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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)
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5 このがらんどうな空の下で

 本館に入ったところで、ソランはようやく下ろされた。憤ってみせるには殿下に邪気がなさすぎた。未だ速い鼓動を刻む心臓に手を当て、ただただ恨みがましく見上げる。それさえ殿下にとっては楽しいようで、くすくすと笑いながらソランの腕をとり、自分の腕に絡めさせた。

 彼はアロナたちに、ここまでで良いと告げると、イアルとディーだけを伴い、館の奥へと歩を進めた。ソランは連れられるまま真っ直ぐ裏口へと向かい、そこから外に出た。


 塔へと続く道の途中で左に行き、城壁に沿って歩いていく。そして何の変哲もない場所で立ち止まった。

 どことも変わりなく見えるそこに空いた小さな穴に、殿下は取り出した鍵を入れた。微かな金属音とともに、こちら側に城壁の一部が滑り出してくる。その隙間に指を入れ開け放つと、人が一人通れるくらいの細い階段が現れた。

 先にディーが下りていく。次に殿下が行き、ソラン、イアルと続いた。


「海賊と姫君の言い伝えは聞いたか?」


 岩が両側からごつごつとせり出し、閉じ込められてしまいそうな感じのする急なそこを、誰もが下を向いて確認しながら慎重に下っていく。だから、殿下も足元を見たままで尋ねた。


「はい。収穫祭に劇をやるそうですね」

「ああ。新婦になる女性の憧れの的らしいが、大抵の新郎にとってはとんでもない苦行らしいな」


 殿下の声に多量の笑いが含まれている。どうやら思い出しているらしい。


「イドリック殿もウォルター殿もハリー殿もやったと聞きしました」

「うん。さすがにハリーのは見ていないが、二人のは見たぞ。面白かった」

「特にイドリック殿は語り草だったとか」


 殿下は喉の奥でひとしきり笑ってから、教えてくれる。


「ファティエラは腰くだけになっていた。あれはやりすぎだ。だが、それであいつは株を上げたんだ。この地の者に受け入れられる切っ掛けになった。結果的には良かったのだろうな。

あいつの許には、あれ以来、あの技術を伝授してほしいと、歳若い者が毎年何人も教えを請いにやってくるんだ。妻はあのファティエラだし、夫婦喧嘩の仲裁を頼みに来る者も多いぞ」

「あのファティエラ、ですか?」


 ソランはそのニュアンスに疑問を覚えて聞き返した。


「ああ。エランサの女性は、戦にこそ出ないが、それ以外は男と同等の働きをするのだ。男が放牧で定住地を離れれば、女が家も畑も守らねばならん。それこそ、力仕事も狼を追い払うのもな。あのスーシャでさえ、力仕事を厭わないし、弓も扱える。乗馬にも長けている。

その上、女性は家の中も仕切るだろう。口では男は勝てないしな。エランサは伝統的に恐妻家が多いのだ」

「とてもそうは見えませんが」

「そこが不思議なのだ。明らかに尻に敷いているのに、どういうわけか、ファティエラはイドリックに夢中だろう。なんだかんだ言って、イドリックの意見が通るしな。

それを見て、結婚してから妻が恐ろしい女になって、こんなはずではなかったという男どもが、秘訣を聞きに来るわけだ」


 どこでも良く聞く話だ。ソランは呆れた溜息混じりに感想を述べた。


「その男たちは、都合のいい夢を見ていたのでしょう。結婚をして生活が始まれば、お互いだけを見ているわけにはいきません。女たちは、愛しているからこそ生活を守ろうとしているというのに」

「なるほど、女には女の言い分があるわけだ」

「ございますよ」


 それはもう、溢れんばかりに。領地で、結婚した姉さんたちの惚気半分の愚痴を、どれほど聞いたことか。


「そうか。では私は、おとなしく尻に敷かれておくとしよう」

「なにを仰っているんですか。そんなことになるわけがありません。今だって私は殿下に振り回されっぱなしです」


 ソランは先程のことを思い出し、憤りを込めて言った。


「本当か? それは嬉しいことを聞いた。私ばかりが振り回されているのかと思っていたが」


 冗談なのか、本気なのか判断がつかなかった。時々、殿下とはどうにも話が通じなくてもどかしくなることがある。

 それはもしかして、殿下が男で、ソランが女であるせいなのかもしれないと気付いた。受け止める感覚自体が違うとしか思えないのだ。


「話が逸れたが、この階段は、(くだん)の海賊が姫に会いたい一心で、一段一段刻んだのだと言われているのだ」

「それにしてはよくできた造りですね。外側からは見えないようになっているようですが」


 外からやってくる者が、外に見えないように造る必要はない気がするのだが。胸壁の上からは丸見えなのだし。むしろ、こんな造りにするとすれば、内側の者ではないのか。


 殿下は足を止めてソランを振り返った。複雑な顔をしている。当てが外れたというか、当たったというのか。


「おまえはできすぎだ。そうではないかと思いはしたのだが」


 ぼやく口調であった。ソランは首を傾げた。


「この話は、この辺りでは女性を口説く定番なのだ。こういうのを、女性はロマンティックだと喜ぶのではないのか?」


「はあ。そうかもしれませんね」


 ソランはとりあえずそう答えた。


「なんだ、何か言いたそうだな」

「え? はあ、まあ、杜撰すぎる話だと」


 ディーがいきなりしゃがみこんだ。壁に手を付き、肩を震わせ、声を殺して笑っている。おかしな気配に後ろを振り返っても、イアルが背を向けてやはり笑っていた。


「どうして笑う!? だって、どう考えたっておかしな話だろう。城側からは丸見えなんだぞ? しかも、こんな大工事に気付かないわけがあるかっ」


 イアルに憤懣をぶつける。 


「そのとおりだ。怒るな。もっと古い時代に、脱出口として造られたのだ。だが、ここから登って姫に会いに行っていたのは本当らしい。どんな警備だったのだと言いたい気もするのだが」

「だ、駄目です! もーう、我慢できません!」


 ディーが叫んだ。


「あなたたちはどっちもどっちですよ!」


 そして、大きな声で笑いだしたのだった。





 下り切ると、そこは砂地になっていた。右手は城のある崖で、左手に向かって三十メートルくらい砂浜があった。

 靴を脱げと言われて、長靴と靴下を脱いだ。階段の横にまとめて置く。本当はドレスには華奢な小さな靴を履くものなのだが、それだと何かあった時に踏みしめられない。だから、帯剣するからには、どうしても必要だった。おかげで先程の階段も難なく降りられた。でなければ少々怖かっただろう。


 手を取られ、海へと近付く。足の下で濡れた砂が鳴った。独特の感触とともに、キュ、キュ、キュと。ソランは思わず殿下に目で問うた。殿下は笑んだだけで、さらに波打ち際へと行こうとする。

 ソランは片手で裾を持ち上げた。教えてもらった飾りを引っ張るには両手が必要で、今は繋いだ手を離したくはなかったのだ。

 波が足先に触れた。冷たい。身を竦める。それでももう少し先へ出て、屈んでたくし上げたスカートを肘で抑えつつ、指先で波の先端に触れてみた。それを口へ持ってゆき、ぺろりと舐める。


「辛い! 塩辛いです!」


 あまりの味に、顔を顰めて舌先を出した。もう一度裾を手で持ち直し、体を起こす。殿下が声を上げて笑った。


「船が難破して漂流しても、海の水だけは飲んではいけないそうだ。塩のせいで、よけいに喉がかわくのだそうだ」


 確かにこれだけ塩辛ければ、そうもなるだろう。

 そんな短い会話をしている間にも、何度も波が訪れて、足の下の砂を攫っていく。足指の間を砂が逃げていく感触がくすぐったく、また、じわじわと足が砂の間に沈んでいくのが小さな恐怖心を誘った。

 風に混じる潮の匂いは、ほんの少しだけ血臭にも似ている。寄せては返す波はだんだんと陸へと上がってきているようだ。

 遠く見晴るかせば、水平線の彼方から波が幾重にも連なって向かってくるのが見えた。晴れ上がった突き抜けるような空の青と、深く折り重なっていく青が交わり、見渡す限り開けた視界が得られる。それは美しく、がらんどうな光景だった。

 自分がとてもちっぽけに思えた。足元の砂粒と同じだと思った。


 この世界は球なのだという。主神セルレネレスの掌の中に、すっぽりと納まってしまう宝玉。その外は神々のおわす天界であり、球の中心に冥界がある。

 珍しい宝石の中に創られた世界。それがここ。セルレネレスは幾らでも同じものを創りだせるのだという。

 そして、神々は退屈しのぎに趣向を凝らし、世界に彩を加えた。神々にとっては、長すぎる永遠を紛らわす、ただそれだけのもの。

 それでも、ソランにとって、ここは掛け替えのない場所だ。


 隣の殿下に顔を向ける。応えるようにこちらを見てくれる。目を見交わし、微笑みを交わす。なんと心躍る幸せな一瞬だろう。


 私は、ここで、この人と生きたい。


 強く、強く、願う。

 どんなにちっぽけだろうと、そんなのはかまわない。この空のようにがらんどうな神々の世界に、なんの意味がある? ここに、これほど輝き、心を捕らえて放さない存在が在るというのに。


 ソランは、初めて自分から歩み寄り、殿下の胸元に寄り添った。いつもいつも、引寄せられてばかりいた、そこに。

 優しく強く抱きしめてくれる。その心地よさに、ソランはうっとりと溜息を零した。

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