【5】忘れ物(ティア)
カァン、カァンと一度目の鐘が鳴る。
それと同時に見習い十二名は早足で移動を開始した。
先頭を行くセビルが、周囲の景色を確認しながら声をかける。
「走らなくて良い。体力は温存しろ。最後尾のゲラルトは、ティアとフィンがはぐれぬよう見ていてくれ」
集団の一番後ろを歩くゲラルトが「了解です」と短く返した。
ハルピュイアであるティアは人の足で歩くのに慣れていないので、ペタペタした歩き方になるし、あまり足が速くない。
フィンは一番小柄で足が短いというのもあるが、足が悪くて家族から捨てられたという経緯の通り、いつもすり足で歩く。
移動の際は、この二人がどうしても遅れがちになるのだ。
今回の魔法戦で、ティア達は二手、三手に分かれることはしない。基本的に十二人でまとまって行動する。
今回の魔法戦は『逃げながら戦う』のが基本だ。
ティアはペタペタ走りながら、作戦会議の内容を思い出す。
* * *
作戦会議の場で、レンは黒板の前に立ってこう言った。
「フレデリクさん達、討伐室チームの弱点について考えてみたんだけどさ、やっぱ一番でかいのは機動力の差だと思うんだ」
フレデリク、リカルド、ヘレナの三人の中で、唯一フレデリクだけが飛行魔術使いだ。
突出した機動力を持つフレデリクは、仲間と距離が出来やすいのである。
「まぁ、あの三人は仲間とはぐれても個々で戦えるぐらい強いんだろうけど……今回の魔法戦のルールでは、リカルドさんとヘレナさんの二人は、攻撃ができない」
リカルドとヘレナは攻撃が禁じられており、できるのは防御、援護のみ。
つまり、フレデリクから引き離してしまえば、この二人は仕事ができなくなるのだ。
更にレンの言葉を引き継ぐようにセビルが言った。
「フレデリクが騎乗兵、リカルドとヘレナが歩兵のようなものだな。ならば、こちらは移動を続けてフレデリクを引きつけ先行させ、リカルド、ヘレナと引き離すのが理想だ」
* * *
(わたしは、フレデリクさんに戦って勝ちたい、けど)
ティアはペタペタ歩きながら、チラリとスタート地点を振り返る。
魔法戦の制限時間は一時間。
この一時間、ひたすら逃げ切って勝つ、という考えもあながち間違いではない、とセビルは言った。
ただ、闇雲に逃げるだけでは勝てない。
フレデリクの攻撃を凌ぎ、可能なら倒す。無理なら逃げる。というのが今回の作戦だ。
団体の真ん中辺りにいるエラが懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「そろそろ五分ですね……ロスヴィータちゃん、準備を」
「分かった」
ロスヴィータがマントから小枝を取り出したそのタイミングで、鐘が鳴った。
カァン、カァン、と響くその音は、魔法戦の始まりを告げる音だ。
ロスヴィータが詠唱を口にする。
「『不合理な献身、宿る雨、眼を失くした魚達、泳ぎて映せ』」
小枝を水が包み込み、小さな魚の形になった。
水の魚は木々の間をスイスイと泳ぎ、フレデリク達のもとを目指す。
ロスヴィータはあの水の魚と視覚を共有できるのだ。フレデリク達の偵察に最適の魔術である。
ただし、魚と視覚を共有するには、ロスヴィータは目を瞑る必要がある。自分の目に映るものと、魚が見たものの両方を同時に把握することはできないのだ。
ロスヴィータが目を瞑っている間、エラとゾフィーが横に並んで手を繋ぎ、転ばないように支える。
そうして一行が、移動速度を落としたその時……ロスヴィータが悲鳴をあげた。
「気づかれたっ! ……早すぎるっ」
* * *
開始の鐘が鳴るのを待ちながら、フレデリクはチラリとレームを見た。
(今回はレーム先輩が進行役か……ハイドン室長、不憫だなぁ)
あんなにレームに会えるとソワソワしていたのに、ハイドンは観戦室、レームは会場。
見事なすれ違いである。
〈楔の塔〉でもトップクラスの戦闘力を持ち、誠実で朗らかな人柄でありながら、微妙に報われない男。それが彼らの上司、討伐室室長ハイドンであった。
「あぁ、悲しいです……悲しいです……」
両手で顔を覆ってさめざめと泣いているヘレナは、不憫な上司ハイドンを憐んでいるのではない。
「見習いとの魔法戦なんて……わたくしがこの野蛮人と同類だと思われてしまう……」
失礼極まりない発言だが、ヘレナの暴言などまともに取り合うだけ無駄である。
フレデリクは槍で肩を叩き、小さくため息をついた。
「まぁ、楽しい仕事ではないよね。僕も後輩達に嫌われたくはないし」
「でも、弟さん潰す気満々すよね」
ボソリと呟くリカルドをフレデリクはジトリと睨む。
「それはそれ。後輩に嫌われて嬉しい人なんている? ダマーさん以外で」
「あの人も、別に喜んで嫌われてるわけじゃないと思いますけど」
フレデリクは決して戦闘行為が好きなわけではないし、後輩に嫌われたら普通に悲しい。
そもそも〈楔の塔〉はどこも人手不足なのだ。自分達の所属室に新人が来なくなったら困るので、大半の大人は見習いには優しい。ダマーのような人間は少数派だ。
「そういうことなら、心配しなくていいわ」
キッパリとそう言ったのはレームだ。
短い前髪の下で目をキラリと輝かせ、レームは不敵に笑う。
「皆、挑戦することの楽しさを知っている子達よ」
そうだった。見習い魔術師達はレームの教え子なのだ。
今朝も管理室のバレットが言っていたではないか。小さいライバルさんは、魔法戦を楽しみにしていると。
「……じゃあ、ちょっと頑張らないとですね」
フレデリクの呟きにレームがフフッと笑って、懐中時計を見る。
どうやらそろそろ時間のようだ。
レームは集合地点に設置された鐘の紐を握る。
「では、五分経過したので、魔法戦を開始します……始め!」
カァン、カァンと鐘が鳴る。
フレデリクとヘレナは詠唱を始めた。フレデリクは飛行魔術の詠唱を、ヘレナは感知の魔術を。
「小さい反応が一つ。属性は水。こちらに近づいてきています」
ヘレナが呟くのとほぼ同時に、飛行魔術を発動したフレデリクが地面を蹴る。
「索敵用の魔術かな? 共有、回して」
フレデリクが言い終えるより早く、ヘレナは感知結果を共有する魔術を詠唱していた。
ヘレナの詠唱が終わると同時に、フレデリクは目を閉じる。
すると、真っ暗な視界にポツンと小さな光が見えた。
これはヘレナを中心に、上空から魔力反応を見下ろした図だ。
ヘレナは感知の魔術を維持したまま、その結果をフレデリクとリカルドに共有しているのである。
大体の位置を把握したフレデリクは、反応があった方角に飛行魔術で飛ぶ。
すると、木々のかげに小さな水の魚が見えた。おそらく、索敵を目的とした魔術だろう。
「古典派の名家オーレンドルフだっけ? 面白い魔術を使う子がいるね」
古典魔術──なるほど強力だが、実戦慣れしていないのを感じる。偵察の飛ばし方、隠し方、使うタイミングが拙いのだ。端的に言って分かりやすい。
フレデリクは風の魔術を槍に纏わせ、水の魚を切り裂く。
魚の中に埋め込まれた小枝は真っ二つになって、地面にポトリと落ちた。
再び目を閉じる。周辺に魔力反応はなし。
それを確認して、フレデリクは魔法戦の結界範囲ギリギリの高さまで飛び上がる。
見習い達に与えられた猶予はたったの五分。
十二人という大人数で、五分の移動時間だ。どれだけ急いでも、逃げられる範囲はたかがしれている。
(……見つけた)
東の方角。木々の間を動く人影が複数。
フレデリクは地面に向かって、手で合図を送る。
──敵を複数発見、攻撃開始。
それは先行の合図だ。
リカルドやヘレナと固まって行動をした方が、サポートを受けられるのは分かっているが、フレデリクはそうしなかった。
(一時間で十二人……取りこぼすと面倒臭い)
フレデリク達にとって一番嫌なのは、見習い側が戦闘での勝利を放棄し、十二人が散り散りになって逃げに徹するパターンだ。
ヘレナの索敵とフレデリクの機動力があれば、しらみ潰しに探して対処はできる。ただ、とにかく面倒臭い。
(狩れる相手は、早めに狩るに限る)
フレデリクは人影の見えた方角に狙いを定めつつ、考える。
どうすれば、あまり痛い思いをさせずに、見習い達を脱落させられるだろう。
魔法戦では肉体が保護されるが、痛みはあるのだ。魔力を帯びた槍で攻撃したら、当然に痛い。
敵が一人か二人なら、捕まえて結界の外に放り出すなり、風で吹き飛ばすなりできる。だが、十二人は流石に多すぎる。
一人一人捕まえて外に放り出していたら、全員を場外にする前に、時間切れになりかねない。
(……風の塊を、上から地面に叩きつけるか)
横から風を打ち込んで吹っ飛ばしてしまうと、不慮の怪我をする可能性があるから、上から下にだ。
それなら地面に押しつけられる程度で済むし、魔力をそこそこ込めておけば、まとめて脱落を狙える。
(そのためには、バラバラに逃げられないよう追い込んで……)
攻撃方針を決めたフレデリクは、優先順位を考えながら、人影の見えた方角に狙いを定める。
その時、森の木々の間から弟が飛び出してきた。
ピョイーン、と。垂直飛びで。
「うぉぉぉぉ、兄者ぁぁぁぁぁ!」
跳躍したオリヴァーの下の方では、レンとティアが叫んでいる。
「オリヴァーさん、忘れ物! 忘れ物! ティアを忘れちゃ駄目だろぉ──!?」
「ピョエェェェ、オリヴァーさぁーーん! 戻ってぇぇぇ!」
作戦だの優先順位だのは綺麗に吹き飛んだ。
──よし、まずは愚弟を潰そう。
フレデリクは槍を握る手に力を込め、加速した。




