【3】高速ピロピロ
魔法戦は〈楔の塔〉東にある森の一部に特殊な結界を張り、その中で行われる。
討伐室代表のフレデリク、リカルド、ヘレナの三人が指定された森の入り口に向かうと、既に見習い魔術師十二名は到着し、整列していた。
改めて見ると、実にバラバラな出立ちだ。いかにも魔術師らしい格好の者もいれば、動きやすそうな普段着の者もいる。
特筆すべきは、その持ち物である。見習い十二人の内の半数ほどが、小脇に板を抱えているのだ。
板は然程大きい物ではなく、上部に紐が通してある──あれはもしかして、外で絵を描く時に使う画板だろうか?
更に彼らは腰のベルトに大量の筒をぶら下げていた。
長さは指一本分。太さは親指と人差し指で輪を作ったより少し小さいぐらい。薄く削った木をクルリと丸めて固定した、簡素な筒だ。
(あれは魔導具……には見えないけど)
フレデリクは一応、全員の情報は頭に入れているので、顔と名前、それと大体の魔術の傾向ぐらいは分かる。
そこそこの実力者が、ロスヴィータとユリウスの二人。
腰に曲刀を下げているのは、皇妹殿下のセビル。
画板と筒を装備しているのがレン、ゲラルト、フィン、エラ、ゾフィー、ルキエの六名。ルキエだけは、背中に大きな鞄を背負っている。
金属の翼を取り付けた飛行用魔導具を装備しているのがティア。
そして、手ぶらなのがローズとオリヴァーだ。
──と、そこまで観察してフレデリクは眉をひそめた。
(……オリヴァーが、槍を持っていない?)
オリヴァーの戦闘スタイルは、基本的にフレデリクと同じ飛行魔術と槍術の併用だ。
それなのに槍を置いてきたということは、魔法剣の習得に間に合わなかったのだろう。槍は魔法剣のように魔力を付与しないと、魔法戦では役に立たないからだ。
もしかしたら、風の矢を飛ばす魔術でも覚えたのだろうか。この短期間で、実戦に通用する精度になっているとは思えないが。
そんなことを考えていると、見習いの金髪の少年──確か、レンといったか──が、ティアに小声で話しかけるのが聞こえた。
「おい、ティア。ここらで一発、相手を挑発しておけよ」
「ちょーはつ。どうやって?」
「えーっと……なんかこう、ピロピロ〜って鳴いてみるとか? お前、そういうの得意だろ」
レンの言葉に、ティアがキッと眉を吊り上げる。
彼女は心からの不満を訴える声で叫んだ。
「レンはピロピロを分かってない!」
「え」
「本当のピロピロは、こう!」
ティアの唇が細かく震え、ピロピロピロピロピロピロピロ……と音が響く。
どうやって音を出しているのか、そしてどうやって息継ぎをしているのか、とにかく凄まじく高度で高速のピロピロだ。
レンが慄いたような顔になる。
「なんだこれ、すげぇ高速のピロピロだ……」
呟くレンの横で、セビルもピロピロと音を発した。
軍服風の服を着た長身の美女が繰り出すピロピロが、ティアのピロピロと重なって、静かな森に響き渡る。
……彼女は皇妹殿下と聞いた気がするが、フレデリクの記憶違いだろうか?
「ピロピロピロピロ……ふむ、意外と難しいな。唇を震わせるのが秘訣か?」
「え〜? ピロピロピロピロ……あ、マジだ。結構難しいなこれ」
ピロピロ鳴くセビルとレンに、ティアは得意気にペフフンと鳴いて、ピロピロを続ける。
(愉快な子達だなぁ)
おそらく囮や陽動を担当しているのが、ティアなのだろう。
フレデリクは高速ピロピロを繰り広げるティアに、おっとりと言った。
「僕を挑発したいのなら、オリヴァーを縛って吊るしておくといいよ。真っ先に潰しに行くから」
「ペヴッ!?」
「……兄者」
オリヴァーが前に進み出る。
フレデリクと同じ、手足の長い細身の長身──弟もまた、ランゲらしい体躯になってしまったのだ。忌々しい。
「俺は……否。俺達は兄者に勝つ」
どうやら弟は、自分一人では兄に勝てぬと理解できる程度には成長したらしい。
だが、どれだけ成長しようとも、愚弟は愚弟。
討伐室入りを認めるわけにはいかないのだ。
「……僕は見習いを苛めたくはないけれど、お前だけは丁寧に心を折るよ。二度と戦場に立てなくなるぐらいに」
フレデリクの宣言に、見習い達の顔がこわばった。
ティアとレンがボソボソと囁き合う。
「どうしよう、レン。オリヴァーさん折られちゃう? ポキッってされちゃう?」
「どうあがいてもオリヴァーさんが集中狙いされるから、挑発必要なかったな、これ……」
「ピョエェェェ……」
次の瞬間、ティアがオリヴァーの前に飛び出し、両手を大きく広げて叫んだ。
「オリヴァーさんがポキッと折られないように……わたし、いっぱい挑発する! ピロピロピロピロピロ」
* * *
魔法戦の結界内の様子は、離れた場所にある白幕に映すことができる。
今回は第一の塔〈白煙〉の最も広い会議室が観戦の場として提供されており、〈楔の塔〉の幹部と指導室の魔術師達が着席していた。
三流詐欺師〈煙狐〉もとい、ヒュッターは後方の席に座り、会議室の顔触れをざっと見回す。
(見習いの魔法戦にしちゃ、結構な顔触れじゃねーか)
第一の塔〈白煙〉からは、塔主エーベルと指導室室長ヘーゲリヒ。
第二の塔〈金の針〉からは、討伐室室長ハイドン。
第三の塔〈水泡〉からは、管理室室長カペル、蔵書室室長リンケ。
(塔主一人に、室長四人……それだけ、注目されてるってことか)
その注目の理由は言わずもがな。
二大問題案件──セビルとユリウスだ。
セビルは皇妹殿下で政治的に微妙な立ち位置。そしてユリウスは、かつて〈楔の塔〉を追放されたザームエル・レーヴェニヒの息子である。
〈楔の塔〉の上層部は、この二人の扱いに困っている。
つまるところ、見習いに対する注目は「何かやらかしてくれるなよ」という注目であって、将来有望だと期待されているわけではないのだ。
(あいつらが一発かまして、上の鼻をあかしてくれたら楽しいんだけどなぁー……いやでも、今日は悪目立ちしない方がいいよな。既にセビルが目をつけられてるし。うんうん、注目されなくてオッケー、オッケー)
何せ今は、大事な情報収集のお時間なのだ。
上層部の人間関係を把握できたら上々。ザームエル・レーヴェニヒに関する昔話の一つでも聞き出せたら、しめたものだ。
三流詐欺師〈煙狐〉の任務は、先帝と〈楔の塔〉の断絶の理由を探ること。
それに、ザームエル・レーヴェニヒが関わっていると、彼は確信していた。
「いやぁ、なんだかドキドキしてきましたね、ヒュッター先生!」
朗らかな声でヒュッターに話しかけてきたのは、ヒュッターの右隣に座った金髪美男子──同じ指導員の爽やかクソ野郎こと、ゾンバルトである。
更に左隣では、ボサボサ茶髪の中年──アルムスターがガタガタと貧乏ゆすりをしている。
(なんでこいつら、俺を挟んで座るんだよ……! やりづれぇぇぇ!!)
アルムスターがやけに落ち着きがない理由については、目星がついている。
ゾンバルトが何を考えているかは分からないが、ヒュッターが迷惑するのを察して、わざわざ隣に座ったような気がしてならない。
この場に同じ指導員のレームがいてくれれば、多少は空気がマシになるのだが、彼女は魔法戦の進行役で森の方にいるのだ。
その時、白幕がボンヤリと輝きだした。魔法戦の結界が展開されたのだ。
結界内の光景は、この白幕に映し出される……らしい。
(どの程度の精度か分からないが、範囲を限定できるんなら、これ、かなり使えるんじゃないか……軍事的に)
物理無効の魔法戦は、比較的新しい技術だ。発祥はお隣のリディル王国で、帝国に伝わってからは日が浅いらしい。
ヒュッターは、魔法戦の存在自体は知っていたが、直接見るのは初めてだった。
(おっ、映った映った。へー、おもしれー。結構、ハッキリ見えるもんだなー)
あくまで光景が映るだけで、現場の音までは分からない。
ただ、たまたま大きく映ったヒュッター教室の三人──ティア、レン、セビルが何か口を動かしているのが見える。
ヒュッターは生徒達の唇の動きを読んだ。そこまで正確に読み取れるような技術ではないが、三人の唇の動きは極めて単純で読みやすかった。
即ち──。
──ピロピロピロピロピロ。
ヒュッター教室の生徒達は、高速でピロピロ鳴いていた。
(やっぱ注目されちまうかも、うちの生徒達……)
その時、背後で扉が開く音がした。
男の声が低く重く、室内に響く。
「失礼する」
その一声に、雑談がピタリと止まった。アルムスターの貧乏揺すりも。
ピンと張りつめた空気の中、二人の人物が室内に入ってきた。背の高い銀髪の男と、淡い金髪の修道服の女の二人だ。
年齢はどちらも四十代半ばぐらいだろうか。女の方は若く見えるが、詐欺師の勘があの二人は同年代だと告げている。
銀髪の男は精悍な男前だ。眼光鋭く甘さはないが、それでも若い頃はさぞモテただろう。
修道服の女は、スラリと細身の長身で冷たい雰囲気。美しいがニコリともしない。
冷たく硬質な雰囲気の二人だ。
この二人が室内に入ってきた途端、部屋の空気が緊張感に支配された。その真っ直ぐな厳しさが伝播したかのように。
銀髪の男の方は鍛えられた体に重厚なローブを身につけ、腰には剣を下げていた。
ヒュッターはその男と面識がない。だが、すぐに彼が誰かピンときた。
銀髪の男が、〈白煙〉塔主エーベルの隣に座る。
男より年長者のエーベルが、丁寧な態度で言った。
「ごきげんよう、メビウス首座塔主、ミリアム首座塔主補佐官」




