表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第七章 不死人
50/149

5 女性の武器

 数日は何事もなく過ぎていった。殿下は忙しそうで、ソランは朝の診察がてら起こしにいき、その後、朝食を共にするくらいしか顔を見ることはなかった。

 だが、暇を持て余したかというとそうでもなく、その間に、将軍から娘のミアーハ嬢を紹介され、エルファリア殿下に目通りを果たした。殿下の婚約者候補『イリス』の『人脈』を演出するためだ。

 今日もこれから、王妃のお茶会に招かれている。王妃から、重要人物とばかりに、ミアーハ嬢と聖騎士である母リリアが迎えに寄こされていた。

 もちろんそれ以外に、常に殿下によって護衛が三人も付けられている。まるで厳戒態勢だ。ソランは少々、げんなりしていた。


 『二度目の対面』になるミアーハは、仲の良い乙女同士がするように、ソランの腕に自分の腕を絡め、楽しげに話しかけてきた。


「大事にされていらっしゃること」


 否定も出来ず、ただ笑ってみせる。すると、絡められた腕をぐいっと引かれ、『初対面』となる母リリアに向き合わされた。


「ご紹介いたします。聖騎士のリリア・コランティア殿です。王宮内では、彼女か私のどちらかが護衛につくことになりました。王妃様の御計らいです」

「ありがとうございます。お二方の手を煩わせますこと、誠に心苦しく思います」


 堅苦しく挨拶をしたソランに、二人とも噴き出したいのを堪えた顔をする。リリアは誤魔化すように咳払いをした。


「どうぞお気になさいますな」


 と言って、満面の笑顔で声を出さずに肩で笑っている。それっきり言葉も出せず、肩を震わせ続けるリリアを見かねて、ミアーハはリリアにも腕を絡め、引っ張った。


「近いうちに私たち姉妹になるのですもの。遠慮はいりませんわ。それに、リリア殿はとても頼りになる方ですのよ。どうか、私たちを頼りになさって」

「ありがとうございます。知らないことばかりで、大変心細く思っておりました。とても嬉しゅうございます」


 三人が寄り添い談笑する姿は、欠片の違和感もなかった。まわりに居合わせた男たちは、微笑ましさに心を和ませた。


「では、参りましょうか」


 やっと笑いを収めたリリアが、年長者らしく促した。ソランは引き攣りそうになる笑顔を美しく保つのに苦心しつつ、彼女たちに従った。




 王妃の居間だというそこは、光にあふれた部屋だった。たくさんの緑系のガラス窓が設けられ、二階であるのに張り出したバルコニーの向こうは背の高い木の梢が見えていた。今は葉が落ちてしまっていたが、春から秋にかけてはさぞ爽やかな光景になるだろうと思われた。壁紙や意匠も植物を模してあり、庭園を散策するような楽しさがあった。


 ソランは部屋に招き入れられると、まず低く腰を落とし、頭を下げて礼の姿勢をとった。声が掛かるのを待つ。


「イリス殿、堅苦しいのはなしにしましょう。今日は私的なお茶会です。さあ、こちらにいらっしゃい」

「本日はお招きくださり、誠にありがとうございます」


 そう申し上げてから顔を上げ、姿勢を正した。王妃は目を見開き、まあ、と呟いた。そして、つかつかと近付いてきてソランのまわりを一周回って観察すると、感嘆の叫び声を上げた。


「まああああっ。想像以上ですわ。ああ、悔しいこと! 私が王国一の美女にしてさし上げると言ったのに、どうして他の者に任せたのです?」

「お褒めにあずかり光栄です」


 他にどう答えたらよいのかわからず、ソランは少しちぐはぐな言葉を返した。


「約束なさいな。婚約発表の折には、私にすべて任せると。あ、その前に舞踏会や宴があるかもしれないわね。全部私が采配します」


 前で揃えた手を、両手でがっしりと掴まれる。


「よろしいわね?」


 ソランは背筋に悪寒がはしった。なぜか、急斜面を下るウサギを思い出していた。ウサギは上りには強いが、その分下りに弱い。子供の時分には、皆で協力して丘の上から下に向かって追い散らし、ウサギ狩りをしたものだった。ウサギの肉で作られたスープはひじょうに美味しい。その味を思い出し、ごくりと唾を嚥下した。

 体の強張りが王妃にも伝わってしまったのだろう、笑みが深められた。


「もちろん、断ったりなさらないわよね?」

「……殿下がお許しくだされば」


 ソランは逃げ口上を口にしたが、おほほほほと、王妃は勝ち誇った笑い声をたてた。


「あの朴念仁が采配をふるえるわけがありませんわ。私に泣きつくしかありませんもの。ああ、楽しみですわ!」


 この時、どうも女性に弱いのは部下だけでなく、一番の上司である殿下以下局全体だったのかと、ようやく悟ったのだった。


「ロディ様、座りませんか」


 リリアが王妃を呼んだ。


「そうでしたね。こちらへどうぞ」


 王妃はそのまま自らソランの手を引き、席についた。

 侍女がお茶を淹れてくれる間、三対の視線がソランに遠慮なく向けられているのを感じて、俯いたまま顔を上げることができなかった。

 侍女が部屋から下がると同時に、王妃が待ちかねたように尋ねた。


「それで、プロポーズの言葉はなんでしたの?」


 目を輝かせて答えを待ち望んでいるのがよくわかったが、ソランは意外な言葉に顔を引き攣らせた。


「いいえ、まさか」


 王妃は顔を曇らせた。


「まさかって、それこそまさかですよ。プロポーズすらできないのですか、あの子は!」

「なにを仰ってるんですか。私の身の安全と、お妃問題で騒ぎが起きないようにとの配慮で、婚約者のふりをするだけでございます。それに、まだ男だと信じていらっしゃいますし」

「ええ!?」


 王妃とミアーハが同時に驚きの声を上げた。リリアははしたなく噴きだし、慌てて両手で口を押さえた。それでも抑えきれずテーブルに突っ伏し、体を震わせている。王妃とミアーハは呆然とした目をそんな母に向け、やがてつられたように大笑いをはじめた。


「おほほほほ。これほどおかしいことが今まであったでしょうか! それで、あんな念を押していたのですね!」

「妙だとは思ったのです。だから報酬なのですね」

「まさか、ここまで鈍いとは!」


 王妃、ミアーハ、リリアの順に感想を漏らし、頷きあってさらに笑う。淑女にあるまじき大口であった。


「どういたしましょう、王妃様。殿下に真実を教えてさし上げた方がよいのでしょうか」

「まさか! これほどの見ものに水を差すなんて、許しませんよ」

「では、夫たちには黙っていないと」


 そう言って果てることのない笑い声を上げるご婦人方に、ソランは懇願した。


「どうか殿下には仰らないでください。でないと、律儀に本当に結婚すると言いだされるに決まっています」

「あら、なにがいけないんですの?」


 ミアーハが尋ねてくる。


「殿下は情の深い方でいらっしゃいます。身内に引き入れた者を見捨てることはありませんでしょう。宝剣の主には制約が付くので、私も安易には結婚できないようですし、だったら自分が責任を取ろうと仰るにちがいありません」

「けっこうではありませんか。ロマンティックではありませんけどね」


 王妃も口を挿む。


「殿下は義務で己を雁字搦めになさいます。よりによってその相手が私では、あまりに申し訳ないです」

「馬鹿なことを仰い。さっきからどうも気になっていたのですが、あなたは自己評価が低すぎます」


 王妃はソランをぴしゃりと遣りこめた。


「顔をお上げなさい。もっとです。高慢に見えるように。そう。それでいいのです」


 王妃の言葉通りにしたソランに微笑みかける。ソランは、祖父にもよくこうやって表情や姿勢を正されたと思い出す。


「淑女とは言ってみれば『ハッタリ』です。それらしく振舞えば、それらしく扱われるのです。

あなたはこれから、たくさんの人の目にさらされるのですよ。見渡す限りの人波の前に立つこともあります。そのすべてが、あなたの一挙手一投足を追うのです。あなたの粗を探し、付け入ろうとする者もいましょう。

そんな自信のないことでは、これからやってゆけませんよ」


 物腰は柔らかかったが、内容は容赦のないものだった。ソランは血の気が引く思いだった。


「だから、私があなたに武器をさし上げます」


 王妃は立ち上がり、ソランの手を取り、隣室へと導いた。開かれた扉の向こうは衣裳室だった。ミアーハとリリアもやってきた。大きな姿見の前に立たされる。歪みのない素晴らしい鏡だった。どれほど高価なものなのだろうか。


「よくごらんなさい。あなたは、本当に美しいのよ」


 その中で、四人の美しい女性がこちらを見返していた。年上の三人は微笑み、中心に立たされた一際背の高い黒髪の娘だけが、不安げに目を瞠っていた。その不安げな様さえ儚げで美しかった。


「誰もあなたが美しいとは教えなかったの?」

「いいえ、誰もが口々に褒めてくれました。でも、マリー、あ、いえ、私の侍女たちがこれほどの腕前とは思っておりませんでした。化粧とは素晴らしいものですね」


 すっかり感心している様子のソランに、三人が苦笑を漏らす。


「あなたは男装の時も美しかったですよ。何をしていなくても、そこにいるだけであたりを薙ぎ払う美しさがありました。今もそうです。そうしているだけで人目を惹き、魅入らせます。あなたはそれほど魅力的なのですよ」


 ソランは小首を傾げ、鏡の中で王妃と目を合わせた。王妃は優しく笑みながら頷いた。


「これがあなたの武器です。それを私がさらに磨き上げてさし上げます。小うるさい淑女たちが嫉妬もできぬほどの、そして愚かな男たちがこぞって足元に平伏すような、女神にしてみせますわ」


 女神という言葉に心臓が跳ねた。そう言った一瞬に、王妃の目に真っ暗い深淵を見た気がしたからだ。それの意味するものも分からないのに、突然、不吉な何かが脳裏ではっきりとした形を取ろうとする。ソランはそれに慄き、震えた。


「二度と同じことは起こさせません。これが私の謝罪ですわ。信じてくださるかしら?」


 王妃の声に、不吉な予兆は形を取る前に霧散した。ソランは我に返って王妃を見つめた。鏡の中の王妃ではなく、振り向き、隣にいるその方を。


「はい。もとより疑ってなどおりません」


 ソランの裏心のない返事に、王妃は言葉を失くしたようだった。表情も失くす。そこに、今度こそ気のせいではなく、暗い感情を見た。ケインの中に見たものとよく似たモノ。


 ああ、この方も不死人なのだ。


 けれど、それも数瞬。王妃はすぐに微笑んだ。


「その清冽さは稀有ですわね。まぶしくて目が眩みます」


 ソランは目を伏せ、今の言葉を褒め言葉として受け取り、浅く膝を折り、礼をした。


「イリス、いえ、ソラン殿」


 王妃は名前を呼び変えた。


「あなた自身はどう思ってらっしゃるの?」


 何を指しているのかわからず、ソランは王妃を見返した。


「アティスの妃になるのはお嫌なのかしら」

「いいえ」


 とっさに答え、その意味することに後から気づき、赤面する。


「まさか、もったいのうございます」

「では、あの子が他の女性を娶ってもよいと?」


 息が苦しくなる。いつも、そうだ。胸が重く塞がれ、泣きたくなる。

 どうしてそんな気持ちになるか、本当は知っていた。知っていて、気付きたくなかった。

 そして、だからこそ、義務や同情でなど縛りつけたくなかった。それだけは嫌だった。


「殿下のお選びになる方に、否やなどあろうはずもございません」


 取り澄ました様子で返された答えを、王妃は目を細めて吟味していたが、


「では、その言葉を忘れてはなりませんよ。あの子の選んだ者を、あなたも認めると誓いなさい」


 是以外受け付けぬ厳しさで言った。


「承知いたしました。お誓い申し上げます」


 ソランは祖父に教え込まれた笑みを浮かべ、優雅に礼をしながら、誓いを口にした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ