【20】二大キレたらヤバい人対決の裏側で
ティアは人の姿に化ける際、魔力量測定で引っかからないよう、魔力器官に手を加えられている。具体的には擬似的な魔力器官を作ってもらっているのだ。
だから、表向きの魔力量は人間の平均程度だけれど、体の奥に魔物としての力を隠している。
それを〈嗤う泡沫エウリュディケ〉に嗅ぎつけられた──そんな気がした。
確信があるわけじゃない。ただ実際に、泡の幾つかがティアの方に飛んできている。
『キャハハハハ! キャーーーッハハハハハ!!』
けたたましい声で笑う古代魔導具の声に、フレデリクが顔をしかめてぼやいた。
「ヘレナめ……僕に気づいたか……」
どうやらフレデリクは、泡がこちらに向かっているのは、ヘレナがフレデリクに気づいたからだと思っているらしい。
フレデリクが早口で詠唱をした。威力自体は強くないが、低威力で広範囲に風を起こす魔術だ。それを泡が包んでパチンパチンと爆ぜていく。
高威力の魔術ほど、泡が爆ぜた時の破壊力が強くなる。だから、低威力かつ広範囲の魔術で泡をどんどん弾けさせているのだ。
流石同期なだけあって、対処に慣れている。
泡が幾つか減り、泡の向こう側に隠れていたヘレナの姿が見えた。ヘレナはまだ両手で顔を覆って啜り泣いている。
「悲しいです……悲しい……あぁ、怒ってなんかいませんよ? 本当ですよ? だってわたくしは聖女ですもの、怒りに任せて暴れるなんてそんな恐ろしいことをしてはいけないのだからわたくしは怒ってなんかいません悲しんでいるですってば……あぁ、悲しい……ところで、罪人フレデリク」
両手の隙間で、ヘレナの目がギョロリと動いてフレデリクを見る。
「貴方はわたくしに風を放ち、服を捲って、下着を見ましたね?」
「見てないし、どうでもいいよ」
「このわたくしを、衆目の晒し者にしましたね?」
「今この状況が最大の晒し者だよ」
「神はわたくしに仰せになりました。この破廉恥極まりない男を断罪せよと」
フレデリクが足止めしている間、ティアとレンはオリヴァーのもとを目指して走った。
先を走るレンは、ゲンナリした顔をしている。
「すげー不毛な戦いになってきたな……あの人達、同じチームって本当?」
「レン、はれんちって何?」
「後でセビルに教えてもらえ」
〈嗤う泡沫エウリュディケ〉の泡は、その一部がフレデリクに、そして幾つかがティアに飛んできている。
ヘレナが明確に、フレデリクを攻撃の的として認識したのだ。
ただ、ヘレナの制御下にない泡の幾つかが、ティアの魔力に反応して飛んできているから油断はできない。
フレデリクが詠唱をし、風を飛ばした。魔力を帯びた風を泡が包んで、パチンパチンとはぜていく。
「正直さ、討伐室の人間が魔法戦で攻撃受けたぐらいでキレる? いつもそれぐらいじゃ、ここまで暴走しないよね? って思ってたけど……あぁ、そういう理由で……へぇ……」
フレデリクは俯きボソボソと呟いていたが、やがてゆっくり顔を上げるとニッコリ微笑んだ。優しそうな笑顔だった。
「そうだね、僕は謝らなきゃいけないみたいだ……」
フレデリクはフゥッとため息をつき、己の胸に手を当てる。
「見習い達に、同期の見苦しい姿を見せてごめんね、って」
ヘレナの足元から、ブクブクと細かな泡が漂い始めた。
それに呼応するかのように、古代魔導具がけたたましい声で嗤う。
「あぁ、わたくし、悲しいです……この、悔い改めることを知らないクソゴミが同期だなんて……わたくしが可哀想」
『ギャハハハハハァッ!! シネシネシネシネ!!』
フレデリクはもう、いつもの穏やかな笑顔を放棄していた。
風を操り、泡を散らしながら、舌打ちまじりにぼやく。
「なんで僕が、ヘレナなんかの下着捲り疑惑で、八つ当たりされなきゃいけないんだろうね。あぁ、なんか腹立ってきたから……」
フレデリクが詠唱をして、飛行魔術を発動する。
ヘレナが〈嗤う泡沫エウリュディケ〉で大量の泡を生み出す。
本来味方同士である討伐室の精鋭二人は、緊迫した空気を漂わせて対峙した。
「ちょっと痛い目見て?」
「愚か者に神の鉄槌を」
ゴゥッと風が吹いて泡を襲う。泡がバチンバチンと爆ぜる。
見習い相手の魔法戦とは違う、凶悪な攻撃が飛び交う魔法戦が始まってしまった。
ティアはペタペタと走りながら、レンに小声で囁く。
「レン、あのね。あの泡、多分、わたしにも反応してる」
「……マジか」
察しの良いレンは、それだけでティアの言いたいことを察してくれたらしい。
古代魔導具〈嗤う泡沫エウリュディケ〉は、魔物であるティアに反応している。下手すると、ティアの正体がバレるかもしれない。
レンは少し考えるような顔をし、ティアの背中の跳躍用魔導具を見る。
「ティア、その跳躍用魔導具、絶対に手放すな。何か言われたら、あの泡は跳躍用魔導具に引き寄せられたんじゃないか、って言っとけ。見たところあの古代魔導具、ちゃんと意思疎通ができる感じじゃねぇし」
「あ、なるほど! レン賢い! 頭脳派美少年!」
「まぁな!」
二人はオリヴァーのもとに辿り着くと、さて、どう運ぶかと考える。
とりあえず頭側は、力持ちのティアが持ち上げた方が良いだろう。
ティアは気絶しているオリヴァーを仰向けにすると、頭側に回り、オリヴァーの脇の下に両腕を差し込んだ。
そうして「ふんっ!」と勢いをつけて上半身を持ち上げる。
「レンはオリヴァーさんの足持ってね」
「ちぇっ、美少年は肉体労働向きじゃないんだけどなぁ……オリヴァーさんにはたっぷり感謝してもらわねーと……よし、後で美少年讃歌を歌ってもらおう」
「歌うの? 楽しそう! わたしもやる!」
「じゃあ打ち上げは、ティアとオリヴァーさんの美少年讃歌な。よし、決定」
軽口を叩くレンの顔は強張っていて、顔中に汗が浮かんでいた。
直撃したらどんな目に遭うか分からない、古代魔導具の泡が飛び交う中、仲間を救助して安全な場所に運ぶ──それは、とても精神をすり減らす行為だ。
こういう時、レンが何故お喋りになるのか、なんとなくティアにも分かってきた。
恐怖で頭が麻痺して、思考が止まらないようにするためだ。
(わたしが元の姿に戻れたら、恐怖を麻痺させるお歌を歌ってあげられるのにな……でも、それだと泡に狙われちゃうかな。あの泡って、魔力を帯びた歌にも反応するのかな?)
せめて、レンの負担を軽くしてあげようと、オリヴァーを持ち上げる腕に力を込めたその時、ティアは見た。
レンの背後に泡が一つ漂っている。泡はきっとティアに向かって飛んできたのだろう──けれど、その直線上にレンがいる。
あの泡は、障害物を避けるという複雑な動きをしない。このままだとレンに当たる。
「ペヴッ……」
考えるより、体が動いた。
ティアはオリヴァーを支える手をパッと離す。オリヴァーの上半身がゴトリと地面に落ち、その重さに引き摺られてレンの体が傾いた。
「おい、ティアっ!?」
文句を言おうとしたレンに、ティアは覆い被さる。
そうして無意識に口を開いた。ハルピュイアの姿でそうしていたように、声に、歌に、魔力を乗せて……。
「──ルルァァァァア──ア──!」
* * *
遠視の魔術で様子を伺っていたダマーは、魔法戦用の結界を維持する杭に手をかけ、機を待ち続けていた。
ヘレナとフレデリクが、互いに泡を飛ばし、風を飛ばしの大暴れをしている。
その陰で、見習い二人がコソコソと何かをしていた。おそらく、気絶しているフレデリクの弟を回収しに来たのだ。
泡の一つが、見習い達の方に向かう。白髪娘が身を乗り出して、仲間を庇う。
ダマーは杭を握る手に力を込めた。
「今だ……!」
「駄目だよ。まだ、あの子に死なれるわけにはいかないんだ」
背後で、声がした。それと同時に甘い芳香が鼻をくすぐる。
花の蜜を煮詰めたような甘い匂いに酩酊感を覚えた時にはもう、ダマーは膝をついていた。
そのまま崩れ落ちるように倒れたダマーは、最後の力を振り絞って頭を捻る。
自分を見下ろしているのは、上質な服を着た金髪の青年だ。頭には花飾りのついた、つば広帽をかぶっている。
帽子のつばが邪魔をして表情は見えないが、至る所に包帯を巻いているのが辛うじて見えた。
だんだん意識が遠くなっていく。男が何か喋っているが、上手く聞き取れない。
ただ、朦朧とする意識の中で、ダマーは一つだけ気がついた。
(この匂いは…………薔薇、の……?)
顔に傷のある男が完全に意識を失ったことを確認し、帽子の男は膝をついて詠唱を始めた。
彼が詠唱しているのは、今の出来事を忘れさせるための魔術だ。
精神干渉魔術、それも古典魔術の。
現代の法律では、精神干渉魔術は禁忌扱いだった気がするが、気にする男ではない。
「本当は肥料にしてしまっても良かったけれど……君は生かしておいた方が面白い。あの子の獲物を横取りするのは良くないしね」
彼は小さく呟き、顔に傷のある男が首からかけている首飾りに目を留める。
魔物の牙で作られた首飾りだ。この人間は自己顕示欲が強いだけでなく、勝利の証を欲しがる性質らしい。
だが、それを掲げるなど愚かの極みだ。
あの狼は、この牙を見る度に怒りを煮えたぎらせ、残った牙を研いでいるというのに。
「それにしても、この顔の傷……ふふっ、滑稽だなぁ」
クツクツと笑っていた帽子の男は、笑いの余韻を残したまま、何かに気づいたような顔をする。
「あぁ、そうか。ティアに気づかれたから、殺そうとしたのか」
男は帽子を外すと、花飾りが上に来るように胸元に当てた。
そうして、花飾りの真紅の薔薇に囁くように呟く。
「ご覧よ、魔女様。罪を隠すために、罪を重ねる──とても滑稽で……人間的で面白いね?」




