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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
五章 魔法戦
128/201

【22】神を知る


 暗く長い廊下を一人の女が歩いている。

 修道服を身につけた淡い金髪の女──〈楔の塔〉首座塔主補佐ミリアムだ。

 燭台の火に照らされる彼女の白い顔は彫像のように整い、そしてほとんど動かない。それでもたまにゆっくりと上下する睫毛が、生きた人間であることを示している。

 やがて彼女は突き当たりにある扉の前で足を止めた。

 厳重に鍵をかけ、封印を施されたその扉を、決められた手順で解除し、開く。

 白を基調とした壁紙、美しい調度品。

 そこは清楚と清潔を象徴するような部屋だった。そうあるように、彼女が整えた。

 このゆりかごでまどろむ神の子に、相応しいように。


「フィーネ」


 部屋の奥、小さなソファに座って本を読んでいた少女が顔を上げる。

 真っ直ぐな黒髪、白い肌、白いドレス。

 汚れを知らない神の子。この国の救世主──フィーネは小さな唇を綻ばせて微笑んだ。


「まぁ、ミリアム。まだ食事の時間ではないでしょう?」


「供物を捧げに来ました」


 ミリアムは手にした燭台をテーブルに置き、腕に下げていたバスケットを小さく掲げる。

 フィーネはあどけなく小首を傾げて、バスケットを見た。


「こういうのは、『お土産を持ってきた』で良いのではないかしら? わたし、本で読んだのよ。お土産。素敵な文化ね」


「神の子に捧げられるものは、麦の一粒も、ミルクの一滴も、献身も、全てが供物です」


 ミリアムはバスケットにかけていた布を取る。

 中には新しい本が数冊。それと、真新しい羽根ペンが一つ。

 それを目にしたフィーネは、ほぅっと感嘆の吐息をこぼした。


「綺麗……綺麗ね……あの子のフワフワな羽を思い出すわ」


 フィーネが言わんとしていることを、ミリアムは承知している。

 その上で、ミリアムは長いまつ毛を伏せ、祈るように手を組んで伝える。


「わたくしは、神の子に課せられた重荷がいかなるものかを知っている。故にこそ、わたくしにできうる最大限の献身を捧げたいと思っています」


「…………」


 幼い少女は無言で微笑んでいた。少女らしいあどけなさと、少女らしからぬ静謐さをもって。

 ミリアムは聖書を読み上げる時と同じ声音で、静かに言い聞かせるように告げる。


「いかなる命も、なにものにも代えることはできない。それは、魔物であっても変わりません。たとえ神の教えが、魔物を絶対悪とするものであっても」


「だからあの子は……わたしの可愛い小鳥さんは、帰ってこないと言いたいのね」


 フィーネの小鳥──極彩色のハルピュイアに代わる何かを用意することも考えた。

 だが、なにものも、他の命の代わりにはなれないのだ。

 それを理解しているから、フィーネも代わりを望むようなことはしない。ただ、真新しい羽根ペンを手元でフリフリして、心を慰めるだけで。


 かつて、フィーネが歌う小鳥を望んだ時、ミリアムは葛藤した。

 せめて、この部屋の魔力濃度が常人でも生きられるほどに低ければ、カナリアでも歌の上手い人間でも、いくらでも用意したのに。

 この部屋は魔力に耐性のある者しか生きられない部屋だから、ハルピュイアを選ぶしかなかった。


 ……それが、ミリアム達にとって最大の失敗だった。


 あのハルピュイアは、拘束を力技で破壊し、逃げ出したのだ。

 だが、風切り羽根を切られたハルピュイアは、首折り渓谷には戻れない。

 フィーネの鳥籠に戻ることを拒むなら、魔力濃度の低い土地を彷徨い歩き、のたれ死ぬしかないというのに。


「かの魔物は貴女に慈しまれ、慈悲の心と神の存在を知ったのです。そして、己が神の子に愛される価値のない絶対悪であると知り、自ら命を絶つべく貴女の前から去ったのでしょう」


 フィーネは微笑んでいた。ただ静かに、美しく。

 神の子に相応しい清らかさで。






(それは違うわ、ミリアム)


 フィーネの可愛い小鳥さんは、決して神の子の愛情を受け取らなかった。

 いつだって、フィーネを見る琥珀の目には憎悪が色濃く宿っていたのだ。

 ティアが愛したのは、自由な空と歌。ただそれだけだ。


(わたしがあの子に神を教えたんじゃない。あの子がわたしに、神を教えてくれたの。ミリアム達が崇める神ではない神を)


 ティアはフィーネを嫌っていたけれど、お願い(、、、)すれば歌を歌ってくれた。

 歌に貪欲なハルピュイアは、沢山の歌を知っている。

 だから、ティアの歌の中には、竜を神とする歌、精霊神を讃える歌、他にもフィーネの知らない神を讃える歌があったのだ。

 ラス・ベルシュ正教の教えしか与えられてこなかったフィーネは、ティアの歌を通して他の神の存在を知った。知ってしまった。

 それがどれだけ衝撃だったか、きっとティアは知らないだろう。


 フィーネはもう、ラス・ベルシュ正教以外の神の存在を知っている。

 そのことに、ミリアム達は気づいていない。彼女達はおぞましい魔物が、神様の歌を知っているなんて思いもしなかったのだろう。

 フィーネの中に生まれた歪みも、願望も──知っているのはただ一人。


(会いたいわ、ティア。わたしの可愛い小鳥さん)


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