3 城内探検
翌日、殿下が領地の政務に行ってしまうのと入れ違いに、アロナが来た。
「おはようございます、ソラン様。ご体調はいかがですか?」
「おはようございます。よく眠れて、すっかり疲れもとれました」
彼女が問いかけるようにスーシャに目を向ける。
「昨夜はお早くおやすみになられたとのことです」
彼女は一つ頷き、ソランに視線を戻す。
「でしたら、城中をご案内してよろしいでしょうか?」
それはソランの望みだった。ここは殿下の居城であるが、だからといって絶対に安全な場所など地上のどこにもないと思っている。
味方である領主たちが用意した宿営地でさえ、ソランは先に私兵を使って安全を確かめていたくらいだ。
城の構造、そして何よりも脱出経路を確かめておきたかった。
「すべての部屋を見せていただけますか?」
「かしこまりました。では、お着替えをお願いいたします」
ソランは自分の格好を見下ろした。今日も彼女は軍服姿だった。最も動きやすい服装である。いちいち裾や袖や飾りを気にすることもないので、楽でもあった。
「もちろんお似合いでございます。ただ、殿下はこちらへは収穫の確認だけではなく、ご婚約者と気兼ねなく寛ぐためにいらっしゃったと承っております。どうか美しく装ってさしあげてくださいませ。きっとお喜びになりましょう」
「そうでしょうか」
ソランは信じられずに疑問を口にした。がさつだとか、形がどうでもやることに変わりはないとか、そんなことしか言われたことがない。自業自得であり、恥ずかしいかぎりであるが、それを差し引いても殿下がそういったことに興味があるとは思えなかった。
「本当でございますよ。それに、殿下が男性と婚約なさったという噂も根強く残っておりますので、ぜひそれも払拭していただきたいのです」
ソランははっとした。それはたしかに彼女の役目である。そのような噂がどれほど下世話に話されるか、想像に難くない。それに、噂を真に受けたために引き起こされるだろう、諸々の面倒事の心配もある。
もっとも、ほとんどは世継ぎのできないことを憂慮した、ソランの暗殺計画だろうから、殿下に対する危険は少ない。ただ、それを行おうとするのは、殿下の忠実な支持者であろうことが問題だった。勘違いで軋轢をつくるのは避けたい。
「わかりました。しかし、剣は手放せません」
アロナは一度剣に目を落とし、再びソランと視線を合わす。
「クレインの使い手に、私ごときが申し上げることはございません。どうぞお持ちください」
彼女は見た目は柔らかで優しげな容貌であるが、言葉を交わすほどにたおやかな強さが見えてくる。さすがは殿下の領主代行の奥方である。ソランはその人柄にとても惹かれた。
ソランは微笑んで頷き、口を開いた。
「では、着替えの用意をお願いします」
「かしこまりました」
彼女自らが先に進み、衣裳部屋の扉を開いて押さえる。
「どうぞこちらへ」
選んで着付けてくれたのは、薄い黄色のドレスだった。髪は脇だけ編んで、ドレスの色と良く似た色の真珠の髪留めで纏められ、あとは自然に背中に流された。剣帯もいつものものではなく、このドレス用に誂えた革と金を使った新しいものだった。それに真珠のイヤリングとネックレスを着ける。大粒で黄金色のそれは、とても美しかった。
真珠の装身具類は殿下が指示して用意させたのだという。見るからに一級品がふんだんに使われており、しかもそれが、ピンクや白や黄金という真珠の色ごとに揃いで幾種類もあった。ありがたいというより、畏れ多い。ソラン様のものと言われても実感がわかず、お借りしているという感覚がどうしても拭えなかった。
着付けが終わると気持ちを切り替え、ソランはまず剣帯の具合を確かめた。腰を落とし、足裁きの具合をみる。スカートが踝まであり、滑らかに足に沿うスカートが足にまとわりついた。裾を踏んでしまいそうだった。
「こちらを引いてみてください」
腰の少し下にある飾りを引っ張ると、右側が攣れて丈が短くなった。
「反対側にもございます。とっさには間に合いませんが、いざまさかの時は、その紐を縛っていただければ、邪魔にはならないかと」
スーシャとファティエラが跪いて、攣れた場所を丁寧に伸ばし、裾を直してくれる。
「これは誰が?」
「王妃陛下のご指示で、ゲルダ衣裳店が工夫を凝らしたと聞いております」
「帰ったらお礼を申し上げないと」
気遣いばかりいただいて、ずっと自分のことにかかりきりだったことを後悔する。閉じ込められたことに堪え切れず、あの頃は鬱屈して、物事にうまく集中できなかった。それがどれほど無作法だったか、今ならよくわかる。
「お手紙をさし上げたらいかがでしょう」
「お手紙」
それはやはり、報告書とは違うものだろうか、とソランは戸惑った。よくよく振り返ってみると、そんなものは書いたことがなかった。もらったこともない。いったい、何を書いたらよいのだろう?
「何日かしたら、こちらでのできごとの報告と一緒に、お礼をお書きになればよろしいでしょう。思ったことを素直に書けばよいのです。ご心配でしたら、推敲のお手伝いをいたします」
「はい。お願いします」
ソランはほっとして顔がゆるんだ。アロナも微笑む。
「では、まず、城内の探検をいたしましょうか」
探検。その楽しい響きに、ソランは大輪の花のように笑った。
まず最初に行ったのは、海側の突端にある高い塔だった。
このあたりは海岸線が入り組んでおり、うっかり近付くと船が座礁する。昼間なら水の色で判断もできるが、夜は非常に危ない。そこで、暗くなると目印となるように、最上階の部屋で灯りを灯すのだ。
魚も獲れれば真珠も採れ、東大陸の南西端にある半島をぐるりとまわった内側にもあたるせいで、商船の寄港地でもある。キエラは古くから栄えた地で、そのため海賊にもよく襲われたのだと、アロナは語った。
「私たちはその海賊の子孫です」
「本当に?」
「はい。三代ほど前の王の御世に平定されました。平定されたというより、当時の頭領が領主の娘と恋に落ちたのだと言われています。それでこの地を他の海賊から守るようになったのだそうです。海賊のやり方は、海賊こそが詳しいですから」
「ロマンティックなお話ですね」
「ええ。もう収穫祭は終わってしまいましたけれど、毎年その時に、それを題材にした劇をいたしますの。ね?」
アロナはスーシャとファティエラに相槌を求めた。スーシャが勢いこんで話してくれる。
「その海賊の頭領と姫の役を務めたカップルは、生涯仲睦まじくいられるというので、憧れの的なんです。私もファティエラも、夫たちとやりましたのよ。壮絶なキスの大会でしたわ」
「キス?」
「はい。劇のクライマックスが告白とそれに続くキスですから。主役の座を射止めるには、いかにロマンティックにできるかを争うのです」
「イドリック殿も?」
思わず、ファティエラを見て尋ねる。
「ええ。そんなことできるかとぐずぐず言うので、役が取れなかったら結婚しないと言ってやりました」
ソランは声をあげて笑った。
あの堅物が服を着て歩いているようなイドリック殿が!
「それが、近年稀に見る情熱ぶりで、私、すごくびっくりしたんです」
スーシャがちょっと赤くなって言い添える。
「後で、やりすぎだって怒りました」
ファティエラも赤くなって付け加えた。
「アロナ殿もやったのですか?」
「もちろんです。夫はキスがヘタだったのでずいぶん練習させました、枕を相手にして」
「まあ。お義父様にそんなことを!?」
「さすがアロナ様!」
二人が叫び、ソランと一緒になって笑いだす。
陰気な塔の中に、若い女性の明るい笑い声が響き渡った。
一方、イアルは知りたくなかったガールズトークに半ば耳を塞ぎながら、護衛として半日ソランの後をついてまわったのだった。