【8】いつだって、嫌いばかり目について
ゲラルトは物心ついた頃から、戦うことを強要される環境にあった。
強くなければ、戦えなければ糧を得られない、生き残れない。そういう環境だ。
それでも彼は戦いが苦手だった。
だって、痛い思いも怖い思いもしたくない。そんなの誰だって好き好んでやりたくないに決まっている。
そう泣き言を口にする度に、叱咤された。
軟弱者め、弱虫め、お前に誇りはないのか、と。
(ないよ。そんなものない。いらない)
誇りを捨てることで穏やかに暮らせるのなら、戦わずに済むのなら……そう考えて、ゲラルトは逃げたのだ。
狼は群れで狩りをする。
狩りをしない者に価値はない。
(……僕は、一族の裏切り者だ)
そうして家族を裏切って、逃げるように〈楔の塔〉に来たのに、やりたいことも見つけられず、日々ぼんやり生きている。
職人になりたいルキエ、空を飛びたいティア──やりたいことがハッキリしている者を見ると、ゲラルトは酷く惨めな気持ちになる。
……そういう気持ちになる、自分が嫌になる。
* * *
魔法戦が決まって数日が経ったある日、ゲラルトが宿舎の自室に戻ると、部屋は紙で散らかっていた。
部屋の奥の書物机では、レンが黙々と手を動かしている。
美少年を自称し、いつも愛想良く笑っている横顔は真剣だった。
「レン、これは……」
戸惑いがちにゲラルトが声をかけると、レンはパッと顔を上げてゲラルトを見た。
「あ、わり! ちょっと夢中になっててさ。今片付けるから、そこ踏まないでもらっていいか? えーっと、こっちはまだ乾いてなくて……あ、こっちは捨てていいやつ」
レンが床に広げた紙をテキパキと回収していく。
紙に書いてあるのは魔術式だ。
「これって、この間の魔力放出の授業で使ったもの……ですか?」
「その応用の筆記魔術ってやつ。オレに向いてるんじゃないかって、思ってさ。これが結構面白いんだ。魔術式を書いたあと、切ったり曲げたりしたらどうなるか調べるのが楽しくて……」
その一言を聞いた時、恥ずかしいことに……本当に恥ずかしいことに、ゲラルトは羨ましくなった。
あぁ、レンもやりたいことを見つけたのだ、と。
何かを見つける努力もせず、逃げるみたいに俯いて、ただいたずらに時間を浪費している自分には、レンを羨む資格なんてないというのに。
惨めな気持ちを押し殺し、ゲラルトはポツリと言った。
「……そう、ですね。レンに向いていると思います。筆記魔術」
「まぁ、向いてるかどうか決められるほど、やり込んでないけどさ」
レンはやり込んでいないと言うが、部屋にある紙の枚数は、気紛れに練習したという枚数ではなかった。
練習に使っている紙は書き損じ等の裏紙で、そこに何回も線を引いた後がある。正確な魔術式を書くために、繰り返し練習したのだろう。
「そもそも、オレ、筆記魔術一本でやってくって決めたわけじゃねーし」
「……え」
「財務室のオッサンが売り子やらないか、って言ってたじゃん。あれ、興味あんだよね。売り子って客の顔が見えるから、魔導具を欲しがるのがどんな人間か分かるし。どんな魔導具が需要あんのかとかも知りたいし」
「…………」
「あとさ、オレの担当指導員のヒュッター先生、魔術師組合から来た人じゃん? 魔術師組合がどんな感じの組織なのかも知りたいんだよな。でも、ヒュッター先生っていつも、のらりくらりとかわしてさー。多分、魔術師組合って秘密主義の組織なんだな」
「…………」
「それと、カードゲームしながら、ローズさんにリディル王国語教わってんだよね。リディル王国には商売の大天才、運送王ウェズリー・アンダーソンって人がいてさ、一度会ってみたいんだよなー。その人に弟子入りするのも有りかも」
ペラペラと捲し立てられる、レンの「やりたいこと」に、ゲラルトは唖然とした。
ゲラルトはやりたいことを見つけられないまま、漠然と焦燥だけを抱えていたのに、レンはこんなにも色々と考えていたのだ。
ゲラルトの沈黙を、レンは呆れと受け取ったらしい。
レンは気まずそうにゲラルトを見た。
「悪かったな、一本に絞れてない節操なしで」
「あ、いえ……」
決してレンを非難したいわけではないのだ。
こういう時、自分の口下手が嫌になる。
結局、うまい誤魔化し方が思いつかず、ゲラルトは思ったことを素直に口にした。
「……やりたいことが沢山あって、羨ましい、です」
羨ましい。
その本音を口にしたら、ゲラルトの中で何かが決壊した。
ゲラルトは俯き、長い前髪の下でクシャリと顔を歪める。
「僕は、やりたくないことは沢山あるのに……やりたいことが、思いつかない」
嫌いなことや、不満ばかり目について、他人を妬んでばかりいる。
そんな自分が嫌なのに、どう変われば良いか分からない。
項垂れるゲラルトに、レンが言う。
「ふーん、たとえば? ゲラルトって嫌いなものあんの?」
まるで食べ物の好き嫌いを訊くみたいな、雑談じみた口調だ。
だからゲラルトも、あまり気負わず答えることができた。
「……痛いこと、嫌いです」
「オレも」
「……戦いなんて、したくない」
「そりゃそーだ」
「……男は強くなければいけない、って言われるのが嫌で」
「世の中にはセビルみたいな奴もいるだろ。『わたくしは強いのだ!』ってさ」
セビルの声真似は、やけに達者だった。
レンはペンをペン立てに戻し、パタパタと片手を振る。
「男だろーが女だろーが、『強いの担当』は、やりたがってる奴にやらせときゃいいじゃん」
レンの口調は軽薄で、それでも適当な発言だとは思わなかった。
その軽薄さはきっと、ゲラルトを気遣ってのものだ。レンはゲラルトより年下だけど、相手を気遣える人間だ。
「僕は、家族を裏切ってここにいます。だから……」
ゲラルトは自分の椅子に座り、ゆっくりと息を吐いた。
自分の気持ちに向き合うほど、自分のことが嫌いになる。
「あぁ、そうだ……僕は、言い訳を探してるんだ。『これを極めるために、僕は〈楔の塔〉にいる。だから、家族の期待には応えられない』って……」
「なんでお前、そんなに自分に厳しいの? そういうの、気づかない振りしときゃいいじゃん」
「……己の弱さから目を背けるなと、教わっています」
「真面目だなぁ……」
レンは「うへぇ」と呟き舌を出す。
「オレ達、若者なんだぜ。『この道を極める!』なんて今すぐ決めなくていいじゃん。決めてから変更すんのだって、全然有りだろ」
それは、ゲラルトにとってちょっとした衝撃だった。
生まれた時から、そうあるべきと全て決まっていたから。
道を決めてから変更するなんて、許されるのだろうか?
戸惑うゲラルトに、レンがビシリと指を突きつける。
「ひとまずさぁ、一番やりたくないことだけ、ハッキリしとこうぜ。オレは家に帰るのだけは絶対ヤダ」
「……僕も、です。家に帰りたくない」
同じじゃん。と言ってレンが笑った。
ニヒッという、あまりお行儀の良くない笑い方だ。
「そんじゃ、家に帰らなくていいように、〈楔の塔〉での足場固め! そのために、魔法戦……勝とうぜ」
ゲラルトはまだ、家族を裏切ったことに対する、折り合いがついていない。
いつだって、家族を裏切った事実が胸に引っかかって、ゲラルトの足を鈍くする。
興味の対象に伸ばしかけた手が重くなって、ダラリと垂れる。
そんなゲラルトに、レンは言った。
「やりたいもん見つかるまではさ、やりたくないことから逃げるために全力を出す、でもいいじゃん」
後ろ向きなんだか、前向きなんだか、分からない発言だ。
だけど、フワフワしていた足場が、不思議と定まったような気がした。
* * *
やりたくないことから逃げるため、今自分にできる全力を。
(今の僕にできるのは……魔法戦勝利への貢献)
フレデリクの放った強風で、見習い達の態勢はガタガタに崩れている。
そんな中、フレデリクが狙いを定めたのがユリウスだ。
ユリウスを落とされたら、見習い達の勝算は著しく落ちる。
(痛いのも怖いのも嫌いだ。武器を持った人の前に立つなんて、やりたくない……でも)
ゲラルトは画板を手に駆ける。足の速さには自信がある。
(やりたくないことから逃げるために……今は、全力を尽くす)
画板は四隅に金具が嵌め込まれている。一見すると画板の補強用に見えるそれは、模様を彫り、金属塗料を流し込んだ魔導具だ。
ゲラルトが魔力を込めると、画板の縁が淡く輝き、画板全体に広がっていく。
魔力を帯びた板は、れっきとした武器だ。白兵戦でも泥試合になれば、盾で敵を殴ることもある。
「うぉぉぉぉぉおおお!」
ゲラルトは盾でフレデリクの槍を跳ね上げ、そのまま体を捻って、盾の側面をフレデリクの体に叩き込んだ。