12 罠と餌
バートリエにエランサ軍を囲い込んだという知らせが入った。
戻ってくるなり、殿下はそう言った。狼煙によるものである、ほんの半日前の出来事だという。詳しいことは、ダニエル・エーランディアが兵を運ぶ船とともに届けてくれる手筈だ。それも、遅くとも三日後には到着する。
ソファへと席を移し、すぐに出陣の用意を始めるのか尋ねると、急ぐ必要はない、と人の悪い表情で殿下は笑った。
「せいぜい焦らしてやればいい」
バートリエの住民は、とっくに他へ移して中はもぬけの殻であり、そこに大量の食料を持ち込んである。それは殿下の用意した、巨大な罠と餌だった。
「奴らはそれをどうしても持ち帰りたいはずだ。大軍に囲まれているといっても、死ぬ気で身一つで逃げ出せば、人員のいくらかは国に帰れるだろうにな。だが奴らの目的を考えれば、目の前の宝を置いては出て行けないだろうよ。そうこうするうちに兵糧として目減りしていくのは、耐え難い苦痛だろう。人質として交渉できる住民もおらんしな?」
生き生きとしてる様子は、策略を詰む大人というよりは、悪巧みを練っている子供のようだ。少々悪戯が過ぎるような気がして、不覚にも敵が不憫に感じられ、窘めるというほどではないが、尋ねてみずにはいられなかった。
「たしか、同盟を結ばれるとお聞きしたのですが?」
「対等である必要はないだろう。むしろ裏切ったらどうなるか、骨身に沁みさせておいた方が良かろうよ」
やはり同盟は結ぶつもりでいるらしい。ならば、
「その食料を持ち帰らせるおつもりなのですね?」
「そうだ」
「では、攻城戦はしないのですね?」
敵が荷物を抱えて我が軍を突破できない以上、あちらは篭城しか策がない。もし攻城戦をしかければ、敵は兵糧を食いつぶしながら抗戦するしかないだろう。食料を持ち帰らせるつもりなら、それは無駄なことだ。
いったい殿下はどうするつもりなのだろう? そして、エランサ軍はどう動くだろう?
ソランは無意識に敵軍の立場になって考えはじめた。
援軍はなく、しばらく分の兵糧はあっても、その他の物資はほとんどない。また、国に帰っても家族と共に飢え死に、帰らなくてもいずれは飢え死にするとしたら、自分ならどうするだろうか。
外には町を囲む大軍。しかも音に聞こえたウィシュタリア軍だ。まともにやって勝てるわけがない。
だとしたら。いくらか交戦して少しでも有利な状態にしてから、第三の道を模索するだろう。相手を殲滅するのは無理だとしても、局所的な勝ちなら、もぎ取れないことはないはずだ。そうしておいて交渉に持ち込む。
交渉が受け入れられないのなら、最悪投降する手もある。ウィシュタリアは規律のとれた軍と、捕虜の扱いには定評がある。だからこそ昔は、紛争の調停役として各国に軍を請われたのだし、ウィシュタリアの軍が来たというだけで、降伏する敵も多かったのだ。
ただし、王族クラスは、時と場合によって、後の禍根とならないように殺されることもある。今回の首謀者も、その覚悟があるならば、そういう道を選ぶこともできるはずだ。
そして、それだけの度量のある相手であれば、殿下は赦すのではないか。
思い至った考えを、殿下にぶつけてみる。
「まずは降伏を勧告するのですか?」
「するものか。宣戦布告もなく攻め込んできた相手に、そんな親切なことはしてやらん。そもそも盗賊にそんな情けはいらんだろう」
どうやらソランの推測ははずれたようだ。助言が欲しくなって、殿下の後ろに立つディー殿に視線をやった。が、にこっとして肩を竦めてみせてくれただけだった。
殿下に視線を戻すと、ゆったりとしながらも隙のない感じで、いつになく威厳を纏っている。ソランは、はっとしていずまいを正した。
今の殿下は、私人としてではなく、公の立場でいるのだ。話しているのは架空の話ではなく、何日か後には実行に移されることだった。
「今回の戦で、必ず成し遂げねばならぬことはなんだ?」
問いかけられて、ソランは目を伏せて一心に考え込んだ。戦が終わった時に、我らが手にしていなければならないもの。それは、
「新王太子領の兵員の掌握」
「そうだ。そのためには、どのように勝たねばならない?」
「圧倒的な勝利。それには、こちらの損害の軽微さも必要でしょうか」
それらは昨夜話していただいたことだった。その答えを口にしている途中で、思いついたこともそのまま述べる。
「そのとおりだ」
ソランの発展させた返答に、殿下は薄く笑んだ。ソランに対しては温かいものであったが、それによって表情には凄みがのった。
「大砲を使って城壁を打ち壊す。エランサ軍が来る前に、城壁の下に坑道を掘らせておいたから、砲撃の振動で簡単に崩れ落ちるだろう」
そこまで語った時、扉をノックする音が響いた。
「ジェナスか? 入れ」
「遅くなりまして申し訳ございません」
彼女が副官を伴ってやってきて、ソランたちが座っているソファの横に立って礼をした。
「いいや、急に呼びたてたのはこちらだ。座れ」
殿下はソランの横を指し示した。
「失礼いたします」
彼女は殿下に会釈をし、ソランにも目礼をして隣に座った。
「今、バートリエの話をしていたところだ。おまえのところの技術者に、砲撃の振動で城壁が落ちるように坑道を設計させたが、あちらに行ったら、どの地点にどれだけ打ち込めばよいのか、おまえ自らがもう一度確認してくれ。手間取ってみせるわけにはいかんからな」
「畏まりました」
殿下は再びソランへと目を向けた。
「城壁を壊し、降伏してくるようならよし、そうでなければ、町も大砲で破壊する。生き残って投降すれば受け入れるが、でなければ町と運命を共にしてもらうまでだな」
「少々よろしいでしょうか」
ジェナスが小さく手を挙げ、口を挟んだ。
「なんだ」
「その場合、あの砲弾だけでは、かなりの数を打ち込まねばなりません。一日がかりでも無理かと思われますが」
「かまわん」
「ですが、炸裂弾を混ぜて使えば、効率が上がります」
「効率の問題ではない。今回、あれは使わぬ。それに変わりはない」
殿下は最後の言葉を強く言った。
「差し出口をいたしました」
ジェナスは目を伏せ、すぐに意見を控えた。
「いや。新技術の知見はおまえに頼る他はない。忌憚なく意見を述べてくれてかまわない。それから、使わないからといって、それらをおろそかに思っているのではない。今はまだ必要でないだけだ。それはわかってくれ」
「承知しております。ウィシュミシアの知識は、すべて宝剣の主殿の物。どうお使いになろうと自由にございます。お気遣いは無用でございます」
殿下は軽く頷いた。話がひと段落着いたのを見計らって、ソランは気になったことをジェナスに尋ねた。
「炸裂弾とはどういったものなのですか?」
「着弾、弾が目標物に当たることをそう呼んでいるのですが、それと同時に、弾自体が弾け飛ぶように細工したものです。それによって穴を開けるだけでなく、あたりのものを砕くことができます。つまり、破壊範囲が広くなるのです」
弾け飛ぶということは、あの弾を避けただけでは駄目だということだろう。あれが直接当たればもちろん即死だが、あの速度の破片に幾つも襲われたら、幾本もの矢に同時に狙われたのと同じなのではなかろうか。いいや、威力を考えたら、鎧も役に立たないだろう。効果は段違いに違いない。
「とても殺傷能力の高い物に思われるのですが」
「はい。着弾物にもよりますが、半径三メートル以内ならほぼ確実に戦闘能力を奪えます」
直径で六メートルならば、かなりの広範囲だ。密集陣形にそんなものを打ち込まれたら、あっという間に建て直しできないほどに瓦解してしまうだろう。馬や人では、最早太刀打ちできない。今までの常識が、何一つとして通用しなくなる。ソランは蒼褪めた。
「今回は人を殺すのが目的ではない。だから、使わぬ」
固い意志を感じさせる声で殿下が言った。
我らの目的は人殺しではないのだと。たとえ手段としてそれが必要だとしても。善悪の基準さえその手に握り、どれほどの強大な力を手にしたとしても。それに惑わされることはないと。
この方には、切り拓き、築かねばならない未来の姿がはっきりと見えておられるのだ。
ソランは安心して体中に、いや、心にも温かい血が巡るのを感じた。
「わかりました。なるべく派手に脅してやりましょう」
殿下に微笑んでみせる。殿下も応えて表情を弛めてくれる。
「そうだ。それで降伏を促す」
「降伏したら、どうなさるおつもりなのですか?」
「相手を見てから決める。信頼できそうなら食料を持たせて帰すが、できそうにないなら頭を挿げ替える。イドリックはあちらに帰れば王族の血縁者らしいからな。あれに任す」
殿下は一つ大きく息をつき、苦笑した。
「以上がおおまかな流れだが。まあ、実際はどんなに備えておいても色々と出てくるものだ。その時はおまえたちが頼りだ」
殿下は全員を見まわした。ジェナスの副官のエルンストまでも平等に。
「頼むぞ」
開け放しの信頼を示す。類稀なる、この人が。心が自然と引き寄せられ、どんな人間もそれに応えずにはいられるなくなる。
「はっ」
その場にいた誰もが、短く鋭い承諾の意を即座に示したのだった。