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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
六章 楔の塔の秘密
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【4】奇跡の対価、魔女の報酬


 扉を開けた先、真っ先に目に飛び込んできたのは、天井から吊るされている色とりどりのガラス球だ。

 大きさは小石や握り拳ほどの物もあれば、人の頭ぐらいの大きさの物もある。

 どれも照明器具とは違うのだろう。窓から差し込む日の光を受けて、色とりどりの影を床に落としている。

 それ以外は、先ほどティアが目を覚ました部屋と似ていた。違うとすればベッドがないぐらいだろうか。

 左右の壁に並ぶ棚には沢山の瓶、棚に収まりきらない本は床に積み上げられている。

 そうして積み上がった本の山の一つに、一人の女が腰掛けていた。

 豊かな胸にくびれた腰──美しい肢体に黒いドレスを身につけ、頭から黒いレースのヴェールを被っている。

 ヴェールは彼女の顔の上半分を覆い隠していたが、それでもヴェールの隙間から見える白い肌と真紅の唇が鮮やかだ。

 本の山に腰掛けた女は俯き、どこかぼんやりしているように見えた。


「魔女様」


 カイが声をかけると、女はゆっくりと俯いていた顔を上げる。

 ヴェール越しの目元はよく見えないけれど、レースの向こう側で鮮やかな赤毛が揺れていた。

 その姿に、ティアの全身の血が沸々と湧き立つ。


(わぁ……っ)


 込み上げてきた感情を何と言えば良いのだろう。

 鮮烈な衝撃──それがもたらす歓喜、感動、そして不思議な懐かしさと愛しさ。

 ティアは口を半開きにして、フラフラと誘われるように部屋に入った。

 ヴェール越しに女がティアを見ている──その視線を感じて、胸がドキドキした。

 無言の女に、カイが話しかける。


「このハルピュイアに、人の姿を与えたいんだ」


「…………」


 魔女は何も言わない。

 それでもヴェール越しの目が、極彩色のハルピュイアをじっと見ている。

 気がつけば、ティアは自然と口を開いていた。


「わたし、フォルルティア。首折り渓谷のハルピュイア、フォルルティア」


 ティアはわざわざ誰かに名乗る習慣がない。

 同じ群れの仲間達は皆、名前を知っているし、群れの仲間以外に名前を教える理由がないからだ。だから、まだカイにも名乗っていない。

 あの子(フィーネ)には、命令されたから教えたけれど、あまり良い気分はしなかった。名前で呼ばれる度に、不快感で全身がザワザワしたのを覚えている。

 それなのに、この魔女には名前を教えようと思った。理由は自分でもよく分からないが、この魔女になら、名前を呼ばれても不快じゃないと、そう思ったのだ。


「魔女様は、わたしの羽根を治せる?」


「…………」


 魔女は何も言わない。ただ、真紅の唇が微かに動いた。

 耳の良いティアですら聞きとれない声を、カイが心得顔で代弁する。


「『代償は二つ。一つは奇跡の対価、一つは魔女の報酬』」


 魔女の唇が動く。

 カイが言葉を続ける。


「『奇跡の対価に寿命を五〇年捧げること。そして、報酬に色と魔力を差し出すこと』──それが羽根を完璧に治療する条件だ」


 ティアはぎゅぅっと顔をしかめて、喉を鳴らした。


「わたし、五〇年も寿命もってない……あれ? 色と魔力を差し出すって、なに?」


 魔力はともかく、色を差し出すというのがよく分からない。

 首を右に左にカクンカクンと振るティアに、カイが滑らかな口調で言う。


「それこそが、魔女様の力なのさ。他者から色を奪うと同時に、その者の魔力を得る。そして、その魔力を半永久的に保管し、必要に応じて行使することができるんだ」


 カイは部屋に吊るした無数のガラス球を見上げた。つられて見上げたティアは、ガラス球がただの色ガラスではないことに気づく。

 あれはガラス球に色がついているのではない。透明のガラス球の中に、色を閉じ込めているのだ。


「まぁ、大抵は髪や目、皮膚の色を貰うのだけど──君の場合はその極彩色だ。髪と羽を合わせれば、その極彩色は相当な価値になるだろう」


 ガラス球に閉じ込められた色は、液体のように揺蕩いながら、微妙に色味を変えていた。

 おそらくあれが奪った色であり、魔力なのだ。


「えっと、つまり、魔女様に色と魔力と、あと何かをあげれば、願いを叶えてもらえるの?」


「そういうことだ。その『あと何か』が、羽根の治療なら寿命五〇年」


「ヴヴゥー……」


 ティアは唇を曲げて唸る。

 どんなに色と魔力を差し出しても、羽根を治療してもらうことはできないらしい。


「……わたしを人の姿にするなら、『あと何か』はどれぐらい?」


 ティアが訊ねると、カイはクルリと体の向きを変える。

 それはティアと正面から向き合うためと言うより、部屋の奥にいる魔女に背を向けるための動きに見えた。

 己の表情を魔女に隠し、カイは口の端を持ち上げて笑う。

 嬉しそうに、楽しそうに、嘲笑うみたいに。


「『繁殖能力』──それが、人の皮を得る代償だ」


 なるほど、それなりに重い代償だ。

 だが、ティアには不思議だった。


「……羽根を治すより、人の姿にする方が難しいんじゃないの?」


「そうでもないさ。斬られた羽根を治すより、新しい皮を作って被せる方が、ずっと簡単だ。失われたものを取り戻すのは、とても難しいからね」


 ティアはそれなりに悩んだ。

 繁殖は大事だ。だけど、このままだと自分は飛べない。飛べないハルピュイアは巣に帰れない。あとはもう、緩やかに死んでいくしかないのだ。

 ティアの中で優先順位は明確だ。一番は空を飛ぶこと、歌うこと。そしてその次が子孫を残すこと。

 自分はもう子孫を残せなくなるけれど、空が飛べれば、歌を歌えれば、群れを守ることはできる。


「分かった。〈楔の塔〉で飛行魔術を勉強するために、人の皮が欲しい」


 ティアが宣言すると、魔女は片手を持ち上げた。その指先にプカリと透明な球体が浮かぶ。最初は小石ぐらいの大きさだったが、魔女が指をクルリと回すと球体は少しずつ大きくなっていく。

 やがて握り拳ぐらいの大きさになったところで、魔女は指の動きを止めた。

 透明な球体はプカリ、プカリとティアの顔ぐらいの高さに浮いている。

 カイが促すようにティアを見た。


「君がそれを受け取ったら、契約は成立だ。首折り渓谷のフォルルティア」


 ティアは迷うことなく進み出ると、球体に手を伸ばす。

 ピトリと触れた指先は、じんわりと温かい。それと同時に背中がムズムズした──何かが失われていく感覚に、頭の奥が痺れる。


「…………あ」


 ティアは小さく声を漏らした。指先で触れた球体の中に色が浮かんでいる。

 燃える炎の赤、夕焼け空のオレンジ、春の野を彩るピンク、生命力に満ちた夏の花の黄色、鉱石に似た煌めきを持つ緑、空より濃い群青、冬の空の水色──ティアの羽を構成していた極彩色は球体の中でクルクルと回りながら、溶け合うことなくその色を保っている。

 色が増えていく度に、球体は大きく膨らんでいった。

 やがてそれが人の頭ほどの大きさになったところで、魔女が人差し指をクイと曲げる。

 すると球体はティアの手元を離れて、魔女のもとへフワフワと飛んでいった。


「…………ペフゥ」


 ティアは虚脱感に膝をつく。

 首を捻ると、真っ白な羽が目に飛び込んできた。頬に触れた髪も、色が抜け落ちて白くなっている。

 色と同時に、相当量の魔力が奪われたらしい。全身が疲労感に包まれている。それでもティアは魔女から目をそらすのが惜しくて、顔を上げた。

 魔女の指がガラス球をつまみ上げる。

 ヴェールから覗く赤い唇が笑みを刻み、そして明確に声を発した。


「悪くなくてよ」


 カイの代弁ではない、甘く冷たく美しい声──それが、ティアが初めて聞いた魔女の声だった。

 ティアはペタンとその場に座り込み、魔女を見上げる。


「ねぇ、魔女様」


 ガラス球に収められた極彩色と、白く染まった髪と羽。

 それらを交互に見つめて、ティアは素朴な疑問を口にする。


「白って、無色じゃないよね? 魔女様は色を奪うけど、白はいらないの?」


 魔女の唇が微かに動く。

 美しい声が、歌うような節をつけて囁いた。


「白、白……白は嫌いよ」


「そうなんだ」


 言われてみれば、天井から吊るされたガラス球に白いものはない。

 白が好きではないのなら、極彩色は喜んでもらえるだろうか? 喜んでもらえたらいいな、と思った。

 魔女は極彩色のガラス球を撫で、ヴェールの奥の目でティアを見下ろす。


「それでも、お前の白翼は覚えておくわ、ハルピュイア」


 その言葉が妙に嬉しくて、ティアは「ペフフフフ」と喉を震わせて笑った。


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