【幕間】ピヨピヨしい(=なんか楽しそうな)
男子会をした日の夜、湯浴みを終えて自室に戻ったローズは、モジャモジャの髪とヒゲをワシャワシャと拭いていた。
彼はこのヒゲを割と気に入っているのだが、乾かすのは面倒だなぁと常々思っている。髪もそれなりに量が多いので尚更だ。
少しでも早く乾かそうと、ローズはヒゲに手を突っ込んで、バサバサと振ってみる。
その様子を見ていたオリヴァーが、髪を拭きながら言った。
「そのヒゲ、剃った方が苦労がないのではないか?」
「うーん、割と気に入っててさぁ。ほら、カッコイイじゃん?」
細かな水滴を飛ばしながら、ローズはヒゲの中で手を動かす。
ふと、ローズは思いついた。
「オリヴァーが魔術でこう……良い感じの風を起こしたら、髪とかヒゲ、あっという間に乾かないかな?」
「良い考えだが、すまない。オレは飛行魔術以外は殆ど使えぬのだ」
言われてみれば、ローズはオリヴァーが攻撃魔術の類を使うところを見たことがない。
だが、オリヴァーが魔物狩りの一族で、魔物と戦うことを想定して訓練を受けているのなら、まぁ納得のいく話ではあった。
武器に魔力付与した方が魔物にダメージを与えやすいが、普通の武器も効かないわけではない。
実戦では、不慣れな魔法剣で無駄に魔力を消費するぐらいなら、ただの剣で切り掛かった方が効率が良いという者もいる。
魔力を帯びた攻撃でないとダメージにならない魔法戦は、極めて特殊な戦闘なのだ。
そもそも魔法戦自体が、比較的新しい技術である。
(今まで普通の武器で魔物と戦ってたのに、わざわざ魔法戦のためだけに魔法剣を学ぶ奴は……まぁ少ないよなぁ)
これが対竜戦闘となると、また勝手が違ってくるのだが、オリヴァーは竜ではなく魔物と戦う一族の人間だ。
魔物退治において、必ずしも攻撃手段が魔術である必要はないのである。
「オリヴァーのお兄さんは、槍に魔力付与してたよな?」
「あぁ、兄者は槍に風の刃を纏わせるし、普通に放つこともできたと思う」
風の魔術は射出速度こそ速いが、威力がやや低い傾向にある。攻撃が浅くなりがちなのだ。だからフレデリクは槍や飛行魔術と併用して、威力を上げているのだろう。
オリヴァーは魔法戦に向けて、セビルと一緒に魔法剣の技術を勉強中だという。だが、魔法戦の日に間に合うかどうかは微妙なところだろう。
ローズは少し疑問に思った。
風の魔術は放出するのは容易く、物質に付与するのが難しい、という性質がある。つまり、魔法剣向きではないのだ。
魔法剣だけに限定して考えるなら、氷属性のセビルより習得は困難だろう。
「オリヴァーは、風を矢みたいに飛ばして戦ったりはしないのかい?」
「…………」
オリヴァーは黙り込む。答えづらくて黙り込んでいるというより、自分の考えを整理しているような間だ。
オリヴァーは基本的に明瞭な男で、答えはいつもハッキリと簡潔に言う。
「おそらく、風属性は風を弾丸なり刃なりにして、飛ばして戦う方が容易なのだろう。だが、俺は槍を主武器として戦いたいのだ」
「それって、ランゲ一族にとって槍が誇りだから?」
「あぁ」
頷き、オリヴァーは壁に立てかけている槍を見る。
鋭い目で、どこか誇らしげに。
「俺達の先祖で、『赤き雨のランゲ』と呼ばれている人物がいる。とにかく強く、飛行魔術で飛び回って、その槍で次々と魔物を倒していったらしい」
語る声は淡々としているようで、静かな熱を帯びていた。子どもの頃から聞かされてきた英雄を語るかのように。
それが己の先祖であることが、オリヴァーは誇らしいのだろう。
そういうのって、なんかいいなぁ、とローズは密かに思う。
「子どもの頃から、そうありたいと思っていた。そうあれと自分に言い聞かせてきたのだ」
「だから、赤き雨のオリヴァーなんだ?」
「あぁ。強そうだろう」
「うん。すげー強そう!」
快活なローズの言葉に、オリヴァーは口の端を持ち上げて小さく微笑む。
魔物狩りの一族について、ローズは詳しくは知らない。
ただ、オリヴァーが先祖を尊敬し、自らの意思でそうありたいと思っているのなら、応援したいと思った。
髪の毛をツンツンと逆立てたり、赤き雨を名乗ったり、オリヴァーが彼の考える強そうな振る舞いをするのは、兄に安心して欲しいからだとローズは知っている。
「オリヴァーはさ、魔物狩りの一族ってことは……色んな魔物を見てきてるんだよな?」
「ランゲ一族が守っている地域は、然程広くはない。だから、『色んな魔物を見てきた』と言われると答えに困る」
そもそも、魔物が〈水晶領域〉から出てくること自体が稀である。
ランゲ一族が守っている地域では、近くの山に年に一、二回、群れからはぐれた下位種を見かける程度だったという。
「俺が見てきたのは、獣や虫の形をした魔物が殆どだ。たまに植物型もいた」
「鳥は?」
ローズはヒゲを動かす手を止めて、繰り返し訊ねる。
「鳥の魔物は、見たことあるかい?」
「遠目に見たことはあるが、交戦したことはないな。鳥の魔物はあまり好戦的ではないのだ。魔物狩りに気づくと大抵逃げる」
「そっか」
ローズはヒゲに手を突っ込んだまま、動きを止めて黙り込む。
静かな部屋の中、聞こえるのはオリヴァーが黙々と髪を拭く音だけだ。いつもツンツンに逆立てている薄茶の髪は、今はペタンとしている。
そうしていると、兄のフレデリクとよく似ていた。違うのは表情ぐらいだ。
フレデリクはいつも微笑んでいるが、オリヴァーはキリッと険しい顔をしている。
何はなくとも険しい顔をしているオリヴァーが、少しだけ気遣うような声で言った。
「鳥の魔物に、何かあるのか?」
「うーん……」
ローズはヒゲから手を引っこ抜き、頬をかく。
こちらからあれこれ訊いておいて、自分のことを全く話さないのはフェアではない気がした。
「オレ、まぁまぁ古い家の出身なんだけど」
「あぁ」
「オレんちにあった宝物、随分昔に鳥の魔物に盗まれたって言われててさ。それを探してるんだ」
オリヴァーはローズの家のことも、盗まれた宝物のことも、根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。
ただ、髪を拭く手を止めて、少し考え込むように黙る。
「鳥の魔物……幾つか種類はいるが、有名なのはやはり、首折り渓谷のハルピュイアだろうな」
「歌の上手い魔物だっけ? ローレライみたいな感じかな」
「ローレライは鳥ではないな。上位種だ。遭遇したら、ひとたまりもないだろう」
「そっかー」
歌を操る魔物は、その歌で精神干渉を行う。ハルピュイアが歌で精神干渉をしてくるならば、何か対策を考えなくてはいけないだろう。
耳を塞いでもなお、心の隙間にスルリと入り込んでくるのが魔物の歌なのだ。
(魔物の歌を、ティアの歌で相殺とかできないかなぁ)
同じ見習い仲間のピヨピヨしい歌を思い出したら、なんだか楽しい気持ちになってきた。
ヒゲと髪もある程度乾いたことだし、あとは寝る前に手紙でも書くことにしよう。
(書きたいことが、いっぱいだ)
カードゲームを餞別にとくれた友人に、一緒に遊ぶ仲間ができたのだと伝えたい。
ちょっと放っておけない、年下の頑張りや達のこと。
同室の仲間が良い奴で、洗濯物の綺麗な畳み方と収納方法を教えてくれたこと。
みんなで部屋に集まって、男子会をしたこと。
(あ、いけね。魔術の修行も頑張ってるぜ、ってのと……あとは、植物の魔力付与研究の成果も……特に進展はないけど、とりあえず送っとかないと)
餞別をくれた友人が、「己がすべきことをしろ!」と怒鳴る姿を想像し、ローズはせっせと羽根ペンを動かした。