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暁にもう一度  作者: 伊簑木サイ
第六章 変化(へんげ)

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5 光はここに

 ふっと目が覚めると、そこは明るい部屋だった。ソランは起き上がって、見覚えのない部屋を見回した。

 壁には王都に来てからもあまり見たことのない、ガラス窓が嵌められている。

 昔は水晶で作ったものだが、材料の採れなくなった今は、ガラスである。水晶でもガラスでも大きな板を作るのは難しいので、絵柄を作りながら破片を金属で繋ぎ合わせ、一枚の大きな板とする。

 ガラスとなってからは簡単に鮮やかな色を付けることが出来るようになったので、華やかな窓が作られるようになった。

 そうは言っても大変に高価なもので、王宮ですらそう多くは使われていない。それが小ぶりとはいえ、壁を飾るタペストリーのように、等間隔にいくつも並んで嵌められていた。

 青緑色の小鳥が葡萄を食んでいたり、枝上で羽を休めたりしている。可愛らしく、美しいものだった。

 そして、体の下のベッドは巨大だった。普段使っている物の五倍ほどありそうだった。シーツの肌触りも滑らかで、掛布団など触ったこともないほどふわふわしていた。


 とりあえずここから出なければと思ったソランは、ベッドから這い出ようとして己の姿に目を疑った。

 体になぜか女物の下着を纏っていた。慌てて掛け布団を引寄せ、体に巻きつける。無理矢理作られた胸の谷間に、自分のものなのにドギマギした。

 王妃が言っていたように、胸は作れるものであるらしかった。マリーの豊かな胸は自前であるのを知っているが、そうでなくとも、集めて寄せて上げて詰め物をして、それらしく見せるための便利な下着が存在する。もう一度恐る恐る見ると、きつく絞められていた紐はゆるめられていた。


 ソランは忙しく考えを巡らせた。寝惚けてはいても、覚えはあった。確かに女装して、殿下にお許しを頂いた。皆に大笑いされた記憶もあった。理由は思い出せなかったが。

 ……それで。それでどうしたのだったか。

 殿下と腕を組んで歩いた記憶がある。腕を組んだというより、ぶら下がっていたという方が正しいかもしれない。しまいには腰を支えてもらって、朦朧とした意識で石畳を見ていた記憶もある。だが、どう首を捻っても、そこから先が思い出せなかった。

 ……いったい、ここはどこなんだ。

 ソランは無意識に片手を伸ばしてベッドの上を探っていた。いつもなら、愛剣がその辺にあるはずだった。自分が無防備すぎて、危機感に苛まれた。とにかく剣が欲しかった。


 と、扉がコンコンと控え目に叩かれた。聞こえれば良し、聞こえなくても構わないという程度の音。ソランは思わず肩の上まで布団をずり上げ、扉を注視した。


「目が覚めたのね。よかった。ずっと目を覚まさないから心配していたの」


 マリーがほっとした顔をして入ってきた。ベッドの縁に腰掛ける。


「ここはどこ?」

「殿下の御館の四階の奥のお部屋」


 ということは、殿下の私室のまだ奥にあった部屋ということになる。この様子では、特別な客室なのではないかと思われた。


「部屋を替えてもらわないと」

「女性用の部屋がここしかないそうよ」

「女性用?」


 ソランは額に手をやった。確かに今は女性の格好をしている。


「でも、だからといってこんな特別扱いはいらない。私は殿下にお仕えするためにここにいるのだから」

「女性用の入浴施設がここにしかないんですって。護衛業務のある人は入浴が定められているんでしょ? その格好じゃ、男性と同じ施設を使うわけにいかないでしょう。

他の女性と一緒の施設は、もっと使えないしね。一応男性が女装していることになっているわけだから」


 入浴は、高貴な方々の傍近くに侍ることもあるために身嗜みを整える目的もあるが、それ以上に、影で護衛する場合、体臭で相手に気づかれないようにするためでもある。

 ややこしさに、ソランは天井を見上げて溜息をついた。


「隣の小部屋がお風呂なの。後はお湯を運んでくるだけにしてあるから、ちょっと待っててくれる? 散々馬を飛ばしてきたから、埃っぽいでしょ。殿下にお会いする前に入りましょう」


 そう言ってマリーはベッドから降りた。


「私はどのくらい寝ていたの?」

「丸一日。もう、お昼も過ぎているのよ。喉が渇いたでしょう。お水をどうぞ」


 ベッドサイドの水差しからコップに水を注いでくれる。それを飲むと、少し頭の中がはっきりとしてきた。


「ここはトイレも別なのよ。もうすぐ月の物もあるでしょう。助かるわね。あ、今、案内しておくわ。こっちよ」


 と手招きされるが、格好が格好なので、ソランは躊躇った。


「エメット婦人以外、他の人は入って来ないわ。後は全員男性だもんね。そのままで大丈夫よ」


 布団を引っ張られ、剥がされる。


「もっとも、殿下は別だけどね。さあ、さあ、起きて。元気な顔を見せてさし上げないと。

殿下ったら心配なさって、医者を呼ぶって聞かなくて。私が様子を見てくるからって、さっきようやく宥めたところなの。早く行かないと、乗り込んで来かねないから」


 それを聞いて、一気に目が覚める。こんなところで寝ている場合ではない。

 ソランは広いベッドの上を這って、裸足のまま毛足の長い絨毯に降り立った。




 浴室どころかトイレにまでガラス窓が嵌められており、嫌な予感が募るばかりだったソランは、最後に案内された広く豪奢な居間に入った時、まさしく口を開けて佇んでしまった。

 あくまで重くなりすぎない程度の荘重さで、気品がありつつも寛げる雰囲気が醸しだされている。花々を描いた美しい窓が光を通して、室内を明るく照らしていた。しかも天井からはシャンデリアが吊り下がっている。


「ここは、王族専用なのでは?」

「ええ。未来の妃殿下のためのお部屋ですって」

「やっぱり」


 とんでもないところに足を踏み入れてしまった。ソランの入っていい場所ではない。

 なんだか心臓がバクバクしていた。殿下が妃となる人にこんな素敵な部屋を用意するような方だったとは。いけないものを見てしまった気分だった。

 それから、切ない心持ちになった。お妃様は幸せな方だと思った。殿下なら、さぞかし大事にしてくださるだろう。

 ソランは踵を返した。ここにはいられない。


「マリー、荷物をまとめてくれ。出て行かなければ」

「イリス様? お食事の用意がこちらにできていますよ」


 マリーが離れた場所から大声で返してくる。


「食事している場合ではない! 急いでくれ」

「落ち着いてください。殿下がみえました」


 ソランは足を止めた。来てしまったというのならしかたない。直接話した方が早い。

 今来た道を戻り、殿下の姿が見えたところで、ソランはふわりとスカートを持ち上げ、膝を折り、女性らしい挨拶をした。


「たいへん遅くなりまして、申し訳ございません」

「何を騒いでいた」

「はい。こちらのお部屋はいずれいらっしゃる妃殿下のためのものと伺いました。私のような者が使っては、その方も良い気はなさらないでしょう。私はどこでもようございます。部屋を替えてくださいませ」

「気にするな。私の望んだ部屋ではない」

「何を仰って」


 殿下は不機嫌にソランの言葉をさえぎった。


「ここを造る時に、勝手に増設されたのだ。王と王妃の命でな。

出来てみて驚いた。私の部屋は減っているし、こんなものが出来上がっているしな。腹が立ったので、それ以来締め切りだったのだ。

エメット婦人は未練たらしく手入れをしていたようだから、きちんと使えはするだろう。遠慮するな。おまえが使わなければ、これから先も使う予定はない」

「予定がないのは困りますでしょう」


 ソランはむきになって答えた。

 殿下は、いずれ王となる。そうなれば世継ぎが必要となる。世継ぎは一人では望めない。


「私に子ができれば、騒乱の種となろう。私はそれを望まぬ」

「まだ、そんなことを仰るのですか」


 ソランは思わず声を荒げた。


「殿下には見えておられるはずです。ご自分が必要とされているとわかっておられるはずです。なぜ、それほど拒まれるのですか」


 殿下は怒気を露わにした。同時に、目には酷く傷ついた光があった。押し殺した声で言い放つ。


「おまえには、わからぬ」


 突き放した物言いに、腹が立った。


「わからなければ、なんだというのですか。隠しておられることを暴こうとは思いません。わかって欲しいことは、はっきり仰ってください」


 殿下が物静かに動いた。ゆっくりとソランに歩み寄ってくる。怒りにきつく唇を引き結んでいた。

 ソランは怯えた。大型の肉食獣に忍び寄られているかのようだった。だが、それを隠し、睨み返した。

 手首を掴まれる。ぐいっと引っ張られて蹈鞴を踏み、そのまま近くのソファの上に投げ飛ばされた。


「おまえの無頓着さには、時々、本気で腹が立つ。おまえは、いったい、私をなんだと思っているのだ?」


 激怒させたことはわかったが、言っている意味が掴めなかった。ソランは黙って見返した。


「私のことを知りもせず、勝手に都合のいい夢を見るな。迷惑だ」

「迷惑でも、お仕えします。勝手に夢も見ます。それをさせているのは、あなたです!」


 ソランは怒鳴り返した。悔しくて堪らなかった。

 何がこの人にこんなことを言わせるのか。何がこの人を苦しめているのか。


「いらぬと言われても、たとえ遠ざけられても、一生お仕えします。あなたが私の主でなくなるのは、私が死んだ時だけです。あなたが、私の魂にそう刻み込んだのです。それが気に入らないというのなら、私を殺すしかありません!」


 激昂して涙が滲んだ。けれど緊張をはらんだ空気に、身動きできなかった。ソランは瞬きをして涙を落とした。殿下から目を離したくなかった。殿下は苦しそうに顔を歪めていた。


「……私は、それに足る者ではない」


 搾りだされた声は、力のないものだった。堪えるように荒い息をしている。


「なぜそんなことを言うのです」

「なぜ?」


 殿下は歪んだ笑みを浮かべた。ソランには、それが痛みとして感じられた。


「私は、憎まれるのだ」


 低く笑い声をたてる。


「多くの人間に憎まれる。初対面の相手であろうが、長く仕えておるものであろうが、親であろうが」

「陛下方が? 殿下をとても心配しておられました。そればかりお話しなさっておいででした」

「ああ。そうだろう。慈悲深い方々だ。思い遣り、心を配ってくださる。親として、王として、その息子と生まれた私に、必要なものを与えてくださる。愛情もくださった。それでも、その両陛下であっても、私を憎むことはやめられないのだ」


 ソランには憎しみがわからなかった。どんなものなのか、さらされたことも、感じたこともなかったからだ。


「おまえには、わかるまい? おまえは、誰からも愛される」


 殿下は手を伸ばし、ソランが寄りかかっている背面に手をついた。もう一つの手もつき、ソランを閉じ込めるように屈みこむ。


「おまえは、光だな。だからこれほど惹かれるのか。そんなおまえを大事にしたいと思うのに」


 二人分の体重に、ぎしり、とソファが軋んだ。


「滅茶苦茶にして、ここまで引きずり落としたくなる」


 お互いの息を感じられるほど近くで睨みあう。そうしながら、ソランは切実に求められているのを感じていた。突き放そうとしながら、縋られている。がんじがらめになった殿下には、己ではどうしようもなくなってしまっているのだ。

 手を伸ばして、抱きしめればいいような気もした。だけど、そうすれば、二人で果てもわからぬ暗闇に落ちていく予感がした。それはソランの望むものではなかった。


 私は、この方を光の下に連れて行きたいのだ。この方の愛する世界に。守りたいとおっしゃった、あの黄昏の空の下に。


 ソランは両手で殿下を押しやった。自分も体を起こしながら立ち上がり、押しやった手で襟元を掴んだ。そうしておきながら右手を振りあげて、思いきり引っ叩く。


「情けないことを言わないでください! 私は共に落ちたりしません!」


 殿下は泣きそうな顔をしていた。


「光は、ここにあります」


 殿下の胸を叩く。


「ここにも、あるんです!」


 答えない殿下を揺さぶった。


「絶対に、あなたは知ることになる。必ず、私が見せてみせます」


 言いきったソランを見て、殿下は口元を震わせた。ああ、泣く。そう思った瞬間、殿下に抱き寄せられていた。

 殿下はソランの肩口に顔を埋め、涙を堪えているらしかった。ソランはじっとして、彼の心中の嵐が通り過ぎるのを待った。触れ合った場所からお互いの気持ちが流れこんでくるようで、黙っていても心が慰められた。


 どのくらいそうしていたのだろう。

 時を忘れていたというのに、ソランの腹の虫が盛大に鳴った。

 殿下が顔を伏せたまま、くっくっくっくと笑いだす。やがて顔を上げ、ソランの顔を覗き込むと、今度は上を向いて、あっはっはっはと声をあげた。


「おまえは、どうしてそう、緊張感がないのだろうな」


 ソランは真っ赤になっていた。非常に恥ずかしかった。一度鳴り出したお腹は、一向にやむ気配がなかった。

 やぶれかぶれで、わめく。


「丸一日何も食べてないのです。当然でしょう!」

「ああ。当然だな。邪魔をして悪かった。思う存分食べろ」


 背中に手を添えられ、食卓へと誘われる。そこにマリーが、所在無さげに立っているのを見て、さらに顔に熱が集中した。

 今の、全部、見られていた?

 羞恥に足の止まってしまったソランを見て、殿下はもう一度大笑いしたのだった。

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