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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第十章 バートリエ事変
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4 虐げられし者

 そこは他のテント群からかなり離れた場所にあった。まわりに充分な広さを取り、柵まで設けられている。その柵の外側には所々に犬が繋がれ、侵入者対策としているようだった。

 大きなテントが四つ、真ん中に小さな共同広場を造るように入り口を向かい合わせて張られている。その他に敷地の隅に小さなテントが二つ、外へと繋がる入り口にあたる場所を塞いでもう一つ、中くらいのテントが張られていた。広場の中央には二つの竈が設けられ、その上に雨避けの屋根が掛けられている。あそこで煮炊きしているのだろう。

 犬が吼えはじめた。縄は長く取ってあったが、無闇と飛び掛ってくることはなかった。怯えている様子もない。するべきことを知っている、よく訓練されている犬たちだった。近付くほどに激しく吠え立ててくる。


 イドリックが、入り口のテントの垂れ幕を捲って外に顔を出した。すぐに出てきて笛を取り出すと、音のしないそれを吹いた。犬笛だ。ぴたりと犬たちは黙った。

 それから彼はこちらに一礼してからテントの中に戻り、今度はウォルターを伴って出てきた。殿下の前まで駆けてくる。そして二人は片膝をついて挨拶をした。


「出迎えにも参らず、申し訳ございません」

「いいや、かまわん。報告書は読んだ」


 保護した女性たちはひどく怯え、特に男を寄せつけないのだという。故に警護は、中で妻が彼女たちと寝起きを共にしている、イドリックとウォルターが交代で請け負っている状態だった。それでも、他と離して入り口に張られたテントから敷地内には入らず、極力接触を避けているという。


 報告書にまとめられた話を見れば、それも無理はないと思われた。

 住んでいた場所を賊に強襲され、男は赤ん坊から大人まで全て殺され、人手にならない老人も殺された。その上、残された女たちは、昼は昼で畑仕事などの労働に駆り出され、夜は夜で男たちの相手をさせられたという。

 痛ましい話だった。自分の領地でそんなことが起こったら、ソランはおそらく、その男どもを一人残らず殺さないことには気がすまないだろう。それで何が戻ってくるわけではないにしろ、きっとそうせずにはいられない。

 けれどソランは当事者ではなく、彼女たちが本当に望むことも未だ知らない。ただ、同じ女性として、また、これから為政者の端くれに並ぶ者として、彼女たちにできるだけの手はさし伸べてやりたいと思っていた。それもソランに許される立場の範囲内のことではあったが。


「ジェナスはいるか」

「民間人に怪我人が出たと聞いて、そちらへ行かれました」

「そうか。エレーナ・ホルテナに話が聞きたいのだが、会えそうか?」


 族長の血縁者で、彼女たちのリーダー的存在だと報告されていた女性だ。


「私が駄目ならば、ソランだけでもよい」


 急な話に、ソランは表情は変えないようにして殿下に視線を向けた。


「かしこまりました。しばらくお待ちください」


 彼らは目配せしあって、イドリックがテントへと走っていった。


「殿下、どうかテントの中でお待ちください」


 ウォルターが進言する。ここでは目立つし、話すにしても、厳つい男に囲まれているのを見れば、彼女も怯えてしまうだろう。


「わかった」


 殿下は振り返ってソランの手を取った。腕を絡めさせる。そしてウォルターの後に続いた。


「何をお聞きになりたいのですか?」


 彼女たちがファティエラやジェナスに話したことが本当なら、もう一度それを当人の口から話させるのは酷である。報告書には特に疑わしい点はないと記されていた。それ以外のいったい何を知りたいと言っているのか。


「今回の事の落とし所に、彼女たちの意向を取り入れるのはどうかと思ってな」


 たしかに今回は規模が小さく、侵攻というほどのものにはならなかった。どちらかというとエランサ内の覇権争いのとばっちりである。そこから目指す結果を導かなければならない。


「一つの宝を取り合う者が二人、その宝は我々が握っている。我々には我々の事情がある。このへんまで何か出て来かけているのだが」


 そう言って、首あたりで手を振る。


「おまえたちはどうだ? ディー。キーツ」


 殿下は少し後ろへ首を傾け、すぐ後ろを歩く彼らに尋ねた。


「ううん、何か足りないんですよね。俺もここまで来ている気がするのですが」


 ソランが振り返ると、ディーがやはり首のあたりで手を振る。


「俺はさっぱりです」


 キーツが苦笑した。

 目と鼻の先であったテントにはすぐに到着した。共に来た者を全員外に残し、殿下とソランだけで中へと入った。




 ファティエラに付き添われてやってきた女性は、小柄で目の大きな人だった。

 テントの中にはソランたちしかいなかったが、薄暗いそこに、真っ黒い格好をした大柄な人間が二人もいれば、誰でも驚く。ソランたちが入ってきたのと反対の入り口が捲り上げられ、外の光に照らされた顔は、一瞬はっきりと怯えの表情を映しだした。だがすぐに気丈に唇が引き締められ、中に踏み入ってくる。そして入り口近くでファティエラに促されて座った。


「お待たせいたしました。こちらがエレーナ・ホルテナでございます」


 ファティエラが紹介してくれた。それに合わせて彼女も頭を下げる。その時、膝の前についた手がのぞく袖口から、細い手首が見え、それに気付けば、顎も首も肉が削げており、小柄だと思ったのも全体的に体が薄くなってしまっているためだったのだと思い至った。

 殿下が口を開いた。流暢なエランサ語で話しだす。


『私はアティス・ウィシュタリア。今回、この騒ぎを治めるべく国王陛下より遣わされた者だ。

他国民とはいえ、おまえたちの受けた被害は見過ごすには重大すぎる。古より国家間の諍いを調停してきた我が国の名において、出来る限りの便宜を取り計らおう。

ついてはおまえたちの意向を知りたい。今後、どうしたいと思っている?』


 視線を落としたまま体を固く強張らせっぱなしだった彼女は、殿下の言葉を聞いて、さらに気を張り詰めたように見えた。顔が微かに顰められる。

 それが痛々しく、何かをしてあげたい気持ちに、ソランは腰を浮かせた。すると彼女はびくりと身を縮めてこちらを見た。ものすごく怯えた顔だった。彼女と目が合う。


『ごめんなさい。驚かせるつもりなかった』


 ソランはとっさに謝って座りなおした。殿下のように流暢には話せないが、意味は伝わったようだった。彼女はいつの間にか驚いた表情に変わっていた。


『い、いいえ。あの、女性の(かた)?』

『私の妻だ』


 殿下の端折り過ぎた説明にぎょっとしつつ、そう言った方が彼女を安心させるのだろうと推測し、笑顔で名乗る。


『ソランです』

『奥様』


 確認するともなくポツリと呟かれた言葉に、かーっと頭に血が上った。ソランの恥らった様子に、彼女は初めて口元に笑みらしきものを浮かべた。


『失礼致しました。暗くて目が慣れなかったものですから、その、すみません、男の方だとばかり』

『いいえ、いつも男に思われる。初め女だと思われない。気にしない』

『え、そんなわけは』


 社交辞令で否定してくれるのに乗って、もう少し気分がほぐれてくれればと思い、思いついたことを口にする。


『本当。夫にも、男だと思われて、好きと言われた』

『おまえは、まったく』


 手を取られ、握られた。もう話すなという目で見られる。そういえばテントの外で、ディーたちが息を殺してこちらの話に耳を傾けていたのだった。

 夫、などと言ってしまった。彼らにも聞こえてしまっただろうか。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。心臓が早鐘を打ち、背中にも額にも嫌な汗が出てくる。

 殿下はソランのそんな様子に溜息交じりの息をつき、ソランの手を握ったまま自分の膝の上に置いた。視線をホルテナに戻す。


『これに話したことは、他を通すことなく直接私に伝えられる。故に、これを相談相手として置いていく。急に先の話をされたところで戸惑うのも当たり前だ。他の者とも話し合う必要もあろう』


 殿下の傍を離れたくなかった。この後、兵たちの許へ行くとも言っていた。彼らはいつ離反して謀反を起こしてもおかしくない者たちだ。心配でたまらなかった。だから殿下の手を握り返した。ぎゅっと強く。

 応えて殿下がソランに視線をくれた。ふっと笑う。大丈夫だ、というように。


『こちらには、そこのファティエラたちに与えたと同じものを与える準備がある。詳しくは、これやファティエラに聞いて、これからの参考にするが良い。ソラン、頼んだぞ』


 ずっとソランを見たまま述べる。その強い瞳に、いつものように反論して我儘を通すことはできなかった。


『わかった。任せろ』


 仕方なく、ソランは渋々そう返事をしたのだった。

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