【28】みんな真面目
女子会の翌日、ゾフィーはいつもより軽やかな足取りで共通授業の教室に向かった。
今日もお気に入りのフリルのブラウスを着て、手首には色糸を編んだブレスレットをしている。これは、女子会の間、ルキエが作っていた物だ。
『この模様の編み方を練習したかったけど、別に欲しいわけじゃないのよね。欲しい人いる?』
とルキエが言ったので、ゾフィーがすかさず挙手をして貰ったのである。
(えへへぇ、かーわいい……)
落ち込んでいたゾフィーの気持ちは、女子会のおかげですっかり浮上していた。
女子会をすると、あの顔触れの中に自分がいて良いのだと、許された気がして安心する。
ゾフィーはそれを確認したくて、以前から女子会の提案をしていたのだ。勿論、単純な憧れもあったけれど。
(こういう考え方、ルキエは嫌がりそうだけど……)
アタシ、ここにいていいよね? 仲間外れにしないよね? という確認のための集い。
ルキエなら馬鹿らしい、と顔をしかめそうだ。
……馬鹿にするならすればいい。
(だってアタシは、それすらやったことなかったんだもん)
歳の近い少女同士の集まりをゾフィーは知らない。
だから新鮮で楽しいと同時に、自分は上手くやれているか不安になる。
幸い、〈楔の塔〉に来ている人間は、皆訳ありだ。そのためか、ゾフィーの家の事情にあまり頓着しない。
一番懸念していた皇妹であるセビルがあの調子なので、正直気が楽で助かる。
(女子会、またやりたいなぁ……うん。絶対、やるんだ。今度はアタシから誘って……)
やがて共通授業の教室についたゾフィーが自分の席に着くと、「あのさ」と気まずそうな声がした。
声をかけたのはレンだ。隣にはゲラルトもいる。
「昨日はごめん。ゾフィーが嫌がってるのに、根掘り葉掘り聞いて」
「僕からも謝らせてください……大変申し訳ありませんでした」
ゾフィーはパチパチと瞬きをした。
レンもゲラルトも気まずそうだ。だけど、二人はゾフィーを恐れているわけではない。
呪術師は、人の負の感情と魔力が結びついた深淵を操る者。そのためか、人の負の感情に敏感だ。
特に恐怖。
──シュヴァルツェンベルク家に逆らうと、呪い殺される。
そういう恐怖の感情を向けられると、独特の気持ち悪さがある。まるで氷水に浸した筆で肌をなぞられるみたいな、そういう気持ち悪さだ。
レンとゲラルトからは、そういう感情を感じなかった。
二人は、ゾフィーが怖いから謝っているわけではないのだ。
「いいよ。もう、怒ってないし」
もう怒っていない、なんて嘘だ。
だって、本当は最初っから怒ってなんていない。
ゾフィーはただ、みんなに怖がられるかもしれない、と悲しかっただけなのだ。
レンとゲラルトは、まだ気まずそうにしている。
(どうしよう、もしかして拗ねているように聞こえた? ここはもうちょっと可愛い声で、「怒ってないよん」とか言うべきだった? うひぃん、流石にそれは軽すぎるぅ……)
ゾフィーがぐるぐる悩んでいると、レンが神妙な顔で言った。
「あのさ。オレ、今度の魔法戦の作戦を立てる上で、みんなが何をできるか、訊いたりするかもしんない。そういうの分かんないと、作戦立てようがないし」
「うん」
「でも、オレ、ゾフィーの家のことも、魔術師や魔物狩りの家のことも詳しくないし、暗黙の了解とかも分かんなくて……だから、踏み込みすぎだったら、その時は言ってほしいっつーか」
あ、そうか。とゾフィーは今更気づいた。
レンは本当に、普通の男の子なのだ。〈楔の塔〉とも、魔術師とも無縁の世界の住人。
そんな普通の男の子が、呪術師という特殊な家に生まれた自分に歩み寄ってくれているのだ──そう思うと、なんだか妙に嬉しい。
「そっかぁ〜。うんうん、じゃあ、アタシが魔術師の世界のなんたるかを教えてあげないとだねぇ」
調子に乗るゾフィーに、ゲラルトが深々と頭を下げる。
「はい、僕達は不勉強なので、ご教授願います」
体をピッタリ直角に折り曲げて言うゲラルトに、レンが強張った顔で言った。
「……お前、真面目だよな」
「……? 僕は、レンも真面目だと思いますが?」
「ねぇ〜、真面目だよねぇ?」
ゲラルトの言葉にゾフィーがニヤニヤしながら同意すると、レンがむず痒そうな顔をした。
「やーめーろーよー、確かにオレは真面目な美少年だけど、自分より真面目な奴に真顔で言われると、なんかムズムズする!」
ゾフィーは思わず、キャハハと声をあげて笑う。
笑ってから、そんな自分に驚いた。
(あ、すごい。アタシ、普通の男の子と普通に笑えてる)
* * *
「ごめーん、遅れちゃった。美少年だから許せよな!」
昼の作戦会議の時間、一番最後に教室に駆け込んだレンを見てティアは目を丸くした。
レンは眼鏡をかけているのだ。
「ピヨ。なんで、レンは眼鏡してるの? 目が悪くなったの?」
ティアが首を右に左に傾けながら訊くと、レンは眼鏡を指先でクイと持ち上げてみせた。
「朝、真面目真面目って揶揄われて閃いたんだよ。オレ、眼鏡をかけた真面目系美少年で攻めるのもアリだなって」
一体レンは眼鏡で何を攻めるつもりなのだろう、とティアは思った。
教室には、呆れの空気が漂っている。
真面目発言の発端となったゲラルトが、呆れを隠さない声で言った。
「すみません。朝の真面目発言を撤回します」
「はい、残念〜もう遅い〜。今日のオレは真面目系美少年ですぅ〜。つーわけで、真面目に魔法戦の作戦会議するからな。ティアは歌うなよ」
ティアに釘を刺し、レンは黒板にチョークで文字を書き込み始めた。
「まず前提として、魔法戦の攻撃手段と防御手段について触れておくぞ。現時点ではザッとこんな感じな」
【攻撃手段】
・ユリウス(攻撃魔術、主に火)
・ロスヴィータ(攻撃魔術、水の魚で刺突)
・セビル(魔法剣)
【防御手段】
・ユリウス(防御結界)
・ロスヴィータ(魚を壁にする)
・ローズ(防御結界)
オリヴァーが魔法剣の訓練をしているが、間に合うかは微妙なところなので、現実的な攻撃手段と防御手段だけ挙げるとこうなるらしい。
見習いは全部で十二名。だが、現時点では攻撃手段も防御手段も、これだけしかないのだ。
ゲラルトがボソリと呟いた。
「……改めて見ると、少ないですね。特に攻撃手段の少なさが致命的だ」
「ピヨ。わたしもそう思う。これ多分、攻撃が届かないよ」
ティアはフレデリクの飛行魔術を見ている。彼の飛行魔術がどれだけ速く、小回りも利くかを知っているのだ。
セビルの魔法剣は、近づかないと攻撃できない。
ユリウスとロスヴィータの攻撃魔術は、威力こそ高いが、射出速度に抜きん出ているわけではない。フレデリクなら回避は容易だろう。
(しかも、相手はフレデリクさんだけじゃない)
次の魔法戦では、リカルドとヘレナがサポートに回る。
二人は攻撃には参加せず、防御や妨害などの支援だけをするらしいが、このままだと見習い側の攻撃は通らないだろう、という確信があった。
そこにローズが挙手をして言う。
「じゃあさ、こっちが防御結界を使い続けて、一時間逃げきるのは駄目かな?」
「クク……それは現実的ではないな。こちらの魔力量が余程多くない限り、まず削られて負けるだろう」
「そっかー……うん、そうだよな……」
ユリウスに却下されたローズは、案外あっさり引き下がった。
防御結界は、大きくなるほど強度や持続時間が落ちる。
見習い全員を囲うような結界ともなれば、一時間持続するのはまず不可能だろう。
魔法戦は魔力が一定数値以下になったら敗北。防御結界を使い続けているだけで、魔力を消耗し、何もできないまま負けてしまう。
ロスヴィータも、顔をしかめて頷いた。
「……癪だけど、アタシも同意見よ。この中で一番魔力量の多いアタシでも、魚達で一時間身を守るのは無理。敵の攻撃を受ければ、結界にしろ魚にしろ、削られていくんだから」
(そっか、魔力も体力も、ハルピュイアを基準にしちゃ駄目なんだ)
魔術を使うだけで魔力を消費していく魔術師は、基本的に防戦や持久戦の類があまり得意ではないのだろう。まして、ここにいるのは戦闘経験の浅い見習いなのだ。
その時、レンが眼鏡を弄りながら、ボソリと言った。
「実はさー、魔法戦のルールを聞いた時、気づいたんだよな……オレ達でもできる、守りをほぼ完璧にする方法」
なんと! の意味を込めて、ティアはピヨッと鳴いた。




