【11】私生活が終わってる男
フィン、ゾフィー、ローズの三人が脱落した。
上空を飛び回りながら地上の様子を見ていたティアは、歯痒さにペフヴヴヴと唸る。
できることなら地上に降りて力になりたいが、おんぶ紐を外している間に攻撃されて、何もできずに脱落するのが目に見えている。
地上戦におけるティアとオリヴァーの役目は、上空から地上の様子を観察し、適宜レン達に状況を伝えることだ。
地上戦ではロスヴィータが攻撃の要になり、索敵ができなくなるので、その役目をティア達が担うのである。
だが、ヘレナとリカルドに追いつかれてしまった今、いよいよティア達にできることはない。
「ティア、飛行用魔導具の持続時間はあとどれほどだ」
「さっきの急旋回に、結構魔力使っちゃった。あと、えーと……十分ぐらいだと思う」
飛行魔術はまだ、長時間の運用に耐えられるものではない。
そしてなにより、高く飛び上がる瞬間に魔力を大量消費するのだ。
「ローズさんが落とされたの、すごくまずいよ。防御結界がなくなっちゃった」
「同感だ。次に狙われるのはおそらく、ユリウスかロスヴィータだろう」
攻撃魔術の威力が高いのはユリウスとロスヴィータの二人だ。
そしてこの二人は、そこまで身体能力が高くない──厳密にはユリウスの身体能力が低い。ロスヴィータは割と身軽に動ける方だが、それでもセビルやゲラルトほどじゃない。
「オリヴァーさん。わたし、応援以外に何かできないかな?」
「兄者を空に誘導するのはどうだ。地上組が態勢を立て直す時間を稼ぐのだ」
「ピヨップ! 分かった!」
フレデリクを空に誘導──つまり、こっちに意識を向けさせるよう挑発すればいいのだ。
ティアは息を吸い込み、ピロピロ鳴いた。
「ピロピロピロピロピロピロピロ!」
「うぉぉぉぉぉ、兄者ぁぁぁぁぁ! 俺はここだぞぉぉぉぉぉ!」
フレデリクは見向きもしなかった。
地上で槍を振るってユリウス、ロスヴィータを狙い、それをゲラルトとセビルが二人がかりで食い止めている。
「ピロピロピロピロピロピロピロ!」
「兄者ぁぁぁぁぁあ!! 俺だぁぁぁぁぁぁ!」
やはり、フレデリクは見向きもしなかった。
生き残った筆記隊──レン、エラ、ルキエが筆記魔術の筒でフレデリクを狙うが、フレデリクが速すぎて攻撃に対応できていない。
ユリウスは、セビル、ゲラルトへの誤射の危険性があるので動きが取れない。
ロスヴィータの水の魚は、かなり小回りが利くので、近接組の援護をしている。
「ピロピロピロピロピロピロピロ!」
「兄者ぁぁぁ! 食事はちゃんととっているかぁー! 一日三食バランス良くだぞ、兄者ぁぁぁぁ!」
オリヴァーのずれた呼びかけに、地上のリカルドが「あんまり食べてないですね」と呟く。
その呟きは、オリヴァーには聞こえていないだろう。
それでも、耳の良いティアはしっかりと聞いていた。
「あのね。『あんまり食べてないですね』ってリカルドさんが」
「うぉぉぉぉ、兄者ぁぁぁぁ! 睡眠は充分にとっているかぁぁぁぁ! 一日六時間は睡眠時間を確保! なるべくベッドに入って寝るんだぞ兄者ぁぁぁ!」
「ピヨ……リカルドさんが『そのへんで行き倒れてますよね』って」
「兄者ぁぁぁ! 安眠にはラベンダーのポプリが良いぞ、兄者ぁぁぁ!!」
* * *
上空で叫ぶ二人を見上げ、レンは思った。
きっとオリヴァーはフレデリクを空中にひきつけ、地上組が立て直す時間を作ろうとしているのだろう。
やりたいことは分かる。分かるのだが……。
(すげーうるせぇな、あれ……)
見上げた空ではオリヴァーが、まだ叫んでいる。
「兄者ぁぁぁぁ!! 規則正しい生活と、身の回りの整理整頓は大事だぞ、兄者ぁぁぁぁ!」
もはや戦闘にはほぼ参加せず、観戦しているだけのリカルドとヘレナが交互に言った。
「フレデリクさん、使った物、その辺に放置するから……」
「ゴミがゴミを量産しているという事実、あぁ、なんと悲しいのでしょう」
「片付けなかった物はベッドに投げ込む、ってルールにしたら、フレデリクさんのベッド、私物で埋もれちゃったんすよね……」
「自然の摂理に逆らう行いです……もはや罪です……悔い改めなさい」
うわぁ、とレンは半笑いになった。
弟のオリヴァーは丁寧な暮らしを心がけている男だが、兄はその逆らしい。
オリヴァーが丁寧な暮らしにこだわる理由を垣間見た気がする。
(そういえばフレデリクさんって、いつだったかも外で行き倒れてたっけ)
弟と同期から言われ放題フレデリクは、ゲラルトとセビルから少し距離をあけて、ヘレナとリカルドを睨んだ。
「……ねぇ。なんで僕、仲間からも精神攻撃を受けてるの?」
静かに怒りを募らせるフレデリクの頭上で、オリヴァーの声が響く。
「兄者ぁぁぁ! 偏食は良くないぞ兄者ぁぁぁ! 肉と魚も残さず食べているか兄者ぁー!」
フレデリクは項垂れ、ゆっくりと息を吐いた。
軽く背中を丸めた脱力。一見隙に見えるが、セビルもゲラルトも動かない。寧ろ、二人の顔は恐ろしいものを目にしたように、こわばっている。
「…………ちょっと、アレ黙らせてくる」
フレデリクが顔を上げた。
いつも笑みの形に細められている目が、今は明確な殺意でギラギラと輝いている。
その目は光を取り込むと、血に濡れたように赤く見えた。
ゴゥゴゥと強い風がフレデリクの周囲に巻き起こり、薄茶の髪をなびかせる。
そうして髪の毛が逆立つと、とてもオリヴァーにそっくりだ──口に出したら自分が狙われそうだから、絶対に言わないが。
「ヘレナ。白髪の子が落ちたら、受け止めてあげて。オリヴァーは放置でいい」
そう言い残して、フレデリクが飛行魔術を発動し、空高く飛び上がった。
これは態勢を立て直すチャンスだ。
それは分かっているが、なんとも複雑な心境である。
兄者ー、兄者ー、と叫んでいるオリヴァーを見上げ、レンはボソリと呟く。
「ちくしょう……あれに助けられたってのが、なんか素直に喜べない」
既に地上組はセビルが指示を出し、態勢を立て直している。
筆記隊はレン、エラ、ルキエ。
遠距離攻撃がユリウス。
中距離攻撃はロスヴィータ。
この五人を、近接戦闘のできるセビルとゲラルトが左右で挟む形で守りながら、移動するのだ。
歩き出したレン達に、リカルドが不思議そうに声をかける。
「あの、自分達は攻撃できないんで、皆さんにただついていくだけになるんですが……今から移動する必要あるんすか?」
最初、見習い達が移動を繰り返していたのは、フレデリクをリカルド、ヘレナと引き離すためだ。
既に合流してしまった今、地上組がどれだけ急いでも、リカルドとヘレナをまくことはできないだろう。
それでも、この移動には意味があるのだ。
「内緒」
レンは美少年ウィンク付きでそう返し、周囲の地形を確認しながら移動を始めた。
* * *
「おーい、フィン。大丈夫かい?」
ローズに声をかけられ、地面に倒れていたフィンはゆっくりと起き上がる。
全身に、今までに感じたことのない倦怠感があった。これが、魔法戦でダメージを受けるということらしい。
こちらに歩み寄ってくるローズは、ゾフィーを背負っていた。ゾフィーは意識こそあるが、グスグスと鼻をすすって泣いている。
「痛かったよぅ、怖かったよぅ……」
「うんうん、頑張ったなー」
ローズは子どもをあやすみたいな相槌をうち、フィンを見た。
「本当はみんなを応援したいんだけどさ、脱落組はスタート地点に戻らなきゃいけないらしいから。一緒に行こうぜ。自分の足で歩けるかい?」
「うん」
足の裏がツキツキと痛むけれど、大丈夫だ。もう慣れた。
フィンは足を引きずり、ローズの横を歩きながら呟く。
「ごめんなさい……オイラ……」
言いかけた言葉が喉に詰まる。
フィンは俯き、拳を握った。
兄弟達と同じ仕事をさせてもらえなかった日を思い出す。
フィンは兄弟で一番小さくて、弱くて、役立たずだった。それは、この見習い魔術師達の中にいても変わらない。
「オイラにも何かできるかもって、張り切ってたけど……全然、何もできなかったや」
「そんなことないよぉ」
反論を口にしたのは意外にも、ローズに背負われたゾフィーだった。
「フレデリクさんが逃げていいよって言った時、アタシ、ちょっとだけ迷ったんだよ? でも、フィンが必死で戦ってたからさ、『アタシも逃げるもんか!』って踏みとどまれたもん」
ゾフィーはローズの肩に顔をグリグリ埋めながら、ポツリと付け足す。
「ロスヴィータが言ってた。フィンは臆病者じゃないって。本当だね」
「フィン、カッコ良かったぜ」
ゾフィーとローズの言葉に、フィンは口元を手で押さえ、はにかみ笑った。




