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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第十章 バートリエ事変
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7 砲撃

 当日の朝は酷く冷えた。薄靄がかかって空気がしっとりとしている。ゲルダ衣裳店のチェイニー婦人おすすめのマントはとても暖かかったが、いつのまにか首周りの毛皮の先に細かな水滴が付いていて、ソランは手袋をした手でそれを払った。

 朝食をすませ、船を降り、船着場まで連れてこられていた馬に乗る。キエラに行く途中で他の馬に乗り換えた際に置いてきた、領地から連れてきた愛馬だった。そこからこちらに直接連れてこられていたらしい。

 久しぶりに会った彼女は多少拗ねていたのだろう、鼻面で手荒く押され、ソランは蹈鞴を踏んだ。笑って、ごめん、と謝り、機嫌を取るために、昨日のうちに船の調理室から貰っておいた砂糖の塊を与える。今日は頼んだよ、と声を掛けると、早く乗れとばかりに鐙をソランに向けてきた。

 馬上に登り、騎上の殿下へと首をめぐらす。目が合い、頷き返してくれた。着込んだ甲冑と豪華なマントのせいで、今日は一際大きく見える。


 殿下と今朝は、いや、二日前にこちらへ着いてから、必要事項以外は、言葉をほとんど交わしていない。こちらに来た日の夜の、幹部を集めた会議で方針が決まって、寝室に二人きりになっても、それは変わらなかった。

 軍事行動中であるし、船の中だということもあり、着替えることもなく上着を脱ぎ、衣服を弛めただけで寝台に入った。

 話し合いですっかり語りきっていたので、強いて言うことはなかったし、無言でも気詰まりではなかった。これからのことに気が高ぶって眠れないかとも思ったが、殿下に寄り添えば、それだけで心は凪ぎ、頭の中が空っぽになった。

 そうして穏やかな口付けを交わした。それは別の人間であるはずなのに、心の境界が消えて混じり合っていくような、とても濃密で自然な行いだった。

 昨夜も同じようにして眠りについた。昼間はお互いにこなさねばならないことに駆けずりまわり、顔を合わせることもなかったが、そうして準備をすませてしまえば、今更語り合うこともなかったのだ。


 ジェナスは今回のことを、ソランがこうするように殿下が仕向けたのだと感じているようだったが、けっしてそうではない。殿下にはこの状況でソランが取るだろう行動が、本人以上にわかっていただけで、ソランにもやるべきことが見えている今は、ホルテナたちのテントで別れた時のような混乱はなくなっていた。

 物事の流れというべきものが感じられ、二人で同じものを見ているのだという感覚がある。

 恐れはない。迷いもない。気負いもない。前に真っ直ぐに開いて見える道を進むだけ。


 殿下は泰然自若としていて、だから、あたりには盛んに伝令と確認の声が飛び交い忙しない雰囲気があったが、その存在感にまわりの人間も安心して、落ち着いて行動しているのが見て取れた。

 ソランもまた、その傍らで警護につきながら、静謐な空気を纏っていた。




 日の光が朝の色を脱ぎ捨てた頃、朝靄は晴れ、青い空が見えてきた。バートリエの防壁に立つ見張りの姿が入れ代わり立ち代りしているのも見えるようになった。それまで囲むだけ囲んで攻める様子もなかったウィシュタリア軍が、陣を組んでいるのだ。中は大騒ぎなのだろう。

 とは言っても、たいした陣を布いているわけではない。防壁上からの弓の攻撃が届かない五百メートルほど離れた所に、バートリエを等分に囲むように六台の大砲が配置され、軍も六つに分けてその後ろに展開しているだけだ。


 防壁との間は何もない。何もないように、相手が来る前に整地してしまったのだ。

 普通は篭城する側がそういったことをする。敵に資材や身を隠す場所を与えないためだ。また、軍を細かく分割して配するのも、下策の類になるだろう。

 それでもこうしたのは、大砲を最大限に見せつけるためであった。また、こちらは烏合の衆とはいえ一万人を擁しており、圧倒的な兵力差があったからでもある。

 その一万人すら表にいる人数で、彼らの反乱に備えて、密かにもう一万五千の兵が近隣に伏せられていた。今回の事は、これ以降の軍事行動を想定した演習にもなっていた。


 防壁の上の人数が減り、元々の見張りのみになったようだ。その報告を受けて、殿下が鋭く命令を発した。


「撃て」


 復唱がなされ、軍笛が吹き鳴らされる。呼応して離れた五つの陣からも軍笛の音が響き、やがて前後して六つの大砲が火を吹いた。

 体に直接衝撃を与える轟音が響き渡り、同時に防壁の一部が崩れ、もうもうと砂埃を上げた。全軍にどよめきが奔る。

 続いて着弾位置を変えながら、次々と打ち込んでいく。その度に兵たちは黙りこんでいった。動揺の色を浮かべながら、固唾を呑んで見守る。全部で三十発ほどが打ち込まれたところで、防壁は子供の積み木が崩れるように、音を立てて崩れ落ちた。

 砂埃が治まると、瓦礫の向こうにバートリエの町並みが見えていた。

 そうしてあたりを支配したのは、喜びの歓声ではなく、恐怖からくる沈黙だった。




「捕虜を放て」


 殿下の静かな声が静寂を切り裂いた。我に返ったように裏返った復唱が続き、右翼に囲われていた百人あまりの捕虜が連れ出されてきた。武器は返してある。そのままバートリエへと導き、全員を町の中へと追い込んだ。

 彼らには中の仲間に伝言を届ける役目を負わせてある。


 女たちはウィシュタリアの一騎士が貰い受けたこと。

 彼女たちの屈辱を晴らすために、その騎士が決闘を申し込むこと。タリア側の代表は、その騎士一人であること。

 この決闘で勝てば、ウィシュクレアへの進入の罪を問わず、エランサへ返すこと。

 決闘を受けなければ、引き続き大砲で攻撃し、バートリエごと撃ち払うこと。

 決闘を受ける者は、一刻以内に全員バートリエの外に出てきて、まずは武器をさし出すこと。

 出てこなければ、攻撃を開始すること。


 続けて殿下は次の命令を発した。


「決闘場の準備をしろ」


 木材や工具を持った兵が、バートリエと布陣の真ん中辺りの窪地に赴き、杭を打ち込み、板を打ちつけ、柵を造って、即席の決闘場を作り上げる。

 一番低い場所を十メートル四方ぐらいの闘技場とし、少し離れた斜面に、折り返しながら一列に並べるよう区切られた、待合所が造られた。


 工兵が下がり、完成したことが告げられると、ソランたちは闘技場へと移動した。

 殿下とその護衛の三十人のみ帯剣をし、闘技場の正面に陣取った。他に武装を解いた五十人が決闘の人員整理に当たるために、待合所のバートリエ側にて待つ。そして闘技場の脇に、女性たちを助け出したとされるエランサ人の一団が招かれた。

 なだらかな窪地であるので、斜面の上に寄ればどこからでも良く見える場所だった。残りの兵たちが、斜面の上辺に立って見下ろしていた。


 ソランは冑を脱いで柵の杭に掛けてから斜面を登り、一人、バートリエから良く見える所に立った。

 人員整理をするためにいる男たちが、少し離れてはいるが傍にいるおかげで、ソランはさぞかし細身で小柄に見えることだろう。目も良ければ、一見優男風なのもわかるはずだ。

 あれだけの条件で、決闘の相手がこれなら、出てこないわけがない。案の定、ソランが姿を見せてしばらくすると、バートリエからぞろぞろと男たちが出てきた。


 ガラが悪く、統率というほどには纏まっていない、締まりのない男たちだ。彼らに比べれば、エレイアの盗賊団は上品だったと、ソランは思った。

 どうやら西でのエーランディア聖国との戦から逃げ出した脱走兵の集まりらしい。そんな身分で故郷へ帰れるわけもない。だからと言って同国民を殺し、生きる場所を奪ってそこへ居座るなど、たとえ聖国対策で喉から手が出るほど人員が欲しくても、手を結ぶに値しない相手である。七百少しの兵を手に入れるために、ウィシュタリア軍の名を落とすなど有り得なかった。

 彼らと鉢合わせしないように、こちらに向かってくるのを確かめたところで、ソランは闘技場へと下りた。


「ソラン」


 殿下の声に振り向くと、あちらだと顎で示される。そちらへ目をやれば、ジェナスやダニエルたちに付き添われたホルテナたちがやってくるところだった。

 ソランは柵の上に手をついて身軽に乗り越え、彼女たちへと走っていって出迎えた。進み出たホルテナの手を取る。


『来てくれた。ありがとう』


 こんな武器を持った威圧的でむさ苦しい男の集団の真っ只中に来るなんて、勇気のいることだっただろう。たとえそれがエランサの流儀だとしても。

 ホルテナは横に首を振った。


『とんでもありません。ソラン様こそ』


 言葉に詰まった瞳は潤んでいる。ソランは微笑んで抱き寄せ、あやすように背中を軽く叩いた。


『大丈夫。私が勝つから』


 こちらを心配げに見つめる女性たちに、ホルテナの肩越しに笑いかける。


『皆、怖かったら、目を瞑って、耳を塞ぐ。ね?』


 これから始まるのは見ていて楽しいものではない。きっと、家族が殺された時のことを思い出して、辛い思いをする。


『いいえ。見届けます』


 顔を上げた彼女の瞳には、昨日、この話をした時に見せた憎しみの炎は、鳴りを潜めていて見えなかった。ただひたすらにソランを気遣う思いに溢れていた。

 あの痛みと怯えに彩られた暗く深い傷は、今も彼女たちを苛んでいる。それでもこの瞬間は、ソランを思ってくれている。だから少し安心した。本当は、さらに傷つけるだけな気がして、それが怖かったから。

 ソランがこうすることで、彼女たちをこの世界に引き留めることができるのなら、こんなことは苦でもなんでもなかった。

 ……ジェナスは、それを彼女たちに課す義務と表現したけれど。ソランの払う代償を見せ、それに見合う忠誠を刻みつけなさい、と。そうすれば彼女たちは生きる意味を失わないで済むだろう、と。

 それが良いことなのかわからない。ソランには痛ましいことにしか感じられない。それでも、どうか、痛みだけを与えずにすみますように、と願う。一欠片の救いにでもなれますように。そして、いつか彼女たちの愛しい思い出が、痛みではなく優しさを与えてくれるようになるまで、生きてくれますように。


 腕の中のホルテナが動き、ソランは少し身を離した。彼女が懐からこげ茶色のものをさし出してくる。


『私たちの髪で編んだお守りです。どうかお持ちください』


 ソランは大きく笑んだ。彼女たちを見まわす。


『ありがとう。とても嬉しい』


 そしてそれを、鎧の上から首周りに巻いてもらい、留めつけてもらったのだった。




 女性と子供たちの一人一人から頬に口付けを受けたり抱擁されたりするのは、斜面の上の方にいる決闘相手たちからは丸見えだった。激励を受け、悠々と闘技場に戻って見上げると、彼らは歯噛みして睨み下ろしていた。

 ほぼ全員が出てきたようだ。その人数の多さに、武器の受け渡しに手間取っているようだった。

 ウィシュタリア兵は武器を受け取ると数字の書き入れられた札を縛りつけて、待合所脇の武器置き場に置き、それと同じ番号を相手の手の甲に書きつける。その上で、待合所の中に順番に並んでもらっている。


 ソランは困った様子をして彼らを見上げ、それから殿下の許に行って話をし、イドリックを借り受けて待合所の前まで行った。そして、優雅に礼をしてみせる。それは王妃監修の礼儀作法見習いで身につけた最高テクニックの披露の始まりだった。

 男たちは脅してやろうと身構えていたのに、ソランの仕草にそれを忘れて訝しげにした。明らかに男の動きではなかったからだ。

 それに、見れば見るほど、そこらではお目にかかれない美女だということも知れた。少し微笑んで見せると、揃って唾を飲み込む。目つきが嘗め回すようだ。

 立ち方一つも、いつもどおりの地面を踏みしめた立ち姿ではなく、あくまで女性らしさを醸し出す姿勢をとり続けていた。

 自分で彼らがそうなるように仕向けておきながら、ソランはあまりの忌々しさに、今すぐ全員の首を跳ね飛ばしてまわりたくなった。それでもそれを隠し、イドリックにウィシュタリア語で話し掛け、通訳してもらう。


 曰く、こんなにたくさんの相手が出てくるとは思わなかった。どうか、一日五十人の相手で許してもらえないだろうか。それを許してくれるなら、私が負けたときは、その相手の物になろう。


 下卑た笑いが湧き起こった。下品な言葉も飛び交っているようだが、ソランには、まったくそのへんは理解できなかった。スーシャもファティエラも上品な日常会話しか教えてくれなかったのだから。

 イドリックが険しい顔をしているところを見ると、ソランに向かって吐かれている言葉は相当酷いのだろう。


「気にしないでください。私には一つもわからないのです」


 イドリックはやりきれないとばかりに一つ溜息をつくと、頭を下げた。


「それは不幸中の幸いでした。貴女の耳を汚さないで済んだこと、誠にようございました」


 イドリックとの会話に、自然な『しな』を作って笑んだソランを見て、突然、いいだろう、という了承の怒声とともに、男たちが動きだした。見るからに腕っ節の強そうなのが、先頭へと幾人もやってくる。

 これで、用心深い頭の切れるタイプは別として、腕っぷしが強いと自負する者から先に始末ができるだろう。しかもソランを無傷で手に入れたいがため、彼らは手加減せざるを得ない。


 並び替えがすんだのを見計らって、ソランは一人一人と目を合わせ、指差しながら口に出して数を数えはじめた。そう、まさに五十まで。

 それから彼らを見回して『お願い』をする。今日はあなたたちとだけ、と。順番を入れ替えたりしないでくださいね、と。

 ソランが言う後をついて、イドリックが訳して伝えてくれた。それに彼らから、やはりソランの知らない言葉で返されたのは、言わずもがなだった。

 ソランは最後に再び優雅に一礼して踵を返した。数歩行ったところで立ち止まり、振り返る。言い忘れていたという態をし、イドリックに伝えて欲しいと頼む。


『もし途中で気が変わって棄権する場合も、一度は決闘を受けた気高さに免じ、ウィシュタリアは一切手出しをしません。立会人のラショウ・エンレイに引き渡します。あなたたちはエランサの法で裁かれることになります。どうぞ遠慮なくお申し出ください』


 そんなわけがあるか! 怒号が飛び、笑い声があがった。ソランはそれを気にすることなく、闘技場へと下りたのだった。

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