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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第八章 思い交わす時
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閑話 殿下の誤算

 彼には自信があった。常に朴念仁だの女の扱いがなってないだのと哀れむような目で見られているが、こと求婚については、文句のつけようがないほど手順を踏んできちんとやったと自負していた。


 思い立ったのは急だったが、ことあるごとに機会は狙っていた。なにしろ相手は何を言っても通じない、己の比ではないほど鈍い相手である。何をどう言っても、きょとんとされるか、当然のことのように流されるか、冗談だと笑うか、からかわれたと怒るかだった。


 彼女が死んだら王位も国も放り出すと宣言したし、男だと思っていたから、宗旨替えしたとも言った。嫉妬するから他の男に触らせるなとも言ったし、傍に置いてくれなどと言うから、離さないとも告げた。

 思わず抱きしめれば、くったりと身を任せてくるから、口付けしようとしたら、とたんに怯えて、何か自分が物凄く飢えた馬鹿者に思えたものだった。あの時、初めて自分を恥じたかもしれない。

 うたた寝した子供をベッドまで運ぶ家族と同じだと言われた時は、複雑な気分だった。だからはっきり誘惑していると言ったのに、恨みがましい目で睨みつけられた。


 なのに本人は、愛の告白かと思うような口説き文句を始終吐く。それも至極真面目な顔で。

 一番酷かったのはあれだ。領主の任命書を渡された時だ。

 あれをさし出すということは、己の命も権限もすべてさし出すということだ。それが枕に忍ばされているなど、どう考えたってそういう意味だと思うだろう。

 しかも、妃になってくれとプロポーズした後だ。むしろ、そう考えない奴を連れてきて欲しいものだ。男だと思っていた相手が、念願の女だったのだ。我を忘れて彼女の寝室に入り込んで当然だろう。


 ところが寝ていた。何の用だと聞かれた。あの時の己のまぬけさ加減といったら、恥じて死ねるほどだった。

 寝惚けた様子で目の前に立った時の色気といったらないのに、彼女が言ったことといったら、暖炉に火を熾してくるから、布団の中で暖まっていろという、部下として扱っていた時の態度そのままだった。

 求婚者としてすら意識されていなかったのだ。あの腹立たしさともどかしさは、それまで味わったことのないものだった。


 しかも、暖炉の前に並んで座った時、彼女は肌身離さず剣を持って来ていた。後ろめたそうに隠していたが、自分自身はすっかり忘れて置いてきてしまっていた。

 あれを見て、剣士としての格の違いを見せ付けられたような気がした。立場上、幾人もの手練を見てきたが、彼女の腕はそれらとも引けをとらないものだ。恐らく私より強いだろう。なにしろこちらがてこずっていた相手を、目の前で一瞬にして二人屠ったこともあるのだ。


 剣術も医術も修め、十六歳にして任命された美貌の女領主。しかも、率いるのはジェナシスの精鋭だ。

 あの時、畏れるということを知った。人が手にしてはいけないものに、手出ししようとしているのではないかと。

 話しているうちに、それは確信へと変わった。

 幼い頃、守ると誓わされた黒の神官。そして『失われた神』。


 だが、『英雄の君』とやらの話を聞いて、どうにも心が震えてしかたなかった。

 この女が欲しい。心も体も未来さえ。その存在全部を手にしたい。

 (かつ)えて(かつ)えて堪らなかった。

 彼女の泣き言は、どれも愛の囁きにしか聞こえなかった。不安そうな顔も、泣きだしそうな瞳も、胸の疼きを掻き立てた。

 守りたいと思った。この腕の中に囲って、どんな憂いからも遠ざけたいと。同時に、彼女にも自分に対してそうして欲しいと願った。守るだけでなく、守られるだけでなく、共に手を携えて生きていきたいと。


 そう。生きたいと願ったのだ。彼女と共に。彼女のいる世界で。


 口付けを繰り返しながら、生きる喜びを噛み締めた。あれほど死にたいと思っていた気持ちを、思い出そうとしても、もう思い出せなかった。彼女は、歓喜そのものだった。

 もっと彼女を味わいたかった。あのまま抱いてしまいたかった。だが、急いではいけないことも、急がなくていいことも、わかっていた。

 彼女が受け入れてくれたことを知ったから。共に生きたいと、彼女も望んでくれていたから。

 いつか彼女の言っていた言葉の意味が、すんなりと理解できていた。

 光は、私の内にもあるのだと。それを信じられた。


 すっかり身も心も任せ腕の中で眠ってしまった彼女をベッドに運び、抱きしめて眠った。

 あの話が、真実私たちのことならば、生まれてからずっと彼女を無意識に捜し求め、見つからない故に絶望していたのではないかと思った。それほどに心満たされた夜だった。




 だったのだが。




「そういえば、おまえからは、言葉ではっきりとした返事をもらってなかったな」


 夜、二人で彼女の寝室の暖炉の前に座り、寝酒を飲みながら、昼に妹に揶揄されたことを思い出し、困らせてやろうと話を持ち出した。

 彼女は鈍いわりに、思い当たると真っ赤になって硬直する。それが非常に心をくすぐる。


「え? ですが、殿下も言葉では仰ってないですよね?」


 上目遣いに言われる。心外だった。


「言っただろう、湖の小屋で。妃になってくれと」

「え? あれは、でも、ソランに仰ったんですよね?」

「それはおまえのことだろう」

「違います。男の(ほう)に言われたんじゃないですか。私ではないです」


 唖然とした。どういう理屈だか、全然理解できなかった。


「おまえはおまえだろう」

「違います」


 頑として言い張る。


「では、どうしてあの時、真っ赤になったんだ」


 彼としては、どうせまた口が滑って、人前でおかしなことを言い出すにちがいないと止めただけだったのだ。

 彼女は途端に真っ赤になり、眦を吊り上げた。


「知りません!」


 言い置いて席を立ち、一番近いベッドの端、つまり足側に乗りあがると、のしのしとその上を歩いて枕元へ行ってしまった。その後を追いかける。


「何を怒っている」

「おやすみなさいませ」


 さっさと布団に潜り込み、首の辺りの布団をぎゅっと握って丸まった。仕方ないのでその上から両手を頭の横につき、覗き込むようにして懇願した。


「からかったのではない。本当にわからないのだ。怒ってくれるな」


 ちらりとこちらを見た気配がした。暗いのでよくわからないが、僅かに動いた。

 頭を働かせる。彼女は何に怒ったのか。プロポーズの言葉を思い浮かべて赤面したのではないとすれば、何を思い出したのか。……いや。そうか。彼女は、言葉では(・・・・)プロポーズされていないと言った。では、いったい何をプロポーズとして受け取ったのだろう。


「口付けか?」


 びくりと肩が揺れる。ますます布団の中に潜っていこうとする。どうやら正解らしい。


「そのとおりだ」


 それ以上潜れないように足で邪魔をし、布団を引き剥がして彼女を取り出す。


「おまえの言うとおりだ。だから、返事をくれ」


 言葉ではないので言葉では返さなかったと彼女は言った。ならば、行動には行動で返すべきだろう。当然の要求だ。返答はとうに貰っている気もしたが、ここまでくると、改めて欲しくてしかたなくなった。


「知りません、知りません、知りません!!! お帰りください!!!!」


 声を殺して叫ぶ。そのうろたえぶりが、かわいい。それが男を煽るのだと、どうして彼女にはわからないのだろう。

 まあ、一生わからないでいてくれていいのだが。死ぬまで楽しんでいたい。




 その後、彼はこっぴどい報復を受けたとか受けなかったとか。自分で自分の首を絞めたとか絞めなかったとか。

 どちらにしても、それは幸せの副産物。

 満たされた夜の睦言。 

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