【7】古代魔導具の闇
魔法戦の講評が終わったら、今日の授業は終了となり、残り半日は自由時間となる。
見習い魔術師達は、今日これから何をして過ごすかで盛り上がっていた。
皆でうちあげをしようぜ! と言い出したのはローズで、それにオリヴァーとエラが賛同した。
無口なゲラルトや、内気なフィンも珍しく乗り気で、人付き合いの悪いルキエも珍しく「まぁ、良いんじゃない」と小声で呟く。ゾフィーなんて「やるやるぅ」と大はしゃぎだ。
陰気なユリウスはいつも通りクツクツと笑っていて、指輪から「楽しみですね、坊ちゃん!」と炎霊アグニオールの声がした。
──そのやりとりを少し離れた所で眺めながら、ロスヴィータはトレードマークのとんがり帽子の縁を弄る。
ロスヴィータは、ゾフィーに話しかけるタイミングを見計らっていた。できれば二人きりで話したいことがあるのだ。
宿舎は部屋が違うから、内緒話には向かない。どこで話しかけたものかと考えていたら、エラが声をあげた。
「皆さん、私、医務室に行ったティアさん達に、うちあげのこと伝えてきますね」
今だ、とロスヴィータは咄嗟に名乗り出る。
「だったら、アタシが行くわ。エラはまとめ役なんだから、教室に残って、うちあげの段取り決めておく方がいいでしょ」
今はフォロー役のレンがいないから、この提案は自然なはずだ。
エラが「じゃあ、お願いします、ロスヴィータちゃん」と微笑む。
ロスヴィータは早足でゾフィーに近づき、その手を掴んだ。
「ゾフィーも来て」
「へ? アタシもぉ?」
「ほら、行くわよ!」
キョトンとしているゾフィーの手を引いて、ロスヴィータは教室を飛び出す。
ゾフィーは目に見えて困惑しているようだった。
ロスヴィータは古典魔術の名家出身、そしてゾフィーは呪術師の家系の人間。
別に生家が対立しているわけではなく、寧ろ似たような立場だ。
更に言うなら、二人は同じレーム教室の所属。決して不仲というわけではないが、普段ロスヴィータはエラと行動することが多いので、ゾフィーは何故、自分に声がかかったのか不思議なのだろう。
「どしたの、ロスヴィータ。あっ、これってもしかして……」
繋いだ手とロスヴィータの顔を交互に見ていたゾフィーは、ハッとした様子で呟く。
「きょ、今日の魔法戦で、アタシがちゃんとしてなかったから、お叱りされちゃう感じぃ?」
「違うわよ」
ロスヴィータは人の少ない廊下を選んで歩き、小声でゾフィーに話しかける。
「シュヴァルツェンベルク家は、〈楔の塔〉でお役目を果たすから……旧時代の知識、それなりにあるでしょ」
「そりゃ、まあ……でも古典の名家、オーレンドルフほどじゃないと思うよぉ?」
「古代魔導具」
ロスヴィータの一言に、ゾフィーの顔色が変わる。
魔法戦で早めに脱落したゾフィーは、〈嗤う泡沫エウリュディケ〉の暴走に巻き込まれていない。
だが、騒動が一段落して討伐室の人間と合流した時、ゾフィーはずっとヘレナのことを気にしていたのだ。
そしてロスヴィータは、古代魔導具〈嗤う泡沫エウリュディケ〉を間近で見て、一つの仮説を立てている。
「古代魔導具って人格が宿るでしょ」
「……そだねぇ」
「アタシはずっと、古代魔導具には精霊か魔物が封印されてるんじゃないか、って思ってたの」
精霊を契約石に宿したり、魔物を本に封印する技術があるのだから、魔導具に精霊や魔物を封印することだって、充分にありえる。
以前からロスヴィータはそう考えていたのだ。
「でも、なんか、古代魔導具に宿る意思って、精霊っぽくないし……魔物とも違う気がして。魔物にしては、人に寄り添いすぎてるというか……なんか、感覚で違うって思ったのよ」
ロスヴィータは古典魔術の名家オーレンドルフの人間であり、そのことを誇りに思っている。
同時に、古典魔術や古代魔導具といった旧時代の技術には、歴史の闇が付き纏うことも知っていた。
中には、人には言えないような、おぞましいやり方で魔術を継承してきた家だってある。
それは近代魔術師の前で、気軽に口にして良いことではない。
ロスヴィータは古典魔術師であることを誇りに思っているけれど、後ろめたく思うことだって、ないわけではないのだ。
だから、呪術の名家の人間であるゾフィーに話したかった。
「もしかして、古代魔導具に宿る意思って、あの時代の人間……」
呟きながら、ロスヴィータはゾフィーの顔をチラリと見る。
ゾフィーは顔を歪めて笑っていた。ヘラリと笑おうとして失敗したみたいな、そういう笑顔だ。
「……ロスヴィータは感性が鋭いよねぇ。古典魔術って感覚で使うものだし」
「昔、シュヴァルツェンベルク家は古代魔導具を所有してた、って噂に聞いたことがあるの」
「そうそう。当時の皇帝に取り入るために、献上しちゃったんだよぉ。結局、追放されちゃったんだけどさ〜」
古代魔導具は、物によっては国家間の勢力図を塗り替える兵器だ。
そんな代物を献上したのに、無下にされた呪術師一族、なんとも不憫である。
ロスヴィータがかける言葉に悩んでいると、ゾフィーがポツリと言う。
「罪人の魂、なんだって」
「それって、古代魔導具の……」
「罪人の魂を加工するの。魔物を本に封印するのと、ちょっと似てるかなぁ……どっちもまぁまぁ悲惨だけど、古代魔導具はやっぱり歴史の闇だよねぇ」
自由に動く体もなく、食事も睡眠もできず、人ではなく道具として使われる日々。
もし、自分がそうなったら、なんて考えただけでゾッとする。
二の腕を擦るロスヴィータに、ゾフィーが静かに呟いた。
「己の死すら自由にできないってさ、残酷だよねぇ」
ロスヴィータより年下の少女に、そんなことを言わせる、シュヴァルツェンベルク家の闇の深さを感じた。
ロスヴィータも実家で旧時代の暗部を教わってきたが、ゾフィーはきっとそれ以上なのだろう。
普通の女の子らしいことがしたい、とゾフィーはよく口にする。多分それは、ロスヴィータが思っている以上に重く切実で……叶えるのが難しい願いだ。
シュヴァルツェンベルク家はあまりにも、帝国の闇に染まりすぎている。
ロスヴィータはコクリと唾を飲み、慎重に訊ねた。
「古代魔導具にされた人間の記憶や人格って……やっぱ、欠損しちゃうの?」
「そりゃ、魂歪めて加工するんだもん。普通は正気でいられないよぉ。今まで人間やってたのに、急に道具扱いだよ? 自分の体、自由にできないんだよ? アタシだったら、惨めで、悲しくて、寂しくて、どうにかなっちゃう」
〈嗤う泡沫エウリュディケ〉は分かりやすく人格に問題を抱えていたが、他の古代魔導具もまた、偏屈だったりワガママだったりと、人格に問題を抱えていることが多いと聞いたことがある。
当然と言えば当然だ。それだけ長い時間、道具として酷使されてきたら、人間性なんて磨耗してしまう。
ただ、それでも、ロスヴィータは思うのだ。
「もし、旧時代の優れた魔術師が古代魔導具化されたとして……」
「うん〜?」
「記憶や知識が全て残っていたらどうなるか、って思ったのよ」
ロスヴィータの言葉に、ゾフィーが目を丸くする。
旧時代の魔術はその殆どが失われ、今はごく僅かに残った使い手達が細々と継承しているのが現状だ。
だが、失われた魔術の知識を持つ人間が、古代魔導具化されたとしたら?
それは、古代魔導具以上の脅威にならないだろうか?
この思いつきに、ロスヴィータは相反する二つの気持ちを抱いていた。
失われた魔術を再現するチャンスかもしれない、と逸る気持ち。
それはあまりに非人道的な考えだ、と己を叱る気持ちの二つだ。
「……もしもの話よ。忘れてちょうだい」
* * *
見習いと討伐室の魔法戦が終わった日の夜、三流詐欺師〈煙狐〉──偽カスパー・ヒュッターは、ちょいと良い酒の瓶を片手に、第三の塔〈水泡〉に向かっていた。
彼は情報収集も兼ねて、管理室のカペル老人とよく酒を飲んでいる。
カペルは〈楔の塔〉でも古株だし、酒を持っていけば色々な昔話を聞かせてくれるのだ。おかげで、情報収集が捗っている。
ついでに今日は、ティアが飛行用魔導具の件で世話になっている礼も兼ねていた。詐欺師には、こういう細やかな気配りが必要なのである。
(おっ、今日は他にも誰か来てるみたいだな)
管理室は第三の塔〈水泡〉の増築部分にあり、作業室内で飲む日もあれば、外にテーブルや椅子代わりの木箱を出して飲むこともある。
今日は風のない夜だからか、外に木箱を出して飲んでいるらしい。
木に吊るされたランタンの下には、三つの人影があった。
一人目は、ツルリとした頭頂部と白髪、無精髭でお馴染みのカペル老人。
二人目は、パサパサした茶髪にこけた頬の中年、守護室のオットーだ。オットーはここの常連みたいなもので、ヒュッターも何度か一緒に飲んでいる。
そして、三人目は腰に剣を下げた銀髪の男……。
(……おぉっと、なんか見覚えがぁ……?)
ヒュッターに気づいた銀髪の男が、グラス片手に振り向く。
鋭い目、通った鼻筋。年齢はオットーと同じぐらいだが、くたびれた雰囲気など微塵もない。若い頃はさぞモテたんだろうな、と思わせる精悍な顔立ち。
「邪魔している」
粗末な木箱に座り、一目で粗悪と分かる薄い葡萄酒を飲んでいるのは、この〈楔の塔〉の最高責任者、メビウス首座塔主その人であった。