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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)
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10 崖を砕く力

 海風は冷たかった。空は昨夜から雲一つなく晴れあがり、底が抜けた空を通って、地上のものが天上へと流れ出してしまいそうなほどだった。

 今年一番の冷え込みです、と見送りながらアロナが教えてくれた。そこには、何もこんな日に女性を連れてわざわざ海に出なくても、という遠まわしな批難がこもっていた。


 ソランたちはジェナスの船に乗って海に出ていた。港から離れ、騎士たちが地上から先に行き、人払いした地へと向かう。

 ソランが初めて乗った船というものは、波に揺られて常に上下している乗り物だった。この揺れにやられて気持ち悪くなる者も多いらしく、ジェナスはバケツを持って隣に控え、ずいぶんソランを心配していたが、特にどうということはなかった。むしろ海上はあたり一面遮るものがなく、そのがらんどうさが爽快だった。

 やがて崖の上に騎馬の姿が見え、熟練の操舵士に従って甲板上を船員が駆け巡り、岩礁を避けて崖側に船の腹を見せるようにして碇を下ろした。

 崖まで四百メートル程。それでもソランの目では、崖の上の人間が誰が誰であるかなんとなく見分けることができた。手を振ってみせると、あちらからも手が振り返された。


 船の上ではジェナスの部下たちが忙しく動きまわっていた。『大砲』と呼ばれる兵器を持ち出してきて、ボルトを使って甲板上に固定する。

 ジェナスの副官エルンストの掛け声に復唱しながら、筒の後ろを開け、二人掛かりで鉄球を滑り込ませ、火薬と呼ばれるものも挿入する。ハンマーまで使って螺子式に蓋が閉められると、今度は手回しを使って筒の先端を上に向けて角度を調節した。そして、外に垂れ下げられた細い縄に火を点ける。


「耳を塞いでくださいませ」


 隣にいたジェナスが優しく耳に綿状のものを押し入れてくる。ソランはおとなしくされるままになっていたが、他の人たちはやっている様子がない。離れている殿下に、口をはっきり動かすことで尋ねると、もうとっくに入れてあったらしい。観察に夢中になっていたソランだけが出遅れたようだった。

 ジェナスの手がソランの耳を上から押さえ、そっと大砲へと向けた。その瞬間、雷が落ちたかと思うような轟音が鼓膜だけでなく体を襲い、反射的にびくりと体を強張らせた。

 大砲が鉄球を吐き出し、据え付けられたレールの上を後ろへと一気に動いた。弾力のある紐で繋がれているために、下がりきったと同時に元の位置へと戻っていく。

 前方の崖で凄まじい破壊音が響き渡り、岩が抉れて砕け散った。もうもうとした砂埃が海風にさらわれると、そこには円状の大穴が開いていた。中央部はひときわ深く抉れており、その奥に鉄球が嵌りこんでいた。


 ソランは心臓が早鐘を打ち、体中に冷や汗を掻いているのを感じた。圧倒的な破壊力に恐怖して、体も心も竦んでいた。背中に触れているジェナスの体がなければ、震えていたかもしれない。それでも頭のどこかでは、これに対抗する策を忙しく考えていた。


 飛距離がある分、弾道は読みやすい。少人数であるなら避けることは可能だろう。大軍では餌食になる。それに、一度飛んできたら、止めることはできない。城壁は破壊され、船体には穴が開き、沈んでしまうにちがいなかった。だが、本当にそれを見ているしかないのか。

 いや、厚い鉄板なら耐えられるかもしれない。あれを打ち出す大砲の底には、穴が開かないのだ。同じ強度があれば、防げるかもしれない。

 鉄板を張り巡らせた城壁と船を思い浮かべ、それほどの鉄をどう鋳るのか、また、そんな船が本当に水に浮かぶのか、様々な疑問が泡のごとく湧いて出てくる。


 ソランは途中で思考を止めた。一人で考えていても埒が明かないからだった。

 耳栓が抜かれ、ソランはジェナスに振り返った。

 そして、怒涛のごとく質問を浴びせはじめたのだった。




「ソラン、着いたぞ」


 ジェナスと反対側の手がとられた。話は連射にかかる時間とその理由を聞いたところで、次に今研究中の、飛距離と狙いの正確さについて及ぼうとしているところだった。


「ここは冷える。続きは城に戻ってからにしろ」


 桟橋と繋がった梯子へと連れて行かれる。後ろを振り返ってジェナスに会釈して、殿下に歩調を合わせた。


「大砲も火薬もウィシュミシアで製造されていますが、そちらの警備はどうなっているんですか?」


 現物もそうだが、知識の流出が一番怖い。


「おまえはミシアがどんなところだと思っている?」


 殿下は梯子の手前で少し離れた手すりへとソランを導いた。港で働く人々がよく見える。

 船から荷物を運び出す者もいれば、運び入れる者もいる。港に沿ってずらりと並んだ倉庫には、商人と船乗りが入れ替わり立ち代りし、おそらく商談をしているのだろう。

 奥の漁港では朝一番の漁は終わり、網を繕う姿があった。小高くなっていく市街地にも人影が見え、洗濯物がはためいていた。雑然としながら、活気のある街だった。


「賢者の楽園と聞いております。大陸の東の果ての海岸沿いにあるとも。こことは違う感じなのですか?」


 賢者の集う国だ。これほどの活気はないのかもしれないと思いながら、街を見る。


「緑豊かな美しい場所だ。陸側は急峻な山で、そこから流れ出た川が土地を開いた入り江になっていて、天然の要塞のような造りになっている。港と要衝の砦には物々しく投石器や投槍器が並んでいるが、長閑なところではあるよ」


 殿下の思い浮かべるようなまなざしに、尋ねる。


「行ったことがおありなのですか?」

「ああ。宝剣の主はミシアの知識の主でもある。その全てに目を通さねばならんと言われて、何度か足を運んだ。おまえにもなるべく早く行っておいてもらいたいと思ってはいるのだが、ここしばらくは無理であろうな」


 ソランは無言で頷いた。昨夜の言い争いを繰り返すつもりはなかった。あれを見てしまっては余計に。唯一人の人間が背負うには重すぎるとしか思えなかった。

 殿下はソランの気をひきたてるように、先程より少し明るい声で語りだした。


「学校もあるし、生活に必要な物を賄う人間もいる。ごく普通の町だが、ただ一つ、あの国に入るには試練があってな。それに通らないと、商人でさえ訪問者用の区画から一歩たりとも国内には入れん。たとえ国内で生まれたとしても、やはりその子供も一定の年齢になると試練を受けることになっているし、試練を通らなければ国を出て行かねばならん」

「試練?」

「神殿で誓約書にサインして、ただ誓うだけだ。

盗みません、人を殺しません、ここで得た知識は己のためではなく人のために使います。ミシアの賢者の末席に名を連ねることを誇りとし、けっして裏切りません。

よく覚えておらんが、そんなようなことを誓わせるわけだ。それで神酒を飲んで、飲んだ杯を知の神エセベトの聖水に浸す。エセベトが許せば水は白く濁り、許さなければ、澄んだままだ」

「しかし、神は」


 地上にはいないはずだ。神託すら下せないと父が言っていた。


「そう。手品のようなものだ。酒の中に薬が入っていて、暗示を掛け易くするのだそうだ。それこそ、誓ったことは当然として、ジェナスへの服従も心に刻み込む。死ねと言われればその通りにするような強烈なものらしいな。その暗示によって、暗示をかけられたことさえ記憶に残らないようにするのだ。

稀に暗示に掛からない人間もいて、そういう人間は神託の形をとって入国を拒否されるわけだ」


 私は暗示を除外されたはずだが、本当のところはどうだかわからん、と殿下は冗談混じりに言った。


「殿下はジェナス殿を信頼しておいでではないのですか?」

「信頼はしておる。信用はしておらんが」


 微妙な言い回しに、ソランは心配して殿下を見た。


「恋敵と仲良くはできんものだろう?」


 ニヤリとする。何を言っているのだと一瞬思ったが、次の言葉で納得する。


「それでも、ジェナスは私を主と呼ぶ。人のことを嫌っているくせにどうしてなのかと思っておったのだが、おまえの領地の神話やラウル・クアッドの話を聞いて合点がいった。そのジェナスに裏切られるとすれば、裏切らせる私が悪いのだ」


 きっぱりと言い切る殿下に、ソランは心を揺すられた。

 用心深いようでいて、この方の心はいつも人に向かって開かれている。善意も悪意も関係なく、あるがままに受け入れる。けっして、人を自分の都合のいいように変えようとはしないのだ。

 それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。悪意さえ肯定されてしまうのは、相手にとっては残酷なことなのかもしれない。例えば、ケインがそうだったように。それでも、ソランには、とても心の広い愛情深い方なのだと改めて感じられた。

 いや、もちろん、出会った頃から、それはいつも感じていたのだが。ソランは殿下のそういうところに惹きつけられてやまないのだから。

 なぜか昨夜のことを思い出しかけ、慌てて頭の中を切り替える。


「さっきの話の続きだが、たとえ裏切りや賊によって盗み出されたとしても、同盟を結んでいるクレアの商業網に引っ掛からずにいるのは至難の業だろう。それに、ジェナス子飼いの戦闘部隊もおるしな。それこそ地の果てまで追って制裁を下すはずだ。

ただ、西方諸国と戦が始まる前に、あそこにも軍船を配備せねばならんだろうな。あるいは、内陸部に国ごと引っ越しさせるか」


 とんでもなく大掛かりなことを言いだした殿下から目を逸らし、ソランは気配に振り返った。ジェナスとそれぞれの副官が、二人が降りるのを待っていた。代表してジェナスが揶揄する。


「冷えると仰ったのは主殿(あるじどの)でいらっしゃったと思いますが」

「二人で港の景色を楽しんでおったのだ。目くじら立てるな」


 そして、あっさりとソランから手を離した。


「先に下りる。次に降りておいで。落ちたら受け止めてやるからな」

「そんなヘマはしませんよ」

「つれないことを言うな。遠慮なく我が腕の中に飛び込んできて良いのだぞ?」


 ディーの次に梯子に足をかけ、降りながら、ソランを見上げて笑って言う。ソランは黙って少し赤くなりつつ、艶やかな笑みを返した。

 胸の奥がこそばゆくなる。殿下がどんな風に抱きしめてくれるかわかっているから、そんなことを言われると、ただただ慕わしくなってしまう。

 そんなソランの姿は、昨日までとはまったく違うものだった。それはジェナスに勝るとも劣らない色香となって現れていて、それを本人だけが知らないのだった。

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