9 収穫祭 後編
収穫祭に武闘大会が開かれるのは、英雄の君が将軍位にあったことによる。つまり、領民の祖先は彼の部下であり、全員軍人であったらしい。
弓技、剣技、組み手、乗馬、短刀投げ。このうち剣技の部は実際のところ異種武器戦だ。槍、棒、鎖鎌、斧に鞭等何でもありで、それぞれに名手がいたらしく、家名に関係なく才能のある者に技を受け継いできた。
例えばイアルは両刃の大剣の名手で優勝もしているが、短刀の使い手でもある。マリーは組み手も強いが、なんといっても圧巻なのが弓技だ。五十メートル先の甲冑を着せた人形の面覆いの目出し部分を射抜くと言ったら分かってもらえるだろうか。
ただし、今年は二人とも出場していない。領外での仕事が決まっている者は、大事を取って出場できない決まりになっているからだ。
ソランもまた、出場したことはない。『守るべき御方に剣は向けられない』せいだ。それでも鍛錬を欠かしたことはなかった。イアルと剣を交えれば五回に四回は勝てる腕前だ。
乗馬も巧い。他もそこそここなす。ただし弓は苦手で、なぜか人型に当てられない。いっそ目をつぶって射ったほうが当たるという始末だった。
競技は午後三時くらいまで行われ、それぞれの優勝者には、ソランから女神マイラを象ったメダルが与えられた。
人々が衣服の乱れを改め、日が傾き始めた頃、マリーとイアルの結婚申請がなされた。
マリーの両親には王都の屋敷を守ってもらっているので、残念ながら立ち会わせることができなかった。が、二人共に将来は必ず領内でも中心的役割を果たすだろう人物であることは確かで、そういった二人が家庭を持ち身を固めるのを、領民たちが喜ばないわけがない。
イアルの申請で始まり、領主によって承認され、ソランから祝福を与えられると、まわりを囲んだ人々から、どっと歓声があがった。誰彼となく近寄り、新郎の背や腕を叩きもみくちゃにし、新婦に声をかけては抱擁とキスを贈った。
その後は無礼講だった。用意された料理と酒に舌鼓をうちながら、交代で音楽を奏で、ダンスを踊る。
ソランの前には、例年通り、乙女たちの長蛇の列ができたのだった。
バイオリンを主役に、いくぶんスローテンポのロマンティックな曲が奏でられはじめた。特設された広場の中央に、イアルがマリーの手を取り進み出てくる。一度手を離し、お互い優雅に礼をする。それからイアルの手がさし伸べられ、それにたおやかにマリーの手がのせられると、歩み寄り、踊りはじめた。
ソランはイアルの表情を見て、自分で分量を間違えて作った極甘のクッキーを食べた心地になった。対するマリーときたら、立場上笑顔を保っているが、鳥肌が立っているようなのがうかがえる。そうは言っても体技に優れた二人のダンスは美しく、曲の終わりとともに衆人の歓呼を得た。
ソランに向かって二人は手を繋いだままやってきた。前まで来たところで膝を折り、深々と礼をする。それからイアルはマリーを導き、ソランの手に渡した。その年結婚したばかりの新婦が、ソランとのダンスの一番手を得るのは、毎年の恒例だった。
「大丈夫、マリー?」
中央に進み出ながら、マリーに尋ねる。アップテンポの賑やかな曲に切り替えられ、ソランたちだけでなく、老いも若きも大勢のカップルが出てくる。
「なんなのかしら、もう」
つん、と唇を尖らせ、
「急にあんな態度ばかり、調子が狂うわ」
本気で困惑している様子なのが微笑ましくて、笑みが浮かんだ。
「まあ、確かに箍が外れてしまっているようだけど、ベタ惚れされてるからね」
マリーが真っ赤になって、ぐっと言葉に詰まる。
「そんなのは、知らないわ」
ソランは小さく声をあげて笑った。
いつから好きだったのかと、ぜんぜん気がつかなかったんだけどと付け加えて、何日か前に、イアルに聞いた。ずいぶん昔からだと答えていた。三年前、ソランの留学について領地を離れることになった時は、まだ十三歳だったマリーを口説くわけにもいかず、気が気でなかったと。
今のマリーは、正に花開かんとしている蕾のようだ。初々しく美しく可愛らしい。イアルが躊躇していられなかったのも分かる。
……彼は、この手の中の愛しい花を、どうしても手に入れたかったのだ。
ソランは不意に、イアルの心をなぞるように納得した。
「ああ、なんだか、このままマリーを攫ってしまいたくなったな」
漠然とした焦燥に駆られて囁く。私だけの花だったのに、と狭量な思いに囚われる。同時にこんな気持ちになった上に、こんなことを言っている自分を恥じる。なのに。
マリーが満面の笑みになって抱きついてきた。
「もちろん、いつでも、ついて行くわ!」
とたんに重い気持ちが霧散し、イアルが不憫になった。
「イアルが泣きそうだから、やっぱりやめておく」
「ひどいわ、ソラン。ぬか喜びばかりさせて!」
「うん。ごめんね」
ソランは、マリーの好きな笑顔でニコリと笑ってみせた。
マリーは、いつも気弱な台詞を冗談にして笑い飛ばしてくれる。いつでも一番傍で気遣ってくれる。
「もうっ。しかたのない人ね」
ソランの笑顔を喜んでくれる。ソランがマリーの笑顔を喜ぶように。
他の誰を愛しても、どこに行っても、離れ離れになっても。きっと変わらない。
抱き合ったまま、ただリズムに合わせて体を揺する。温かく心が通じ合ったこのひとときを、歳をとってもずっと忘れない気がした。
曲が主節に戻り、終盤にさしかかってきたのを悟る。
「残念、もう終わりだ。……ふふ。見て。イアルが苛々しているのを取り繕ってるよ。私にまで嫉妬してどうするんだろうね」
マリーを抱きしめながら、くるりと回って、イアルの前で止まった。離れようとしない二人を見て、笑顔の仮面がますます固まっていく。面白いので、黙って待つ。
「……そろそろ、私の妻を返していただけますか」
とうとうイアルが折れて、そう言った。
「もちろん」
妻、の言葉に反応して、またもや真っ赤になっているマリーを押し出す。
「幸せになれるよ、マリー」
イアルの腕の中に彼女を押し付けた。彼に抱きとめられながら、目を瞠っている。
「もしもの時は、二人でイアルを懲らしめればいいから」
片目を瞑ってみせると、くすっと笑い返してきた。
「お気遣いなく。そんな事態には陥りませんから」
イアルの渋い声に、ソランは冗談だと機嫌よく手を振って、自分を待つ乙女たちの列へと踵を返した。
ソランは、健気で可愛いお嬢さんたちを独り占めし、同年輩の寂しい男どもと軽口を叩き合い、子供たちを優しく抱きしめ、ご婦人方には気遣われ、気のいい小父さんたちにかまわれているうちに夜は更け、祭りはお開きになった。
冷えてきた夜風に酔いを醒ましながら、ソランは領主館の玄関先で佇んだ。少し小高いそこから領地を見下ろす。
ランプの光が所々でちらちらしている。みんなが家路についている明かりだ。祭りの眩かった松明が消され、だからこそ月光に浮かびあがった光景を、目に焼きつける。
その記憶が、後にどんな困難に直面した時も、ソランを照らす光となった。