2 ケインの処罰
修練場近くの回廊を通りかかった時だった。
「ファレノ殿でいらっしゃいますか?」
備品倉庫から続く回廊を、大声で呼ばいながら駆けてくる男がいた。赤い制服を着ている。
「行きましょう」
ディーが促すが、
「もう目が合ってしまいました」
ソランは彼に見覚えがあった。王女の護衛隊長であるカルシアン・ペイヴァーだ。
「仕方ないですね。では下がっていてください。俺が話をつけます」
一行は立ち止まり、ディーが前へ出て彼を出迎えた。
「もうけりがついたんですか? でしたらどうぞ直接アティス殿下へご報告ください」
「いいえ、まだです。そちらのファレノ殿にお話があります」
ペイヴァーはソランに会釈をした。
「殿下の庇護しておられる女性に許しもなく話しかけるなど、お控え願いたいものですね」
「失礼は承知の上です。どのようなご不興も甘んじて受けます。どうかお願い申し上げます。ソラン・ファレノ殿の病状はいかがなのですか。お教えください。
そして、もしものことがあるのならば、どうか、ミルフェ殿下の面会を叶えていただきたいのです」
ディーを飛び越し、ソランに視線を合わせて言う。
「それはそちらの誠意を見せてもらわないことには、とても受け入れられないと申し上げたはずですが」
ディーはさえぎる位置に歩を移した。
「承知しています。でもそれでは、とてもミルフェ殿下がもちません。殿下はあれ以来ふさぎこまれ、ほとんど何も口にできないのです」
「お甘いことだ。ご自分の配下も掌握できない、その後始末もする気がない。その様な御仁と瀕死の重傷を負った者を会わせ、何をさせようというのですか。泣いて許しを請うのを慰めてさしあげろと?
冗談じゃありませんな。持ち直すものも持ち直しません」
ペイヴァーが怒りに顔を紅潮させた。ソランは思わず、ディーの肩に手を掛けた。
「貴女はお気になさらなくて良いのですよ。ただでさえ心痛甚だしいのに、こんなことで煩わせたと知れたら、殿下は激怒なさいますからね」
ディーは振り返り、肩に乗った手を取って、宥めるように軽く叩いた。それでもソランが引かないと知ると、困った様子で、
「どうするおつもりですか」
「私の知っていることは少ないですが、これでは彼も引くに引けないでしょう」
ソランは握られた手を軽く振り払って引き戻し、数歩前に出てディーに並ぶ。
「ミルフェ殿下の?」
「カルシアン・ペイヴァーと申します。護衛隊長を務めております。失礼をお許しください」
彼は改めて深く頭を下げた。
「イリス・ファレノでございます。私は殿下のご厚意により、束の間お仕えすることを許されているだけの者にございます。お気遣いは無用にございます」
彼は驚いた表情をした。なぜ驚かれるのかわからなかったが、尻尾が出てはまずいので、とにかく早く切り上げることにする。
「ミルフェ殿下にお伝えくださいませ。愚弟は丈夫だけが取り柄でございます。しばしお待ちくだされば、必ずやご心配おかけしたことを謝りに行かせますので、どうかお心安くいらっしゃってくださいと。
そしてその時に、お元気なお姿を見せてやってくださいませと」
「ソラン殿は回復に向かっているのですね」
「そう信じております」
ソランも、我ながら微妙な言い回しだと思ったが、先ほど耳にした『けり』とやらがつかない限り、『ソラン』を回復させるわけにいかないのは、推測できた。
己の知らないところで随分と話が進んでいるらしいのを知り、後で殿下とディーに確認しようと心に決める。
ペイヴァーは真偽を確かめるように、ソランを観察していた。そして、ふと剣に目を留める。
「それはソラン殿の剣ですか?」
「はい。愚弟に、これで自分の代わりに殿下を守って欲しいと頼まれました」
「貴女もソラン殿ほどの使い手なのですか?」
「まさか。とてもお役に立てるとは思いません。それでもいざまさかの時は、己の身は己で守り、皆様のお手を少しでも煩わせずにすめばと思っております」
「お手を拝借できますか?」
どきりとする。手を見れば、大抵のことはわかってしまうものだ。手袋はしているが、それさえも怪しさを増しているかもしれない。女性の小物としてはポピュラーだが、日常的にしている人は少ない。
ソランは躊躇いがちにさし出した。彼は恭しく手にすると、手袋の上から甲に口付けを落とす。
「このような可愛らしい手で剣までとられるとは。得がたい方だ。尊崇いたします」
ソランは失礼にならない程度に急いで手を引っ込めた。可愛らしいなどと初めて言われて、柄にもなくどぎまぎする。
「いいえ。お恥ずかしいことに傷だらけで、とてもお見せできないのです」
「それで手袋をなさっているのですね。その価値のわからぬ者など、放っておかれればよい。あなたはもっとご自分を誇ってよろしいですよ」
ソランは曖昧に笑ってごまかした。彼もそれに応えて笑った。いつも気難しい顔ばかりしている男だったが、それは実に魅力的な笑顔だった。
「それ以上はご遠慮願いましょうか」
ディーが半身を割りこませる。ペイヴァーは彼には目を向けず、ソランに向かって頭を下げた。
「お話を伺えて、心の重荷が下りました。ありがとうございました」
「いいえ」
「お言葉、確かに承りました。それでは失礼致します」
彼は来た時とは違って、落ち着いた態度で帰っていった。
執務室で待っていた殿下に、ディーがケインの報告をした。
「彼は不死人でした。エリザという女性にもう一度会いたかったようです」
「そうか。その名前には聞き覚えがある」
「ええ。酔うと時々口にしていましたからね。彼の実家に使者を出して事実関係を調べますか?」
「いいや、もういい。それで、ソランの件は」
「恐らく話してはいないかと。どんなに取り乱しても、ソラン殿を殺したいという意志は見られませんでした。裏切り者に話せばどうなるか、そのくらいの理性はあったように思われます。
ただ、彼を唆した者とは長期に渡って接触していたようですから、拒んでいた彼が態度を翻した理由は、推測されてしまっているのではないかと思われます」
殿下は頷いた。
「打てる手は全て打った。あとは待つしかあるまい」
ソランに視線を向ける。
「聞きたいことは? できるかぎり答えよう」
「首謀者が誰なのか調べがついているのですね?」
「ああ。ジェームズ・ヒルデブラント。ウィシュクレアの大物だ」
殿下は眉を顰め、軽く息をついた。
「サラン河の視察中の襲撃の件で、手引きしたのではないかと、きな臭くはあったのだが、どうにも尻尾が掴めんでな。ケインの証言でやっと辿り着いた。今、ウィシュクレアに追わせている」
彼らは国の威信をかけて追うだろう。
ソランはただ頷いて見せた。イアルからそれぞれの国の成り立ちを聞いて知っていた。
ウィシュクレアもウィシュミシアも、元々は不死人のために建国された国々だ。当時のウィシュタリア王が、人々から浮いてしまう彼らを見るに見かねて、国を分割してまで避難場所を作ったのだ。
今でこそ普通の人々に紛れるのが上手くなった彼らも、当時は迫害されることが多かった。特に子供の時期に持て余した親に捨てられ、生き延びることが難しかったという。
そこで、とりあえずは大陸中に張り巡らせた商人の国ウィシュクレアの流通網に潜り込めば、ある程度大きくなるまで養うシステムを作った。あとは肉体の属性により、賢ければミシアへ、体が強靭ならタリアの軍へと推薦できるようにした。
この一件で、不死人はウィシュタリア王族に忠誠を誓った。それも本来的な意味は、王族にではなく、庇護を施した宝剣の主と、彼を生み出す一族に、なのである。
現在はどちらの国も、学問を志す者や商売を志す者に広く門戸を開いているが、それでもやはり中枢は不死人が占めている。それは、ウィシュタリア王家との繋がりによるためだ。
これ以降、不死人たちはお互いに繋がりを持つことができるようになり、呪いの始まりについての研究も行われるようになった。
そして、様々な証言から、二代目の宝剣の主が呪いに関わっていると推論し、今に至るまで呪いを解くための試行錯誤を続けているのだった。
「ケイン殿はどうなるのですか」
「ウィシュミシアへ渡されることになろう」
初耳なそれに、ソランは問い返すようにわずかに首を傾げた。
「不死人は殺すわけにはいかぬ。生まれ変われば、十数年で同じことを繰り返すやもしれん。
意志を削ぎ、生きる屍として肉体に魂を閉じ込めておかねばならん。その術はミシアにあるのだ」
ソランの身中に冷たいものが走った。唇が震えそうになり、口元を引き締めた。
なんと惨い刑だろう。それを彼は死ぬまで受け続け、そして、生まれ変わっても覚えているのだ。数百年でも、もしかしたら何千年でも。その恨みと憎しみはいかばかりになろうか。
「いけません、殿下」
焦燥に駆られ、ソランは諌めようとした。
「彼は後悔していました。エリザという人に会いたかっただけなのです。これ以上、彼に憎しみを植え付けてはいけません。どうか慈悲を与えてやってください」
「イリス殿、それはできない。殿下を危険にさらすわけにはいかない。一時の感情に流されてはいけない。あなたならわかるはずだ」
ディーが言い含めるようにソランに反論した。
「それこそ一時の感情です。殿下は私やあなたが守ればいい。でも、次に生まれ変わった時、私たちはお傍におれるかわからないのですよ。不死人を相手にするのなら、数十年ではなく、何百年、何千年という年月で考えるべきなのではないですか?」
「そうは言っても、恩赦は有り得ぬぞ。わかって言っておるのか」
殿下は、自分が何を言っているのか本当に理解しているのかと、言外に問うた。
「承知しております。お許しくだされば、私が行ってまいります」
王族の暗殺に加担した者には、死しか与えられない。だったら、せめて眠るように逝かせてやりたい。
「イリス殿、無茶だ。覚悟だけで事が成せるなら、今頃こんなことにはなっていない。殿下もよくお考えください」
「おまえには私を守る自信がないと?」
「ありませんよ。いつもヒヤヒヤですよ。胃に穴が開きそうなんですよ!」
ディーは冗談に紛らわそうとして失敗し、声を荒げた。いつもの余裕は影も見えず、顔を歪める。
「あなたを失いたくないのです。どうか、お考え直しを」
「なんだ、おまえは。それほど私は危ういか」
「わかっておいででしょうに」
「だが、もう決めた」
殿下は不敵としかいいようのない笑みを浮かべた。ディーが、呆気に取られた顔をする。そして、そんな自分に気づくと、片手で顔を覆った。
「どうしてなんですかねえ」
泣き笑いのような声だった。
「私はいつもいつも、それに弱いんですよ」
ああ、くそ、イヤになる。ディーは口の中で悪態をついた。