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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第八章 思い交わす時
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12 手合わせ

 殿下は騎士たちの歓呼を笑顔で受けていたが、すっと手を上げると、ぴたりと騒ぎが静まった。


「余興は終わりだ。訓練に移る。用意せよ」


 潮が引くように余分な人員が散っていった。演習場の端へと、てんでばらばら好き放題に。そのうち最も小高く城の影が落ちる一等地に将軍も居座り、誰一人として帰る様子はない。どう贔屓目に見ても、全軍に近い人数がいる。


 ソランは表情を消し、姿勢を正した。殿下は『余興』と言った。怒りとも悲しみともつかないものが胸の一隅を占める。

 しかしたとえ余興であっても、これは披露目であり、ここは彼女の品定めの場でもあるのだ。婚約者と紹介されたからには、殿下に恥をかかせるわけにはいかない。殿下からほんの少し下がった位置で、騎士たちを見守る。


 彼らは一斉に鐙に足を掛け、馬にのぼった。三百騎が軍笛とともに馬を走らせはじめる。


「ソラン、イアル、笛の指示を確認しろ」


 殿下の常とは違う有無を言わさぬ声音に、はっ、と短く返事をした。

 ソランたちは軽騎兵の姿を目で追い、笛の音に耳をすました。

 指示はそれほど複雑ではない。開始・停止、増速、減速、右、左。それに戦になれば、突撃、集合、退却が加わる。

 ひとしきりの見学の後、彼らに交じって馬を走らせるのは、ソランにとって特に難しいことはなかった。領地でも小規模ながら演習はやっていたし、合図も同じものを採用していたからだ。


 元々、こうした指示で集団で行動するのを発案したのは、ソランの父、ティエンだった。それまでは突撃と退却の合図だけで、ただ軍勢と軍勢が真正面からぶつかるだけの戦いだった。よほどでなければ、人数の多い陣営が勝つのが当たり前だったのだ。

 先の大乱で、国王が初めに手にできたのは、身のまわりを固める百人足らずの騎士と、ジェナシス領の三百人程度だった。それもやっと成人を迎えた者から、そろそろ隠居したいとこぼす年齢の者まで、男女の区別なく戦える者を掻き集めた人数だった。

 これはその不利を補うための策であった。それはソランにも授けられていたのだ。


 だから訓練が終わり、百騎長三人が召しだされて紹介され、中央に立つアドリード・セルファスと名乗った男に、御見逸れいたしました、と挨拶された時は、曖昧に微笑んで頷いただけだった。

 彼女にとっては何も特別なことではなく、彼がどういうつもりで言ったのかわからなかったのである。


「だから言っただろう、これなら問題ないと」


 殿下は至極満足気に言った。


「はい。ですが、一日二日のことではありません。七日も続くとあれば、ご婦人にはきついのではありませんか?」

「一日十二時間の移動で、野宿はないが、どうだ?」


 一応、という感じで殿下がソランに尋ねる。


「平気でございます」


 ソランは自信を持って答えた。野宿でも大丈夫である。

 十二歳の時に、イアルと二人でナイフと水筒を持たされただけで山奥に置いてこられたことがある。今頃よりもう少し早かったが、それでも初冬だった。食べ物はないは寒いはで、成人の儀なんぞくそくらえだと思ったものだった。それに比べれば、寝床も食料も確保されている。どうということはないだろう。


 セルファスは、じっとソランを見た。歳は三十を過ぎたところ。日に焼け、眼光鋭い鋭利な顔をしていた。


「もう一つ、失礼ながら、武術の腕前のほどを確かめたく存じます。守るだけならいざ知らず、従えとの仰せ。イオストラ砦に向かう道中のことも、先の慈善事業の折のことも聞き及んでおりますが、噂ばかりでは心許ないので」

「王都船頭組合長のラウル・クアッドを手合わせ相手として呼んである。先代の新兵師範の腕前は知っておろう? おまえも彼にしごかれたはずだが」

「はっ」


 彼の姿勢の良い姿が、さらにぴしりと伸びた。それは両脇の二人も同じであった。それだけで伺えるものがある。


「よいな、ソラン」


 悪戯を企む子供と同じ目で殿下が笑う。嬉しいか、驚いたか、という感じだ。まったくもって、手際が良い。殿下は必要と思われることは次々と手を打ち、幾つも先まで用意をする。


 ふと、求婚に返事をしたのは一昨日だっただろうか、と気付く。しかも深夜だった。にもかかわらず、婚約はすでに成り立ち、今はこうしてここに立っている。何日も前の出来事だった気すらするのに、このめまぐるしさはなんだろう。

 ソランは殿下を見返し、ああ、私はこの人の手の内にすっぽり落ちてしまっていたのだな、と悟った。猪が罠にかかって樹上に吊り上げられるように。それは一瞬のことだ。効果的な罠とは、得てしてそういうものである。

 逆さまにぶら下がった猪がゆらりゆらり揺れている様を思い出し、なんとも複雑な気分になり、つい、ぼやいてしまう。


「これも余興ですか?」


 殿下は驚いた顔をした。


「まさか。なぜそんなことを」

「先程そのように仰っておられましたが」

「言ったか?」

「はい、余興は終わりだ、訓練に移る、と」

「ああ、それか。おまえの真価は、私が選んだことではないからな。己の価値は己で示すがいい」


 不敵に笑む。ソランのことなのに、彼が自信満々でどうするのだろう。

 それでも先程から感じていた、胸の奥の嫌な疼きは取り払われた。あれは信頼の証だったのだ。ただ、少々過大すぎる気がして、ソランは謙虚に訂正を入れた。


「私は常勝無敗の英雄ではないのですよ。イアルにも五度に一度は負けるのですから」


 殿下は真顔に戻った。イアルへと振り返る。聞こえてなかったイアルは、怪訝な顔をした。黙ってソランに向き直り、彼女の二の腕を叩く。


「あいつにそれだけ勝てれば充分だ。まあ、いい、クアッドに紹介する」


 殿下はディーに合図し、ディーは将軍へと大きく手を振った。




 不死人であり、ソランの領地の大剣の流派の始祖だったというクアッドは、今生はそれほど大柄な男ではなかった。

 だが、筋骨隆々としており、胴回りも腕や足の太さもソランの倍はあるように見えた。顔も厳つく、赤ん坊なら見て泣くか、取り付かれたように笑うかのどちらかであると思われた。髪は白髪交じりで彼女の父よりは年上に見受けられる。濃い茶色の目が外見に反して柔和で、ソランは祖父に対するような親しみを感じた。


 簡単な紹介と挨拶の後、どちらからともなく握手を交わした。がっちりと手を握り合い、言葉にならない何かを伝えあった。


「感慨深いです。この時を、どれほど待ち望んだか」


 彼の言葉は、不思議とソランにも当てはまることだった。彼を前にすると心も体も高揚する。ぜひ手合わせしてみたいと思わずにはいられない。彼は数少ない名手であり強者であった。

 それ以上の言葉はいらなかった。自然と間合いを取り、二人は向き合った。突然始まったそれに、周りも黙って退く。


 手渡されていた刃をつぶした剣を構える。これほどの使い手になると、たとえ刃がなくても油断はならなかった。

 もともと大剣は斬るのが目的の武器ではない。殴り倒し、骨ごと断つのが真髄だ。そうであればこそ、刃の有無は関係ない。極めれば、木の棒ででも同じ効力をもたらすことができるようになるのだ。

 二人は動かなかった。否、動けなかった。ゆったりと構えつつも、体は瞬時にどのようにも動きだせるように準備していた。

 気を張り詰め、お互いの気配を探りあう。少しでも相手が居つけば、それが好機だ。隙を作って誘いこもうなど、できるほどの余裕はなかった。読まれている隙など、返って弱点になるだけだ。

 静かに重く時が流れる。誰もが固唾を呑んで見守っていた。


 と。何かが飛んできて、一瞬、二人の間をさえぎった。その瞬間、二人ともお互いに向かって飛び出していた。

 ガイン、と鈍い音とともに火花が散る。力では不利と見たソランが流して引き、そこへさらに突き入れてくる剣を避け、相手の伸びた脇に一閃を叩き込もうとした。

 が、彼の体はくるりと反転し、ソランの右を通って背後にまわった。同時にソランも彼の軌道と反対にまわり、相対する。

 今度は二人とも見合ったままにはならなかった。すぐに踏み込み、激しい剣戟を繰り返した。

 高く低く耳障りな金属音が絶え間なく続いたが、二人は声を上げなかった。気勢を込めた声を出すことは、常ならぬ力を発する手段ともなる。だが今それをすれば、相手に大怪我を負わせることになる。


 なるべくかかる力を逃してはいたが、彼の剣は重く、ソランの手は痺れがちだった。それに、何日にもわたる淑女暮らしのせいで、体力も技の切れも落ちている。次第にソランの旗色が悪くなってきた。

 ソランはタイミングを計った。恐らくあちらもわかっているだろう。ソランに残された余力はそれほどない。その内でできることなど、いくつもないのだ。

 数十合目だった。誘われているのはわかった。それでもソランは気合の声とともに、彼の剣の付け根へと刃を振り下ろした。カッギィンという耳をつんざく音がし、ソランの剣が折れて飛んだ。

 反射的に飛び退ったが、そこで片膝をつき、頭を下げる。


「まいりました」

「なんの。こちらこそ」


 彼は柄を上にして、根元を指差した。


「亀裂が入っています。これ以上は振るえません」


 確かに、五分の二ほど残っているソランの剣といい勝負かもしれない。それでも、先に諦めたのはソランだった。


「いいえ、私の負けです」

「納得できませんな。何日もろくに剣も握っていなかった方に簡単に負けを認められても、嬉しくともなんともありません。私の勝ちと言い張るのでしたら、次の手合わせを所望いたします」


 ソランは破顔一笑した。


「もちろんです。望むところです」


 彼は歩み寄って、ソランの手を取り、立たせた。お互いを称え合い、いくらか興奮が治まってから、衆人に目を向けた。

 そこには、あまりの激しい戦いに度肝を抜かれ、蒼褪めた人々が呆然と立ち尽くしていた。

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