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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)
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閑話 殿下の疑惑

 浜辺から戻り、裸足で波打ち際にいたことが知れると、領主代行夫人のアロナは心配げにソランを気遣った。


「女性が足腰を冷してはなりません。すぐに足湯をお持ちいたします。どうか居間でお待ちください」


 控え目だが断固として場を仕切ってソランをソファに座らせ、ファティエラに足湯を取りに行かせた。スーシャに膝掛けで彼女の足を包ませる。

 それから、殿下、少々お話がございます、と微笑みながら威圧感のこもったまなざしで声を掛けてきた。

 頷きたくはなかったが、こういう状態の女性を無視すると、後が面倒なことは骨身に沁みて知っている。


「わかった」


 アロナについて、隣室へと移動した。




 ディーを廊下に残し、扉を半分開けたまま室内で二人きりとなる。本来ならソランのための私室になるはずで、いつでも使えるように家具の埃覆いが取り払われ、綺麗に整えられていた。

 お互いに立ったまま、二メートルほど離れて向き合う。


「婚約されたとはいえ、結婚前の女性を大っぴらにご自分の寝室に囲われていることは、私からはとやかく言うつもりはありません。今のところ耳にするのは、批難するどころか良かったと胸を撫で下ろすものしかございませんから。

それでも、外聞の良いことではないとわかっておられると思いますが、どうなのでしょうか?」


 優しげな様子で、ずけずけと言ってくる。滅多に人にそうとは悟らせないが、彼女が恐妻であることは、身内なら知っている。


「わかっている」

「それと、まさか広場でのあれは演技であったとはおっしゃいませんね?」


 柔らかい口調で、鋭く突いてくるのはさすがだ。ソランへの批難を逸らすために、わざわざ道化役を買っているのではないかと言っているのだろう。


「いいや。嘘偽りは一つもない。私は彼女に夢中だからな」


 意中の女性を大切に扱うのは男として当然のことだ。だがあそこまでいくと、自分のやっていることが、女に骨抜きにされた愚か者だと後ろ指差される行いと紙一重であるのは承知している。それでも改める気はなかった。


 私は彼女に会って、自分が愚かなただの男であると知った。

 同時に、あれほど待ち望んでいた死が恐ろしくなった。彼女を失うのも、彼女を置いていくのも、どうしても受け入れられそうにない。彼女を失えば世界を呪い、彼女を置いていくぐらいなら、殺してしまうかもしれなかった。


 人の生は短い。その上、我等は明日をも知れぬ身だ。今生きて共にあるのは奇跡であるとすら思う。今この時も別れに向かっている一分一秒を、惜しまずにはいられない。

 だからこそ、この気持ちを伝えたいと思う。知っていて欲しいと思う。そして、同じ時を彼女と分かち合いたい。


 本当は人目を気にする余裕はない。それでも彼女を思えばこそ、これでも最低限の気遣いはしているつもりだ。王太子としての威厳を失わぬ程度に。また、彼女の評判を上げるように。


「でしたら、お世継ぎはお早目にもうけてくださいませ。でなければ、また違う批難がソラン様に向けられましょう」

「差し出がましいぞ」


 それについては釘を刺しておかねばならない。こちらとて最大限の我慢を強いられているのに、煩い小言まで聞き続ける気はなかった。

 今はソランの足場を固めてやらねばらないのだ。どうしても、この先に待つ戦場に、出てもらわないとならない。それには、子供などできては困るのだ。


 アロナは、相変わらず穏やかな態度を崩さず、それでも臨戦態勢で言葉を重ねてくる。


「女性が体を冷せば流産することもあると、知っていらっしゃいますか?」

「いいや」


 正直に答える。


「強い恐怖や心労でも同じことが起きることは?」

「いいや」

「妊婦が落馬すれば、子供のみならず、母体まで危うくなることは?」

「それは知っている」

「でしたら察してくださいませ。何故ソラン様に剣を持たされるのですか」


 少し前までの自分と同じ考えをそこに見出し、思わず苦笑がこみあげた。


「あれは、我が盾であり、剣である」


 アロナは初めて目を怒らせた。


「酷いことを」


 不敬を聞き流し、湧き上がる誇らしさを隠しもせずに告げる。


「それがあれの喜びなのだ。明日から、騎士たちと訓練をさせる。そのつもりで仕度を整えてやってくれ」

「承知いたしかねます」


 毅然と逆らってきた。重ね重ね不敬が過ぎたが、咎める気はなかった。アロナはきちんと己の分を弁えている者だ。それがこうするのだから、それだけソランを気に入ったのだろう。彼女の支持者が増えるのは嬉しいことだった。

 口元に笑みを刷きながら伝える。


「心配ない。あれの戦いぶりを一目見れば、おまえも納得するだろう。きっと、考えも変わる。それでも言いたいことがあるのなら、その時に耳を貸そう。知らぬ者とこれ以上議論しても無駄だと思う」


 彼女は意を汲んで、それ以上は口を噤んで慇懃に頭を下げた。


「畏まりました」


 頭を上げてから、態度を改め、表情を和らげる。


「先程、ソラン様から三つほどお願いをされました。そのことでお許しをいただきたいのですが」

「なんと言っていた?」

「一つは、薬問屋に紹介して欲しいと。なんでも、ソラン様の領地とは気候が違うために植生も違うのだとか。きっと珍しい薬草があるに違いないと仰っていました。

二つ目は、エランサ語をスーシャたちに習いたいのだそうです。

三つ目はただの質問でしたが、西大陸よりもっと西方の国々の言葉を知る者がいないかと。恐らくそちらも習いたいとお望みなのでしょう」


 そう、確かにここにも西方の船が四、五十年に一度やってくることがある。大抵は難破した挙句に流れ着くのだ。生き残ってそのまま住み着いた者もいる。ウィシュクレアの代表、ダニエル・エーランディアもそういった者の子孫だ。


「一と二はすぐに手配してくれ。特に薬は金に糸目をつけず、欲しがったものは買い入れてかまわない。三はダニエルかジェナスが来たら頼めばよいだろう」

「畏まりました」


 そう指示はするが、苦笑せざるを得ない。あれほどゆっくり楽しもうと言ったのに、それにひたりきることができないようだ。

 そういう性分だからこそ、甘やかしてやりたかったのだが、望むのなら仕方がない。そんなささいな願い、しかも我々の未来を見据えただろうそれを、聞き入れずにはおけないではないか。


 話は終わったはずだが、アロナはその場を動かず、じっと見つめてくる。まだなにかあるのかと、少々身構えたところで、彼女はやっと含みのない優しいと取れる笑みを浮かべた。


「お手を付けておられぬご様子に、どんな魂胆をお持ちなのかと危惧しておりましたが、本当に入れ込んでおられるのですね」


 魂胆だの危惧だの、穏当でない表現でずいぶんなことを言われる。


「見てわからんか」

「ええ、まあ、わかるのですが、あまりの変わりように信じがたいというのが、皆の一致した意見です」


 自分の知らないところでどんな話し合いがもたれたのか、聞く気にはなれなかった。


「では、見たままだと伝えておけ」

「畏まりました。お手間を取らせ、申し訳ありませんでした」

「よい」


 ある意味での自分の人望のなさに、溜息混じりに頷く。私はそんなに人非人だと思われることをしてきたのだろうか?

 たしかにディーなどは、それでしょっちゅうぼやいているし、妹には令嬢たちに対する態度を批難されてきたが、それ以外に何をしたと?


 釈然としない思いを抱えて外に出る。出てすぐの所で、人の表情を見て、顔色を変えずに目だけ楽しそうに輝かした副官の額を、ベシリと叩いてやる。不埒な好奇心に対する制裁と八つ当たりの所業であった。




 そういった、ある意味素直な感情表現もするのに、女性に対するそれが今まで一つも見られなかったことに対する評価だとは、本人は気付くわけもなく。


「俺が何をしたというんですか!?」

「では、今さっき腹の内で考えたことを言ってみろ」

「殿下は今日も男前だと」

「白々しいことをよくもしゃあしゃあと言えたものだな」

「どうしてそんなことがわかるんですか? 殿下こそ言いがかりです」

「おまえが男を褒めるなど、嘘に決まっておろうが」

「ああ、それもそうですね」

「ほらみたことか」

「殿下のご慧眼には恐れ入ります」

「いいかげんにしろ。柄で小突くぞ」

「はいはい」


 副官とじゃれあっているとしか思えない会話を紡いでいく。


 これまで、殿下の思い人の最有力候補がディーだと噂されていたと知ったら、この方たちはいったいどんな顔をなさるのかしら。

 アロナは知らん顔をして前を歩きながら、二人に見えないように、くすりと笑ったのだった。

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