言え、うちの職人がグラスを作ったら、もっと厚みが均等でだなぁ……」
カペルの話にヘラヘラと相槌を打ちながら、グラスの一つをメビウスの前に置き、ワインを注ぐ。
「指導室のカスパー・ヒュッターです」
「クラウス・メビウスだ。噂は聞いている。〈夢幻の魔術師〉殿」
なるほど、魔術師組合から派遣されてきた魔術師の名前ぐらいは、把握しているらしい。
(だが、魔術師組合から派遣されてくる魔術師は基本的に近代派。そしてメビウス首座塔主は古典派。間違いなく俺の印象は悪いはず……)
取り入るのは一筋縄ではいかないだろう。ここは慎重に距離を詰めていかなくては。
ヒュッターは全員に酒を注ぐと、カペルの隣、メビウスの正面辺りに座って口を開いた。
「カペル室長。いつもうちの生徒がお世話になってます。飛行用魔導具の件は、ほんっとうにありがとうございました」
「おぅ、お前んとこのチビは筋がいいぞ。ゲハハハハ、こいつぁ、飛行用魔導具で馬鹿儲けする日も遠くないな」
「セビルの剣の鍔も、相当手間だったんじゃないすか? 火竜の鱗を加工したって聞きましたが」
「鱗の加工は、見習いのルキエの仕事だ。まぁまぁ良い経験になったろうよ。生きた竜から剥いだ鱗なんて、そうそう手に入るもんじゃないからな」
ヒュッターはさりげなく皇妹であるセビルの名を出し、メビウスの様子をうかがった。
メビウスは特に分かりやすい反応はせず、静かに酒を味わっている。
その隣では、オットーが俯き気味に視線を彷徨わせていた。気まずそうだ。今度はこちらに話を振ってみるか。
「オットーさんも、魔法剣の指導ありがとうございました。一ヶ月で魔法剣を実戦レベルにするのは、相当大変だったんじゃないですか?」
「……あれはもう、才能でしょうねぇ。高貴なお方は魔力量が多いと聞きますし」
オットーはくたびれた顔に、ぎこちない笑みを浮かべる。
ヒュッターは、オットーと飲むのは初めてではない。オットーはここの常連で、普段はもう少し砕けた態度を見せる。
今日に限って、やけに硬い表情をしているのは、メビウスが隣に座っているからだろう。
さて、ここからどうやって、メビウスを会話に巻き込むか……ヒュッターが思案していると、くだんのメビウスがグラスから口を離してボソリと言った。
「お前も魔力量は多かっただろう、ルッツ」
ヒュッターはポカンとした。
(ルッツって、誰それ? …………いや、そうだ、オットーさんだ。ルッツ・オットー……えっ、なに、メビウス首座塔主とオットーさんって、名前で呼び合う程度に親しい?)
一瞬混乱したが、すぐにピンときた。
〈楔の塔〉の魔術師達は基本的に姓で呼び合うが、見習いだけは例外で名前呼びだ。
そして、見習い時代に同期だったり、或いは見習い時代に面倒を見ていたり、親しい者同士の場合は、今でも名前呼びをすることがある。
討伐室のフレデリク、リカルド、ヘレナが名前で呼び合っていたり、指導室のアンネリーゼ・レームが時々「リーゼ」と呼ばれているのがそれだ。
メビウスに話を振られたルッツ・オットーは、気まずそうに目をそらしたままボソリと言う。
「……そんなのは昔の話だろ」
それだけ言って、オットーは酒のグラスを口につけた。喋りたくないから、酒を飲んで会話を打ち切ろうとしているのを感じる。
メビウスは無言だが、余計なことを言ってしまった、と落ち込んでいるような空気を感じた。
(なんだこの気まずいおっさん達は)
ヒュッターはヘラリと笑って、二人に訊ねる。
「もしかして、メビウス首座塔主とオットーさんって、同期だったりします?」
オットーは無言。答えたのはメビウスの方だった。
「あぁ、見習い時代に同じ教室だった。その後も、同じ討伐室に」
(はいはいはいはい、なーるほど〜!)
オットーもメビウスも元討伐室所属と聞いたことがあるが、見習い時代にも同じ教室だったなんて。
つまりはティア、レン、セビル達のようなものではないか。
(それが、片や〈楔の塔〉の頂点である首座塔主。片や守護室の下っ端で、くたびれた門番……)
それはお互いに、さぞ気まずかろう。
おそらくメビウスは、酒の席でぐらい昔のように話したいのではないだろうか。
だがオットーの方は、「あまり話しかけてくれるな、もう立場が違うんだから」と遠慮しているように感じる。
大変に気まずい空気だが、カペル老人は気にせず、薄切りサラミをムッチャムッチャと齧っていた。図太い。
(えぇい、仕方ねぇ。やるか……アレを)
ヒュッターは腹を括り、テーブル代わりの木箱から身を乗り出す。
「オットーさん、マジですごかったんすね!」
「いや、俺はそういうんじゃ……」
オットーの顔が卑屈に歪む。褒められることが心底嬉しくないという顔だ。
だからヒュッターはすかさず、日々練習していた「アレ」を実行した。
目を細め、ギュッと眉間に皺を寄せつつ下唇を持ち上げる。前歯を下唇に触れさせるイメージ。
発する声は、やや高めに。
「『そういうのは早めに言いたまえよ、君ぃ』」
しぃん、と空気が凍る。
ヒュッターは目を細めた顔を保ったまま、オットーとメビウスを交互に見た。
「めっちゃ似てません? ヘーゲリヒ室長の真似」
ほんの少しの沈黙。
先に吹き出したのは、意外なことにメビウスだった。
「…………っふ、ふふ……」
メビウスが口元を抑え、肩を小さく震わせて笑う。
オットーも強張っていた表情を緩めて、いつもの情けない顔で笑いだした。
「ははっ、そっくりですねぇ……」
ヒュッターは人差し指をクイクイと動かし、眼鏡の端を神経質そうに動かした。
声真似だけではない。仕草や表情もキッチリ作り込んだ、詐欺師渾身のモノマネである。
「『日々の弛まぬ努力だよ、君ぃ』」
今度は二人同時に吹き出した。




