7 収穫祭 前編
館の前には着飾った子供たちがいた。手に手に小さな鈴のたくさんついた輪を持っている。輪には色とりどりの紐が下げられ、子供たちが鈴を振るたびに揺れ、風に流される。
大人たちはその外側に静かに立ち並んでいた。男たちはそれぞれ剣を佩き、女たちでさえ短剣を差し弓を携えている。
祖父がその前に立ち、朗々たる声で呼びかけた。
「失われし神の忠実な僕、女神マイラの加護篤き黒髪のジェナスの末、ソラン様をお連れした。皆に問う。この方に忠誠を誓い、命懸けてお守りせんと誓う者は、跪き、頭を下げよ。さもなくば、今すぐこの地を去れ」
衣擦れの音が重なり、眼前に集う全ての人間が片膝と片手を地につけ、頭を下げる。大きな子供たちは大人に倣い、小さな子達は年上の子供に手を繋いでもらってしゃがみ、興味津々でこちらを見上げた。
「女神マイラは裏切りを許さぬ。地の果てまでも追いかけ、必ず死をもって報いる。今一度問う。この方に忠誠を誓い、命懸けてお守りするか。さもなくば、今すぐこの地を去れ」
鳥の声さえ聞こえない静寂が落ちた。
祖父がそれらを見渡し、頷くと、ソランに向き直り、跪いた。
「我らの忠誠、どうかお受けいただけますようお願い申し上げます」
一度頭を下げ、ただし彼だけは答えを見誤らぬよう、再び顔を上げた。ソランをひたと見詰める。それは孫を見る目ではない。代々血を繋ぎ、その身を捧げ、この地を守ってきた神官に、領民の長たる領主が拝しているのだ。
ソランは生まれた時から母に抱かれてこの祭りに立ち会ってきた。ただし、記憶があるのは恐らく3歳の頃から。いつも笑いかけ、陽気な声をかけてくれる人たちが厳しい表情で佇み、一様にソランを見つめていた。そして、整然と折られる膝、下げられた頭。
怖かった。ただただ怖かった。怯えて母の胸に顔をうずめようとして、さえぎられた。母を見上げれば、彼女もまた甘えを許さない瞳でソランを見ていた。泣くことさえ許されなくて。
腹の中にどろりとした重いものが澱み、喉を突きあげてくる吐き気を、握り締めた拳を口に当て耐えた。寒くもないのに、震えが止まらなかった。
翌年は聖衣を見ただけで嘔吐した。少しはすばしこくなっていたから、泣き喚いて逃げだして、捕まれば捕まったで暴れた。
一流の武人でもある母は、言い聞かせても聞かぬとわかると、丁寧に、しかし断固とした力ずくで着替えさせにかかった。一族外の父も祖父も困り果てた顔で眺めているだけだったのを覚えている。
祖母が見かねて手を出した時には、聖衣はぐちゃぐちゃ、泣きすぎで顔もぐちゃぐちゃ、嗚咽に息も苦しくなった頃だった。
「ソラン。ソラン。嫌なら無理には連れていかないから、私の目を見て。ソラン」
抱き寄せようとする手すら拒んだソランの傍らに膝をつき、祖母は穏やかに言った。
「ソラン、本当よ。嫌ならあなたはここにいればいい。それともリリアに抱かれて、みんなの前に行く?」
「いや!」
「そう。だったら、私を見て。ちゃんとお話ししましょう」
恐怖一色に塗りつぶされた心が、少しだけ緩んだ。暗闇の中にたった一人で放り込まれた心地だった場所に、光をともない、穏やかな声と暖かな腕がさしのべられていた。やっとそれに気づく。
闇雲に体を縮めて頭をおおっていた腕をのけ、祖母を探す。視線が合うと、彼女は微笑んだ。
「怖かったのね、ソラン」
そっと頭を撫ぜられた。心の中に一気に安堵が溢れだした。涙がこみあげてくる。ソランは祖母の体に縋りつき、しゃくりあげながら泣いた。
「ソランには分かっているのね。みんながソランに何を求めているのか。こんなに小さいあなたに求めるべきものではないのに。まだ何もできないあなたには重過ぎるものでしかないのに。……でも、みんな知っているの。みんなには、あなたの未来の姿が見えている。ねえ、ソラン」
頬に触れられ、上を向くことを促されるまま顔を上げると、優しい目で祖母が見つめていた。
「ソランは将来、必ず、この地を守り、繁栄へと導く標になる。あなたにはその役目が課せられているの。あなたはそれを、あなたにとっての枷にも幸いにもできる。拒めば重いだけの枷になり、受け入れれば大きな祝福となるでしょう。
もちろん、役目にふさわしい力をつけるために努力は必要よ。ソランが望んでくれるなら、私たちは誰でもみんな、あなたに力を貸すわ。あなたは、一人じゃないの。みんながついている」
そこで祖母はちょっと考える素振りをして、
「難しかったかしら?」
自問するように呟いた。それに縦に首を振って、嗚咽の合間になんとか答えた。
「うん。でも、わかった」
話しかけたら、返事をして欲しい。マリーに返事をしなくて喧嘩になったことがあった。たぶん、そういうこと。返事をすれば、仲良くなれる。
そのために、みんな手伝ってくれる。
「おばーさまも、おじーさまも、おとーさまも、……おかーさまも?」
「もちろんよ」
「もちろんだとも」
「おまえの力になるよ」
最後に母が無言で近づいてくると、しゃがんで目を覗きこみ、溜息を一つこぼして、くしゃくしゃとソランの髪をかきまぜた。
「当たり前だ。それに、私たちだけじゃない。外で待っているみんながおまえの力になる。応えれば、おまえはたくさんのものを手にできるんだ。
みんなを幸せにする努力をすれば、みんなに幸せにしてもらえる。おばーさまも、私も、そうして幸せになれた。それをおまえにも伝えたいと思ったんだ。……怖がらせて、悪かった」
バツが悪そうにして。窓の外を指差す。
「さあ、みんなが待っているよ」
つられて見た窓の向こうは、晴れ渡った青い青い空だった。
あの日あの時に、自分の足でみんなの前に立つと決めた。幼かったから、覚悟を決められたのだと思う。今の自分なら、未来のことを考えて、もっといろいろ迷っただろう。
本当は、今も怖い。応えられているのかと疑い、迷う。
それでも、ここにこうして立つのは、少しでも自分がみんなの幸いになれればと思うから。己の幸いであるみんなのために。
習い覚えた誓句を口にする。
「もとより、我等はあなたたちと生きると誓った。その誓いは今も活きている。女神マイラの恵みがあなたたちの上にあらんことを願おう。さあ、顔を上げ、立ちなさい。共に女神に感謝を捧げよう」
彼女の言葉を聴いて、人々が顔を上げ立ちあがるのを認め、ソランは微笑んだ。女性としてはりりしすぎる面に、美しく柔らかい表情が浮かぶ。神秘的な深い青の瞳は、今は優しく細められ、言葉以上に彼女の気持ちを人々に伝えていた。
漆黒の聖衣と髪のせいで、まるで彼女は闇を纏っているようだった。だからこそ一層、それらに包まれた白い顔は、その造作とあいまって光を宿しているようだった。
誰もがその姿に魅了された。一番最初に反応したのは子供たちだった。口々にソランの名を呼びながら、手に持つ鈴を振りはじめる。清涼な音が辺りに満ちた。
「神殿へ」
ソランが指し示すと、子供たちは笑い声を上げ、踊るように飛び跳ねながら神殿へと足を向けた。領主がその後に続き、ソランもゆっくりと歩を進める。大人たちも彼らを守るように取り囲みつつ、神殿へと向かった。