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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
六章 楔の塔の秘密
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【5】あなたを盗んで、どこまでも

 それからティアは、魔女の手で処置を受けることになった。

 処置を受けた時のことは意識がボンヤリしていて、よく覚えていないけれど、普段滅多にやらない仰向けで寝る時間が長くて、なんだか落ち着かなかったことだけはやけに覚えている。

 後でカイに聞いたところによると、繁殖のために必要なものを全て取り除いて、擬似的な魔力器官を作り、他にもまぁ色々と人間のフリをするのに必要なものを体の中に詰め込んだらしい。

 仕上げにハルピュイアの特徴である翼と鉤爪はギュウギュウに畳んで、人の皮を被せたら、人の形の出来上がりだ。

 そうして魔女が作り上げた人の形に、カイが細々と手を加えた。

 具体的には、汚れた体を拭いたり、フワフワと毛量の多い髪の毛を短く整えたり、服を着せたりだ。

 こうしてハルピュイアのフォルルティアは、人の姿を手に入れたのだ。



 人の皮を得たティアは、カイの指導のもと、人間らしい振る舞いをする訓練をした。

 人の足を使った歩き方、手の使い方、服や靴の身につけ方、食事の仕方、読み書き、その他、人間の常識など。覚えるべきことは山ほどある。

 特に苦労したのが、手の指の使い方だ。人間はとても器用に手の指を使う。足の指や口を、細かな作業には使わないのだ。

 ティアが一番苦手なのは、紐を結ぶ練習である。十本の指をコチョコチョと動かして、紐に結び目を作ったり、複数の紐を束ねたり、靴紐を通してみたり。

 どうして人間は口を使わないのだろう。簡単なのに。とティアは不思議で仕方がなかった。

 ちなみにティアは短い紐なら、口の中に放り込んで、舌の動きだけで結び目が作れる。



 ある日、勉強の最中にティアはカイに訊ねた。


「ねぇ、カイ。カイは色んなことをいっぱい知っているけれど、魔術は知らないの?」


「あぁ、あれは、どうにも俺には向いていないらしい」


「ふぅん」


 カイか魔女のどちらかが飛行魔術を使えるのなら、わざわざ〈楔の塔〉に行かずとも良いと思ったのだが、そう簡単な話ではないらしい。

 特に魔女の扱う魔術は少し特殊で、使い手を選ぶのだという。

 やはり、飛行魔術を学ぶためには〈楔の塔〉に行くしかないのだ。


「ピロロロロ……わたしの羽根を戻すには、大きな代償がいるんだよね? えーっと、確か寿命が五〇年」


「それがどうしたんだい?」


「ピョッ、生き物の寿命に、それだけの価値なんてあるの?」


 素朴な疑問に、カイが微かに目を見張る。

 自分は、驚くようなことを言っただろうか? ティアにしてみれば、それはあまりにも当たり前の疑問なのだ。


「だって、五〇年の寿命で、不可能を可能にできたら……すごく簡単すぎるよね?」


 ティアは魔女の使う力がどういうものかよく分かっていないけれど、すごい力だということはなんとなく分かる。

 その奇跡を、たかだか寿命五〇年──ハルピュイア二、三匹分の命で賄えて良いのだろうか、と思うのだ。

 五〇年は、奇跡の代償にしては安すぎる。


「その考えは、とても魔物的だね。人は、一人の命にやたらと大袈裟な価値を見出すものだよ──特に自分やその近親者であるほどね」


「ふぅん」


 ティアとて、自分や仲間の命を無価値と思ってはいない。

 ただ、生き物の命に、奇跡を起こすだけの価値があるとは思えないのだ。

 たかが命を代償にして奇跡を起こせたら、それは色々とバランス悪い気がする。

 どうにも納得いかない顔をしているティアに、カイはどこかうっとりとした顔で呟く。


「命を糧に奇跡を起こす──そう、魔女様はすごいのさ。他に代わりなんてない特別なんだ。だから、人の側にも魔物の側にもいられない」


 ティアは二回目の「ふぅん」の代わりに、「ピロロ」と唇を震わせて声を発した。

 人の皮を被っている時は、ハルピュイアの時のように声を同時に三つ出せない。喉の作りが違うのだ。

 だからせめてハルピュイアの発声を忘れないように、発声練習をしておきたかった。

 自分は首折り渓谷のハルピュイアで、人間になりたいわけではないのだから。



 * * *



 魔女の屋敷は部屋が幾つかあって、その一つでティアは寝泊まりをする。

 基本的にティアに人間のことを教えたり、世話をしたりするのはカイで、魔女は滅多に姿を見かけない。

 たまに庭に出て木々や花を眺めているか、あのガラス球が沢山浮いた部屋で、積み上げた本の上に座ってぼぅっと窓の外を見ている。

 ある日、ガラス球の部屋で魔女を見かけたティアは、魔女を真似て本の山にちょこんと座り、歌を歌った。

 美しい魔女の姿を目にした時から、歌いたいと思っていた歌があるのだ。


「あなたがあまりに綺麗だから、空の色を教えたかったの。

 羽を膨らます春の風を、あなたにも感じてほしかった。

 窓の外、世界を見に行こう。

 薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、どこまでも。

 薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、いつまでも」


 ハルピュイアの体なら声を三つ重ねられるけれど、一つだけの声で歌う歌もティアは好きだ。

 重ならない音は、透き通った糸を震わすように細く綺麗に響いて、胸の奥に静かに沈む心地がする。

 ティアが気持ち良く歌っていると、本に座っていた魔女がゆっくりと片手を持ち上げて、指を動かす。天井に吊るされたガラス球の一つがフワリ、フワリと魔女の手元に下りてきた。

 魔女はガラス球を両手で支えるように持ち、唇を震わす。


「その歌は、歌詞が違うわ」


「ピヨッ、魔女様、元の歌を知ってるの? すごく古い歌なのに」


 魔女は返事の代わりに、顔をティアの方に向けた。

 黒いヴェールの向こう側から、静かな視線を感じる。


「ピロロロ……元々は恋の歌だったのを、いつかのハルピュイアが替え歌にしたんだって」


 貧しい男が恋焦がれた女に求婚するため、貴族の屋敷の庭から薔薇を一輪盗む。だが求婚は失敗に終わり、男は盗人として捕らわれ、身を滅ぼす──元々はそういう歌だ。

 それを、とあるハルピュイアが歌詞を変えて歌ったのだという。


「えっとね、ハルピュイアは歌を作ることはできないの。ゼロから何かを創り出す力が魔物には欠けているから。だから、替え歌が精一杯で……」


 ティアはこの替え歌の意味を考える。

 これは気紛れで作った替え歌とは違う、と感じた。

 この歌だけは、あまりにも丁寧にハルピュイアの中で歌い継がれてきたからだ。


「そのハルピュイアは、替え歌でもいいから、歌を残したかったんじゃないかな」


 初めて魔女を見た時、不思議と懐かしさに似た気持ちを覚えたのは、ティアがこの歌を知っていたからだ。

 真紅の薔薇のように美しい魔女──彼女に何かしてあげたい、と思った。

 だから色を差し出すのも嫌ではなかった。喜んでほしかった。


「歌いなさい」


 魔女が静かに命じたので、ティアは嬉しくなって、ハルピュイアに伝わるその替え歌を歌った。


 あなたがあまりに綺麗だから、空の色を教えたかったの。

 羽を膨らます春の風を、あなたにも感じてほしかった。

 窓の外、世界を見に行こう。

 薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、どこまでも。

 薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、いつまでも。


 ──あなたを盗んで、どこまでも。



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