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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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閑話 花の名前

 大砲の実演を見ていると、冷りとした殺気がうなじを這いあがった。耳元で囁かれる。


「殿下、我が領主に何かなさいましたか?」


 まさかイアルにまで言われるとは思わなかったが、いざ言われてみると、当然か、という気もした。なにしろこいつはソランの腹心であり、『兄』でもあるらしいから。


「ソランに直接聞け」


 視線は前に据えたまま答える。

 口止めはしてあるから、碌なことは聞けんだろうが、察することはできるはずだ。私が言うより信憑性もあるだろう。たぶん、男の私が何を言っても嘘臭く聞こえるに違いない。

 イアルは人をくった答えに苛立ったのだろう。次には脅しをかけてきた。


「貴方の身勝手な欲望で我が主を振り回すなら、我等にも考えがあります」

「嫉妬はほどほどにしてくれ。おまえと同じ轍は踏まん。マリーはソランの護衛に連れてこようと思っておったのに、あれにはがっかりさせられたぞ」


 小うるさいので、二重三重に嫌味を言ってやった。考えなしなのは、こいつの方ではないか。ソランの安全が図れるなら、多少の我慢はしようと思っていたものを、マリーがいないせいで、寝所を共にし、挙句にこうなったのだ。むしろ理性の残っていた私を褒めてもらいたいものだ。

 なのに腹立たしいことに、イアルは嫌味を平然と受け流して、小憎らしい返答をよこした。


「それを聞いて安心いたしました。ご無礼をいたしました」


 しかも、お許しくださいとは言わない。普段はそうとは見せないが、性根はどこまでいってもソランの部下であり、私の下に付くつもりはないのだ。だからこそソランの傍に置いているのだが、時々どうにも腹に据えかねることがある。

 こいつにソランへの恋情がないのはわかる。明らかに妻であるマリーへの態度と違うのだ、わからないわけがない。が、その分、遠ざけることもできないし、へこませてやることもできない。言うなれば、小型のティエンだ。私を見る目が舅根性で鬱陶しいのである。


 こいつらを相手にしていると、王族だの王太子だのというものが肩書きでしかないのを思い知らされる。

 どこの国に、娘を妃に欲しいと目下の者に頭を下げる王子がいるというのか。普通は召し上げるだけだ。むしろ相手は喜んでさし出してきて、娘を選んだことに礼すら述べるのではないか。

 別に、頭を下げるのが嫌だったわけではない。そのくらいのことでソランが確実に手に入るなら、どうということもない。彼らに言ったことにも嘘偽りはない。

 だが、その感謝の念を凌駕する鬱陶しさがあるのも事実であった。


 イアルの気配が下がる。

 着々と大砲の準備が進められ、その間に渡された耳栓をした。ソランは熱心に見学していて、邪魔をせぬように耳栓とバケツを持ったまま、ジェナスが脇に控えている。


 あれもやっかいな奴だ。朝からソランにべったりとくっつき、離れる素振りが見られない。今も幼子にするように、手ずから耳栓をしてやっている。

 ソランはおとなしくされるがままにしながらも、こちらを向いて、ジェスチャーでさかんに耳栓をしたかと聞いてくる。私を心配する様は、まったくもって可愛い。その後ろで威嚇するかのごとく睨みつけてくるジェナスも気にならないほどだ。

 しかし、それも束の間、笑んで頷き返せば、ジェナスはソランの耳を塞いで顔の向きを変えさせた。昨夜の『おまじない』といい、手段は姑息だが的確ではある。微妙に腹立たしく、その微妙さ加減がまた苛立たしい。


 あれの心情も、過去にあったことを考えればわからないでもない。神官であったジェナスから仕える神を奪ったのは、宝剣の主だ。主がいなければ、神は失われはしなかったのだろう。だから、憎まれるのは理解できる。

 神の最後の(めい)が、宝剣の主やその部下たちを守り導けというものだったせいで、今もそれに縛られ、憎む相手に仕えねばならん煩悶も理解できる。

 が、だからと言って、感じる煩雑さを私が我慢する理由にはならない。

 ……そうではあるのだが。


 ジェナスを質問攻めにしているソランを眺める。いつもならば、彼女に触れていなければ嫉妬で不機嫌になりそうなものだったが、今日はどうしてか落ち着いていられる。

 それはたぶん、昨夜のソランのおかげだろう。

 自分でも口元が勝手にゆるんでくるのがわかって、片手で覆い隠す。

 人前でソランを抱き寄せキスするのは平気でも、ソランとのことを思い出している顔を他人に見られるのは、なんとなくではあるが、さすがに憚られるのだった。




 目覚めれば昨夜のままの姿で、ソランが寄り添って眠っていた。自分も無意識に抱き寄せていたらしい、片腕を彼女の胴にまわしていた。動けば気配に敏いソランは起きてしまう。だから、じっとして彼女の寝顔を見つめた。

 ぼんやりしたランプの光に浮かび上がる寝顔は、無防備であどけなかった。本当に一所懸命寝ているという感じだ。(いとけな)い様に心が波打ち、思わず抱き寄せていた手を頭に伸ばし、髪を梳くように撫ぜた。

 しまったと思った時は遅かった。ふっと目が開かれる。とたんに急速に覚醒していくのが手に取るようにわかった。ぎくり、という感じで体を強張らせ、投げ出されていた腕を胸元へと縮め、恐る恐る見上げてくる。

 その表情に息を呑んだ。

 ソランは無垢さはそのままに、どうしようもなく男心を惹きつける色香を放っていた。

 薄闇のせいかもしれない。昨夜の残滓に己の認識能力がおかしくなっているのかもしれない。ことソランに関する限り、そんなことは日常茶飯事だ。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。問題は、今度こそ理性が焼き切れそうなことだった。


 いや、昨夜も理性があったとは言いがたかった。夢中で彼女に触れた。一つ一つお互いの気持ちを確かめあいながら触れあい、狂おしい気持ちで求めあった。それでも一線を越えなかったのは、まだだという気持ちがお互いの中にあったからだ。

 そして、そうしなくても、満たされた一瞬があったからでもあった。

 いつもは自分を覆い守ると同時に世界と隔てている膜が取り去られ、確かにソランの魂と繋がったと感じた瞬間があった。ふっと精神にかかる重みが取り払われて、彼女自身としか言えないものと深く交じり合い、歓喜にあふれかえったのだ。


 女を知らないわけではない。六年前の従軍の折、男の嗜みだとか言うリングリッドの手引きで娼婦を召した。今になって思えば、初めて人を殺したことや、戦闘の恐怖から意識をそらさせるためだったのだろう。

 その後、王都に帰ってもしばらく娼館に通った。だが、その娼館で妹の友人に娼妓と入れ替わるという暴挙で陥れられそうになって、それもあっさりとやめた。やめられる、その程度のもの、という認識しかなかった。

 それは、あれらが本当に『嗜み』でしかなかったからなのだろう。今はそれが良くわかる。


 ソランが腕の中で視線を下げ、居心地悪そうにしている。恥ずかしがっているのだろう。昨夜のことを思い出しているのかもしれない。だからひどく色っぽいのだろう。そしてやはり、どこか幼く感じる。

 まだ、なのだ。大輪の花は時間をかけてゆっくりと開くという。美しく咲き誇るそれを楽しみたいのなら、こちらも相応に待たねばならない。

 だから、優しく髪を撫ぜ下ろし、額に口付けを落とすだけにとどめる。


「おはよう、ソラン」

「おはようございます、殿下」


 その呼び名に、笑いが小さく喉を鳴らした。今はまだ、この堅苦しい呼び名でいい。名前など呼ばれた暁には、確実に理性が弾け飛ぶ。


「体は大事無いか?」


 無理をさせた覚えはないが、女の体のことはわからない。率直に聞く。


「え? えええ? ええと、はい、なんともありません」


 彼女はますます縮こまって答えた。


「そうか、ならば、今日も忙しいが大丈夫だな? ジェナスの持ってきた新しい兵器を試演させる。見たいか?」

「はい! 見たいです。どんなものですか?」


 弾んだ声とともに真っ直ぐに見つめ返してきた。素晴らしい食い付きだ。腕がゆるんで胸元が見えているのも気にならないようだ。可愛いといったらない。


「それは見てのお楽しみだ。では、起きるとするか」

「はい」


 そう答えたものの、迂闊に布団から出られないソランは、困ったように掛け布を引き寄せた。それには気づかない振りでベッドを下り、そこにあったガウンを引っ掛ける。


「今日は軍服が良いだろう。船に乗る。暖かい仕度をせよ」

「はい」


 くしゃくしゃになる前に投げ落とした地図を拾い上げ、巻きながら寝室を出た。

 そういえば、昨夜のことは二人の秘密だと言い聞かせるのを忘れた。ソランは無垢で無邪気な分、とんでもないところで致命的なことを言いだす。用心するに越したことはないだろう。他の人間に会う前に諭しておくとしよう。

 顔を洗うのもそこそこに手早く着替え、居間にある衣裳部屋に続く扉の前で、ソランを待つことにした。




 朝食が終わってソランが防寒具を取りにいった隙に、ディーが近付いてきて、こそこそと尋ねてきた。


「今日のソラン様は特別お綺麗なんですが、なにかありましたか?」


 口調は軽口を装っているが、目には懸念が浮かんでいた。

 ディーに余計な気をまわされると、確実に阻めないような策を実行されてしまうので、仕方なく真実を伝える。


「初めの計画に変更はない。そうするつもりもない」

「なんだ、そうですか、俺はてっきり、いえ、なんでもありません、なんでも、はい」


 不機嫌に見遣ると、ディーは浮薄な口を噤んだ。どうして奴は、ああも始終いらぬことばかり口にできるのかが不思議でならない。


 その後も、ソランと朝の挨拶を交わしたジェナスに睨まれ、ハリーたちには生温い微笑を向けられ、出掛け際の見送りでアロナに嫌味を言われた。一歩下がったその両脇で、スーシャとファティエラまで小さく頷いていた。

 セルファス以下騎兵たちも、ソランを見て目を瞠り、それから揃って私を見てきた。なにもあんな行動まで揃えなくても良いと思うのだが、それだけ統率が取れているということだろう。

 そうして、挙句にイアルに脅された。

 どうやら私の認識能力がおかしくなっていたのではなく、本当にソランが変わったようだ。

 船を降りるように促され、梯子に足をかけながら、ソランとなにげない言葉を交わす。


「先に下りる。次に降りておいで。落ちたら受け止めてやるからな」

「そんなヘマはしませんよ」

「つれないことを言うな。遠慮なく我が腕の中に飛び込んできて良いのだぞ?」


 今までならば、からかったと言って怒るところだ。こっちはいつでも本気なのだが、彼女はいつもそう決め付ける。

 だが、今日の彼女は黙って少し赤くなって、艶やかな笑みを返してきた。

 それに、非常に満足を覚える。




 なぜなら、この気高い花が触れるのを許しているのは、私だけなのだから。

 そして、この大輪の花を咲かせられるのも、私だけなのだから。




 ソランは最後の三段ほどのところで止まり、振り返ってこちらに片手を伸ばしてきた。

 私は愛しい女に手をさし伸べ、腕の中に抱きとめた。

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