【32】一人ではできない気持ち良さ
作戦会議の後の午後の個別授業の時間、ティアは一人庭園を歩いていた。
天気の良い日はピヨピヨと元気に歌うティアだが、今は口を閉ざしている。機嫌が悪いわけではない。珍しく考えごとに夢中になっているのだ。
(魔法戦の方向性は、固まったけど……)
主な攻撃役はユリウス、ロスヴィータ、セビル。
筆記魔術担当が、レン、エラ、ルキエ、ゲラルト、フィン、ゾフィーの六人。
防御結界が使えるローズは、筆記魔術隊を防御結界で守る役目。
そしてティアとオリヴァーは合体飛行魔術で撹乱したり、筆記魔術をばらまいたりと状況に応じて動く。
基本的にティアは飛行魔術に専念する形になるので、筆記魔術の発動をすることはない。筆記魔術の紙を受け取った場合、発動するのはオリヴァーだ。
レンはティアが魔力放出が苦手なことも踏まえて、計画を立てたのだろう。
(……わたし、できること、増えてない)
飛行用魔導具とオリヴァーの協力を得て、ある程度飛び回れるようにはなった。
だが、それだけでは駄目なのだ。
(木がいっぱい生えてる狭いところでもピュンピュン飛べないと、フレデリクさんに勝てない)
初めてライバル宣言をしたのだ。勝ちたい。届かないのは嫌だ。悔しい。
今まであまり感じたことのない気持ちが、沸々と胸の奥から込み上げてくる。
ティアは知らない。その感情が、生物に成長を促すものであることを。
(もっと、なにか、できるようになりたい)
その時、ティアの耳が微かな鳴き声をとらえた。猫だ。
近くの木の根本に茶色い毛並みの猫がいる。ティアがじっと見ていると、猫は全身の毛をブワリと膨らませ、一目散に木を駆け上った。
(猫は、わたしが魔物だって分かるのかな?)
或いは単に人慣れしていないだけかもしれない。
なんとなくティアが木に近づくと、猫はほぼ垂直に跳び上がり、木の枝に爪を引っ掛けて更に高いところへ逃げてしまう。
(爪を引っ掛けて、ピョンって…………)
ピヨッ! と声をあげ、ティアは管理室に向かってペタペタと走り出した。
* * *
第三の塔〈水泡〉の前のひらけた地面で、ルキエはひたすら木を切り出していた。
これはレンに頼まれた秘密兵器だ──秘密兵器と言うには大変地味だが、それでもこれはルキエにしかできないことなのだ。
秘密は商品の価値を上げる。なるほど、レンは馬鹿じゃない。
生意気で軽いところもあるが、物事の本質をよく見ている。
魔法戦における盾を用いた防御方法。あれをレンより先に気付けなかったことが、ルキエは悔しかった。
(……私には、足りないものが沢山ある)
それをここ数日で思い知らされている。
多分きっと、自分は頭が固くて視野が狭い。
秘密兵器だって、本当に優秀な職人なら、自分から提案するべきなのだ。
カペル室長に助言をもらいながら、他の皆のアイデアを、なんとか形にするので精一杯。それが今のルキエの実力だ。
だから黙々と手を動かしながら、考える。新しいアイデアを。
(これ、溝に魔術式を彫って金属粉混ぜた塗料を流し込んだら、魔力耐性上がるかしら? でもそれだと、筆記魔術を阻害する? ……一度実験してみた方がいいわね)
小さな思いつきをどう実践するか、考え出したら段々と楽しくなってきた。
ルキエは無意識に歌を口ずさみながら、切り出した木の板にヤスリをかける。
「草原の風、どこまでも。影を追いかけ、どこまでも。あの白樺は今いずこ、あの白樺は今いずこ……」
ルキエは帝国南部の出身で、草原の国トルガイに近い。
そのため、帝国とは異なる楽器が定着しているし、草原の歌がよく歌われるのだ。
どこまでも広がる草原に立ち、草の匂いのする風を感じながら空を見た。遥か彼方の遠い空。
夕方の終わり、夜色に染まった空の僅かに残った橙が好きだった。まるで、炉の残り火のようで。
「『草原の風、どこまでも。影を追いかけ、どこまでも。あの白樺は今いずこ、あの白樺は今いずこ』」
歌っているうちに、段々と気分が上昇してきた。なんだか不思議と気持ち良い。
自分らしからぬ浮かれ具合だ。でも、全然嫌じゃない。
やすりをかける手はそのままに、ルキエは歌う。気持ち良く。高らかに。
「『砂塵の彼方に待つ人よ、星をすくって風にのせ、私のもとまで届けておくれ』」
最後の一音が終わったところで気づく。
ルキエの歌声より少しだけ長く余韻を残す声が聞こえたのだ。
背後に人の気配。ルキエはゾクリと背筋を震わせながら、ゆっくりと振り向く。
「ピヨップ!」
佇んでいるのは、白髪に琥珀色の目の少女──ティアだった。
ルキエは頬に冷や汗を滲ませ、掠れた声で問う。
「今、あんた、歌ってた?」
「うん」
ティアはいつものあどけなさで、コクンと頷く。
そうだ、あれはティアの声だった。ティアの声なのに、怖いぐらいルキエの声に寄せた歌声だった。
だからルキエは、ティアが歌声を重ねていることに気づかなかったのだ。
歌っている間、ただただ気持ち良かった。ルキエの歌声の不安定なところをティアの歌声が補い、膨らませ、リードしてくれたからだ。
ルキエは自分が歌っている時、他人に歌を被せられるのが好きではない。心が狭いという自覚はある。
それなのに、ティアが歌声を重ねた時、全く不快感がなかった。
(……自分が、ものすごく歌が上手くなったと錯覚させられた、みたいな……)
女は歌が上手く、何か一つ楽器を弾けないといけない──そういう土地柄だったから、ルキエは歌と楽器をそれなりに厳しく習わされた。だから分かる。
ティアがやったのは、恐ろしく高度な技術だ。
思わずティアを凝視すると、ティアはいつもの無邪気さでペフペフと喉を鳴らして言った。
「ルキエ、思いついたよ! 作ってほしい、秘密兵器!」
「え、あ……秘密兵器?」
「ピヨ! そう! あのね、飛行用魔導具をね……」
ティアが背伸びをして、ルキエに耳打ちをする。
それを聞いたルキエは眉をひそめた。
「……使いこなせるの?」
「練習する!」
「だって、あんた、身軽ってわけじゃないでしょ。いつも走り方おかしいし……」
ティアが提案した秘密兵器は、相応の身体能力が求められるものだ。
ハッキリ言って、同じことをセビルが提案しても、「無謀」と答えていたと思う。
だが、ティアはその場でブーツと靴下を脱いで裸足になると、その場で軽くジャンプを繰り返した。
「ペフッ。うん、この感覚……」
呟き、ティアは近くの木に歩み寄った。
その辺りの木は布干し場だ。染料で染めた布等を干すために、木と木の間に細いロープを渡してあるのだ。
ティアはそんな木の一つによじ登ると、ロープに足をかける。
(……綱渡りでもする気?)
そう思った瞬間、ティアの体が勢いよく傾いた。
頭から落ちたのだ。
「ちょっ……!?」
ルキエはギョッとしたが、ティアの体は逆さまのままピタリと静止した。
最初はロープに膝を引っ掛けたのだと思った。だが違う。
足の指が、ロープを掴んでいるのだ。
「なっ、なっ、なっ……!?」
言葉を失うルキエに、逆さまのティアがニコニコと手を振る。
「わたし、足の指の力、ちょっと強い!」
ティアは足の指をパッと離し、体を丸めて、きちんと両足で地面に着地する。
もしかしたら、そういう曲芸なのだろうか。異様に歌が上手いし、サーカス団にいた可能性も捨てきれない。
バクバクとうるさい心臓を押さえていたら、ティアがペタペタと歩み寄り、こちらを見上げた。
「だからね、できるよ。わたし、きっとできる」
驚きの衝撃が落ち着いてもなお、心臓がうるさい。
腹の奥が熱くなって、何かが込み上げてくるような感覚。興奮。
(作りたい)
荒唐無稽だ、何の役に立つ、と言われそうな秘密兵器を。
自分の手で作りたい。それを使うティアを見たい。
ルキエは拳を握りしめた。いつのまにか全身がじんわり熱くて、手のひらに汗をかいている。
「分かった。まずは詳細を詰めるわよ」
「うん!」
ティアが足の裏の土を払い、靴を履きながら頷いた。
その様子を見下ろし、ルキエはボソリと呟く。
「私、勝手に歌をハモられるの嫌いなんだけど」
「ピヨヨ……ゴメンナサイ」
「調子出るから、歌っていい」
「ピヨッ! やったぁ!」
まだ心臓がドキドキしている。
気持ち良く歌った、あの余韻が消えない。
一人ではできない、気持ち良さがある。ティアに歌声を重ねられ、ふとそう思った。