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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第七章 不死人
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3 殿下の決意

 ややあって顔から掌を外したディーは、恨めしげに言った。


「俺が過労死したら、実家の面倒はお願いします」

「何を言っている。責任を私に押し付けるな。私はおまえの趣味に付き合ってやってるだけだろう」

「俺の趣味?」


 ディーは心底意外そうに聞き返した。


「なんだ、気付いてなかったのか。おまえ、無理難題を言われると、すごく嬉しそうだぞ」


 ディーは目を見開いて絶句した。まさに茫然自失。が、すぐに我に返り、爆発する。


「いつもいつも面倒で厳しい案件を丸投げしておいて、それですかっ。俺だって自分に発破かけなきゃ、やってられませんよっ」

「謙遜するな。頼りにしているぞ、我が副官殿」


 殿下はニッと人好きのする笑みを浮かべた。ディーは二度目の絶句に陥った。そして、呆れたように横に首を振った。


「それで、今回のは特例措置なのでしょうね」


 強く念を押す言い方だった。それに殿下は取り付く島もなく返す。


「決めたと言っただろう」

「ケインは不死人でなかったと言えば済むことです!」

「同じ事を何度も言わせるな」


 ほとんど二人とも喧嘩腰であった。


「冗談じゃありません! ケインはともかく、ヒルデブラントは何度でも同じ事を繰り返しますよ」

「それでもだ」

「理想で生きていけるなら、誰だってそうします。でも、現実問題として、不可能です」

「不可能ではない」

「不可能でしょう! 敵が多すぎます」

「すべて排除する」

「は?」


 ディーは、口を開けて、ぽかんとした。


「今、何と?」

「排除すると言った」


 がたんっ。ディーの腰掛けていた椅子がひっくり返った。勢いよく立ち上がった彼は、テーブルをまわり、殿下に詰め寄る。


「正気ですか? 冗談ですか? それとも夢ですか?」


 殿下は嫌そうな顔をして、椅子を引きずってディーから離れた。しかし、同時に同じ分歩み寄られてしまい、少しのけぞる。


「正気で本気で現実だ。少し離れろ。鬱陶しい」

「嘘だ。ぬか喜びした俺を、後で絶対笑うつもりだ」

「私はそこまで歪んだ性格はしていない」

「えええー? じゃあ、夢だ~」


 ディーは頭を抱えてしゃがみこんだ。殿下は溜息をついた。淡々と説明する。


「欲しいものができた。そのために利用できるものはすることにした。それだけだ」

「いつ決めたんですか」

「昨夜」

「そういうのは前振りをして、こっちの心の準備ができてから仰ってくださいよ~」


 心なしかその声は湿っていて。彼はしばらくそのまま動かなかった。やがてぐいぐいと片手で目尻を拭うと、立ち上がった。その顔は、いつもより少しだけ真面目だった。


「イリス殿のおかげですか?」

「ああ」


 殿下は短く答えた。全然話の読めてなかったソランは、さらにきょとんとした。


 昨夜、何かあっただろうか。散々殿下に笑われて、からかわれはしたが。


「だから、どうせならしたいことをする。それで命を狙われるなら本望だ」

「承知しました。発表は生誕祝いになさるおつもりですか?」

「そうなろう。詳しいことは関係者を集めて話す。意見を聞きたいこともある」

「では早急に手配します。ああ、でも、その前に医局長の説得ですね」


 ディーは顎に手を当て、頭の中で予定を立てているようだった。


「わかりました。これからすぐに行ってきます」


 踵を返し、扉に向かった。ソランも立ち上がり、殿下に礼をする。


「どうした」

「お忙しそうですので」

「忙しいのはディーだけだ。質問の途中だっただろう。座れ」


 ソランは躊躇した。


「そうだよ、イリス殿。そのためにわざわざ時間をあけてあるんだから、って、ごめん、俺が邪魔したんだね。

殿下、今後のためにも、きっちり説明してあげてください。先程、カルシアン・ペイヴァーが、わざわざイリス殿を訪ねてきて、敬愛のキスをもぎ取っていきましたから」

「ほう? おまえは何をしていた」


 殿下は低い声を出した。


「役目は果たしましたよ。とりあえず、恋に落ちる前に邪魔はしましたので」

「それ以前の問題だ。ペイヴァーめ、本命も落とせないくせにいい度胸だ」

「詳細はイリス殿にお聞きください。では、俺はお使いに行ってきます」


 声を掛ける隙も与えず、さっさと出て行く。

 ソランはわけもわからぬまま、急転直下剣呑な雰囲気を纏った殿下と二人きりにされた。




「それで、奴は何と?」

「はい。ソランの病状と、もしもの場合はミルフェ殿下との面会を取り持って欲しいと」

「それがどうして手を許すことになる」

「はあ。女装を疑われたのではないかと」

「ふうん?」


 殿下がテーブル越しに左手を出してきたので、何ですか? と尋ねると、手を出せ、と言われた。素直にさし出す。その手を握る。


「手を取って、何と言った?」

「え? えー、あの」


 笑われそうで、言い難い。


「どうした。言えないようなことを言われたのか」

「いえ、可愛い手だと」


 ソランは感情を切り離して告げた。そうでもしなければ、いたたまれなかった。

 殿下は指先の布だけを摘み、すっと引っ張った。手袋が抜ける。それを、手首を軽く振って床の上に投げ捨ててしまった。


「あ」


 目で追って思わず声を上げたソランの手を、殿下はまた掴んだ。批難の言葉を口にしようとしたのに、親指で掌をなぞられ、くすぐったさに身を竦める。


「傷と剣だこだらけだな」


 労わるような優しい声に、心までくすぐったくなった。手袋も気になるが、似たようなことをペイヴァーにも言われたと思い出す。


「はい。傷だらけで恥ずかしいので隠していると説明しました」

「奴は納得したか?」

「さあ。ただ、隠すことはないと言われました。価値のわからない者には笑わせておけばいいと」

「……気障な奴だ」


 そうなのだろうか。誠実そうに見えたが。ソランは首を傾げた。

 しかし、見破られていてああ言われたのだとすれば、とんでもない皮肉ということになる。なにしろ、とどめがあのキスだったのだから。


「やはりバレたんでしょうか」


 不安になって、殿下に分かるはずもないのに尋ねてしまう。


「バレてはないだろう。だったらディーが何か言うだろう」

「そうですか? そうだといいんですが」

「男に戻りたいか?」


 ソランは答えに迷った。迷う自分に戸惑いを覚える。


 どう考えても女は窮屈だ。この服も足元が頼りない。なのに、このままでいたい気もする。なぜだ?

 ……だって、ちゃんとした女性扱いは心地好い。


 突然ひらめいた本音に、ソランはどうしようもなく恥ずかしくなった。真っ赤になって手を引き抜き、立ち上がって後退る。


 なんて、浅ましいんだ。自分が嫌になる。それはもちろん、女扱いをしてくれるだろう。ソランの命が掛かっているのだ。マリーが皆を脅してくれたではないか。

 殿下がそう振る舞えば、事情を知らない人間でも同じようにするはずだ。当たり前のことだった。そうでなければ、女としては残念だ、と誰もが言うソランが、こんな扱いを受けるわけがない。


 情けなかった。どうにもこうにも情けなくって、泣きそうだった。


「あ、当たり前です。早く、男に戻りたいです」


 涙声になってしまった。無表情の仮面も笑顔の仮面も被れなかった。心が波打ち、収集できない。殿下の前では、いつもそうなってしまう。感情が大きく動かされ、零れ落ちてしまうのだ。


「逃げるな」


 殿下は眉を顰めた。


「座れ」


 有無を言わせぬ命令に、ソランは唇を引き結んで元の向かいの席に腰を下ろした。殿下は一層不機嫌になったようだった。


「そんなに嫌か」

「はい」


 眉間に三本くらい皺が入る。視線が逸らされた。執務机の上のなにかを睨んでいる。そして、苛立たしげな溜息とともに、目を瞑る。


「だが、しばらくはそのままでいてもらう。一年か、もしかしたらそれ以上」

「え?」


 殿下は目を開き、ソランと視線を合わせた。


「立太子する。しばらくはまた、身辺がきな臭くなろう。それ以上に、妃問題でまわりが騒ぎ立てるだろう。おまえには虫除けになってもらう」

「それは、お妃様が決まるまでということですか?」

「いいや、おまえの女装に無理が出るまでだな。成長期だからな。ひょっとしたら、半年後にはゴツイ大男になっているかもしれんぞ。まあ、なるべく長く頼む」


 ソランなら一生涯だってできる。では、やはりお妃が決まるまでということだ。あの部屋に本来の主が来るまで。

 息が苦しくなった。


 この方は王になられるのだ。遠い方になってしまわれる。手の届かない方に。


 とてつもない寂しさに襲われた。


「喜ばないのか」

「喜んでおります」

「そうは見えないが」

「いいえ」


 ソランは笑ってみせた。

 先程ディーが泣いたのは、この話に逸早く気づいたからだろう。殿下を支えてきた者たちは、誰もが同じく喜ぶに違いない。


「とても喜ばしく思っております」


 そう言いながら、新王の宮廷にいる自分を、ソランはどうしても想像できなかった。

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