9 決闘
「ソラン・ファレノ・エレ・ジェナシス」
『ハンドラ・アルタース』
五メートルほど離れて向き合って立ち、ソランが名乗ると、相手も不敵に笑って大声で応えた。ソランを威嚇し、取り囲むウィシュタリア軍に、己が名を知らしめんとするかのように。
背はソランとそれほど変わらない。ただし、ずっと筋肉質で骨格も太い。いかにも力自慢という感じの男だ。彼もソランが冑をつけないのを見てとると、紐をはずして柵の外へと投げ捨てた。
彼の得物は剣だった。エランサ独特の形で、片刃で先が半月のように反り返っている。ソランの大剣より若干短めだった。
お互い言葉が通じないことはわかっていた。だから黙って剣を鞘から抜き、構える。
立会人のエンレイが、二人の邪魔とならぬようにいくらか下がって己の半月刀を抜いた。両人の用意が整っているかを確かめる。それから剣を高々と掲げて数拍置き、大きな動作で一直線に振り下ろした。
『始め!』
ソランは正面から威圧的に大股に歩み寄り、間合いの少し手前で止まった。ふっと息を弛めた相手の隙をつき、踏み込みながら向けられた剣を下方向へといなす。そしてすれ違いざま、がらあきになった首に剣を叩き込んだ。
吹き出す血をさけるために距離をあけ、ソランは相手を見守った。ヒュウとおかしな呼吸音がした。もうまともな呼吸もできないのだろう。己の流す血が信じられないかのように首元に手をやろうとし、途中で体が崩れ落ちて地面に転がった。
『勝負あり』
その声を聞いて、ソランは殿下へと優雅に一礼し、ゆっくり歩いて元の位置へと戻った。
開始からわずか数分のできごとだった。そのあまりの技量の差に、いや、それ以上に、一切の容赦のない激烈な仕打ちに、敵どころか味方からも声が上がらなかった。祝福の言葉がとっさに出てこぬほど、心胆を寒からしめたのだ。
ただ一人殿下だけが微笑んで頷いた。
「よくやった、ソラン」
立会人、エンレイの部下が二名進み出て来て、死んだ男の体を引きずって柵の外へと運び出した。他にも数人が土を運び込み、血溜まりを吸わせ、また掻き集めて引きあげていった。十分もかからず、次の相手が呼び出される。
相手は見るからに警戒をし、体が硬くなっていた。そうすれば動きもぎこちなくなる。そんな状態でソランの相手がまともにできるわけもない。今度は一合も合わせることなく、一人目以上に簡単に屠られた。
一人。また一人。ソランが殺す度に、あたりは静まりかえり、緊張が高まっていった。
人間業とは思えなかった。その姿形も、剣を振るう動きも、一流の踊り子の舞いよりも美しいのに、表情も変えず、息も乱さず、ただ淡々と人を殺しているのだ。いっそ家畜の屠殺の方が、まだ手間がかかるくらいだった。
十人目になろうとしたころ、剣を渡された相手が、悲鳴に似た喚き声をあげてそれを投げ捨て、バートリエに向かって走って逃げ出した。
立会人の一団が、まず、他の者まで逃げ出さぬよう、剣を持って待合所の周りを囲み、三人が馬を駆ってその男を追いかけた。直ぐに捕まえ、縄をかけて連れてくる。
ソランの前に据えられたはいいが、嫌だだの、助けてくれだの、泣き喚いてうるさく、話もできない状態だった。
ソランは少し考えてブーツの側面に留めつけてあった短剣を抜いた。とたんにぴたりと声が止まった。がたがたと震えだし、異臭が鼻をついた。黙ったのならそれでいい。これ以上辱めることもないと、ソランは黙って一歩身を引いた。
「イドリック!」
男に目を据えたまま、通訳を頼むために呼ぶ。たとえ縛られていようと、敵から目を離す気にはなれなかったのだ。
その大声に、恐怖のあまり男の意識が飛びかけたようだ。白目を剥いて倒れそうになるのを、縄を抑えた立会人たちに揺すられ、現実へと引き戻された。
イドリックが急ぎ足でやってきて、ソランの横に立った。
「通訳をお願いします」
やはり彼を見ぬまま頼み、一つ息をして整えた。静かに問う。
「おまえは、一人でも、そうやって命乞いをした者を助けたことがあるか?」
目を見開いてソランの言葉に耳を傾けていた男は、イドリックの通訳に、顔を赤らめて激しく頭を上下に振った。
「いつ、どこの話だ? その相手が本当にいて、おまえの弁護をしてくれるというなら、待ってやってもいい。だが、もし見つからなければ、四肢をそれぞれ別の馬に括りつけて引き裂いてやるが、それでもいいか?」
男は唇の色が変わるほど蒼褪め、歯の根をがちがちと鳴らした。
「だったら、選べ。私の相手をすれば、今までの男たちと同様、苦しまぬように殺してやる。そうでなければ、棄権を申し出ればいい。立会人たちがおまえの両手首を切り落とし、血止めをしてから逃がしてくれよう」
それがエランサの流儀なのだという。決闘を受けておいて棄権するような輩は、殺す価値さえないのだそうだ。だからその手を奪い、野に放つ。
突然両手が使えなくなった者が、それほど生き延びられるわけもない。狼に食い殺されるか、飢えて死ぬか、あるいは凍死するか。世界が裁くままに、野垂れ死にさせる。
もし生き伸びたとしても、両手を切り落とされた人間など、誰も受け入れはしない。その生が終わるまで、孤独のうちに生きるのだ。
「さあ、どうする。五つ数えるうちに選べ。それ以上おまえに割いてやる時間はない。選べぬなら、私が殺してやろう」
広げた手を示し、ゆっくりと時間をかけて数えながら、一つずつ指を折っていく。
いち。
に。
さん。
し。
『棄権する!』
男は叫んだ。
『棄権させてくれ!』
「認めよう」
ソランが頷くと、エンレイが男を捕らえている者たちに目で合図をし、連れ去らせた。
ソランは短剣を元の位置に差し込み戻した。それからゆらりと威圧感に満ちた体を起き上がらせ、待合所にひしめく男たちを見上げて声を張り上げた。一言ずつ、イドリックが通訳する。
「選べ! 私に殺されたいか、それとも手首を切り落とされたいか。選べ!
逃げられるなどと思うな。ウィシュタリア軍は、弱き者を虐げる者に容赦はせぬ。必ず捕らえ、死を与える。
さあ、選べ!」
男たちが震えあがったのがわかった。威勢のいい下卑た様子は最早微塵も見えず、手の中で怯えて震える子鼠のようだった。
誰も答えない。ソランは苛立たしげに溜息をつくと、柵を跳び越し外へ出た。そして剣を抜いて忌々しいものを斬り裂くかのように横に振り払った。その切っ先を彼らに向け、歩み寄っていく。
「選べ! 選べぬなら、最早面倒だ。今すぐ纏めて殺してやろう!」
途中、武器置き場にあった剣を一つ手にする。その札に目を走らせ、五十八、と読みあげる。
「なにも空手の者を殺そうとは思わぬ。まずは五十八番から来い!」
誰も出て来ようとしない。ソランは怒りを表すために、五十八の札の付いた剣を、利き手ではない左手で振り上げ、柵へと叩きつけた。刃が斧のように板に食い込み、半ばで止まった。
男たちは悲鳴をあげて、お互いを押しながらその場から逃れようとした。それと同時に、奥のほうから大声をあげる男が、暴れ逆らいながらも押し出されてくる。
「おまえか?」
『違う!』
「手を見せろ」
ソランは、自分の左手の甲を振って見せながら、要求する。おそるおそる出されたそこに記された文字は、半ば消えかかり判別できなかった。
「わかった。おまえだ。出て来い」
『俺の順番じゃない!』
男が叫んで後退った時、大砲の音が響き渡った。男たちがびくりと震え上がった。何発も何発も、六台の大砲が火を吹く音が続く。皆振り返ってバートリエを確かめようとするが、ここは少し低くなっていて何も見えなかった。
恐らく、男たちの馬と、中にあった食料を運び出し終わったのだろう。これ以降を見据え、バートリエには砦を築く予定だった。そのために邪魔な町は更地に戻す。
どうせ壊すなら、新設する砲兵隊の練習の的に丁度良い。それが始まったのだ。勿論このタイミングなのは、もうあそこには戻れないのだという脅しでもあった。
元々、出てこなければ町ごと打ち払うと宣言してあったのだ。信義に悖ることは、何一つしていない。
「町は打ち払う。そう言ったはずだ。さあ、どうする。選べ」
ソランは一歩近付いた。男は、ひっと息を乱れさせ、裏返った声で言った。
『棄権する! 頼む。棄権だ!』
「わかった。許そう」
エンレイに頷いてみせ、男を連れ出すように指示すると、ソランは何も言わずに顎をあげ、残った彼らを睥睨した。男たちは固まったまま、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
「イドリック、武器を中へ投げ入れてください」
冷たく煮えたぎる声で命ずる。
もしも脅しが失敗すれば、ソランは七百人以上の相手をしなければならなくなる。どうにかして脅しきらなければならなかった。
背後でイドリックが踵を返す音がした。やがて、金属の触れ合う音がし、一山抱えた彼が、ソランの横を通り、柵の中へとそれらを放り込んだ。
彼が三度ほど往復したところで、ソランは楽しげに笑った。これで駄目なら、もう殺るしかない。
それに備えて感覚を研ぎ澄ませていく。全身の感覚が解放され、力が漲る。そうして心が高揚したが故に漏れた笑みだった。それは美しく、禍々しく、狂気に満ちて、震え上がった男たちの心を砕くに充分だった。
男たちの見守る中、ソランがふうっと静かに動いたかと思うと、柵の下の横桁に足をかけ、次の瞬間には、薄い板の縁の上に危なげなく立っていた。
「武器は与えた。取るも取らぬもおまえたちの自由だ。……行くぞ」
ソランが手に持った剣を振りあげたとたん、男たちは先を争って隅へと移動し、揃って口々に『棄権させてくれ』と喚いたのだった。




