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【3】自分の言葉で


〈楔の塔〉北東部、〈水晶領域〉手前の森で、ヘレナは仲間のフレデリク、リカルドと共に森を彷徨っていた。

 三人ともまだ十四、五歳。討伐室所属の魔術師だが、ほんの一年近く前までは見習いだった身だ。

 それ故、三人には先輩魔術師が二人ついていた──元々は五人で行動していたのだ。

 ところがつい先程、木に擬態した魔物に遭遇して、先輩達と逸れてしまった。

 逸れた先輩──ハイドンとダマーは実力者なので、心配はしていない。問題は自分達である。

 彷徨い歩いて、既に半日近く経つ。日が暮れかけているし、このままだと野宿は必至だ。

 それなりに高低差のある森を歩き続け、ヘレナはすっかり疲れきっていた。足がパンパンに膨らんでいる気がする。

 ヘレナがまだ「小さなヘレナ」で、施設で訓練を受けていた頃、一日立ち仕事をするなんて当たり前だった。それでも森の中を歩くのは、また違う疲れ方をする。


(……どうしてわたくしは、こんなところにいるのでしょう)


 聖女ヘレナに選ばれたのに、こんな辺境の地に追いやられ、魔物討伐という血生臭い仕事ばかりしている──と込み上げてきた不満を、ヘレナは胸の奥に押し込んだ。

 これは良くない考えだ。自分は頭のどこかで、聖女は大切に敬われるべきと無意識に思っている。

 聖女になれば幸せになれるなんて、なんと浅はかな考えだろう。自分が幸せになるために聖女になるのではない、誰かを幸せにするのが聖女なのだ。

 それなのに高慢なことばかり考えているから、神が自分に試練をお与えになったのだ。


「……そう、これは神が与えられた試練なのです」


 己に言い聞かせるように呟くヘレナに、フレデリクが白い目を向けた。


「ねぇ、ちょっとは会話をする努力して?」


 そういえば、先ほどからフレデリクとリカルドが何か話していた気がする。

 聖女ヘレナに選ばれてから、どうにも思考が内に向かいがちなヘレナは、ゆっくりと瞼を持ち上げ、フレデリクとリカルドを見た。

 いつもしまりのない顔でヘラヘラしているフレデリクが、今は苛立ちを隠していない。余裕がないのだ。


「休憩する? って訊いたんだけど…………やっぱり僕が飛行魔術で飛んで、人がいないか探そうか?」


 フレデリクの後半の呟きに、リカルドが反応した。


「やめた方がいいっすよ、近くにコウモリの魔物もいたんで、見つかったら一気に攻め込まれる」


 リカルドの言葉は正しい。

 飛行魔術は便利だが、飛び回れば敵にこちらの居場所を知らせてしまう。

 空を飛べる魔物に追い回されたら目立つので、味方に見つけてもらえるかもしれないが、それは結局、自分も味方も危険に晒す行為だ。

 彼らの師ローヴァインなら、「てめぇのケツはてめぇで拭け」と言うだろう。多分、ゲンコツ付きで。

 この三人の中でも、特にフレデリクはローヴァインに目をかけられていて、その分だけゲンコツを貰う数も多い。

 フレデリクはハァッとため息をつき、槍で肩を叩きながらぼやいた。


「レーム先輩が来てたら、良かったんだけど……」


 ヘレナ達と同じ討伐室に所属する先輩魔術師アンネリーゼ・レームは、〈百眼の魔女〉の異名を持つ才女だ。

 彼女は感知や索敵の魔術、更に術式解析に長けている。逸れた仲間を探すのもお手のものだろう。ただ、彼女は現在は別任務中である。

 同行した先輩はハイドンとダマー。

 ハイドンはお人好しなので、きっと自分達の心配をしているだろう。

 ダマーはひとでなしなので、きっと自分達を囮にしようとしているだろう。死ねばいいのに──あぁ、いけない。自分は聖女なのだから、こんな恐ろしいことを考えてはいけない。死ねばいいのにではなく、扉に指を挟んで悶絶すればいいのに、ぐらいにしておこう。


「ヘレナさんは、どう思うっすか?」


 リカルドに話を振られたので、ヘレナは淡々と返した。


「わたくし達はただ粛々と、魔物を討つのみです」


「その割には一度も使わないよね、その古代魔導具」


 フレデリクがボソリと呟く。

 ヘレナは己の首にかけた首飾り──〈嗤う泡沫エウリュディケ〉を指先で撫でた。

 かつて、暴漢を返り討ちにして以来、ヘレナは一度もこの古代魔導具を使用していない。


「……〈嗤う泡沫エウリュディケ〉の力を振るうということは、神の奇跡の行使。安易な使用を、神はお喜びにならないでしょう」


 フレデリクが冷めた目でヘレナを見た。


「それって、ミリアム首座塔主補佐の真似?」


「…………」


「戦力温存したまま死んだら、無駄死にでしょ」


 フレデリクがそう口にするのは、彼が魔物狩りの一族の人間故にだろう。

 フレデリクにしろ、リカルドにしろ、魔物を殺せるなら方法は問わないと考える傾向にある。

 使える力を何故使わない、と問う無知な民の言葉に腹を立ててはいけない。自分は聖女なのだ。

 それにしても腹立たしいのは、軽率にミリアムの名前を出したことである。

 首座塔主補佐のミリアムは、先代聖女ヘレナの代に聖女候補だった人物だ。

 だが、聖女選定で彼女は選ばれず、〈楔の塔〉に来てからはミリアムと名乗っているらしい。

 つまりミリアム首座塔主補佐は、聖女ヘレナになれなかった数多のヘレナの一人なのだ。

 当然に、ヘレナが聖女ヘレナを名乗るのに相応しいかどうか、厳しい目で見ているだろう。

 だからヘレナは、ミリアム首座塔主補佐の名前を聞くと、緊張する。


「…………」


「…………」


 無言のヘレナと苛立ちを隠さないフレデリクの間で、空気が張り詰める。

 そんな中、リカルドがその場にしゃがんで、足下に落ちていた葉っぱを二枚拾った。その葉っぱに敵の痕跡でもあったのだろうか?


「あの……」


 リカルドは二枚の葉っぱを、己の頭の上にかざした。

 そして真顔で一言。


「ウサギさん」


 空気が凍った。

 ヘレナは混乱した。多分、フレデリクもだ。

 それなのに、リカルドだけはいつもの真顔のまま、頭にかざしていた葉っぱを下ろし、半分に折り始める。


「すみません。猫さんの方が良かったすかね」


「え、なに……僕達、何を見せられたの……?」


「なんということでしょう……これは、精神に干渉する魔物の罠かもしれません」


 リカルドの常軌を逸した行動は、なんらかの魔物の干渉を受けていると考えるべきだ。

 ヘレナが索敵魔術の詠唱を始めると、リカルドが半分に折った葉っぱを頭にかざしながら言う。


「自分は場の空気を和ませようと……ちなみにこれは、耳の長さが半分だから猫さんで……」


「索敵魔術に反応あり。わたくしの左手後方、距離は二〇〇」


「そう。既に精神干渉が始まっているのなら、遠距離攻撃をしかけてくることも想定するべきだね」


「あの、自分は精神干渉を受けてるわけじゃ……」


 リカルドはもう駄目だ。正気を失っている。

 二人はリカルドの言葉には耳を貸さず、敵を迎撃する態勢に移った。

 フレデリクが低い声でヘレナに言う。


「リカルドは役立たずになったみたいだから、僕が言うけど」


 リカルドが「あの、自分は正気で……」とボソボソ言ったが、二人は黙殺した。

 フレデリクは槍を構えながら、横目でヘレナをチラリと見る。


「神様の言葉じゃなくて、自分の言葉で喋って」


 一瞬、目の前が真っ暗になったような気がした。

 この男は、何を言うのだろう。

 聖女ヘレナに。自分は聖女なのに。

 聖女だから良い子でいないと。聖女に私語なんて必要ない。己の務めを果たすことだけを考えていなければいけないのに……。


「不平不満を溜め込みすぎるのは、チームのためにならないんだよ。適度に発散して」


「チームのため……適度に……」


 聖女ヘレナになることだけを考え、個を抑圧された環境で育ち、そして聖女になると同時に居場所を失った。

 溜め込んだものが、体の奥から噴き出してくる。


 ──パチン、と頭の奥で音がする。


 その時、森の奥、木々の合間から枝が伸びてきた。

 植物の魔物は何種類かいるが、今回は木の魔物だ。再生能力が高く、切っても切っても枝を伸ばしてくる。

 火の魔術で燃やせば再生を遅らせることができるかもしれないが、ヘレナ達は全員得意属性が違った。ヘレナは水、フレデリクは風、リカルドは土だ。誰も火属性の魔術を使えない。


「適度に……そう、適度な発散はチームのため、チームへの貢献は魔物を滅する行いへの貢献、神も喜ばれるでしょう……」


 ──嘲笑が聞こえる。


 嗤っている。〈嗤う泡沫エウリュディケ〉が。

 あぁ、きっと、自分もリカルドのように精神に干渉される魔物の攻撃を受けているのだ。そうでなければ、こんなに愉快なはずがない。


「ふふ、あは……」


『キャハハハ!!』


〈楔の塔〉に来てから、一度も笑わなかったヘレナが笑った。

 白い繊手が頬を覆う。

 その指の下の笑顔は、口の端を持ち上げ、目を眇めて、眉根を寄せた──恍惚とした嘲笑だ。


「では、適度に発散しましょう……えぇ、これは決して八つ当たりなどという、極めて品性下劣な行いなどではありません。だってわたくしは聖女ヘレナなのだから」


『キャーッハッハッハッ!!』


「わたくしとっても悲しいの。怒ってなんていませんよ、悲しんでいるんです。だって、こんな森の奥でむさ苦しい男どもに囲まれて、あぁむさ苦しい配慮がないデリカシーがない品性がない、ないないないない、ないものだらけ………あぁ……」


 込み上げてきた最後の一言。

 それが、ずっとヘレナの中にあった自分勝手な本音。


「……わたくしが、可哀想」


 ヘレナは聖女だ。誰かに哀れまれることなんて、あってはならない。

 きっと世界でただ一人、ヘレナだけがヘレナを哀れむことができる。

 そうして自分を哀れんだら、何か一つ、枷が外れた気がした。


「今までずっと我慢させて、ごめんなさい、エウリュディケ……さぁ、存分に声をあげて……」


 ヘレナはその細い指先で、首飾りを撫でる。

 そうして、唇の両端をゆっくりと持ち上げた。


「わたくしの代わりに、世界を嘲笑え」


『シネシネシネシネ! キャーーーッハッハッハ! アハハハハハハハハ!!』


 プクリ、プクリとヘレナの周囲に泡が浮かび上がる。その一つ一つにヘレナはうっとりと命じた。


「爆ぜろ」


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