4 仮初の婚約者
「だから、おまえは私の婚約者として振る舞え」
ソランは、言われたそれにしばらく考えをめぐらせ、
「愛人止まりの方が良いかと。王太子妃を迎えられる時に、あまりに外聞が悪くなります」
「中途半端ではよけいに騒ぎが大きくなるだけだ。おまえを排除せんとする者も増えるだろう」
「それはかまいません。それに、私が相手では国になんの益ももたらしません。婚約者としては誰も納得しないでしょう」
納得しなければ、排除しようとするだろう。醜聞で社会的に抹殺するか、物理的なものに訴えるかはわからないが。
そう軽く、理論的にソランは考えた。
「かまわぬなどと、言うな」
ところが殿下は、突然鋭い怒りを見せた。
「いいかげんにしろ。なぜもっと自分を大事にしない。まわりがどれほどおまえを心配し、守ろうとしているか、どうしてわかろうとしない」
ソランは困惑した。
「私の心配など、無用にございます。私は大丈夫ですから」
「その根拠のない自信は、いったいどこから来るんだ」
「できる努力はしてまいりました。それでも届かぬときは仕方ございません」
「仕方ないで諦めがつくか!」
怒鳴りつけられた。
「覚えておけ! おまえが死んだら、王位も国も放りだしてやる。おまえを失ってまで、欲しいものなどないのだからな!」
何を言っているのか。
「無茶な脅しはやめてください」
ソランは笑った。お優しいにもほどがあると思った。だがそれは、王位につくなら命取りになる。本当にそんなことをする気なら、傍にはいられない。いられないが、今はまだ判断を下すには早すぎる。なにより立太子する殿下を守るのが先だ。
「承知いたしました。身辺には充分気をつけるといたします」
丁寧に答えたソランに、殿下は不満げに鼻を鳴らした。
「王宮はくだらぬ嫉妬と欲望にまみれた所だ。今回の毒殺騒ぎも、ミルフェの夫候補からおまえを外すためだった。笑い事ではすまんのだぞ」
「そうでしたか。断るのが少々遅かったようですね」
「遅い早いではなかろう。私の手落ちだ。この件に関しては謝らねばならぬ。すまなかった」
ソランは首を傾げた。
「なぜ謝られるのですか」
「ミルフェの夫の第一候補はカルシアン・ペイヴァーなのだ。第二、第三、と五番目まで様々な理由を付けて傍に置いているのだが、どうも見向きもしなくてな。六番目の候補としておまえを考えていたのだ」
「私、ですか? 私にはなんの後ろ盾もありませんが」
「おまえの後ろ盾は私だ。それに、宝剣の主でもある。ミルフェを娶れば、おまえは兄上より上位の王位継承者となる」
「まさか」
「まさかではない。愚かしいことに、宝剣の主はそれだけで王位継承第一位と目されるのだ」
「慣例ですか。それとも別に理由があるのですか?」
「慣例でもあり、理由もある。
主がいない間、宝剣を収めてある聖堂に碑文があってな。それに、
『この地に安寧を齎さんと欲する者に我が剣を与えん。これを以って加護とす。その願いを叶え、この地を守護せよ』
とあるのだ。最後の一文を王権と重ねて見れば、王位となる。べつに将軍職であってもかまわんと思うのだがな」
馬鹿馬鹿しい話だ。そう言って、殿下は溜息をついた。
「だから、おまえが宝剣の主の姉であるとなれば、それだけで妃候補として充分な資格になるのだ。王族でない王位継承者など、放ってはおけまい?」
「公表するのですか?」
「する」
「それによって殿下のお立場に影響はないのですか」
「おまえが私の傍にいる限り、ないだろう」
『ソラン』が殿下の陣営に組する限り。
「しかし、いつまでも怪我が治らないのでは怪しまれましょう」
「それについては、ある程度回復したら、領地で長期療養させることにする。怪我によって手足が動かなくなる者は多いからな」
「ああ、そうですね。それならば良いでしょう」
再び動かせるようになるには、多大な努力と時間が要る。理由としては妥当だろう。
「この件については、王妃が激怒して采配を振るっていらっしゃる。王妃の許に送り込んだ侍女に毒を混入させたようだ。
将軍が動き、首謀者の身柄は拘束した。領地に軍も派遣し、家財も没収予定だ。今は協力者を吊るし上げているところだ。
近いうちに裁きが下されるだろうが、極刑以外は有り得ぬだろうな」
王妃の顔に泥を塗ったとは言え、狙ったのは何の力も持たない小領の次期にすぎない。刑が重過ぎる気がした。ソランの顔色を読んだのだろう、殿下が付け加える。
「王妃の事情だけではない。宝剣の主を狙ったのだ。知らなかったなど、理由にはならん」
「見せしめですか」
「その側面もあるな」
「だから、殿下ではなく、王妃がなさるのですね」
次の世代に遺恨を残さないために。
「おまえを婚約者として扱えば、ある程度の護衛も確保できる。本当は妃にしてしまえばよいのだが、おまえは承知しまい?」
殿下は冗談を言って笑った。
「いつから宗旨替えを?」
ソランも肩を竦めて冗談を返した。
「もちろん、おまえと会ってからだ」
人の悪い笑みを浮かべて、先程と同じように手を出せと言う。躊躇っていると、さっさとせよと急かされる。ソランはおずおずと手袋をしていない片手をさし出した。
思ったとおり、その手を取られ、口付けが落とされる。
「この程度で固まられては困るのだがな」
くすくすと笑う。
「それから、無闇矢鱈と他の男に触らせるな。私は嫉妬深いぞ?」
ソランは手を引っこめて、眉を逆立てた。
「お戯れは程々に願います!」
真っ赤になったソランを見て、殿下は声を上げて笑った。
その後、ペイヴァーが何にけりをつけなければいけないのか聞いた。
「王女派の掌握だ。不穏分子は王妃が片付けてくれるのだから、簡単なものだろう」
「ペイヴァー殿は殿下の部下だったのですか?」
「いや、将軍のだ。少々固いのが玉に瑕だが、公正な人物だ」
「彼を買っていらっしゃるのですね」
「妹をまかせようと思うくらいには。だが、ミルフェがいつもひっかかるのは、クライブ・エニシダだの、ルティン・コランティアだの、あれには少々荷の重い者ばかりでな。おまえといい、ミルフェは面食いなのだろうな」
殿下は困ったような情けないような顔をした。
ソランを精霊王と評したことを思い出す。たしかに弟もエニシダも精霊族のような容姿をしている。それは逆に言えば、男っぽくないということだ。
彼女は自分の恋が国を左右すると知っていた。積極的であるようでいて、案外恐れているのかもしれなかった。だから、夢物語のような相手にばかり魅かれるのだ。
「恋に恋していらっしゃるところもあるのかもしれませんね」
「ああ、確かに。よくわけのわからないことを言っているな」
殿下は頷いた。
「ペイヴァー殿は、ミルフェ殿下を本気でお慕い申し上げているのではないですか?」
殿下の不興を買ってもかまわないと彼は言っていた。イリスと話すことでソランの様子が聞けるのなら。それによって、ミルフェ殿下が少しでも元気を取り戻してくださるなら、と。
「大事にしすぎて口説くこともできんヘタレだ、とディーは言っていたが」
殿下は自信がなさそうに言った。男女のことになると、どうも苦手でいるようだ。
「そうですか。ペイヴァー殿なら、あの強面をやめて、笑いかけてさしあげればすぐだと思うのですが」
ソランは小首を傾げて、彼の笑顔を思い出した。
「とても魅力的でしたよ」
「ほう? いつ見たのだ?」
「手に」
キスを受けた時に。と、うっかり答えそうになり、どこか笑っていない殿下のまなざしとかち合う。殿下が彼の触った手袋を投げ捨てたのを思い出し、答えを変えた。
「手のことで気にすることはないと言ってくれた時に」
「あいつめ、別の場所で油を売ってどうするつもりだ」
「女性に優しいのは、得がたい美質だと思われますが?」
「意中の女性以外でもか?」
「そうであればこそです。女性を無体に扱ったりしないでしょう。……もちろん、殿下の魅力には遠く及びませんが」
どこか不機嫌でいるので、付け足してみた。
「気を遣わなくても良い。よけいに腹が立つ」
「そうですか。それは失礼致しました」
ソランは先程の仕返しとばかりに、にっこりと笑ってみせた。