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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)
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閑話 あの上司にしてこの部下あり

 イドリックとウォルターは、交替のために殿下の私室の護衛控え室に入った。

 ディーは暖炉の前で靴紐を換えており、イアルは書き物机で手紙を書いているようだった。どちらも手を止め、顔を上げた。挨拶を交わす。


「ご苦労さん」

「お疲れ様です」


 一人ディーだけがご苦労さんと声を掛けた。あまりそうは見えないのだが、一、応彼は殿下の副官であり、彼らの上司に当たるのだった。

 訪れた義兄弟二人は、なにやら困った様子で何かを言いあぐねていた。それにすぐに気づき、気軽に尋ねる。


「どうした? 交代にはちょっと早いようだけど」

「すまん。少々相談事が」

「相談? いいよ。もしかして、扉の向こうにいる人? でも、ここには入れてあげられないけど?」


 ディーは顎で半開きになっているそこを指し示した。


「わかっている」


 イドリックはそう言いながらも扉へと向かい、大きく開けて、そこにいる男たちを、入り口に掛かっているランプを外して照らしてみせた。

 それは城内で働いている年若い男たちだった。一様にぺこりと頭を下げる。ディーはそれに笑って頷いてみせた。


「勢揃いだねえ。で、どうしたの?」


 が、無言の挨拶を済ませた彼らは、なぜかイアルに視線を向けた。縋るような目つきであった。全員を代表して、イドリックが口を開いた。


「イアル殿、お願いだ。教えてくれないか。ソラン様の危険な遊びよりインパクトのある遊びを」


 彼らの姿を目にしたときから、だいたいの事情を察して同情の色を瞳に浮かべていたイアルは、物憂く微笑んで頷いた。


「わかりました。相談にのりましょう」


 彼らは我を忘れて歓声をあげかけ、ディーのシッという鋭い制止で、妙な格好のまま一斉に動きを止めたのだった。




 彼らの訴えはこうだった。

 最近、妻や彼女が自分を相手にしてくれない。やっと一緒に過ごす時間を取り付けても、会話は御領主様の御婚約者様のことばかり。


 ソラン様はお美しくてお優しくてお強くていらっしゃる。ああ、なんて素敵なんでしょう。


 ほんのりと頬を赤く染め、それはそれはうっとりとした瞳で語る。そして切ない溜息をつくのだそうである。


 ああ、ソラン様が御領主様にお会いする前に、ぜひお会いしたかったわ。そうしたら、猛アタックをかけたのに。


 そうして妻は子供を抱き上げ、子供の目を覗き込んで囁くのだそうだ。


 ソラン様がお父さんだったら、毎日楽しく遊んでもらえるのにね、と。


 結婚前の娘たちも呟くのだそうだ。


 あんなふうに子供を可愛がってくれるような人と一緒になりたいものだわ、と。


 そもそも女同士では肝心の子供が生まれるわけがないにも関わらず、女たちは口を揃えたようにそう言うのだった。




 入り口の敷居を境にして、中にディー、イアル、イドリック、ウォルターがしゃがみ、廊下側に男たちがしゃがんで、額をつき合わすようにして話す。部屋の暖気はすっかり廊下に流れ出してしまい、石造りの床からは冷気がのぼってきていたが、部外者を中に入れるわけにはいかなかった。


 御領主の寝室との間には居間や衣裳部屋があり、恋人同士が二人きりでいるのだ、こちらを気にするわけもないと思うが、片方はあのソラン様である。妙な気配があれば、剣を携えて覗きに来るに違いない。

 そうすれば、御領主が邪魔をするなと怒るのは確実だった。御領主の逆鱗に触れたいなどと思う命知らずはいない。なるべく静かにしているに越したことはなかった。


「そういえば、イアル殿の奥方はマリー殿だと聞いた。ソラン様に一途なあのマリー殿を妻にするとは、いったいどうやったんだ」


 イドリックが思い出したように尋ねた。


「ああ、それは命を差し出しました」


 イアルはなんでもないことのように、不穏当な発言をした。


「命、とは?」


 ウォルターがどこか不安を滲ませた声で聞く。彼はさすが海賊の末裔と思わせる、鋭くしなやかな鞭に似た雰囲気がある。年齢的に領主代行の父であるハリーほど苦みばしってはいないが、不敵な表情の似合うはずの男であった。


「私はソラン様の側近となるように育てられましたから。現時点で一番お傍でお仕えできる人間ということになります。つまり、ソラン様の盾となるに一番相応しいということで承諾してくれました」


 微笑みすら浮かべて語ったイアルを、男たちは全員、痛ましいものを見る目で見た。ところがディーは、良かったね、というように彼の肩を叩いた。


「うわあ、マリー殿、さすがだ。じゃあ、この前、ソラン様を庇って怪我したから、惚れ直してもらえたんじゃない?」

「まさか」


 イアルはさらにニッコリとし、否定した。


「ソラン様を心配させて泣かせたということで、目が覚めた途端、縊り殺されそうになりましたよ」


 それを聞いて、彼らは顔を引き攣らせた。イドリックやウォルターに至っては、脳内で己の未来の姿と重なったらしく、蒼褪めているようだった。唯一、ディーだけがクスクスと笑いだした。


「さすが我が恋敵! 素晴らしい女性だね!」

「ええ、本当に可愛い人なんです」


 ディーの褒め言葉を額面どおりに受け止めて、幸せそうに惚気てイアルは締めくくった。


「いやあ、人の幸せって、それぞれだよね。イアル殿も尻に敷かれっぷりが堂に入ってるね。それが夫婦円満のコツなのかな?」

「お蔭様で」

「みんなも」


 ディーが励ますように全員を見回し、途中で口を噤んだ。そしてやや勢いをなくして言い添える。


「……うん、そうそう真似できないよね」


 一同の上に重い沈黙が落ちた。




「でも、あまり気にすることはありませんよ。ソラン様はもうしばらくしたらここを離れるのですから。憧れは所詮憧れ。すぐに現実の生活に戻っていきますよ」


 イアルは、意気消沈している彼らを励まして言った。


「それに、ソラン様は絶対に誰かのものになるなんて期待を持たせたりしませんよ、それこそ殿下以外の誰にもね」


 それはそうなのであった。彼女はとりたてて女子供にだけ優しいのではなかった。誰にでも気さくで、会う人ごとに、あなたに会えて嬉しくて楽しい、といった態度で接する。

 だがそれは、どこか浮世離れした愛情だった。甲乙なく平等に愛を振りまくのである。好かれているとは信じられたが、自分だけが、など思いもよらなかった。

 そんな彼女に、膝に幼子が取り付くように女子供は群がる。男たちからアプローチしないのは御領主が怖いからであって、そうでなければ気軽に酒でも飲みながら語り合いたいものだった。 それに百パーセント疚しい気持ちがないかと問われれば、五パーセントくらいはありそうだったが、大半はほとんど同性に対するのと同じ気安さなのだった。

 御領主では恐れ多いが、若くて無茶を絵に描いたような彼女となら、馬鹿話から領地の未来についてまで共に語り合えそうだった。




「うちの領地でも一番人気で、何かというと常に女性の一団に囲まれていましたが、その領地の女性たちも、ちゃんと結婚していってます。心配ないですよ」


 男たちの顔に血の気と希望が戻ってくる。イアルはそれを見て、にこりと笑った。


「まあ、女性の思い描く『理想の王子様』に見て触れてしまったわけですから、彼女たちの理想が高くなるのは仕方がありませんよね。その理想に足りない分、常に尻を叩かれることになりますが、要は自分の男っぷりを上げればいいんですから。絶望することはありませんよ」


 その理想が高すぎるのである。しかも張り合う相手は男ですらない。夜空の星を取ってきて婚約指輪にしてさし出すようなものであった。


 彼らは仄かに希望を持たされた分、イアルの意図とは正反対に、今度こそ本当に絶望の淵に突き落とされたのだった。




 そんな男たちを見回して、どことなく落ちこんだ表情に変わったイアルが呟いた。


「すみません。励ましたつもりだったんですが」


 いっそ悪意があった方がマシな突き落とし具合であった。イアルの凶悪な天然ぶりに、誰もが口には出さなくても恨みがましく思わずにはいられなかった。


 あの上司にしてこの部下あり、と。




「大丈夫、大丈夫。ほら、奥の手を教えてもらいに来たんでしょ? このクッション使っていいから、それを子供に見立ててやってみなよ」


 ディーはさっと立ってソファのクッションを手にとり、あるだけ全部を彼らに投げて寄越した。彼らは初めは呆然と受け取りながらも、だんだんと生気を取り戻していった。


「そうだった。教えてもらいに来たんだった」

「イアル殿、ぜひ、すごいのを!」


 クッションを手に手にイアルへと詰め寄る。


「任せてください。教えるのは得意です。領地で絶大な人気を誇る遊びを、すべて伝授しましょう」


 そうして彼らは、冷える深夜の廊下で足音を忍ばせながら、我を忘れて黙々とクッションを振り回したのだった。

 愛する女性たちには絶対に見せられない、大変に涙ぐましい姿であった。




 あの領主にして、この領民あり。

 彼らは自ら女性たちの尻に敷かれる努力をしていることに、気付いていないのだった。

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