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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
五章 魔法戦
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【8】いつだって、嫌いばかり目について

 ゲラルトは物心ついた頃から、戦うことを強要される環境にあった。

 強くなければ、戦えなければ糧を得られない、生き残れない。そういう環境だ。

 それでも彼は戦いが苦手だった。

 だって、痛い思いも怖い思いもしたくない。そんなの誰だって好き好んでやりたくないに決まっている。

 そう泣き言を口にする度に、叱咤された。

 軟弱者め、弱虫め、お前に誇りはないのか、と。


(ないよ。そんなものない。いらない)


 誇りを捨てることで穏やかに暮らせるのなら、戦わずに済むのなら……そう考えて、ゲラルトは逃げたのだ。

 狼は群れで狩りをする。

 狩りをしない者に価値はない。


(……僕は、一族の裏切り者だ)


 そうして家族を裏切って、逃げるように〈楔の塔〉に来たのに、やりたいことも見つけられず、日々ぼんやり生きている。

 職人になりたいルキエ、空を飛びたいティア──やりたいことがハッキリしている者を見ると、ゲラルトは酷く惨めな気持ちになる。

 ……そういう気持ちになる、自分が嫌になる。



 * * *



 魔法戦が決まって数日が経ったある日、ゲラルトが宿舎の自室に戻ると、部屋は紙で散らかっていた。

 部屋の奥の書物机では、レンが黙々と手を動かしている。

 美少年を自称し、いつも愛想良く笑っている横顔は真剣だった。


「レン、これは……」


 戸惑いがちにゲラルトが声をかけると、レンはパッと顔を上げてゲラルトを見た。


「あ、わり! ちょっと夢中になっててさ。今片付けるから、そこ踏まないでもらっていいか? えーっと、こっちはまだ乾いてなくて……あ、こっちは捨てていいやつ」


 レンが床に広げた紙をテキパキと回収していく。

 紙に書いてあるのは魔術式だ。


「これって、この間の魔力放出の授業で使ったもの……ですか?」


「その応用の筆記魔術ってやつ。オレに向いてるんじゃないかって、思ってさ。これが結構面白いんだ。魔術式を書いたあと、切ったり曲げたりしたらどうなるか調べるのが楽しくて……」


 その一言を聞いた時、恥ずかしいことに……本当に恥ずかしいことに、ゲラルトは羨ましくなった。

 あぁ、レンもやりたいことを見つけたのだ、と。

 何かを見つける努力もせず、逃げるみたいに俯いて、ただいたずらに時間を浪費している自分には、レンを羨む資格なんてないというのに。

 惨めな気持ちを押し殺し、ゲラルトはポツリと言った。


「……そう、ですね。レンに向いていると思います。筆記魔術」


「まぁ、向いてるかどうか決められるほど、やり込んでないけどさ」


 レンはやり込んでいないと言うが、部屋にある紙の枚数は、気紛れに練習したという枚数ではなかった。

 練習に使っている紙は書き損じ等の裏紙で、そこに何回も線を引いた後がある。正確な魔術式を書くために、繰り返し練習したのだろう。


「そもそも、オレ、筆記魔術一本でやってくって決めたわけじゃねーし」


「……え」


「財務室のオッサンが売り子やらないか、って言ってたじゃん。あれ、興味あんだよね。売り子って客の顔が見えるから、魔導具を欲しがるのがどんな人間か分かるし。どんな魔導具が需要あんのかとかも知りたいし」


「…………」


「あとさ、オレの担当指導員のヒュッター先生、魔術師組合から来た人じゃん? 魔術師組合がどんな感じの組織なのかも知りたいんだよな。でも、ヒュッター先生っていつも、のらりくらりとかわしてさー。多分、魔術師組合って秘密主義の組織なんだな」


「…………」


「それと、カードゲームしながら、ローズさんにリディル王国語教わってんだよね。リディル王国には商売の大天才、運送王ウェズリー・アンダーソンって人がいてさ、一度会ってみたいんだよなー。その人に弟子入りするのも有りかも」


 ペラペラと捲し立てられる、レンの「やりたいこと」に、ゲラルトは唖然とした。

 ゲラルトはやりたいことを見つけられないまま、漠然と焦燥だけを抱えていたのに、レンはこんなにも色々と考えていたのだ。

 ゲラルトの沈黙を、レンは呆れと受け取ったらしい。

 レンは気まずそうにゲラルトを見た。


「悪かったな、一本に絞れてない節操なしで」


「あ、いえ……」


 決してレンを非難したいわけではないのだ。

 こういう時、自分の口下手が嫌になる。

 結局、うまい誤魔化し方が思いつかず、ゲラルトは思ったことを素直に口にした。


「……やりたいことが沢山あって、羨ましい、です」


 羨ましい。

 その本音を口にしたら、ゲラルトの中で何かが決壊した。

 ゲラルトは俯き、長い前髪の下でクシャリと顔を歪める。


「僕は、やりたくないことは沢山あるのに……やりたいことが、思いつかない」


 嫌いなことや、不満ばかり目について、他人を妬んでばかりいる。

 そんな自分が嫌なのに、どう変われば良いか分からない。

 項垂れるゲラルトに、レンが言う。


「ふーん、たとえば? ゲラルトって嫌いなものあんの?」


 まるで食べ物の好き嫌いを訊くみたいな、雑談じみた口調だ。

 だからゲラルトも、あまり気負わず答えることができた。


「……痛いこと、嫌いです」


「オレも」


「……戦いなんて、したくない」


「そりゃそーだ」


「……男は強くなければいけない、って言われるのが嫌で」


「世の中にはセビルみたいな奴もいるだろ。『わたくしは強いのだ!』ってさ」


 セビルの声真似は、やけに達者だった。

 レンはペンをペン立てに戻し、パタパタと片手を振る。


「男だろーが女だろーが、『強いの担当』は、やりたがってる奴にやらせときゃいいじゃん」


 レンの口調は軽薄で、それでも適当な発言だとは思わなかった。

 その軽薄さはきっと、ゲラルトを気遣ってのものだ。レンはゲラルトより年下だけど、相手を気遣える人間だ。


「僕は、家族を裏切ってここにいます。だから……」


 ゲラルトは自分の椅子に座り、ゆっくりと息を吐いた。

 自分の気持ちに向き合うほど、自分のことが嫌いになる。


「あぁ、そうだ……僕は、言い訳を探してるんだ。『これを極めるために、僕は〈楔の塔〉にいる。だから、家族の期待には応えられない』って……」


「なんでお前、そんなに自分に厳しいの? そういうの、気づかない振りしときゃいいじゃん」


「……己の弱さから目を背けるなと、教わっています」


「真面目だなぁ……」


 レンは「うへぇ」と呟き舌を出す。


「オレ達、若者なんだぜ。『この道を極める!』なんて今すぐ決めなくていいじゃん。決めてから変更すんのだって、全然有りだろ」


 それは、ゲラルトにとってちょっとした衝撃だった。

 生まれた時から、そうあるべきと全て決まっていたから。

 道を決めてから変更するなんて、許されるのだろうか?

 戸惑うゲラルトに、レンがビシリと指を突きつける。


「ひとまずさぁ、一番やりたくないことだけ、ハッキリしとこうぜ。オレは家に帰るのだけは絶対ヤダ」


「……僕も、です。家に帰りたくない」


 同じじゃん。と言ってレンが笑った。

 ニヒッという、あまりお行儀の良くない笑い方だ。


「そんじゃ、家に帰らなくていいように、〈楔の塔〉での足場固め! そのために、魔法戦……勝とうぜ」


 ゲラルトはまだ、家族を裏切ったことに対する、折り合いがついていない。

 いつだって、家族を裏切った事実が胸に引っかかって、ゲラルトの足を鈍くする。

 興味の対象に伸ばしかけた手が重くなって、ダラリと垂れる。

 そんなゲラルトに、レンは言った。


「やりたいもん見つかるまではさ、やりたくないことから逃げるために全力を出す、でもいいじゃん」


 後ろ向きなんだか、前向きなんだか、分からない発言だ。

 だけど、フワフワしていた足場が、不思議と定まったような気がした。



 * * *



 やりたくないことから逃げるため、今自分にできる全力を。


(今の僕にできるのは……魔法戦勝利への貢献)


 フレデリクの放った強風で、見習い達の態勢はガタガタに崩れている。

 そんな中、フレデリクが狙いを定めたのがユリウスだ。

 ユリウスを落とされたら、見習い達の勝算は著しく落ちる。


(痛いのも怖いのも嫌いだ。武器を持った人の前に立つなんて、やりたくない……でも)


 ゲラルトは画板を手に駆ける。足の速さには自信がある。


(やりたくないことから逃げるために……今は、全力を尽くす)


 画板は四隅に金具が嵌め込まれている。一見すると画板の補強用に見えるそれは、模様を彫り、金属塗料を流し込んだ魔導具だ。

 ゲラルトが魔力を込めると、画板の縁が淡く輝き、画板全体に広がっていく。

 魔力を帯びた板は、れっきとした武器だ。白兵戦でも泥試合になれば、盾で敵を殴ることもある。


「うぉぉぉぉぉおおお!」


 ゲラルトは盾でフレデリクの槍を跳ね上げ、そのまま体を捻って、盾の側面をフレデリクの体に叩き込んだ。

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