【19】何かが見てる
古代魔導具〈嗤う泡沫エウリュディケ〉は魔力を帯びたものを泡で捕らえ、そして爆ぜる凶悪な兵器である。
フレデリクが言うには、泡は基本的に魔力量の多い物体に向かっていくが、ある程度はヘレナの意思で方向をコントロールできるらしい。
「ただ、あの状態のヘレナは半暴走状態だし、そこまで正確にこっちを狙ってくることはないと思う」
「あの泡って、効果範囲はそんなに広くないの?」
ティアの問いに、フレデリクは「うん」と頷く。
「それと、ヘレナの泡は移動速度が遅いから、走って遠くまで逃げれば、そこまで怖くないんだ」
あの泡は、複数の敵を迎撃するのに向いている能力であるらしい。
速度重視で斬り込み役のフレデリクとは対照的だ。
今、フレデリクはティアを小脇に抱えて、泡を迂回するように飛び、オリヴァーが倒れている場所を目指している。
厄介なのは、オリヴァーが倒れている場所がヘレナに近く、かつ比較的ひらけた場所であることだ。木などの障害物で泡を防ぐことができない。
やがて、木々の合間に先ほど戦った場所が見えてきた。
地面から木々を超える高さまで、フワリフワリと泡が浮いている──その合間に、倒れているオリヴァーが見えた。
「オリヴァーさん、泡でバァンってされてないね」
「魔力量減ってるのが幸いしたね……まぁ、いつ泡に触るか分からない状態だけど」
せめて、オリヴァーを泡が届かない位置まで移動させたい。
どうやって近づくかティアが考えていると、フレデリクが言った。
「ところで、ライバルさん」
「ピヨ?」
「君一人で、どうやってオリヴァーを運ぶつもりだったの?」
言われてみれば、とティアは口を菱形にして硬直した。
ティアは力持ちだし、入門試験の時は、レンとセビルの二人を担いで森を歩いている。
だが、オリヴァーはかなりの長身なのだ。特に手足が長い。
人の体に不慣れなティアに、上手くおんぶできるだろうか?
「ペヴヴヴヴヴヴ……手か足を持って、引きずる……?」
「わぁ、見たい。顔面下にして引きずっていいよ。魔法戦用結界内でも、そういう擦過傷は無効化されないから」
サラリと不穏な発言にティアが黙り込むと、フレデリクは困り顔で続けた。
「でも、それじゃあ君が大変だよね。僕がオリヴァーを担いで、飛行魔術で離脱するから、君は走って逃げてくれる?」
「じゃあわたし、囮するね。泡を引きつける係!」
「駄目。そういうのは後輩にやらせられない」
ティアは唇を曲げて、ヴヴヴと不満の声を漏らした。
それではティアがここに来た意味がないではないか。
「フレデリクさんが飛行魔術使ったら、泡がぐわ〜って来るよ。囮は必要だよ」
「ヘレナの泡は遅いから、飛行魔術で振り切って逃げられるよ」
「無理だよ。オリヴァーさんは大きくて重いから、担いだら速く飛べない」
ティアの言葉はきっと正しいのだろう。フレデリクが少し困ったような顔で黙り込む。
この人は嘘が苦手なのだ。
その場しのぎの嘘で、ティアを言いくるめるようなことをしないし、できないことやしたくないことは素直に認める。
「ペフッ、囮は必要だよ!」
「だったら、僕が囮をするから、君はオリヴァーを引きずって茂みに……」
言いかけて、フレデリクはハッと目を動かす。ティアもすぐに異変に気づいた。泡が、ティア達とは逆方向に飛んでいくのだ。
それと同時に、よく響く声がした。
「さぁ、わたくしはこちらだ! 追いかけてくるがいい!」
「こっちですよ! こっちですよ!」
あれは、セビルとアグニオールの声だ。
一度、指輪に戻ったアグニオールが再び姿を現し、セビルを乗せて走り回っているのだ。
アグニオールは力の強い精霊だから、泡もそちらに引き寄せられているのだろう。
「ティア!」
背後で声がした。こちらに駆け寄ってくるのは、レンだ。
フレデリクが少し険しい顔をする。
「先に逃げてって言ったのに……」
「だって、ティアとフレデリクさんだけで、どうやってオリヴァーさんを運ぶんだよ。オリヴァーさんデカイから、担いだらフレデリクさんが速く飛ぶのは難しいだろ」
まさについさっき、ティアに言われたばかりのことを指摘され、フレデリクが唇を曲げる。
レンはセビルの声が響く方に、チラリと目を向けた。
泡はもう、大半がそちらに流れている。
「アグニオールにセビルが乗っかって、ギリギリまで泡をひきつけて逃げ回ってる。他の連中は、リカルドさんが逃してるから大丈夫だ」
安全性をとるのなら、アグニオール単体で走らせても良いかもしれないが、それだとアグニオールが出鱈目に走り回って、味方の方に向かってしまう可能性がある。
だから、御者役をセビルが買って出たのだ。
「でもって、魔力量少なくて狙われにくいオレは伝言役。『わたくしは南に走り、迂回して西の出口を目指す。お前達は北から行け』──以上」
「ピヨッ。レンもセビルも、賢い!」
「頭脳派美少年だからな! つーわけで、もうちょい泡が向こうに流れたら、オリヴァーさん回収しに行こうぜ」
ティアとレンのやりとりに、フレデリクが苦い顔で呟いた。
「……ごめんね、賢くなくて」
「大丈夫! わたしもあんまり賢くない!」
ティアはペフンと胸を張る。
フレデリクは泡の流れを横目で追い、少しだけ眉根を寄せた。
「この魔法戦、試されたのは僕達かも」
ティアとレンは、顔を見合わせた。
この魔法戦は、フレデリクとオリヴァーの諍いから始まったものだが、見習いの訓練のためにと提案したのはヘーゲリヒだ。
見習いを試すためのもの、と考えるのが妥当だろう。
だがフレデリクは、試されたのは自分達の方だと言う。
「僕も、ヘレナも、リカルドも、頭を使うのあんまり得意じゃないんだ」
三人とも個々の戦闘能力が高いから、今まではそれでなんとかなっていたらしい。
魔物の中には狡猾なものもいる。だが、その手の魔物は持ち前の狡猾さを、いかに人間を苦しめるかに用いることが多く、策を弄する者は少ない。
狼の魔物のように、群れで役割分担して戦う種もいるが、高度な戦略を用いるほどではないのだ。
個々の力が強いからこそ、魔物は策略を必要としない。
「君達は、作戦を練って、道具を用意して……あと、事前に情報操作もした?」
「てへっ」
レンがペロリと舌を出す。
情報操作云々は、ティアとエラが筆記魔術に魔力を込められない──と噂を流し、それを逆手に取ったことを言っているのだろう。
「僕達討伐室は、魔物と戦ってばかりだから……作戦を用意した相手と戦うことに不慣れなんだって実感させられたよ」
相手の作戦を警戒するか否かは、勝敗を大きく分ける。
もし、討伐室側が見習い達の作戦を警戒して対策をしていたら、勝敗は変わっていたかもしれない。
フレデリクはため息混じりに続けた。
「だから上層部は、リカルドとヘレナを魔法戦に参加させたんだろうね。見習いから何かしら学んでこいって意図だったんだと思う……反省会で三人全員絞られるな、これ」
フレデリクの気持ちが、ティアにはよく分かる。
ハルピュイアは複雑な作戦を立てない。大抵の相手は歌で無力化させられるし、ピンチになったら飛んで逃げれば良いからだ。
今回の魔法戦で、ティアは作戦を実行する側になった。
自分が作戦の一部に組み込まれるのは不思議な感覚で、困惑したけれど、嫌ではなかった。
(道具を使うのも、作戦を立てるのも、人間がするものだって、思ってた)
最初は抵抗のあった飛行用魔導具だけど、作ってくれた人の優しさを考えるようになったら抵抗がなくなった。エラのおかげだ。
作戦なんて気にしたことなかったけれど、レンの頭脳派美少年っぷりを見ている内に、作戦は大事なのだと思えるようになった。
そのうち道具も作戦も、「嫌じゃない」から、「絶対失敗したくない、成功したい」という気持ちに変わった。
ティアが己の胸に芽生えた感情を噛み締めていると、フレデリクが槍を握り直して呟く。
「そろそろかな。まだ、ヘレナの周囲に泡が残ってるけど、刺激しなければ大丈夫そう」
三人は頷き合うと茂みを出て、慎重な足取りでオリヴァーのもとへ向かう。
ヘレナはちょうどこちらに背を向けるかたちで、立ち尽くしたまま項垂れ、両手で顔を覆っていた。微かに「悲しいです、悲しいです」と声が聞こえるから、意識はあるのだろう。
ただ、その声を上書きするように、ヘレナの首飾りが嗤い声をあげている。
『キャハハハハ! キャーッハハハハ!』
ティアが生まれるより前──遥か昔、ハルピュイアの群れは〈星紡ぎのミラ〉という古代魔導具に撃ち落とされ、数を半分以下に減らしたという。
今目の前にある〈嗤う泡沫エウリュディケ〉もまた魔物討伐の適性が高いから、最初からそういう目的で作られたのだろう。
(なんだろ……なんか、うなじがチリチリする)
オリヴァーのもとを目指しながら、ティアはヘレナの方を見る──その時、何かと目が合った気がした。
ヘレナは俯いているし、レンとフレデリクはティアの前を走っている。
それなのに、何かが自分を見ているという感覚が拭えない。
『キャーハハハハ! ハゼロ! ハゼロ!』
その時、ヘレナの周囲を漂っていた泡の幾つかが、突然こちらに向かってきた。
冷たい汗がティアの背中を濡らす。ティアは気づいてしまった。
ティアと目が合ったのは、あの古代魔導具〈嗤う泡沫エウリュディケ〉だ。
(あの泡が狙ってるのは……魔物の、わたしだ)




