13 不死人の記憶
人々には容赦のない殺し合いにしか見えていなかった。剣の形をした鋼の棒で、破壊の限りをつくすような打ち合いを繰り広げ、しかもその間中、息も乱さなければ声も発しない。
殺気がなく、いたって冷静なのが、またよけいに恐怖を煽った。
その所業の果てに、半刻にも満たない時間で、普通は折ろうと思っても折れない模擬剣が二つともポッキリいってしまったのである。
それはクアッドが常々指導していた理想どおりの試合であった。
剣は腕で振るうな、体で打ち込むのだ。苦しくても口で息をしてはいけない、相手に拍子を気取られるな。
だが、それが理解でき、実行できる者は、ほんの一握りにすぎない。無理だと思われていたものが、実際に目の前で繰り広げられる驚異。
ソランの剣は、まさに体の一部だった。足が地面を蹴れば、剣にまでその力が載る。それはクアッドも同じであったが、二人の剣技は似て異なるものだった。
ソランは空を切り裂く風であり、すべてを押し流す水であった。変幻自在に形を変え、一時も留まることがない。対してクアッドは何者も揺るがすことの出来ない大地であった。その剣は重く、岩の様に強固だった。
彼らの動きは美しかったが、それ以上に恐ろしかった。あの剣の前に立てば、一合も受けきることができず、一刀両断されてしまうとしか思えなかったのだ。ほとんどの者が魂を奪われ、時に息すら止めて見入っていた。
故に、あまりの静けさにソランがあたりを見回した時、目の合った百騎長三人は、雷に打たれたように地面に片膝をついた。頭を垂れる。一斉に、その後ろの兵たちもそれに倣う。
ソランは戸惑って隣のクアッドを見た。彼は肩を竦めて、楽しげに笑っただけだった。救いを求めて殿下を振り返ると、軽く頷き、前に出てきた。
「見事な試合だった」
ソランとクアッドは揃って礼をした。続いて殿下は視線を遠くに据え、居並ぶ者全員に聞こえるように、声をあげた。
「皆の者、頭を上げよ。立って、今日この時に立ち会えた幸運を祝え! 彼らに、祝福を!」
彼らに祝福を! 騎兵たちが立ち上がりながら叫ぶ。もう一度殿下が繰り返すと、拳を振り上げ唱和した。遠巻きに見学していた男たちも声を合わせ、同じく腕を突き上げる。
後は自然に繰り返されて、それは止むことを知らなかった。空気が熱を帯び、世界が揺れる。そのうち、何度目かに言葉が取り替えられた。
アティス様に祝福を、ソラン様に祝福を。
二人の名前を全世界に知らしめるように、何度も、何度も。
先程の歓呼とは違っていた。殿下の婚約を祝うだけのものではなかった。彼女を認め、受け入れ、誇らしくすら思っている。
ソランは笑みが浮かんでくるのを止められなかった。その喜びを表すことも。だから、笑顔で彼らに合わせ、腹の底から大声を上げた。
王国に祝福を!
いつしか変わっていた次の御世を寿ぐ言葉を、拳を振り上げ、彼らと共に繰り返し叫んだ。
興奮冷めやらぬ軍を将軍にあずけ、殿下は館へと戻った。クアッドを招き、褒美に食事を振舞うためだった。
執務室まで食事を運ばせ、三人だけになるよう人払いをした。食事を取りながら、剣の談議から近頃の王都の噂まで軽く語り合う。食べ終わった食器を外の護衛に渡し、ソランがお茶を淹れた。そして、人心地付いたところで本題を切り出した。
「実は、聞きたいことがあるのだ。おまえは、不死の呪いを加護だと言っているとリリア・コランティアに聞いた。それはどういった理由なのだ?」
「リリア殿からお聞きになったのですか。では、ぜひお話しせねばなりませんね。ですが、さて、どこからお話しすればよいのか」
彼は考え込むようにして、複雑な笑みを浮かべた。
「……貴方様は、かの君に似ておられます。他人の空似ではすまないほど。目の下のここにホクロがないのが不思議なほどです」
己の右目の下を指差し、殿下を見つめた。と、唇を震わせてふいに俯き、目元を片手で覆う。彼はしばらくそのまま動かなかった。やがて、大きく息をつくと顔を上げた。目元が少し赤らんでいた。
「すみません。貴方様との、いいえ、違いますね、あの方との記憶はとても鮮明で、まるで昨日のことのように思い出せるのです。今の貴方様は、あの方が亡くなった時とちょうど同じくらいでいらっしゃいます。貴方様を見ていると、あの方と話しているような気になってしまいます」
「親しかったのか」
「はい。乳兄弟でした。母方の従兄弟でありました。顔貌が良く似ていて、影武者も務めておりました」
殿下もソランも驚き、彼を見つめた。彼は声を出して笑った。
「今の私を見ても、何もわかりませんでしょう。そう、貴方様も私も生まれ変わって、今は違う人間なのです。冥界で再び見えたら、申し上げたい恨み言がたくさんありましたのに、それすら叶わぬとは。
まったく、貴方様らしい。いつでも、地の底を這うような苦労と、それを上回る喜びをくださる」
彼は手元のカップを引き寄せ、一口口を付けた。そのまま両手でカップを包み持つと、膝の上に置き、小さなさざなみに目を落とす。
「では、そうですね、まずは、私が見たことをお話ししましょう」
彼はゆっくりと記憶を掘り起こすように語りはじめた。
いまでこそウィシュタリアは大国ですが、当時は数ある小国の一つにすぎませんでした。場所ももう少し南西に位置しておったと記憶しております。豊かな土地を有しておりましたが、故に周辺国家の垂涎の的だったのです。小競り合いは日常茶飯事でした。
そんなですから、当時は男の寿命は短かったです。三十歳といえば長生きでした。
かの君は十二から戦場に出られ、十六を過ぎたところで将軍職に就かれました。かの君が将軍となられてからは負けよりも勝ちが多くなり、瞬く間に近隣都市国家を三つ配下に収めることになりました。
勢いに乗って、国内の世論は、さらなる他都市の征服を求めました。敵が少なくなればそれだけ攻められることはなくなり、また、それらの都市からの朝貢で財政が潤ったからです。
かの君は、まずは急速に広がった領土の安定を望まれましたが、それは聞き入れられなかった。国内が不安定なまま、次の戦へと送り出されたのです。
連戦に次ぐ連戦でありました。
かの君は軍部には確固たる地位を築いていらっしゃいましたし、国民からの支持も絶大でありました。
が、かの君の祖父君の代に併合された都市の王族の姫を母上に持たれ、また、第二王子でいらっしゃった。国内には有力な後ろ盾はなく、混血児として扱われていました。
戦で国を離れていればいるほど政局からは遠ざけられ、また、国内におれば、その人気と指導力を恐れた第一王子派の暗殺の危険がありました。むしろ戦場にあられた方が安全だったのです。
それでも、兄弟仲は不思議と良かったのです。かの君は兄君を慕っておられましたし、王位にも興味はおありにならなかった。体の弱かった兄君も、かの君を頼りにされている風が見えました。
だからまさか、兄君が差し向けてくださった増援部隊に、暗殺者が紛れ込んでいるとは思わなかったのです。
そこまで逼迫した状況にありながら、油断していたのが愚かだったのだと言われればそれまでですが、かの君は神の加護を得ておられました。神の佩剣を賜り、そう、そして恐らく、神自身が傍で守護しておられたのです。
恐らく、というのは、覚えておらぬからです。その記憶がすっぽりとないのです。
確かに誰かが殿下を守っていたのは覚えておるのです。私はその方の振るう剣に憧れ、手ほどきを受けたのですから。
ですが、覚えているのは、己のしたことだけなのです。共に練習もしたであろうに、剣を交えたであろう相手の部分だけが空白になっておるのです。
その神が名すら残さず失われたと聞き、それはこういうことであるのかと、得心いたしました。まさに、存在そのものが失われてしまったのでしょう。
私が大剣の流派の初代と言われておりますが、我が師のことを覚えてはおらなくても、誠の開祖は失われた神でいらっしゃいます。その技が連綿と受け継がれ、貴女様に伝わったこと、誠に感慨深いものがございます。
どこまで話しましたでしょうか。そう、暗殺者が紛れこんでおったところでしたか。かの君は増援部隊を山の中に隠され、自らが囮となって敵を谷間に誘い込まれました。その戦の最中に、背後から矢を射込まれたのです。
かの君は呪いの矢だと仰いました。それが心臓に食い込み、魂を砕かんとしていると。鏃は心臓の位置で止まり、どうやっても抜けなかった。だから仕方なく矢柄を切り落としたのです。矢羽が風に揺れるだけで、酷い痛みをもたらしたものですから。
かの君はそのまま指揮を執られました。その甲斐あって敵軍を壊滅させることができたのです。
ですが、かの君は直属の部隊に、このまま戦場を離脱せよと命令されました。真実を知る者を、暗殺者の雇い主は見逃しはしないだろうと。
そこで夜陰にまぎれて、我等はジェナス殿の導きで逃げ出しました。ジェナス殿は失われた神の神官であり巫子であったそうです。降臨なさった神にお仕えせんと、戦場に馳せ参じたのだそうです。
我等は夜を徹して移動しました。そして夜明けが近くなったとき、かの君は馬を降りられ、私はここまでだ、と仰ったのです。おまえたちは先に行け、と。
私たちは、最後の時を共にしたいと願いました。たとえ死ぬのだとしても、ご遺体を置いていけるはずがありません。しかし、かの君は酷く怒られて、命令を聞けぬなら、おまえたちは我が部下ではないと仰いました。今、為すべきことを為せ、と。
結局、我等はかの君とはそこでお別れしたのです。落ち延び、生きよとの、最後のご命令に逆らうことはできませんでした。
ただ、その時に、たしかに誰かが許されて、かの君の傍にいたのです。最後まで共にいて、その時を見守ったはずなのです。
今でもはっきり思い出せます。最後にお別れを告げた時、かの君が安堵したお声で、誰かに話しかけられていた姿を。身を任せきっておられる姿を。死にゆくはずなのに、お幸せそうだと感じました。だから、我等はお別れすることができたのです。
恐らく、失われた神はかの君の最後を看取られました。そしてたぶん、ご遺体も冥界に持ち去られたのです。
その後、私たちはジェナシス領に住み着きました。着いたその日は野宿でしたが、翌朝目が覚めたら、真っ白い大きな見たこともないような建物が出来ておりまして、そこで暮らすようになったのです。
ジェナス殿が言うには、小人族が一晩のうちに巨人族の骨で造ってくれたそうです。隙間風の入らない見事な造りでしたよ。ああ、今は領主館になっているのですか。小人族の技術とはすごいものですね。
私たちは日々の暮らしに追われておりました。なにしろ、着の身着のままで辿り着いたものですから。獣を狩り、木の実や山菜を取り、畑を作り、機織機まで作りました。
そういうことはジェナス殿が良く知っていて、なんでも教えてくれました。彼が言うには、精霊族が助けてくれていたらしいのですが、私たちの前には姿を表しませんでした。それでも館のこともあって、彼の言うことを疑う者はおりませんでした。
そうして生活も落ち着いてきた頃、突然、大軍に囲まれたのです。冥界へ続く道を奪いにきたのだと、ジェナス殿は言っていました。
天然の要塞のような場所ですから、攻め込まれると言ってもたいしたことはなかったのですが、斥候に行って、目を疑いましたよ。台地の縁から地平の彼方まで、押し寄せた軍と人で埋まっていたんですから。
そのうち地が揺れ、空が雷で満ちはじめました。あまりの恐ろしさに誰も何もできないまま地に伏していましたが、なんとも嫌な軋む音がそこかしこでして、地が、空が、目の前の空間が、ひび割れていくのが見えました。さながら分厚い氷が割れ、下の黒い水が見えるような有様でした。気の狂いそうな恐ろしさでした。
その時、かの君が冥界の門を越えて現れました。その剣を携えて、揺れる大地の上を、何事もないような顔で歩いてこられたのです。
私は思わずかの君に縋りつきました。鮮やかに笑われて、心配するな、大丈夫だ、と仰いました。かの君は失われた神の名をはっきりと仰いました。その神が地を守らんと戦ってくださっていると。だから自分はこの剣をお返ししにいかねばならないと。
私は必死で、ついて参りますと申し上げました。あんな思いは二度としたくなかったのです。
ですが、我が手は冷たかろうと仰ったのです。そう、縋りついた体は、とても冷たかった。かの君は、この身は死んでいるのだと仰いました。一度死んだ人間は生き返ることはないのだと。だから、共にはいられないのだと。
私は泣きました。お別れしたときにも涙は出なかったのに、目の前のお姿が見えなくなるほど、泣いてしまったのです。
かの君は、私の肩を叩かれて、無事に逃げ延びた姿が見れて嬉しいと仰いました。我が最後の命令を遂行したおまえたちを誇りに思うと、仰ってくださった。
私は、それでも、かの君を放すつもりはなかったのです。我武者羅に掴んで行かせまいとした。ですが、どうやったのかするりと抜け出されて、私には見えない扉の向こうに消えてしまわれた。
それからいっそう激しく地が揺れ、雷が鳴り続け、我等は、ただただ頭を抱えて地面にしがみついているしかできませんでした。どのくらいそうしていたのかもわかりません。突然世界が静まり、恐る恐る顔を上げた時、世界は元通りになっておりました。
冥界の門がある神殿の前で、ジェナス殿が地を叩きながら、泣き喚いておりました。我が神が失われてしまったと。その名すら思い出せないと。
淡々と語られた話は、まるで神話だった。本当にあったのだとは、にわかには信じられなかった。
ソランは呆然とした心持になっていたのだが、殿下は違った。初めにした質問を、もう一度繰り返した。
「それで、おまえはなぜ、加護だと思ったのだ?」
「一つは、そのお姿です。ただ生まれ変わるだけで良いはずなのに、かの君とよく似た姿で生まれ変わられた。
もう一つは、私の記憶です。不死人の記憶と言い換えても結構です。我等は記憶を失わず生まれ変わると言われておりますが、実は古い記憶などはっきり覚えてはいないのです。一昨日の夕食が何だったのか咄嗟に思い出せないのと一緒です。
ですが、かの君に関わる記憶は別です。それだけは、今さっきの出来事のように鮮明に思い出せます。世界が崩壊する記憶も、他の者は私ほど鮮明に覚えてはおりません。それは、私だけが殿下と言葉を交わしたせいだろうと思われるのです」
「かの君とやらの姿と記憶が保存されているというのだな?」
「そうです。かの君は呪いの矢は魂を砕くのだと仰っていました。未来永劫その存在を抹消する呪いだと。
その呪いを受けても、あなたは生まれ変わられた。失われた神のように、存在が記憶から抜け落ちたりもしなかった。それは、今も神の加護を受けているせいではないのかと思うのです」
「神は失われたのにか」
「失われなかったではないですか。貴方様が引き止められたのではないですか。神としては失われても、その存在のすべてが無くなったわけではないでしょう」
殿下はソランを見た。ソランも彼を見返す。
「我等が存在する限り、呪いは解けぬというのか」
唯の人となったソランには、神の加護など解けはしない。それは殿下にしても同じ。
「私にはわかりません。ですが、私はこのままでもかまわないと思っております。不死人にとって、死は永遠の別れとはなりません。時を隔てようと、必ずまた出会えるのです。それは何にも替えがたい喜びです」
殿下はクアッドに視線を戻した。
「相手は覚えていないのだぞ」
「それはたいした問題ではありません」
殿下もソランも口を噤むしかなかった。
不死は喜びだけをもたらしはしない。二人はケインの慟哭を知っている。不死人が二人に向ける憎しみも知っている。それでも、彼がそれを言わないのなら、二人から指摘することは出来なかった。他の誰でもなく、彼こそがその苦しみを良く知っているのだから。
「貴方様方は何も思い悩むことはございません。前世で身を捨てて世界を救ってくださった。これ以上なにをしてもらう必要がありましょう。本当は、不死人は誰もそれを知っているのです。慎むべきは我等でございましょう」
殿下は溜息のように頷いた。
「そうか。話を聞けてよかった。大儀であった」
「いいえ、少しでもお役に立てたのなら、この身の幸せにございます」
クアッドは軽やかに言った。だが、その言葉は、二人の胸に重く響いた。